その優しい春の青空の色を、きっと生涯忘れることはないだろう。


春風 いち主

 一期一振という刀の付喪神に出会った時、性別だとか種族だとかを一飛びに越える執着(これを恋と言うには少々年齢が行っていてあまりに恥ずかしいため)が存在することを知った。ある、晴れた春の日の血腥い戦場で。ぼくら審神者の中での俗語で言うところのドロップ。それで、一期一振はぼくの前に現れた。
「私は、一期一振」
いちごひとふり。
 その名だけがまるで突風のようにぼくの胸に突き刺さって、離れなかった。どきどきどきどきとぼくの胸は煩くて、その後に続けられた自己紹介なんかひとつも耳に入ってなくて、彼が粟田口吉光唯一の太刀であり、短刀の藤四郎たちの兄のような存在だというのは、もう少し落ち着いてから知った。後に当時出撃していた刀剣男士たちには、人間が恋に落ちる瞬間を初めて見た、と評されたため、当時のぼくの周りの見えてなさが伺える。
 まぁ何が言いたいかというと、そういう訳だったのでぼくの想いなんていうのは周りにはモロバレであり(それをぼくは気付いていないというのだからまたひどい!)、もっと言うのならばその当の本人にも筒抜けだったということである。
 そしてあろうことか、その当の本人がその気になってしまったのというのだから。ぼくにとってはまるで夢のような話であったが、夢のような話であったが故に最初は彼の言葉を疑ってしまって、それはそれは面倒を掛けた。わりと全刀剣男士を巻き込んだようなもので、そういう意味ではぼくの味方は誰もいなかった。
 でも結局最終的には、私の目が嘘を吐いているものの目ですか、と目を合わされ、その状態で好きなのです主、愛しています、などと囁かれれば、もう騙されいるのだとしても良いやと飛び込んでしまうだろう。壺だって買う。いや別に、壺を売りつけられたりなんてしていないけれど。
 そういう訳でぼくと一期一振は晴れて恋人同士となった。

 と、そんなふうに回想のように惚気けているのはべつに、別れたからではない。その逆である。さて、今は夜だ。此処はぼくの部屋で、他の刀剣男士の部屋とは離れている。ぼくは既に寝間着に着替えていて、布団も敷いてある。あとは寝るだけだ………いつもなら。
 今日はそうは出来ない理由があった。
「主」
呼ばれる。
「そろそろご決断を」
じっと、真剣な顔でぼくを見つめるのは、同じく既に寝間着に着替えた一期一振だった。
 今は夜。ぼくたちは恋人同士。つまり、そういうことである。
「決断って言っても、」
ぼくは口ごもる。困ったことに決断なんてものは―――彼とは違う意味だけど―――ずっと前にしている。
「優しくします」
一期一振は言う。真っ直ぐに、ぼくを見つめながら。これは本気だ、と分かる。決定打の告白の時も、こんなような顔だった。しかし今はそういう話をしているのではない。
「それはまずそもそも当然だろ。ぼくだって優しくするわ」
 さてもうお察しであろう。何がぼくらを膠着状態へと追い込んでいるのか。
「ぼくが上だろ」
「いえ、私が上でしょう」
なんてことない(ぼくにとっては死活問題だけれど!)上下戦争である。
 この一期一振、顔に似合わずとてもとても頑固である。というのは既にぼくは身を以て体験していた訳だが、まさか此処でもとは思わなかった。完全にぼくが一期一振を抱くのだと思っていた。それがどうした、主、そろそろ、と部屋へやって来た一期一振はぼくを押し倒して、あれ、と思ってとりあえず正座をさせて今に至る。危なかった、とても危なかった、あのまま流されていたら今頃ぼくの貞操は失われた。いやべつに一期一振に貞操を捧げるのが嫌だという訳ではないが、それとこれとでは話が違う。
「主」
急かすような響きはなかった。
 けれども熱のこもった声で、一期一振はぼくを呼ぶ。
「私に、貴方をください」
砂糖で煮詰めた檸檬のような、優しい瞳がぼくを映す。
「貴方の、誰にも暴かれていない部分まで、私にください」
根負けだった。ここまで言われて、ここまで見つめられて、折れない人間がいるなら見てみたい。
「…その顔で言われると何でも叶えてやりたくなる」
それは負け惜しみのつもりだった。そしてちゃんと伝わったらしい。
 一期一振の手がぼくの手を取った。いつもの手袋のない手は何度か触れていたけれど、いつも以上にどきどきした。

 ぼくはうっすら開けた目で部屋の明るさを確認して、それからにこにことぼくを眺めている一期一振を確認して、それから声を上げた。
「へた! へたくそ!!」
「申し訳ない」
「優しくするって言ったから譲ったのに! それ以前の問題だ!!」
 身体中が痛い。あちこち痛い。ひどい、ひどいすぎる。痛い。
「喚く元気があるではないですか」
「おっまえ…お前なんか、弟たちに失望されてしまえ」
「そこで死ね≠ネどの言葉を選ばないのが貴方らしいですな」
昨晩のあれこれでとてもとても満足したのか、一期一振は満ち足りた表情だ。ぼくだって出来ればそんな顔で朝を迎えたかった。
 ぼくは顔をうつ伏せになる。うつ伏せの方が幾らか楽だ。
「………お前刀剣だもんな…」
「ええ」
「無論童貞だよな…」
「人間の概念に当てはめるとそうですな」
「此処にAVの類なんてないもんな」
「えーぶい?」
「春画とか、そういう」
「ああ、ありませんね」
「つまりお前の知識って刀剣時代に聞いたぼんやりしたものしかなかった訳だ」
「そういうことになりますな」
枕に顔をぐりぐりと押し付けながらぼくは喚く。わあわあと喚く。
「そこに考え至らなかったぼくは馬鹿か………」
というか喉くらいしか元気なところがない。今日ぼくはちゃんと仕事が出来るのか。一期一振が原因ではあるから介護させるのもアリだとは思うが、それでは昨晩何があったか本丸中に知れ渡ることになる。役割がどっちがどっちであるのかまで知れ渡る。もう正直今更感はあるが、昨晩まで抱く方のつもりでいたぼくにとてはまだ少し覚悟のいることだ。出来れば避けたい。
 ぐるぐると考えながら、とりあえず、とぼくはがんばって顔をあげた。つらい。
「次は譲らない! 絶対だ!」
「それは困りますな」
しかし、そのがんばりは一瞬で無に帰する。
 昨晩と同じだった。熱のこもった声で、一期一振はぼくを呼ぶ。
「けれども主はまた私に貴方をくれるでしょう」
砂糖で煮詰めた檸檬のような、優しい瞳がぼくを映す。
 やっぱりぼくは根負けして、ぐう、と唸りながらまた枕へ顔を落とした。
「その顔で言われると、何でも叶えてやりたくなる〜…」
これはもう、惚れた弱みというやつだ。どうしようもない。多分ぼくは今後も同じ方法で、いろいろな彼の我が侭を受け入れることになるのだろう。今度こそ壺を買わされるかもしれない。いや、彼がぼくに壺を買わせるメリットなんか何も考えられないのだが。
 ふむ、と一期一振は頷いたようだった。
「こういうのをなんと言うんでしたかな…ああ、ちょろい≠ナすか」
「おまえ…その顔でちょろいとか言わないでくれる?」
夢が壊れる! とじたばたしたいが痛みで大人しくしているぼくのすぐ傍に、一期一振は多分膝をついた。怒っただろうか。夢なんかまったく壊れていないし寧ろ好きなきもちは高まる一方なのだがそれを言った方が良いだろうか。ああしかし本当にぼくは、彼、一期一振にどうしようもなく惚れいているらしい。
「さあ、起きてください、主」
 くるん、とひっくり返された。瞬間あちこちの痛みが連鎖して、ぼくはぎゃっと声をあげる。
「な、なにするんだ!」
「他のものが起きてくる前に、湯浴みを済ませましょう」
仰向けになったぼくの背中に、手が差し入れられた。待て、これは。
「ちょ、」
「大丈夫です、担げます」
「お前それ担ぐんじゃなくてお姫様だっこだからほんとやめて!」
「暴れると落としてしまいますよ」
「それは勘弁!」
わざと揺らされて思わず首に縋り付いてしまう。それが策略だったと気付いても、嬉しそうに楽しそうに笑う顔を見てしまえばそれを放す気にもなれない。
「今日は一日、手伝います」
「当たり前だ下手くそ」
「それも返上できるように努力します」
「当たり前だ」
「私のこと、」
 一呼吸。
「嫌いになりましたかな?」
「………まさか」
微塵も思っていないことを問うのは。
「ぼくはお前が好きだよ、一期一振。愛している」
「そうですか。それは良かったです。なんと言っても私も主を愛していますから」
この言葉は何度聞いても慣れないな、と思った。言うよりも言われる方が、心臓にわるい。
 ふと、視界に桃色が飛び込んできた。
「ああ、見事に咲きましたね」
そういえば先日、春の庭とやらを手に入れて、冬のそれからじわじわと入れ替わるように設定をしたのだった、と思い出す。
 桜の花片を追っていった先は、とてもやわらかな空だった。
 一期一振の髪と同じ色をした、とても優しい春の青空だった。



20150605
20171102 改定