いざ、廻れ、撚り糸の命運を乗せて まあこうなってしまっては担当さんがちょっと許可もぎ取ってくるので様子見して来てもらっても良いですか、とか言い出すのもいつもの流れだったし、こういうのに時々巻き込まれるから仕方ないなあと思うくらいだった。特別報酬出ると良いな、と思うぼくは多分今ホラー映画の主人公フラグをテキトーに建築していると思うんだけれど、こっちには同田貫正国がついてるんだぞ。はい、怖いものなんかない。っていうか今までも怖いものと出会っちゃうこととかはまあ、なくはなかったけど大抵たぬきがどうにかしてくれたしなあ…という楽観思考でいるのもある。一回ちょっと値段が付けられそうにないタイプのお宝に憑いてたなんやかんやをザクッとしようとしてあわやお宝が犠牲になるかと思った時だけはぼくの小鳥の心臓がばくばくとそりゃもうばくばくとしてしまったけど、ああいうのは本当にあの時だけだったなあ。その時のお宝もちゃんと無事だったし、付喪神として喚び出したらめちゃくちゃお礼言われたし。うちで働いてはいるけどそう言えばあの子、あの時からたぬきラブみたいで大丈夫かな、と思う。まあ客をたぬき限定にしているらしくてあの子はあの子で楽しんでるみたいだけど、身請け話を断るのが大変なんだよなあ。大抵たぬき自身が興味あるとかじゃなくて他の刀剣男士とか審神者とかが興味あって、たぬきを通して様子を窺ってる、というのが正しいし。そんなのはあの子も見抜いちゃうし、そもそもたぬきってそういう駆け引きして来ないから問題には発展していないけど。仮の持ち主としてはいいひとが見つかって欲しいなあと思うけれど、お手入れとかそういうの、やっぱりちゃんと愛してくれるひとのところの方が良いと思うし。でも刀剣男士相手だと、時々この戦争が終わったらどうするんだろうなあ、とは思う。誰のところにどの子が行ったとか、その後の連絡とか、一応ちゃんとやってるけど、だから最悪全部買い戻すくらいのことはするつもりだけど、まずぼくだって最後まで生き残るとも断言出来ないしなあ、と。死ぬつもりはないけど、ていうか此処まで審神者界隈で知る人のいない施設展開しちゃってこんなの置いて死ねるとも思ってないけど、人間ってか弱い生き物だからなあ、とも思う。ちょっとむずかしいこと考えちゃったな。暗いくらい。これからちょっと問題のある場所に行くかもしれないから思考が濁ってるんだろう。こういう時こそハッピー思考だよ。ネガティブいくない。 前に言ったようにうちの担当さんは結構優秀なので(ちょっとお腹は出てるけど)(取り返しがつくレベルだと思う)、ただの訪問許可ならぱっぱと取ってきた。相変わらず仕事が早い。 「面倒だったので向こう側には政府職員とだけ伝えました」 「ええ…それ大丈夫なやつ…?」 「池見殿は政府職員の資格も持ってるじゃないですか、嘘じゃないですよ」 手帳持ってるでしょう、と言われてああ、と思い出す。副業の方で取引する時は立ち位置的には政府職員なんだった。言い方次第ってやつかあ、あくどいなあ。 「山喜殿は優秀だからですかねえ。政府職員からの本丸見学の申請が結構あって、通りやすいみたいです」 「職員が見学って、結構珍しいね」 「審神者だと結構弾かれるみたいなんですけどね」 うわ、一気にきな臭くなってきたな。 とりあえず政府職員だって相棒の刀剣男士は連れていることはあるし、このままたぬきとあと歌仙兼定を連れて行っても問題はないだろう、と言われた。うちの本丸とも連携を取りながら、もしもの時には時空をアレするアレでびゅーんひょい、が出来るらしい。えっそれめっちゃ高いやつじゃない…? って思って聞いたら高いけどその辺は貴重な審神者を厄介事に巻き込んだ分としてどっかからブン取って来ますよ、と言われた。この人穏やかな顔してめちゃくちゃ怖いこと言うなあ。流石あの一期一振を相棒にし続けてるだけあるよ。主と刀剣男士は似てくるっていうけど別に相棒でもそれは一緒なんだなあ。 「どうして」 今まで鉛のように押し黙っていた歌仙が声を上げた。 「君は、その、声が聞こえただけで、うちの主とは関係ないだろう」 結構やる気になってる人間に水を差すようなことを言うのはおすすめしないんだけどなあ、と思ったけど、まあ歌仙からしたらそうだろう。ぼくがこんなのには慣れっこなんて言うのも言ってないし、歌仙とぼくたちは初対面だし、あと般若の面はそろそろ泣くのやめて。ぼくらちゃんと動くんだからこれから。 「そうだね」 ぼくは呟くように言う。あんまり大きな声で言えなかったのは、ただ単にぼくが声張るのが面倒だったからだ。だって疲れるじゃん、アレ…ゲームやってる時だけで良いんだよ。たぬきにイカでハメ殺しにされた時とかで良いんだよ。ハメ殺しってちょっとエロいね。うん、ごめんって。 「でも、まあ、報告書書くのには慣れてるから」 「そういう、問題では…」 うん、そうだよねーと思いながらぼくは一瞬前の馬鹿な思考を振り払う。 「関わったからね」 歌仙はそんな短い言葉じゃあ納得出来ないようだった。だからどう言ったら良いかな、と思って言葉を探す。 「ほら、言うんでしょ。袖振り合うも多生の縁、て。多分、偶然じゃないんだよ。ええと…智慧さん? が面を落として行ったのも、それを僕が拾ったのも。全部、偶然じゃないんだよ」 「…定められた、運命だった、と?」 なんだこの歌仙ノッてくるな。そういうの好きかな? うちの本丸に遊びに来る? 多分燭台切光忠辺りがめちゃくちゃ楽しくノッてくると思うよ。 「かもね」 ぼくにはそういうのは分からないから、そう思っているだけだけど。 でも、嘘ではなかった。うちに来た子たちにも思うけれど、やっぱり出会いってものはその辺に転がっているものじゃなくて、その時じゃなきゃいけなくて、ばらばらだったパズルのピースが、ぱちん! とはまったような心地好さというか、最初からそうだったんだ、ってそういう感じ。 「………まあ、その山喜さんとやらの本丸に、智慧さんがいるかってのも確定じゃないんだけどね」 さあ行こう、と準備したぼくはたぬきに最終確認をしてもらって、審神者っぽさより政府職員らしさが出ているかどうかよくよく確認してもらった。なんだか今から出掛ける夫を見送る妻みたいだなあ、こういうイメージ多分今の時代ぶっ叩かれるんだろうけどやっぱドリームにはドリームだよなあ、なんて思ってたら集中しろ、とチョップされた。 *** どうか私に、あなたの薬指を売って下さい 瞬きしたら見知らぬ本丸にいた。 そんな完全にホラーの導入ですかいやホラーだって一回気絶するなり何なりもっと優しいですよいろいろふっとばしすぎじゃないですか予算ないんですか勘弁してくださいと思った私が我に返って、まず最初にしたのは自分の状況と装備の確認だった。 瞬きする前、私は歌仙兼定を伴って本部にいたはずだった。普段、他の審神者の本丸を訪問するには一度、本部を通して許可を取る必要がある。それには訪ねる方と訪ねられる方、どちらもが押印した書類が必要になる。私たちは完全に本丸に住んでいるので忘れがちだが、本丸というのはたくさんあれども作戦本部のようなもので、敵にその座標が割れることだってある。そんな時には外から救援が来るまで一人で籠城しなければならないし、その防衛に関わるものがあまり外部に漏れる、というのはそもそも論だがよろしくない。だからそんな七面倒臭い手続きが必要なのだが、これは誰が誰の本丸の内訳を知っているとか、そういうリストになるのだと聞く。訪問回数やら何やらに上限はないものの、まあ、審神者という立場上、あまり他所の本丸にふらふら遊びに行くのは褒められた行動ではない。それこそ、師弟関係でもない限り。 今回訪問を頼まれた審神者・山喜の本丸は、審神者からの訪問をあまり受け入れていないと聞く。だからと言って自分が出掛けている訳でもなさそうだった。そういう訳で、今回の任務に漕ぎ着けるまで結構な時間が掛かったらしい。政府職員からの見学は結構な頻度で受け入れているらしいので、そっちが忙しくて審神者間における交友関係の新規開拓にまで手が回らないのかもしれない、というのは担当さんの言葉だった。山喜は古株の審神者だったし、昔に構築したネットワークが生きていれば新規の開拓など必要ないのかもしれない。私も中堅どころと言えただろうけれど、黎明期を生き抜いた審神者のネットワークの強固さには舌を巻くことが度々あった。そういうものがあれば、別段困ることはない。担当さんの調べた限りでは実質弟子扱いの審神者もいるようだったし、完全に国交断絶という訳でもないようだ。それだけなら別に、おかしいことは何もない、はず、なのだけれど。 私に話が下りてきたということは、何かあるのだろう、と気を引き締める。まあ、此処が山喜の本丸という確証はまだないけれど、今日、私は本部で迎え≠ノ会う予定だったのだ。こんな体質だから、特にいろんなことには気をつけている。迷信だって片っ端から破らないように守っているくらいだ、すれ違っただけのものに目を付けられるとか、そういうこともないように、うちの御神刀勢が寄ってたかって作り上げたやばいお守りだってある。ならば、私に何か≠オたものがいるとすれば十中八九その迎え≠セろう。一体何が迎えに来たのか、ちょっと考えたくないが既に巻き込まれてしまっているので残念ながら考えるしかない。 特に荷物も、一つを除いて失くなったりはしていないようだった。いろいろと詰め込んだ鞄は無事だ。中身を確認してみたけれど、石切丸が持たせてくれた札もちゃんと入っていた。担当さんがもぎ取って来たという気配を消す札もある。どちらも何枚か持っていた。予備、という訳ではないけれど、重ね掛けだって出来るスグレモノである。とりあえず気配を消す札の方を一枚発動させながら、私は歩き出す。いつまでも此処で立ち竦んでいる訳にはいかない。今までこんなふうに瞬間移動してしまったことはなかったけれど、原因の見当もついたことだし、向こうの望み通り留まってやることはない。本丸の構造は本丸ごとに異なっているが、それでも基本的な脱出経路は同じだ。本部や外と繋がる門(ゲート)は、本丸の一階がある高さにしか設置出来ない。私はそのルールを知っている。そして大抵は防衛の都合上、門までの道は生活導線上にはなく、ひと目につかない場所を伸びていて、その距離は最低でも六百メートル。その距離と札があれば、身を隠しながら脱出をすることだって可能なはずだった。床を叩いて音を確かめる。此処は少なくとも二階以上らしいから、まずは階段を見つけるべきか。窓を見つけたら警戒しつつ近寄って、外の様子を窺うのも良いかもしれない。大丈夫、と自分に言い聞かせるまでもない。これくらい、私は出来る。札もある、五体満足、思考も正常。だから、此処がどんな本丸でも大丈夫なはずだった。 でも。 今、私の手元には、面がない。 落として来てしまったのだろうか。落としたのであれば、歌仙がきっとそれを見つけているはずだ。私が想定外の事態に巻き込まれたことは察知しているだろう。歌仙ならすぐに本丸に連絡を入れるだろうし、担当さんだって呼べるはず。私の歌仙に出来ないことはない。大丈夫、大丈夫。呪文なんて本当は要らないはずだった。私は出来る、それが分かっているのに、ただただ不安が募って仕方がない。私は私の本丸では面なしでもいられるが、此処が何処であれ、私の本丸ではないことは確かだった。本丸、と分かるのは本丸を構築する特有の感覚があるからだ。だけど、それだけ。私の本丸は石切丸が筆頭になってあれこれやってくれているけれど、大抵の他の本丸がそうじゃないことを知っている。だからと言って、其処に例え何かいたとしても、それは此処の審神者関連のもので私を見ている訳じゃない。それだって分かっているのだ。 理解が、感情についてこない。 ああ、嫌だな、と思った。舌打ちしたいのを堪える。確かにお守りだった、でも本当にそれだけだった。効力なんて何もない、ただ視界を狭めるためのもの。それが、こんなに大きな存在になっているなんて、思いもしなかった。見直した方が良いのか、丁度良い機会なのか。以前、鶯丸は好きにしたら良いと言ってくれたけど、それから私は向き合うのを避けていたのかもしれない。避けたかったのかもしれない。 と、そんな思考を遮るように足音が聞こえた。此処の審神者だろうか。刀剣男士が足音をさせるというのは考えづらい。彼らは、例えば主である審神者に近付く時などはわざと足音を立てたりしてくれるけれど、基本的に何事もなく歩いている時は音をさせないのだ。廊下をドタバタ走っているやつらはさておき。 審神者なら、私を探しに来たのだろうか。丁度よくあった物陰に入る。とん、とん、と一歩一歩踏みしめるような足音。札の確認を一応する。ちゃんと発動している。鏡とかそういうものがないかとか、影が出ていないかとかも確認する。こっちも大丈夫。これなら刀剣男士が一緒でもバレたりしない。持ち物の中には手鏡もあった。その反射も考える。うん、大丈夫。あとは審神者(仮)が私の視界というか手鏡の範囲に入るのを待つだけ。 そして。 それ≠ヘ鏡に映る。事前に資料として貰っていた山喜の姿と同じだった。山喜だ、ときっと審神者を始める前の私ならそう思ったかもしれない。 ―――違う。 背中を、冷たいものが駆け下りていくのを感じた。 どっどっ、と打っている心臓の音が聞こえないか不安になる。 口を抑えていないと心臓が其処から転がり落ちそうですらあった。思わず札の確認をまたしてしまう。大丈夫、ちゃんと発動している。とん、とん、と足音が離れて行って、その後を誰か刀剣男士だろう、影がついていったのを確認して。やっと、細く、息を吐く。一緒にいた刀剣男士が、誰か確認することも出来なかった。 貰った資料、というかどう考えても隠し撮りの写真からはそんなものを感じなかったのに、どうして今、分かってしまったのだろう。同じ空間にいるからだろうか。それとも、写真に写っていたのはそうじゃあなかった? 思考がまとまらない。 ―――あれは、人間、じゃあ、ない。 「よいしょっと」 頭上で、この場に不似合いな軽い声がした。 よく、知っている声だった。 「………は?」 今のなんだ。 「石切丸…?」 漫画とかでよくあるページめくりで登場しなかったか、こいつ。いやよくはないわ、最近あんまり見ないわ。 「―――主、」 石切丸が手を伸ばしてくる。 今までそんなことはしてこなかったのに、まるで本当に大切なものに触れるような仕草で、私を撫ぜる。 「歌仙から連絡があってね」 いやそれはそうだろうけど、だからって今の登場の仕方に疑問がないかと言うとそんなことはまったくもってないのだけれど。 「ごめんね、怖い思いをしただろう」 あまりにも今までに見た中で一番に申し訳なさそうな顔をしている石切丸に何を言うことも出来ないまま。 * [helpless] @helpless_odai *** Choice3 へし切長谷部、とその名前を呼ぶことがこんなにも恐ろしかったことはないな、と思う。へし切長谷部は自分の本丸にもいて、だから見慣れているはずなのに、違う人間が励起・顕現した彼はまったくもって違う生き物のように目に映る。自分の目の前で一緒におやつを食べている人の、その笑みが偽物だなんて思えない。思えないけれど、先程の鯰尾藤四郎の件もあって、とうとう解えにたどり着いてしまったような気がする。 あれは、以前触れ合った鯰尾藤四郎ではなかった。重ねて言うが、刀剣男士の多重顕現が問題視されている訳ではないのだ。それこそとんでもない量の霊力、とでも言えば良いのか、審神者としての力を持つ人間などは、多重顕現によって本丸を掛け持ちするような運営をしている者だっている。そういう者が戦線を支えていることを、自分は知っている。だから、別にそれについてどうこう言うつもりはなかった。ただ、問題は隠されていた、ということだった。 自分に、多重顕現は悪いことではないのだと教えたのは彼女だった。だから、彼女が多重顕現をしていたとして、それを自分に隠す必要はない。でも、隠した。それはあの鯰尾藤四郎の独断だったのかもしれないけれど。 隠すのは、知られたくないから、だろう。鯰尾藤四郎だけが、この本丸で多重顕現をしているのかもしれなかった。それを、鯰尾藤四郎が心地悪く思っている、とか。そういうことだったらきっと、他所の審神者に知られたくなんかないに違いない。 でも、そうであるなら、あんな反応はしないのだ。 あの鯰尾藤四郎は、気付いたのか、という反応を隠しはしなかった。それでいて、それ以上入ってくるな、と規制線を敷いた。まるで、その先にはもっと知って欲しくないことがあるように。 「山喜さんは何処に」 「いるではありませんか、鳳仙様」 自分の問いに、へし切長谷部はにっこりと笑ってみせる。 「貴方様の目の前に」 確かに、自分の目の前に彼女はいた。でも、一度気付いてしまえば分かる。へし切長谷部は仕方のないお方ですね、とでも言いたげに首を振って、それからそうっと、呟いた。 「一万とんで八番目の主ですよ」 とてもとても、大切なことを言うように。 「山喜、という名前も一万とんで八番目ですが、今は既に一万とんで百二まで行っていますね」 へし切長谷部の手がふわり、と自分の後ろを指す。その動きに淀みはない。ほら、という声は何処までも甘いものだ。 「其処にも」 振り返って見ても、示された場所には何も見えなかった。へし切長谷部が嘘を言っていないのであれば、そういうことなのだろう。 其処にいる審神者は、まだ人の目には映れない=B 再び視線を戻すと、あの人と同じ顔をした彼女は、にっこりと笑った。 「鳳仙」 どうして気付いたことを口にしたの、と。 それは何処か悲しげな物言いで、あの人と何処までも同じで、それが遣る瀬無かった。主、一度席を外しましょうか、とへし切長谷部が言う。彼女はそうね、と頷いて部屋を出て行く。自分がそれを引き止めるようなことはしなかった。ぱたん、と扉が閉まって、自分は隣を見遣る。 「帰れると思う?」 「さあ」 宗三左文字は気にした様子もなく、この羊羹美味しいですね、とおやつを続けていた。 「主の不用意な発言は今に始まったことではありませんからね」 慣れましたよ、という宗三左文字はうちでもこれ頼みましょうよ、と続ける。何処のだろうね、とへし切長谷部が置いていった箱を勝手に見る。八社宮屋と書かれたそれを開けると、中にカードが入っていた。どうやら『はさみや』と読むらしい。初見殺しだな、と思う。 「―――でも、まあ」 食べ終わった宗三左文字が皿を奥へと押しやる。 「食べ終わったら帰りましょう」 別に鍵を掛けられた訳でもありませんし、と宗三左文字が指差した方向を見遣って、流石に言葉を失った。 「主、羊羹食べないんですか」 「…欲しいの」 「要らないなら貰います」 「あげる」 手が生えていた。 否、生えていた訳ではないのだろうがそう見えた。 ―――こっち。 ゆらり、と手が揺らめくように揺れると、声が聞こえたような気がした。宗三左文字がちょっと待ってくださいね、すぐこれを飲み込むんで、といつもなら絶対しないだろう一口食いをして、それから立ち上がる。応えたということは宗三左文字にも聞こえているのだろうか。自分は分からないまま宗三左文字に手を引かれ、歩き出す。 手は瞬きした瞬間、瞬間に移動し、まるで導いているようだった。信じていいの、という疑問はどうしてか浮かばなかった。宗三左文字も、手に迷いなくついていく。元いた部屋のもう一つの出口から、その隣の部屋へ、その部屋の棚の後ろの隠し扉から狭い通路を通って外へ。そうして導かれた先はなんでもない納屋のように見えた、けれど。 「…主、此処、微かにですが風が通っています。通路があります」 そう言ってから宗三左文字が躊躇いもなく納屋を開けると、その中には予備の門(ゲート)が隠されていた。普通、こんなものを他の審神者に教えることはない。例え、実質の弟子扱いである者にだって。どうして、と問おうとしてもう振り返ると、手はいなかった。 「主」 追手が来ます、と言って宗三左文字は自分を抱え上げた。そしてそのまま本丸コードを打ち込む。シュル、と時空移転特有の胃が浮かぶような心地がして、鯰尾藤四郎の姿を目に映しながら自分と宗三左文字はその本丸から抜け出した。 ああ、と思う。 さっき追ってきた鯰尾藤四郎は、紛れもなく、以前案内してくれた鯰尾藤四郎だった。 *** 記憶は思い出へと名を換える うわ、と思ったのを覚えている。 誘拐されたこと自体にではなく、完全に、目の前の光景に対して。学校帰りの制服のままの状態で普通こんな廃墟目前でーす! とか語尾に星でも飛んでそうな建物に未成年を放り込む政府の人間を名乗る大人が存在するってだけで普通にめまいがするのにどうして現実はそれ以上のことを突きつけてくるんだろう、と続けて思ったことも。フリーのホラゲーだってこんなやばそうな建物出してこないんじゃないかな! というぼくのフリゲーへの偏った信頼を思い出していたらふつふつと怒りがわいてきて、ぼくはそのままその建物に踏み込んだ。土足でも良かったけれども一般的なあれやそれやがちゃんと出来ていたぼくは大きな声でお邪魔します!! と叫んで丁寧に一礼して靴は一旦揃えて脱いでから、考え直して持っていった。中はそんなに汚れてなくて、多分中で暮らしているひとが綺麗にしているんだろうな、っていう場違いっぽい推測があってたと知ったのはその後掃除をするひとを見かけてからだった。誰だったのかは分からない、こんなやばそうなところで普通に生活を続けているひとなんて普通に考えてやばいだろうと思ったから殆ど横目で見てそのまま去った。こういうのは大体一番奥まで行くとイベントが起こってまあ出られなくなって出られるようになるんだろこっちにはセーブ機能も何もないけど!! と思いながらちゃんと靴を持って走るぼくは多分本当にパニクっていたのだと思う。普段ならそんな無謀なことはしない。怒りとは言ったけれどもそれを全然制御出来ないで斜め上の方向にいっている辺り、本当にパニクっていたのだと思う。ここまでの諸々でぼくに対して頭おかしくない? とか思ったひとは同じような状況に陥ってみて、どうぞ。 此処に来るまでは目隠しアンド拘束アンド口も塞がれてたからアレだったけど、それでも何だかよくわかんないことを説明されていた。ぼくは大体ウーウーとしかならない言葉で抵抗していたので半分も聞いていなかったが。なんか此処がブラックなんちゃらとか呼ばれていて、前任者がブラックなことをやっていて此処ははちゃめちゃになってしまって荒ぶるなんやかんやがいるからどうにかしてネ! みたいなことを言っていた気がするし、多分この思い出し方だと真面目に聞いていても大した情報にはならなかったんだと思う。ブラックって言ってもブラックカードとかの良い方じゃないだろうし、どうせブラック企業とかのブラックだろうし、荒ぶるうんにゃらかんにゃらはその方向で行ったら多分荒ぶってるのは部下とかだろうし、そう考えたらぼくは今からシャッチョサンか? は? その辺の居酒屋に連れ込んだらどうにかなったりしない? ぼく未成年だけど。なんかその辺のパブとかに放り込んだらどうにかならない? ぼくお金ないけど。と、そこまで思考が回って合っているのかも分からないのに更に怒りがわいてきて。ぼくは足を早める、もうドスドスと音がするほどに。いやいやいや、こっちは純粋培養のカワイコチャンだぞ何やってんだよその辺の御猫様より大事に扱われて然るべき存在だよ! いや御猫様には敵わんわ、畜生そのブラックなんとかにいる荒ぶるなんとかとかをどうにか御猫様の餌食にしてくれるからな!! 多分その辺で出くわしたのが和泉守兼定だったのだろうけれど(今思い返してみると彼はリーダーをやっていたみたいだし)、それでさっきのざっくりよりかは真面な説明をされて、ぼくは流石に言葉を失ったのだった。和泉守はその後余計なことはするな、と言ってどこそこの部屋が開いてるから其処にいろ、と続けた。多分温情的な言葉だったんだろうけど普通に無表情だったので身長差のこともあってぼくは完全に見下されていると判断した。それは悪いことをしたなあ、と思う。それだけだ、と言って去ってしまった和泉守に対してぼくは数分ぼうっとしていたけれど、そのうちまた怒りが戻ってきた。 人間によって傷付いてもうどうしょもないって感じの人間じゃないものを、なんやかんやしてどうにかする。難しい言葉もあったけどざっくりまとめるとこうだし、ついでにお前じゃ無理だという言葉も貰ってしまった。はあ? じゃあなんでぼく連れてこられたの? 誘拐なんですが? 特殊能力必須なら試験でもして欲しかったんですが? ガイガーカウンターか? もっとちゃんとして欲しいのだが? はー無理無理無理ゲー! えらいひと頭湧いてんのか! 馬鹿か! 馬鹿だな! 聞くまでもない!! 怒りに身を任せつつ、ぼくは言われた区画へと向かう。扉がいっぱい並んでいて、だからぼくは片っ端から開けていく。はい此処鍛刀場! ぼくには関係ない! はい此処手入れ部屋! ぼくには関係ない! はい此処道場! ぼくには関係なーい!! この廊下を行った先が和泉守の言っていた部屋だとぼくは知っている。思い出している。ぼくは気付いている。これがぼくの夢であることを。ぼくはだだだだと足音をさせながら走っていく、ぼくはもう知っている。この先には、明るい未来があることを。ぼくは審神者になって今まで知らなかったことを知って、戦争なんてものをしているけれど、これが終わったらどうなるかなんてとんと見当もつかないけれど、それでもぼくはぼくの刀剣男士たちがかわいいしぼくは生まれたことを後悔なんてしていない。眼前に、光が見えてくる。ぼくはその光を目指す。後ろからは何も追ってきていない。でもこんなにも、先へと進む足がかろがろしい。 そうして部屋のあった場所に代わりに鎮座していた光に飛び込んで、ぼくはおはよう! の代わりにただいま! と叫びながら目覚めた。 その声がびっくりしたのか、隣の部屋でガタガタと音がする。今日の護衛は三日月宗近だったな、と思い出す。 「主?」 「おはよー、入って大丈夫だよ」 まだ寝そべったままだけど、とぼくが返すと恐る恐るといったように三日月がふすまを開けた。眩しい光。朝。ちゃんとした、朝。 夢を見たよ、とぼくは言う。 「夢?」 三日月が優しく問い返す。 「此処に来たばかりの頃の夢。まだ、三日月がいなかった頃」 「それは…怖い夢だったのではないのか?」 「かもしれないのに、なんでだろうね」 ぼくは本当に不思議だった。 「なんだか、とても懐かしいきもちになったんだ」 *** 白兎の時計は逆に回る 突然ページめくりみたいにして颯爽と現れた石切丸に何だお前スパダリか? みたいなツッコミすら出来ずに(やっぱりあんまりに申し訳ない顔だったため)、私はそのままの状態で石切丸の話を聞いていた。 「私はね、君が本当に倒れるまで君がどれだけこの世界でつらい思いをしているかなんて知らなかったんだ」 曰く、石切丸の視界にはいつだってそういうものが見えていたのだと言う。刀剣男士として顕現する前はどうだったのかは知らないけれど、この石切丸が顕現してすぐにそういうものが見えたところでそういうもの≠ニしての認識しかなく、寧ろ私が見えていると分かったことでこれで主と同じ視界を共有出来る! 程度にしか思っていなかったのだと。石切丸にとってそれはとても嬉しいことで、慣れていないのであれば石切丸がどれが良いものでどれが悪いものなのか教えてあげよう、とかそういうことを思っていたのだと。主と同じものを見ることが出来ている、それは石切丸にとってとてもとても楽しいことで、それこそ浮かれる勢いだったらしい。ただ、審神者に就任したばかりだった私はあれこれと忙しく、あまり触れ合いに行くことは出来なかった。石切丸としては長い間生きてきた、という感覚のため待つのはそんなに苦ではない。今は歌仙兼定が様々なフォローをやっているけれど、そしてそれに割って入るのは多分効率を悪くしてしまう行いだから、もう少し経って落ち着いてから、石切丸の方から動こうと。 「でも、君は違った」 私にとって新しい視界はただただ毒だった。恐ろしいとかそういう感情よりもずっと先に、無理、という拒否感情が浮かんでくるものだった。 今まで見ていた世界に、こんなものが重なっていた。そう思うことがあんなにも自分の中を拒絶という感情でいっぱいにしていくとは思ってもいなかった。そもそも存在するとも思っていなかったものたちが突然見えるようになったのだ、元からオカルト話とかが好きだったらまた何か違ったのかもしれないけれど、残念ながら私はそうじゃなかった。私は良くも悪くも現実に生きていた、リアリストだった。そして唐突に、ああ、あの倒れた日から煙草を吸っていないな、と思い出す。何年経ったんだろう。私は、嗜好品を忘れてしまうくらいの没頭を、現実逃避を、どれくらいの間してきたんだろう。 「それに気付けなかったことを、君は責めなかった」 「…だって、そうでしょ。普通。気付かないよ」 嬉しかったのなら尚のこと。そんなことは今初めて知ったけれど。 あの時石切丸がそれを言わなかったのは、それが言ってはだめなことだと分かっていたからかもしれない。私だって、あの時これを言われていたら受け止めることは出来なかったと思う。今だから、一緒に積み上げてきた記憶も記録も審神者として刀剣男士として、その、言いづらいには言いづらいけど、絆も、ある今だからこそ、私は受け止められたのだと思う。 「主、」 石切丸は私をまた撫でる。 「主はそう言っていつも一人で頑張るけれど、もっと私たちを頼って良いんだよ」 「…頼っているよ」 「もっと、頼って欲しいんだよ」 「もっと、と言われても…」 困るな、と言った私は多分笑っていたのだと思う。それが苦笑でも。石切丸は安心したように、此処で困るのが君だよね、と呟いた。それがいつもの遣り取りで、まるで私は私の本丸に戻ったような、そんな心地になっていたのに。 とん。 足音がした。遠くはない。近くもないけれど。此処は一人ならば隠れていられるだろうけれど、石切丸がいる以上どうしようも出来ない。審神者であれば、他の本丸の刀剣男士の区別は兎も角、自分の刀剣男士かそうでないかくらいは判別出来る。仮にあれだったとしても、この本丸が本丸としてやっていけているのであれば、あれだって審神者としてやっていけているのだろう。と、なれば。 逃げ道は、ない。 同じことを思ったのだろう、石切丸が何も言わずに刀を抜く。一応此処室内なんだけど、どうにかなるのかな、と思いながらもその一連の動作に本当に音がなくて、いや多分私がもっと、それこそ刀剣男士並に耳が良かったりしたら聞こえたのかもしれないけれど、私にはやっぱり何も聞こえなかった。だからああ、石切丸って本当に刀剣男士なんだな、と改めて思う。 こんな場所で、こんなところで。 それでも私の刀剣男士は主である私を心配して、せっかく持った心を痛めて、たくさんのことを考えてくれる。 とん、とん、とさっきと同じ。踏みしめるような一歩一歩。それを私は聞いている。張り詰めた、今にも凍りそうな空気の中、聞いている。耳が静寂で痛かった。本丸の外にはきっと木が生えていたり池があったり、兎に角音のするものはあって、それは本丸の中心にいようが端にいようが聞こえてくるものだと思っていたけれど。分からない。きし、きし、と廊下の軋む音だって聞こえるのに。かたん、と音がして、それから足音が止まる。何か、天井に引っかかったような音。 「気をつけて」 「ああ、すまない」 女と、巴形薙刀の声だった。さっき見たのは確実に薙刀の大きさじゃあなかったから、きっと違う。違うものがやって来たのだ、此処は彼女たちの生活動線上なのだろうか。すっと、血の気が引いていく。 「手入れはいる?」 「いや、ただ引っ掛けただけだ。大事ない」 「そう。それなら良かった」 確認が終わったのか、また女が踏み出した。とん、とそのつま先がこちらの視界に入って、それからもう一歩。 とん。 「…あら、」 石切丸を認めて、それからすぐにその後ろの私にも気付いたはずだった。それなのに女は慌てた様子もなく、ぺこり、と頭を下げる。 「お待ちしておりました、外部の審神者様」 巴形も戦闘態勢に移る様子は見えない。私は意図的に此処へと連れてこられたのに、もし彼女たちの中で伝達が出来ていなかったのだとしても、本丸に侵入者がいるという状況ではあるのに。 「私は八四四四番目の山喜、この本丸の主のうちの一人です」 その台詞に、もう頭がパンクしそうで私は迷い込んだ何番目かのアリスかよ、とだけ思った。 *** あなたがいない世界などかんがえられない 本日の来訪予定はなくなったと聞いていましたが、とその本丸の主、山喜さんが言うのを聞きながらぼくはええ、そんなことはないですよ、と言った。同田貫正国がそうだそうだ、と言わんばかりに頷いている。歌仙兼定はちょっと喋ろうとするとボロが出そうだったので黙っていてもらうことが此処へ来る前に決まっていた。これは自惚れでもなんでもないけれど、ぼくの方がよっぽど交渉事には慣れていると思うし。この歌仙がどうだか知らないけど、こうして特別任務が割り当てられるってことはそこそこそういう場に行くことには慣れているのかもしれなかったけど、それでも交渉事の回数はぼくの方が上だと思う。うちの歌仙もよく品物の値引きが出来なくて悔しい思いをした、って言って布団被ってることあるし、うちの歌仙かこの歌仙がめちゃくちゃ突飛なやつってことでない限り、まあ所謂同位体って言われてるやつだし。理系からするとこの呼び方何なん? って思うことあるけどまあ、伝わるんだから仕方ない。日本語なんてすぐ移り変わるものだし、これは審神者業界のあれそれだから広辞苑には載らないだろうけど、外の世界だったら絶対次の広辞苑に載ってたし。 「連絡の行き違いですかね? 上に確かめてみましょうか」 下っ端なんで〜という顔のままぼくがそう言えば、山喜さんは少しだけ悩んでから、どうぞ、と言った。入れて貰えるのは助かるけれど、上に連絡されたくないとかかな。まあ今ぼくのスーツの袖にはボタン型の集音器―――所謂盗聴器が仕込まれているのだけれど。大丈夫かなあ、これ、普通にうちの担当さんに筒抜けなんだけど。担当さん怒られたりしないかなあ。いやもっと上の人が突撃してくるとかそういうのじゃなくて、それに対して相棒の一期一振が抜刀しちゃわないかって意味で。 大抵の刀剣男士が審神者に対してそうであるように、政府職員さんの相棒をやっている刀剣男士も、まあアットホーム感は確実にないけれども結構組んでいる相手に対して盲目的な部分がある。特にあの一期なんかそれが顕著だ―――いや、今ちょっとかわいい言い方したけど顕著とかじゃない、あれはひどいの部類だ。なんだかあの一期は元々何処かの本丸で審神者に顕現されたらしいんだけど、其処でいろいろトラブルがあって結果ああいう性格に落ち着いてしまったらしい。というざっくりした話しか知らないけれど。担当さんのところへ相棒としてやって来た時にはもうああ≠セったらしい。まあそうだよね、基本的に一期ってほんわりした感じでいるよね。うちの一期も結構ほんわりしてる。よく自分が馬に乗ってること忘れたりするくらいにほんわりしてる。まあでも、そういうところもかわいいんだけどね、そういうのが審神者って生き物なのかもしれないよね、でも馬は置いていって。 閑話休題。 連絡の行き違い(多分行き違いじゃないんだろうけどぼくは黙っている)で山喜さんはちょっと仕事を入れてしまったらしく、仕方ないから本丸内を案内するのは少しの間刀剣男士に任せても良いか、と聞いてきた。ぼくたちとしてはどっちでも同じなので、でもこれは交渉なので、まあ…忙しいですもんね…みたいな苦渋の決断、みたいな顔をしておいた。山喜さんはほっとした顔をして、それからチリンチリン、と鈴を鳴らした。何あれかっこいい。うちにも導入しようかな。 鈴を鳴らして暫くすると、巴形薙刀が現れた。やっぱ薙刀っておっきいなあ、うちにはまだ巴いないんだよな。 「巴」 山喜さんが呼ぶ。 「………主」 少し、ほんの少しだけ、巴は言いにくそうにした。どうしてだろう? もしかしたら彼らは恋人で、いつもはハニー・ダーリンで呼び合っているのかもしれない。審神者と刀剣男士の間で恋愛感情が生まれることはそう珍しいことではない。周りにだっているし、あとついでに人型になれればその心を通わせるのは結構人間にとって抵抗のないものらしい。というのは仕事を通して見てきている。 でも、多分違うんだろうなあ、と思った。これは審神者としての勘だった。 「この方々の、本丸案内をお願い」 「承ろう」 「くれぐれも粗相のないように」 「ああ」 巴が強く頷く。 「―――任せてくれ」 その間(ま)は何なんだよ、と流石に突っ込むことは出来なかった。 巴は丁寧に本丸の案内をしてくれた。結構大きな本丸で、今契約出来る全振りを顕現させていたとしても広いように感じるから、もしかしたら此処は多重顕現をさせているのかもしれないなあ、と思った。もしもそれが出来ていて、運営も円滑というなら確かにすごい。でも、それだけで政府職員からの見学が殺到するものだろうか。 ぼくがそんなことを思っているのを感じ取ったのか、巴が足を止める。丁寧に、マニュアル通りに説明していた時の雰囲気からガラッと変わる。まるで本を閉じたように。 「智慧殿の迎えか」 その言葉に歌仙が反応しようとしたのをぼくが手で制した。同田貫正国は何を言われずとも戦闘態勢に移行している。こういうところ、たぬきは本当にかっこいいなあ。 此処は狭い廊下だった。審神者は刀剣男士のレベルが大体は分かる。うちのたぬきはカンストだけど、目の前の巴は違う。それに加えて場。こんな狭い場所ではたぬきに分がありすぎる。まあ、巴がそこまで馬鹿だとも思っていないので、別に此処で何かしら仕掛けてくるとは思っていないけれど。 「―――そうだとしたら?」 ぼくは言う。いつもの取引のような様子で。出来るだけ困ったお偉いさんを相手にする時の心地を思い出しながら。怒らない怒らない、スマイルスマイル。 「今は、連れ帰って貰っては困る、というのが我が主からの伝言だ」 「さっき本人が直接言えば良かったんじゃないの」 「それは出来ない」 「どうして?」 「どうしても」 「智慧さんは無事なのかな」 「ああ。保証する」 「どうして智慧さんを巻き込んだの」 「…ちょうど良く、政府から寄越されたからだ」 「智慧さん自体に何かあった訳ではないと?」 「主と智慧殿には面識もないからな」 「…そう」 案内してもらえる? とぼくは言った。すぐ連れ帰ったりはしないから、と言ったら巴は頷いて、こっちだ、と廊下の内側の壁を押した。小さな窓がくるりと回ってそれからゴゴ、という音を立てると、巴の向こう側、少し遠くの、何もない扉が開いた。 「………」 まあそういう感じの仕掛けはあるだろうな、と思っていたけれども目の前でこうもあっけなくバラされると、どういう反応をして良いか分からないんだな、とぼくは思った。 秘密通路の階段を下りていくと、一階に出た。どうやら今まで歩いていたところは一階は一階でも、中一階、という感じだったらしい。どんな仕組みしてんだこの本丸。忍者屋敷かな? 主、入るぞ、と巴は一つの部屋の襖に声を掛けて、それから開いた。 「あれ」 ぼくが呑気な声を上げたのは、中にいたのが一人じゃなかったからだ。 山喜さんが一人、女性が一人、そして何故か女性の隣に石切丸。 「―――ッ」 歌仙が駆け出して行って、それからその智慧さんとやらを抱き締めた。隣の石切丸についてもツッコんで欲しかったんだけど、まあ無理だよね、分かってる。 般若の面をしていない彼女は普通の人間に見えた。一緒にいる石切丸にはツッコミなしってことは、多分智慧さんの石切丸なんだろう。石切丸ってやろうと思えばわりと何でも出来るって聞くけど本当だったのかなあ、それともこれは美しい絆の物語なんだろうか、フェイトエピソードなんだろうか。もう分かんない。普通にキャパオーバーだよこんなの。ていうかぼくマジで関係ないのによく此処まで着いてきたし、たぬきもぼくに付き合ってくれたよ。 「ぼくらも抱擁しとく? ギュッて」 「…加州のやつがいたら、首を? って聞いてるところだろうな」 「待って加州ってそんな物騒な発言するの」 「嘘だ」 「嘘かあ〜!」 ギュッとはしてくれなかったけど、たぬきは代わりに肩を叩いてくれた。これはこれで体育会系って感じで悪くない。よし。 「でも、これからどうしようね」 「さあな。アイツが知ってんだろ」 なら聞いて、納得いかなかったらたたっ斬れば良いだけの話だろ、とたぬきが言って、ぼくは単純明快で良いなあ、と笑って待つことにした。 *** 都合の良い言葉 縺れるように転送門(ゲート)から帰ってきた主を見て、刀剣男士が何も思わないなんてことはないだろう。しかも護衛だった宗三左文字に抱えられてのもので大分バランスが悪く地面へ倒れ込んだ上に、宗三左文字は本体を振り抜いたまま門を警戒していれば、すぐに何か良くないことが起こったのだと知れてしまう。今日の行き先なんてこの本丸の誰もが知っていた。だからまず浮かんだのは敵による本丸襲撃だったことだろう。宗三左文字の臨戦態勢に呼応するように集まってきた刀剣男士たちが警戒を広め、それを収束させるまで時間が掛かってしまった。今は、外に繋がる各門に、数振りずつの見張りがいるだけである。この状況をだけ、と言って良いのかは分からなかったけれど、これでも最小限に済ませてもらった方だと思う。 警戒を解かないまま、敵襲より厄介です、なんて言った宗三左文字を責めることはしない。それがあの時点で、そして現時点でも宗三左文字からしたら最善手だっただろうし、だから今も謝罪の言葉はない。自分も謝ってもらおうとは思わない。一応妙なものに出くわした、ということで太郎太刀・次郎太刀のダブルチェックをしてもらったが、特に変わったところはないそうでひとまず安心をした。ちなみに石切丸は今遠征中で、通信担当係が今すぐにでも鳩を飛ばすと息巻いているのをなんとか止めた。鳩は貴重なのだ。確かに今は緊急時だけれども、そうホイホイ使われてしまっては困る。三日月宗近も遠征中で助かった。石切丸とはまた違う部隊だったけれど。通信の向こうで鳩を使えと言っていたらしいが、任務遂行を第一にいつも通り戻って来て欲しい、と伝えたところ納得、一応納得してくれたのだと思う。苦々しい顔で無理はさせるな、と呟いたそれは自分の向けての言葉ではなかった。それは、少しだけ、かなしい。 主を守ってくれている、と言えば聞こえは良いけれど、これは未だ自分の指揮能力が低い証拠だった。命令を無視してでも守らねばならないと思われている。 「大丈夫だよ」 宗三左文字と主だけじゃあ話にならないだろう、と急遽間に突っ込まれた小夜左文字はいつもの顔で三日月宗近に答えていた。非番の日だったのに、申し訳ないことをした。 「主だって成長しているんだ。あなただって、それは分かっているはずでしょう」 以前。 愛染国俊に似たようなことを言われたのを思い出す。昔は短刀たちよりも小さかった自分の、特に身体面での成長を強く実感するのは、やはり身長を追い越された短刀たちなのかもしれない。このまま成長したとしても、自分は三日月宗近の身長を追い越す日を思い描けないのだし。 そうして通信を切った小夜左文字は、誤魔化しておいたけど、と前置きをした。 「本当は無理をしたいんでしょう」 じっと、猫のような瞳が見上げてくる。小夜左文字はその来歴もあって、人間の感情に敏感だ。自分の本丸の小夜左文字は既に修行を終えているから尚のこと。 「二度目はありませんよ」 それに被せるように宗三左文字が言う。 「あの手が、次も出てこられるかどうか。そもそも本当に味方かどうかも分からないのに」 「…分かっている」 息を、吸う。 「だから、精鋭で行く」 知ってしまった以上、退くという選択肢はもうなかった。予想していただろう宗三左文字が眉を顰める。 「そんなにあの手のことが気にかかりますか」 「それもそうだけれど…何より山喜さんの安否が気になる」 「安否は確かにそうですが、お師匠の本丸はよく政府職員の見学も受け付けていたでしょう。そのどれもがあの事態に気付かないとは考えにくい。ならば、あれは公認のものではないんですか?」 「…公認なら、自分たちに知られたところで後ろめたいことはないだろう」 「まあ、それもそうですね」 「それに―――」 ああ、そうだ。 ―――善性を貼り付けた側面。 そういうものを、自分はもう、知っている。 何もかも笑みで覆い隠してしまうような、それを、自分はきっと知っている。今まで食べてきたおやつの味が蘇る。共に過ごした時間が、ひっくり返るように。いつから? そんなこと、分からない。いつから、いつから恩人は―――別のものに、取って変わられた? 和泉守兼定が言いたかったことが今になってやっと分かる。優しさは一種の拒絶なのだ。それを、自分は分かっていなかった。 「…それに、和泉守兼定が言っていたことも」 「和泉守?」 突然出された名前に、宗三左文字も小夜左文字も怪訝そうな顔をした。 「以前の主の…話を。少し…」 これは、回り道だろうか、と思う。あのへし切長谷部の言い方だと、やはり他の審神者(もしかしたら自分だけかもしれないが)には知られたくなかったように思える。それなのに、知られたままの状態で本丸に帰してしまった。その場合、次の取る対策はなんだろう? 追手を掛ける? 否。 向こうから来ることが分かっているのに、追手を掛ける必要などない。少なくともあのへし切長谷部は、自分が逃げないと踏んで部屋を開けたのだろう。実際、あの手が出てこなければ部屋を出ることはなかったと思う。今、こちら側からしてみれば人質を取られた状態で殆ど詰んでいるのだけれど、それを逆手にとってみればすぐには向こうも動かない、ということになる。ならば、少しくらい遠回りする猶予はあるだろう。 物事を理解するにはタイミングがある、そしてそのタイミングは必要な時にやってくる。なら、今和泉守兼定の言っていたことが理解出来たのは、何か意味があるのではないのか。 ―――あの時。 鍛炭さんの好む墨だって、タイミングでなければきっと、探し当てられなかったはずだから。 和泉守兼定の元いた本丸に連絡は取れるだろうか、それにはやはり、上を経由しなければならないのだろうか。もし宗三左文字の言う通りに上の一部だけでも承認している事態なのであったら、連絡したところで握りつぶされてしまうのではないか、と考えてから、ふいに思い立って和泉守兼定を呼び寄せた。 「主、何か前の本丸の話って聞いたんだが」 「唾液をくれないか」 「は?」 「は?」 言葉が足りなかったのか、真後ろにいた小夜左文字からも同じような声が聞こえた。宗三左文字はため息を吐くだけである。 「…いや、ええと、」 「主、分かった、分かったからとりあえず説明をくれ。小夜の目が怖い」 「ごめん。ええと、そうだな。どう言ったら伝わるんだろう…」 言葉を探しつつ、説明をする。 自分がやろうと思ったのは、墨に和泉守兼定の唾液を混ぜていつものように文字を書くことだった。いつもは蝶だけれども、意識をすれば他のものだって生み出せることを自分は知っている。蝶というモチーフが好きだから蝶のことを書いているだけだった。例えば、鳥だとか。ただ、蝶以外だとあまりにも目立つため、三日月宗近からあまりやるなと言われていただけの話である。自分も目立ちたい訳ではないので言いつけ通りやっていなかったが、多分今は四の五の言っている場合ではないだろう。 「坊や、悪いことをしようとしているのね」 いつの間にか姿を現していた鍛炭さんが呟いた。 「悪いこと、でしょうか」 「きっと三日月ならそう言うわ」 「内緒にしておいてもらえます?」 「無理だって分かってることをお願いしないの」 私を使って良いわよ、と言われるとは思わなかった。 「…唾液、ですが」 「そんな直接入れる訳じゃあないでしょう? 人差し指につけて混ぜるだけで充分なはずよ、坊やなら」 ほら、口を開けなさい、と言われて指を掛けられた和泉守兼定は、されるがままだった。彼女は詳しいことは教えてはくれないが、どうやら和泉守兼定本体よりもずっと古い時代のものらしい。年上ってだけでこんなに頭が上がらなくなるとはなあ、と和泉守兼定ボヤいていたのを覚えている。刀剣男士同士ではそんなことは気にならないのに、他の付喪神になると途端に気になってしまうらしい。お嬢さんだからではないか、と思ったけれども自分は言わないことを選んだ。藪をつついて蛇を出したくはない。 「坊や」 これで私も共犯だわ、と鍛炭さんが言って、三日月宗近に対する言い訳を背負ってくれたことを知る。 「…鍛炭さん」 「ほら、時間がないんでしょう?」 坊やがお師匠様に手紙を書くのを、私は短い間でも見てきたんだから、と鍛炭さんは自分を撫でた。 それで、覚悟は決まったようなものだった。 机に向き直る。鍛炭さんの本体に水を垂らして、彼女の好きな墨を磨る。いつものように、息を整える。其処へ鍛炭さんが和泉守兼定の唾液を足して、準備は終わった。紙を出して、もう一度だけ、息を吸って、吐いて。文字を書く。意味のある文章になるように。 ―――その鳥は大きな翼を力強く広げ、追憶を辿りその場所へと導く。 今からやろうとしていることは謂わば、ハッキングだった。これが上に知れればきっとひどく怒られるだろうし、悪用しようとする輩に見つかれば、と三日月宗近にはくどくどと言われることだろう。それでも、今やらねばこの奇っ怪な力を持った理由が分からないと思った。現世でのことはよく覚えていないけれど、きっとこの力では馴染めていなかったのだろう。今も、現世にいるはずの家族とは連絡すら取っていないのが証拠だ。何処にいるのかも、名前も顔も分からない。それを、恨むことはしないけれど。 早くに審神者になって、山喜さんに弟子という形で付き合いを続けてもらって、もしかしたら世間で言う母親というものは彼女のような存在を言うのではないかと、そんなことを。 思って、いたから。 文章に存在する以上の役割を持たせたことなんてなかった。でも、出来るという確信があった。ぶわり、といつもとは違う厚みを持って、鳥が頭を擡げる。小さく何か鳴いて、それから数度確かめるように羽根を動かしてみせてから飛び立った。小夜左文字が開けた窓から空高く飛んで行く。 「…本丸の、」 この中で一番目の良い小夜左文字がじっと、空の果てを見上げて呟いた。 「結界を、通り抜けたよ」 「出るのは成功か」 「大丈夫なの?」 「―――多分」 自分には、嘘を吐くことは出来なかった。 結界を伝って、鳥は一度本部を経由しているらしい。和泉守兼定の異動を受け入れる時に一度本部で面談をしているので、その影響だろう。和泉守兼定自身も数日ばかり本部で寝泊まりをしていたと聞いている。職員用の宿直棟から鳥が戻ってくる。その場の風景までは見えないのは今回はそれが必要ないと思って文章を書いたからだろう。じりじり、と身体が熱くなる。ただ、情報が欲しかった。別に異動してきた刀剣男士が前の本丸について話すことは推奨されてはいないものの禁じられている訳でもないのだが、そういうことがあった本丸は大抵コードの変更が行われる。コードが分からなければ、訪ねることも出来ない。 しかし、大本となる本丸軸、というのはそうそう変わるものではないのだ。本丸軸、がIDならコードはメールアドレス、だろうか。他人も知っているものをパスワードとは呼べまい。鳥は何に阻まれることもなく、すいすいと本部の中を飛んでいく。そして、一つの門(ゲート)から本丸へとダイブした。 「………ッ、」 びりびりと、本丸の結界に触れているのが伝わってくる。媒介にされた和泉守兼定も同じなのだろう、膝をつくのが見えた。でも、やめることは出来ない。こちらに悪意がないのが分かるのか、本丸の結界は侵入者をどうすべきか迷っているようだった。弾くか、潰すか。後者だと鳥を侵入させている自分や媒介の和泉守兼定にもダメージが多かれ少なかれ来るだろうから、出来れば勘弁してもらいたい。自分は兎も角、和泉守兼定にダメージが行くのは嫌だった。 汗が、落ちていく。宗三左文字が持っていたハンカチで拭いてくれる。和泉守兼定の方には小夜左文字がついているようだった。ばちばち、と瞼の裏を星が飛んでいく。あと、少し。情報だけ、それ以上は望まないから、教えてくれ。そんなことを思いながら、鳥に願いをかける。その情報だけ、というのがとてつもなく貴重なものであることを知りながら。 そして。 「分かった」 文章は達成されて、鳥は一声鳴いてそのまま結界の中へと溶けて消えたようだった。達成されての消滅なので、自分にも和泉守兼定にもダメージはない。上手く行った、と思う。もしかしたら該当の本丸で謎の墨溜まりが見つかるかもしれないが、それくらいは勘弁してもらいたい。 「備後国、コード9553-6521-4501-1202」 よろ、と和泉守兼定が立ち上がる。 「現在就任中の審神者の名前は、枝踏(えだふみ)」 そいつだ、と和泉守兼定は言わなかった。言わなかったけれども、表情が何よりも雄弁だった。 * [helpless] @helpless_odai *** 足踏みしている暇はない 「主! 門(ゲート)からなんか知らんやつ来た!!」 「え!? 噂の乗っ取り!?」 厚藤四郎の言葉にぼくが脊髄反射で最近ネットで見た単語を返してしまって、なんだか余計に事態をややこしくしてしまって申し訳なかったとは思っている。ていうか乗っ取りだって創作釣りスレ乙だと思うんだけどどうなのかな、この業界闇だらけかよ。いや本当に申し訳なかったとは思っている。この通りだ。このめんつゆをサービスするから許して欲しい。おすすめの飲み方はロックだ…とかなんとか言ってる場合じゃなかった! うちそんなに資源潤沢じゃないからめんつゆだってサービスしてやれないよ! って違う、そうじゃなくて! 乗っ取り? 乗っ取り? とどう考えても不穏なワードが伝播するのは早くて、もう兎に角ぼくが訂正に門まで走った方が早いなこれ、と思ってぼくは厚くんについてきて! と叫んで走り出した。後ろから三日月宗近もついてきたのを確認しながら、まあ本気でヤバかったら三日月がとめるっしょ、とか思っていた。ぼくは良い審神者なので自分の刀剣男士を信頼しているのであーる。 そういう訳で門までやって来たぼくは、岩融に牽制されたまま大人しくしている訪問者を見て、絶句した。 子供だった。 いや、多分そんなに年の差があるとかそういうことはないと思うけど、でも年下だって分かる程度には小さい男の子だった。男子児童って感じだった。周りにはその少年を守るように刀剣男士が三振り。愛染国俊、堀川国広、和泉守兼定。太刀とかは連れてないんだな、とぼんやり思ったけどそれよりもぼくよりまだ幼い子が審神者をやっているなんてまさかまさか思わなかったので、正直ドン引きしてしまう。えっ、この子も誘拐されてきたのかな? 悪いやつらがまだいるのかな? 上の人仕事しろ? いや年齢はわかんなくてもぼくより絶対年下だって。この現実がグロい。無理。上の人税金無駄遣いって怒られるぞ? 「和泉守兼定」 そんなぼくの心配をまるっと無視して少年は自分の和泉守を見上げた。 「あってる?」 「………ああ」 そこでやっとぼくは気付く。あ、この和泉守、前此処にいた和泉守だ。てことは、この少年が異動先の審神者なのだろうか。でも、それがまた何でぼくの本丸に。ぼくの疑問が口から出て行くよりも先に、少年がぺこり、と頭を下げる。 「申し遅れました。相模国、コード6401-6401-1202-6492-9521にて審神者をしております、鳳仙と申します」 「ああ…ええと…枝踏です…。コードとかはちょっと覚えてないです。あのなんか長いのだよね?」 「主!!」 同じことを返したら厚くんに怒られた。あ、今の個人情報か。でも此処に来てるってことはコード打ち込んだんじゃないかなあ、流石に門くぐったら知らない本丸にいたった(単芝)とかそういうのは釣り乙だと思うし。それとも釣り乙じゃなかったってことか? 普通にホラーなんでそういう事故はやめて欲しいのだが? 死んでしまう。パピヨンよりやわらかいぼくの心が死んでしまう。今なんでパピヨンにした? チワワで良かっただろタピオカ詰め込むぞ。 「ああー…えっとー…」 普通に怖くなったのでとりあえず話を進めることにした。いつまでも岩融に牽制させておく訳にもいかないし。 ぼくが口を開いたことでぼくの刀剣男士は察してとりあえずは下がってくれた。それでもすぐ対応出来る距離なんだろうなあ、と思うのは向こうの愛染くんが極めてるのが見て分かるからだろうか。なんか機動エグいことになるって聞いた。確かにこの少年が実は悪いやつでその命令で愛染くん(極)がぼくに向かってブーストしてきたらそりゃぼくの生命はそれまでだろうね。だからこの警戒は仕方ないと思う。客人になんだと思うけど、落ち着いてるみたいだし、っていうか和泉守の移動先に選ばれるくらいなんだからそこそこ審神者歴あるんじゃ…とまで思って闇っぽいからツッコまないことにした。それより少年がぼくの本丸にやって来た理由だ。 「本日は、お日柄も良く?」 「あ、ええとですね、今日枝踏殿をこのような形で訪ねさせて頂いたのは…」 やっべーお姉さんぶりたかったのに失敗した。悲しい。いやでも普通突撃かまされたこっちが毅然とした態度を取り続けられるかっていうとそんなことはないのでは…うん…仕方ないよ…大体乗っ取り系の釣りって煮え切らない態度取るなって思ってたけどごめんね…あれリアリティのある流れだったんだね…うわ…知りたくなかったわ…信憑性高まったじゃん…さいあく…いや少年が悪い訳ではないんだけど。流れ弾ってあるよね、うん。ネット徘徊しまくってるぼくが悪いような気はするけどぼくだってあれこれ知っといた方が良いかなって思って…趣味じゃないんです情報収集なんですほんとだよ…。 少年が説明を続けようとしたら、和泉守が少年の袖を引っ張った。あれなんて言うんだろう、狩衣を現代アレンジしまくったらあんなふうになるのかな、兎に角袖が引っ張りやすそう。いや別に引っ張るための袖じゃあないと思うけど。 「―――…」 血を吐くような表情って、こんなのを指して言うんだろうな、と思う。 「………あるじ、」 和泉守の声は掠れていた。やっとのことで、絞り出したような声だった。それを痛々しいと思うと同時にぼくは、ああ、この和泉守はこの少年のことを主と呼べるんだ、と安心していた。此処から異動した刀剣男士は何振りかいたし、和泉守はそのうちの一振りってだけでそこまでぼくの中で重要人物(刃物?)ではなかったとは思うんだけど、やっぱりリーダー役のこともあったし、元々のメンツで一番関わったのは和泉守だったし。 「こいつは…似てるんだ、」 和泉守は、殆ど俯いた状態で、少年の顔すら見ないで吐き出す。 「俺は、言えない。―――言えないんだ、契約を、したから」 堀川も愛染も何も言わない。勿論、三日月も厚くんも、岩融も何も言わない。ぼくは、何か言った方が良いのかと迷っていた。言えない、その言葉をぼくは知っている。和泉守が、何のことを言いたいのか分かっている。ぼくに言えなかったことが、今言った通り契約≠フ結果であるなら少年にだって言っていないはずだ。ぼくが特別、ということではない限り。ならぼくは、自分の知っている情報を出した方が良いんじゃないんだろうか。いや、この少年のことを何か知ってる訳でもないし、何で来たのかって説明は今和泉守によって遮られてしまったけれど。 でも、何を? この本丸は前は人間から見たらブラック本丸でした、って言っても正直、は? としかならないと思う。いや困ったな、ぼくは優秀でコミュニケーション能力も高い審神者だけどだからと言って意味不明な過去を説明出来るほどトンチンカンな上の人に寛容な訳じゃないし。ていうか普通に今契約とか出て来たけど何? マジでそういうのあんの? やっぱ此処封じられし闇の人体実験場とかだったの? そんなふうにぼくが迷っているというのに、少年は少年でマイペースなのか和泉守を見上げて、それからうーん、と呟いた。え、今のうーん、で流して良いの? ぼくもびっくりなんですけど。 「枝踏殿」 とかなんとか考えてたら急に向き直られたのでびっくりした。背筋が伸びる。演練に行っても特に他の審神者と喋ったりとかしなかったから、同じ審神者にこんなふうに呼ばれるとドキドキしちゃうね。今まで担当さんくらいしかこんな呼び方してなかったしなあ。やっぱり他の審神者って殿って呼ぶのか普通なんだろうか。ぼくそんなふうに呼べるかなあ。 「失礼ですが、ご出身は?」 えっ突然なんだろう、お見合いかな? 答えないぼくに少年は違うことを思ったのか、あんまり気にしていないというふうに笑ってみせた。 「自分のことが信用出来ないのであれば、答えは沈黙でも構いません」 別に信用どうこうで即答しなかった訳じゃあないんだけど、確かにこれ個人情報だよな、と思う。どうするべきだろうか。目の前の少年が悪い子には見えないけど、世の中悪いやつが悪い顔をしているとは限らないのだ。それをぼくは分かっている。だって、ぼくを誘拐した黒服の人たちはチラッとしか見ていなかったけれど、とても悪いことをするような人には見えなかったのだから。 「―――主、」 考えていると三日月が声を上げた。何、とそっちを見る。 「言っても大丈夫だろう」 三日月がそう言うんなら大丈夫なのかな、と思った次の瞬間、三日月は本体をぽんぽんと撫でた。 「もしもそこの小童が主に仇なすなら、俺が斬る」 「…物騒」 でもまあ、刀剣男士は日本刀の付喪神なんだし、そういう思考回路になるのも仕方ないんだろうな、と思う。だって今まで斬ってどうにかなってきたのを一番実感しているだろうし。だからぼくはあんまり気にせず、少年に向き直る。少年も気にしていないようだった。やっぱり審神者は刀剣男士のことを各自違いはあれど、理解している生き物なんだろう。 「…出身は、正直なところ、分からない。ぼくは研究所で生まれたから。だから、首都だとは思うんだけど、研究所も各地に支部があったみたいだから、ほんとに首都かどうかは分かんない」 「研究所…?」 「ちなみに、研究所は今は潰れてて何の研究してたのか分からない。ぼくは五年前、研究所が潰れたのと一緒に外に出て、いろいろあって今年から審神者やってる」 「誘拐事件ですよね」 和泉守兼定から聞いています、と少年は言う。どうやらぼくが思うよりもずっと、和泉守はこの少年と打ち解けられたらしい。 半年、行くか行かないかくらい。 それで、こんなにも差が出るのはどうしてなんだろうな、と思う。別にめちゃくちゃ和泉守に好かれたかった訳じゃあないけど、普通に疑問には思うでしょ。 「だから…君の質問にはちゃんと答えられないんだ。知らないことを答えるって、出来ないから」 「それもそうですね」 自分も確かに記憶としての出身などは分かりませんし、突然不躾なことを聞いてすみませんでした、と少年が言う。なんかまたこの業界の闇が垣間見えた気がするんだけど無視無視。 和泉守は相変わらず黙っている。というか和泉守にはぼくの出身とか言ってなかったはずだけど、今の感じからすると知ってたのかな。似てる、って言ってたけど、何とだろう。少年が、この本丸で昔に起こったなんやかんやを調査しているとかかな、とか思ったけどそれもなんか違うし、それならまず和泉守の契約、とやらをなんとかする方が先だろうし。いやホント何しに来たんだろうな、この子。和泉守も遮らないで言わせてあげたら良かったのに、ことは急を要するのか。 「次代の審神者計画」 響いた声は背筋が凍るほどはっきりしていて、一瞬ぼくはそれが誰の声だか分からなかった。 「…って、ありましたよね」 堀川だった。うちにも堀川はいるけど、こんなふうな声は聞いたことがないな、と思う。 「主さんのところにも来たでしょう、不躾な輩」 「………ああ、よく遊郭に誘ってきた人たち…」 遊郭ってワードがなんか自分より年下であろう子から飛び出すこの気まずい感じ、お前らに分かる? 自分が犯罪者になった気分だよ。こっちは最初から最後まで被害者だっつーの、最後まで美味しいトッポかよ、トッポに謝れ。 堀川はこっちの気まずさなんてお構いなしに続ける。 「でも確か頓挫したんですよね、あの実験」 「…あ、もしかして、その、ナントカ計画で生まれたのがぼく?」 確かに試験管ベイビーだって聞いてるし、ありえなくはない、とは思うけど。流石に突飛じゃない? 「かもしれませんね」 資料がないので確かなことは言えませんが、と堀川は微笑む。どうせ資料なんて残していないでしょうし、と付け足された言葉にちょっとぞっとした。ぼくってそんな訳分からん生物かもしれんの? いや、でも次代の審神者、ってことなら審神者のこと何にも知らないのはおかしくない? と、そこまで思ってあれ? となった。 そういえば、ぼく、誰にも教えられてないのに鍛刀場も手入れ部屋も道場も知ってたし、三日月が顕現した時だって突然人が現れた、ってびっくりしなかった。いやあれは状況が状況だったからかもしれないけど、あとからアレッ? って思う時間は充分にあったのに、ぼくは最初に見た時から三日月が刀剣男士だって分かっていたような気がするし、そういえば、三日月は。 ぼくに、名乗ってない。 でも、ぼくは三日月の名前を知っていた。いや、あれは和泉守が呼んだからだったっけ? 何でだったんだろう、頭がぐるぐるとする。自分の中に自分じゃない記憶があるみたいで気持ちが悪い。のに、堀川にはそんなこと関係ないから更に言葉を続ける。 「…ああ、頓挫したから違う計画に切り替えた、とか?」 ぼく知ってるよ! 堀川のこれ、気付いちゃいけないことに気付いちゃう能力だよ! その証拠に和泉守の顔色がどんどん悪くなる。和泉守は契約って言った、それは喋らなきゃ良いことなんだろうか、態度に出しても大丈夫なんだろうか。契約、ってのがどういうものなのか分からないけど、普通に書面のものならそれこそ破っちゃえば良い訳で、それをしないってことは感情面を優先しちゃいけないやつなんだと思う。やばいな、ぼく。堀川に引っ張られて多分気付いちゃいけないことに気付いちゃってるよ。 「…ああ、だから」 どうやら少年もぼくを置いていくらしい。 「山喜さんのアレは、式神か」 おっと? なんか知らない名前出て来たぞ? そろそろぼくも仲間に入れて? いや入らない方が良いのかなこれ…絶対ヤバい話だし…ぼくに確認したいこと済んだなら帰ってもらっても良い…? 「和泉守兼定、否定することは出来る?」 「関連事項に関する質疑応答には答えてはいけないことになっている」 「それは、沈黙も同じ?」 「…いや、黙することについての規定はねえ」 「分かった」 それ此処でやる必要ある? とも思ったけれどもぼくだって自分より小さい子を追い返すような鬼みたいな人間じゃないので、結局再度こっちを見た少年と目を合わせる。 「此処から先は自分の根拠のない想像ですが…五年前潰れたという枝踏殿のいた研究施設は、次代の審神者計画のためのものだった。それが頓挫した結果…政府は新しい計画を打ち出した。それが、新しく審神者を一から育てるものではなく、既にいる優秀な審神者を使って行われた、そうですね…仮に式神計画とでも名付けましょうか、式神計画。すぐに代替計画が実行されたとも思えませんし、けれども潰れる前から代替計画の案くらいはあったでしょうし…そうですね、三年前だったら丁度検非違使の出現時期とも重なります。周りのことなど気にしていられませんし、審神者の方も手を増やしたいでしょうし、頷くのも納得がいきます」 「え、あの…話見えないんだけど、これ、話見えないままの方が良いやつ?」 「そうですね。自分の一存ですので、枝踏殿は巻き込まれた、と主張して頂けたら良いかと」 あとはどうにか出来るように頑張ります、と少年はまた笑う。和泉守は何も言わない。沈黙が雄弁だった。少年も分かっているのか、ありがとう、と呟く。 「お騒がせして申し訳ありませんでした」 すぐに帰ります、と言う少年はどうやら目的を達成したらしい。こっちには全然話見えないけど。 「待って、結局、一体何だったの」 さっき折角少年が遠ざけてくれたのに、ぼくは思い切り踏み込んだ。 何故だか、此処で踏み出さなきゃいけない気がしたんだ。それにほら、ぼくには三日月がいるし、三日月なら本当にヤバい時は止めてくれるだろうし。 「…自分の恩人が、どうにも事件に巻き込まれているらしいのです」 少年は少し迷って、それからざっくり言うことにしたらしい。それをどうにかするために、貴方の話が聞きたかったんです、と。やっと繋がる。さっき言ってたサンキさんとやらが少年の恩人で、多分、ぼくと似ていて、でも和泉守は決定的なことを言えないから、少年をぼくのところまで連れてきた、って感じかな。結構強引が過ぎない? ていうかさっき式神とか言ってたけど式神と試験管に共通点なくない? 謎実験っていうでかいカテゴリは一緒かもしれないけど流石にデカすぎない? 審神者を一から育てるのがコスパ悪いから式神に移行した、っていうのはなんとなくなるほどね! ってなるけど、それってつまり言い方悪いけどクローンっていうよりコピーした、って感じだろうし、ゆくゆくはそのコピーが審神者として本丸運営したりするのかな。それって大丈夫なの? コピー元になった人に何かあったとき、そのコピーたちはどうなるんだろう。仮に少年の言ったことが全部合ってたとして、試験管は試験管で一応違う人間だけど、式神って言うんならそれは違う人間って言えないんじゃないのかな。紐付けっていうか、そういうの。それとも新しい本丸を用意する手間を省く、とかの方向にいったのかな。そういえば本丸の引っ越しとか出来ないんですか? とか聞いたことあったの思い出した。あんまりに此処廃墟目前だったし。引っ越しは無理って言われたけどリフォームしてもらって今は新築である。まだ木の新しい匂いのする本丸だよ。話ズレたわ。 「自分のために、貴方の過去を暴くような真似をしたこと、お許し頂こうとは思っていません」 いや、そもそも、そのナントカ計画でぼくが生まれたんだとして、その場合ってホントに誰とも紐付いていないのかな? 遺伝子を提供した人間とか、考えたことなかったけどいるんだよな。 「このお詫びは、戻ってきたら、必ず」 「何処へ、」 ―――行くの。 なんて。 聞けるはずがなかった。そんなの一つしかないから。 ぼくは三日月を見る。三日月は頷く。 「ぼくも、」 踏み出した足は、誰にも止められることはなかった。 「ぼくも、行くよ」 門についてるキーを叩こうとしてた少年は、びっくりして振り返った。そりゃあびっくりするよね、普通に巻き込まないようにしよ! って思って置いてこうとした関係のない人が突然一緒に行くとか言い出したら。しかも時間がないからかわりと不躾な感じだったし、好感度もクソもないじゃんと思うよね。 「小さい子一人を行かせられはしないでしょ。流石に。ほら、お姉さんとして」 ぼくだって良い人な訳じゃない。お姉さんとして、とか言ったけど本当にそんなことを思っていた訳じゃない。 「………俺は、反対だ」 少年より先に言葉を発したのは和泉守だった。 「三日月! なんで止めねえんだ!」 どうやら和泉守から見たら三日月は止める派らしい。ぼくも止められるかな、ってドキドキしてたんだけどなかなかストップかからないから、もう諦めて好きにさせてくれるのかなって思ってたけど違うのかな。 「…その方が主には良いのではないかと、そう思ったから、かな」 ぼくから見た三日月はいつもと同じ顔に見えた。 なら、多分、大丈夫だ。 「枝踏殿が思っているよりも危険、ですよ」 少年もどうやら反対派らしい。まああの流れですぐ分かりました! とか言われてもわけわかんないから仕方ないと思う。 「これから行くのは自分の恩人…師匠の本丸です。その本丸では先程の話のような実験が行われているかもしれません。自分には関係のある方ですから助けたい気持ちはあります。だから、それでどれほど危険が伴おうとも覚悟の上です。ですが、枝踏殿は………」 「もうそこまで聞いちゃったら無関係じゃないよ」 ぼくは少し屈んで少年と目を合わせる。 「ぼくも、和泉守が言ってたこと気になるし」 しっかりはしてるみたいだけど、やっぱり普通の子供に見えた。通学路ですれ違ってもなんとも思わなかっただろうな、というくらい。でも、この子も審神者なんだ、と思う。この子も審神者で、多分審神者としてはぼくよりも先輩で、あーあ、戦争って嫌だなあ。 「聞いてるかもしれないけど、此処ってブラックだった、って言われてるんだ。ぼくも全然教えてもらってないんだけど、なんか守秘義務? があるみたいで。和泉守が言うにはね、此処がブラックって言われるようになった理由って、ぼくに似てるんだって。なら、ぼくは多分知った方が良いんじゃないかなって思うんだ。こんなふうにチャンスが飛び込んでくるってこと、そうそうないでしょ。なら、今知るべきなんだよ」 チャンスの神様には前髪しかないって言うし、それならこれを逃したらもう二度と、ぼくはぼくについて知ることが出来ないんじゃないかな。 暫く黙っていた和泉守は、悪い、主、とだけ言った。それで少年には伝わったらしい。 「…護衛、三日月だけで行くつもりか」 「あー、あっ………どうしよう。室内だよね。短刀の方がいいかな。うち短刀今メインで育ててるし。じゃあ厚くんと…厚くん! ちょっと今剣呼んで来て!」 「おう!」 「何でそこで今剣選ぶんだよ!?」 「だって今剣はぼくの腹心だから」 「呼びましたか主様ー!」 「早かったね今剣! これからカチコミだよ!」 「わーい!」 そこわーいって言って良いのか分かんないけど今日もぼくの今剣がかわいい。 「改めてよろしくね、鳳仙くん」 差し出した手には、素直に応えられた。 「こちらこそ。全力でお守りします、枝踏殿」 どうやら一度鳳仙くんの本丸に戻ってから、そのお師匠様の本丸に飛ぶらしい。演練に行くにも何しに行くにも、この門を本部以外に繋げたことなかったからぼくは正直感心していた。 「本丸の行き来って自由にして良かったんだねえ」 そんなこと出来るんだ、という意味の言葉だったんだけれど。 「え? だめですよ?」 怒られます、と鳳仙くんはきょとん、とした顔をしてみせる。 「えっ………フツーに鳳仙くん入ってこなかった?」 「入ってきましたね」 「怒られない?」 ぼくの言葉に鳳仙くんはにっこりと笑う。 「緊急事態ですので」 「お姉さんとして言うけど、それ魔法の呪文じゃないからね!?」 *** 恋は盲目、化粧と同義、さよならばかりが人生だ 歌仙兼定はこんなふうにひと目をはばからずに抱きついてきたりするような刀剣男士だっただろうか、と驚く部分がなかった訳ではない。歌仙と一緒に来たのが誰かは分からないが、まあこの用心深い歌仙が一緒に行動することを良しとしたのだからきっと悪い人ではないのだろう。もしも悪い人だったらきっと、私にこんなふうに抱きつきたいと思っても、そういうことは全部後回しにするはずだったから。私は私が選んだ歌仙のことをよく、知っている。歌仙が私のことを一番に主と仰いでくれるそのことのように、私は知っている。それは私が審神者だから、なのかもしれなかった。時間をかけて、ちゃんと審神者になったから、なのかもしれなかった。 「怪我は、………」 「ない、よ」 「心配を、」 「かけた」 「いいや、気にしていない。君が無事で、良かった」 いつもはもっと雅な言い回しをするだろうに、歌仙にしてはただの単語の羅列になってしまっているそれに、私は思った以上に心配をされていたのだな、と思う。まあ、歌仙から見たら私は突然消えただろうし、消えた先はこんな本丸だし、それを歌仙が知っていたかどうかは分からないけれども多分この反応を見る限りきな臭い本丸ということは分かっていたんだろう。石切丸だってこんな反則レベルのスパダリ技を使ってきたことだし。 会話を思い出す。 歌仙たちが来るよりも先に、私と同じ年齢の頃と推測される彼女は、それでも大先輩である彼女―――の式神である彼女に、私が巻き込まれた理由は聞いていた。聞いている横で石切丸がどうしてそんなことにうちの主が巻き込まれなきゃいけないんだい、と言いたげなのをとりあえず黙らせておいた私はなかなかに偉いと思う。 「本日来訪予定の、智慧様、でございますね」 ちゃんとほうれんそうはされていたらしい。どうやら彼女によっていろいろと予定は狂わされたようだったけれど。 「そうだけど、私に用があるなら私がちゃんと来るまで待っていれば良かったんじゃないの」 そう、それだった。私は正式にこの本丸を訪れることになっていたし、様子を見てくるとは言え、ずっとその本体≠ニやらが彷徨いている訳ではないだろう。私だったら式神なんてものがいたらまずもって来客はすべてそっちに投げる。だって面倒だし。刀剣男士に投げていないのは彼らが私ではないからだった。なら、それが私≠ノなるのならば話は変わる。 それでは間に合わなかったのです、と彼女は言う。 「貴方様の来訪の前に、この本丸には少し、波紋が広がりました。侵入者、という訳ではないのです。でも、知られたくはない人に、本体≠フ愛弟子に、この本丸の仕組みのことがバレてしまった」 「………知られたくなかったってこと?」 「ええ。少なくとも、本体≠ヘ」 彼がこの本丸を脱出して、きっと再び乗り込んでくることを本体≠ヘ警戒するでしょう、と。だから、今しかないと思ったと、ひどく、切実な表情で言うのだ。 「―――へし切長谷部は、少年を探しているはずですから」 「ずっと欺ける訳じゃあないでしょう」 「それでも、あと少しの間であれば欺けます」 吐きそうだった。私を支えてくれている石切丸だってそうだった。 私は、この計画のことを知っている。 「智慧様、既にご理解頂けたかと思いますが、此処はこういう本丸≠ナす」 次代の審神者計画。 今、審神者としての能力を持つ者にデザイナーベビーという形で子供を作らせて、それを政府預かりにし、幼少期から審神者の極意を叩き込み生粋の審神者を作る。ざっくり言うとそんな計画だった。以前凍結したはずの計画は、諦められない一派がいたのか私のところにも来たことがある。その時は通報もさくっと済んだからトカゲの尻尾切りでも少しは切り崩せたと思っていたのだけれど。そういえばある時期から何もアプローチがなくなったな、と思う。本当の意味で凍結になったのだと、私は信じて疑っていなかったのだけれど。 「―――つまり、内部告発?」 遣り方を、変えただけだった。 子供がだめなら、審神者そのもののクローンを。審神者の資格を持つ者の中には、式神を多く使役させることが出来る者だっている。そういうものを選んだのだろう、式神が独立して動けばそれは単純計算で本丸が一つ増えるということだった。事実、この本丸は上手く行っている―――行っていたのか、とてつもない戦績を上げていることだし。 「そうですね、そう捉えて頂いて構いません」 彼女は私を見ない。…見れない、のかもしれなかった。 「どうして、私が」 だって私でなくとも良かったはずだ。彼女の説明であればそういうことだった。偶然私が其処にいたから、だから彼女は私を巻き込んだ。それは少し、気分が悪い。それを分かっているからこそ、彼女は私をまっすぐに見ないのかもしれない。罪悪感で。 そんなものまで搭載出来る式神は、最早人間だった。 怖いな、と少し思う。此処の本丸の審神者―――山喜が優秀だということを差っ引いても、気持ち悪いとは思わなかったのだろうか。それとも、何かあって、そういう難しいことを考えられないまま、こんな計画に加担したのだろうか。 「丁度其処にいたから、と言うのは簡単でしょうが」 彼女の唇が震えるのを見る。やっぱり、人間のようだった。姿かたちはそのままだけれども、その成り立ちからしてまったくもって違うはずなのに。 「それでも私は、貴方様ならきっと、この真実を白日のもとへと晒してくださると思ったからです」 「…私は、そんな大層な人間じゃあないよ」 「ええ、失礼を承知で言いますが、そう思っている訳ではありません。私は、貴方様が正義の味方だと思っている訳ではない」 呼吸の音が、きりきりと締め付ける気管の音が、聞こえるようだった。 「けれども、この非人道さを理解してくださる方であると、そう判断したのです」 やっと。 「巴、と、共に」 顔が上げられる。 「私は、」 その声はやはり切実なものだった。涙さえ浮かびそうな声が、視線を伴って私に向けられる。 「私として、生きたいのです」 式神が生きたい、だなんて。 きっとちゃんちゃらおかしかった。でも私はそれを否定することなんて出来ずに、石切丸の方を一応窺ってから、それから大きなおおきなため息を吐かれたのだ。 *** 砂糖菓子のように で、何をどうしたいんだ? と池見殿の同田貫正国が言ってくれなければこのまま話が進まなかったかもしれないな、と思う。それくらい、私は目の前の出来事に見惚れていたのだから。ああ、審神者と刀剣男士とはこう在るべきなのだ、と私に突きつけるようなもの。私の心情を察した巴形薙刀が、すっと寄り添ってはくれたものの、それで埋まるものは少なかった。それは別に、愛だとか恋だとか友情だとか主従だとか、その間にあるものの区分ではなく、ただ単純な話、私が人間ではないからだろう。八四四四番目の私、稼働している中ではなかなかの新参者、と言えただろう。それでも私はこの状況を打破したいと思った。もし、この先に待っているのが破滅であっても。その提案はひどく残酷なものだっただろう、私の提案はこの本丸を壊しかねないものであり、それはつまり、自分の消滅すら視野にいれたものだった。巴も、それは分かっているのだろう。本当に良いのか、と何度も聞いてきた。それに是と答えたのは私だ。 ―――それでも。 目の前の光景に触れて、私はあまりの感動に目の裏に星が散ることの意味を知ったのだ。本物の絆は、こんなにも美しいものなのかと。紛い物の私では、決して得られないだろう絆。人間と刀剣男士だからこそ築くことの出来る、絆。それは人間ではない私には決して、得ることの出来ないもの。手の届かないもの。巴に、分け与えてあげられないもの。 ―――巴。 私は胸の内だけで呼ぶ。 幾つ謝ったら良かったのだろう。起こされてから違和感を覚えた頃に、もう遣っていけないと本体≠ノ泣きついたらやめてくれただろうか。否、審神者の仕事以外にもやることはたくさんある。掃除係にまた戻る、それだけのような気がした。此処には不穏分子はいない、だって本体≠ノは他の固体をリセットする権限があるはずだから。私は、それが嫌だった。巴に対して、愛のようなものを既に抱いていたから。 感傷に浸っている時間はない。私は前に進み出る。 「最終目標はこの本丸で起こっていることを外に知らしめることです」 そのために幾つか道筋を用意しました、と言う私の言葉にこの場の全員が耳を傾けている。 「恐らく、この本丸には少年が来ます。本体≠フ弟子である少年が。彼はそういう人間であると、本体≠ゥら聞いています。本体≠ェこんな非人道的な計画に加担していると知ったら、止めに来るでしょう」 「単身で、ですか」 「流石に単身で、とはいかないでしょうが、それでも少数精鋭で、真正面から来ることでしょう。それを、援護したいと思います。彼とて策を一つも持たずに来るとは思えませんが、手は多いに越したことはありません」 「そうですね。たぬき、頼める?」 「おー任しとけ。子供一人によってたかって、っていうのは趣味じゃねえし、手伝ってやるよ」 「ありがとうございます」 頭を。 下げようとして。 それが敵わないことを知った。 「君が、」 動けない、と思う。音もしなかったな、と思う。刀剣男士とはこういうものなのだろう、と私は知っていても、やはり冷や汗は出るのだ。私は人間ではないとは言え、やはり人間の損傷の具合に依存するのだから。 首筋に。 石切丸の本体が、添えられている。 「本当に裏切っていないという証拠は」 この本丸にも石切丸はいるが、彼のように激情を露わにしたことはないな、と思う。これも絆の在り方なのかもしれない。誰よりも先に彼女のもとに駆けつけていたのだし、主を思う気持ちとその力はきっと私たちよりずっと強い。 「ありません」 でも、それを羨ましい、なんてもう、思っている時間はなかった。 「だから、私は頭を下げてお願いするしか出来ません」 動けば首筋に刃が当たるから、物理的に頭を下げることは出来ないけれど。巴が黙っていてくれて良かった。最初から私がこういう目に合うことは言い含めてある。 「―――どうか、」 私は、掠れた声で言う。 「貴方がたの心を、お貸し下さい」 遠くで、警報の鳴る音がした。 きっと本体≠フ愛弟子が到着した音だった。 *** 20190922 |