歌仙兼定の手記 

 僕、歌仙兼定を初期刀に選んだ主のかんばせはとても幼く、少女と言っても差し支えのない容貌であって今人間の世界はこんな少女までも集めなければやっていけないのかとひどく驚いたものだった。自身の、所謂本霊―――これは俗称ではあるが―――が人間の戦争に力を貸すことをよしとしたことで、人間だけの力ではどうにもならない、所謂神であるものの力を借りねばどうすることも出来ない状況になってしまったのだと、それは分霊―――これも俗称であった―――の僕にもよく分かった。
「へえ、歌仙兼定って言うんだ」
少女は貰った紙を読み上げながらそんなことを言った。
「知らないで僕を選んだのかい?」
「うん。なんだか、一番人を殺しやすそうだったから」
何か今、物騒な言葉が聞こえた気がしたが、まさか少女のようなかんばせをした彼女がそんなことを言ったとは思わず、緊張をしているのだろう、と片付けることにした。僕だって初めて主と会うとなった時に、それはつまり触れられて励起をされた時のことなのだが、とてつもなく緊張をしたのだから。それに、今も緊張している。彼女だってもしかしたらそうなのかもしれない。だから僕はそれをどうにかしたくて、鍛刀をしてみようか、と言った。僕の緊張を解すためではなく、勿論、彼女の緊張を解すためだ。本当は先に僕が単騎で出陣して刀剣男士の身というものがどういうふうになっているのか審神者が知るように、と予定を組まれていたらしいが、彼女はまあそれは後回しでも良いよね、と僕に賛同してくれた。
 そして、現れたのはにっかり青江だった。
 本来であれば最初は最小値の資材で試してみるらしい鍛刀も、彼女は別に良いんじゃないの、と好きな数字を入れたようだった。それはあまりに素早い行動だったので、僕にも一体どんな数字を入れたのか分からなかった。炉が稼働し始めると伝令用の管狐がぽん、と現れて手伝い札を持ってきた。これを使えば鍛刀は瞬時に終わるらしい。へえ、と頷いた彼女が何の躊躇いもなくその札を炉に投げ入れると、それは忽ちに人のような形になった。そうしてにっかり青江は顕現したのである。
 にっかり青江はどうも人懐っこい刀剣男士であるらしく、やっとのことで主が審神者として喋り出したように感じた。恐らく僕が何か話し掛ければ彼女はもっと早くにこういった反応をしてみせたのだろうけれど、どうしたって僕には無理だった。彼女は緊張をしていないようだし、直ぐ様にっかり青江と打ち解けたらしい。それを横目で見ながら、やはり審神者に選ばれるだけのことはあるのだ、と思った。今は健康診断と座学くらいで審神者になれるんだよ、と彼女は先程紙を熱心に見ながら言っていたが、それでも仮にも神とその末端である刀剣男士と共に戦うことを許された彼女は才能に恵まれているのであった。この場合、本当に恵まれている、と言って良いのかと思ったけれど。彼女とにっかり青江は呼び名をどうするか、と話しているようだった。にっかり青江は青江ちゃん、と呼ばれることになったらしい。僕は普通に歌仙、と呼ばれるようだった。別にちゃん付けをして欲しい訳ではないから良いのだが。何と呼んだら良いか、にっかり青江が問い返すと、彼女は何とも不思議そうな顔で目を瞬(しばたた)かせた。それから少しだけ悩むようにしてから、顔を上げてにっこりと微笑む。なかなかに可愛らしい表情だった。見ているこちらも楽しくなってくるほど。
「サイコで良いよ」
よくそう呼ばれていたと付け足す彼女に、にっかり青江は少し懸念を抱いたようであった。
 審神者と刀剣男士の関係は主従である。そのための契約をしている。審神者が本名を隠すようにと言われているのはそれが逆転する可能性を少しでも潰しておくためだ。それだって座学でやったのだと彼女は言っていた。少なくとも僕にはちゃんと理解しているように見えたと言うのに、今まで呼ばれていた名前を出してくると言うのはよく分からない。そもそも彼女にだって割り振られた審神者名というものがあって、僕はそれが乙骨(おっこつ)というものであるのを知っている。先程彼女に聞いたのだから。
 だから、彼女があだ名なんてものを持ち出して来た理由が本当によく分からなかった。聞かれたから、では説明がつかなかったから。にっかり青江もそう思ったのか、笑って、多分あれは嘲笑の類だったのだろうけれど、それから彼女の答えを待っていた。でも、彼女はあだ名というのを否定した。あだ名の由来はサイコパス、つまり精神異常者であるから呼ばれていたのだと、そう何でもないことのように言ったのだ。
「アタシ、此処に来るまでに三十人以上殺してるんだよね。でも捕まらなくってね、あっちにいるの疲れちゃって、たくさん我慢してこっちに潜りこんだの。此処には人間はいないからね」
それは、まるで。
 人間であれば殺したくなってしまう、と言っているように。
 僕はにっかり青江と顔を見合わせて、そうかい、とだけ答えるに留めた。



 彼女の最初の言葉を知っているのは僕とにっかり青江だったけれども、サイコという呼び方だけは僕もにっかり青江も彼女に対して使うので、他の増えた刀剣男士たちもその呼び名で彼女を呼ぶようになっていった。にっかり青江は僕が完全に彼女の言葉を嘘として捉えているようだと判断していたようだけれど、僕は決して嘘と決めつけている訳ではなかった。…最初は、嘘だろうとは思っていたけれど。彼女が神を前にして虚勢のようなものを張ろうと、そんなことを考えたのだとか、そんなことを思っていたけれども彼女の行動を見るにつれてもしかしたら、と考えることが多くなっていったのだった。例えば、演練において他の本丸の審神者の姿を見る時。にっかり青江が絶えず横にいて彼女の目を覆ったりと、それはきっと他からは可愛らしい戯れに見えていただろうが。
 最初の言葉を知っている僕から見たら、にっかり青江の行動はそれを裏付けるものにしか見えなかった。元々人見知り…これを認めるのは本当に嫌なことだが、僕は人見知りの気がある。だからこそ、僕は自分以外のものをよく観察してしまう。必要以上に。だからにっかり青江が時折彼女の肩辺りを気にしていることを知っていたし、他の刀剣男士には分からずとも僕だけはそれに気付いていた。
 それでも、この本丸の近侍はにっかり青江であったから。にっかり青江が自分から進んでそうなると決めたのだし、彼女もそれを許容した。それであれば僕が今更割って入ることはないだろう、とも思った。彼女とにっかり青江はとても良い関係が築けているようだったし、僕が心配することは何もなかった。
 そして、少しずつ、にっかり青江が変わっていくのも、また、分かっていた。
 彼女の告白を聞いていたからか、僕はその行動を特に過保護だとは思わなかったけれども、他の刀剣男士にとっては過保護に映るらしいことも聞いていた。それは彼に言ってやるんじゃないよ、と言うのが大体の僕の役目だった。にっかり青江は主の一挙一動が心配らしく、それはどうにも人間くさい≠ニしか言えないもので、僕たちは彼らのいないところであれをどうしたものかと酒の肴にしたこともあった。どんどん人間くさく≠ネっていくにっかり青江を見ながら、彼が守っているのは彼女ではない他の人間なのだろうなあ、と思っていた。
 彼女は、とても強かった。
 それこそ、審神者になるのが天職だと思ったほどに。苛烈でそして頭も良い、彼女がする指揮はとても小気味よいものだった。この本丸にはどうしても降りる刀剣男士が偏っていたように思えたものの、それを感じさせることはなかった。彼女の指揮で戦うことは楽しかったし、刀としての本分を思い出させるほどだった。もしも彼女の紡いだ戯言―――きっとにっかり青江は僕が戯言だと思っていると、思っている方が良いと信じている―――が本物だったとして、一体何の意味があるだろう。これは戦争で、だからこそ彼女は審神者として此処にいるのだ。それを僕はよく分かっている。分かることしか出来ない。何も問題はないのではないだろうか、と思っていた。此処にいるのは刀剣男士で、彼女は審神者で。演練以外で外に出ることなんて殆どないから、あってもにっかり青江が随伴して彼女を制御するから。それで良いと思っていた。このまま、戦争が終わるまで、戦争に勝つまでこの生活を続けるのだろうと、そんなことを。
 ただ、僕にはにっかり青江が人間くさくなっていくことが、どうしても気になって仕方なかった。



 神が人間くさくなることを忌避している訳ではない。この刀剣男士の身というのは刀解という手段もあることだし、神とは言えどもそのものである訳ではないのだ。他の連中はどうだか知らないが、少なくとも僕の価値観ではそうだった。しかし、気になっていたのは恐らく、最初、彼女の言葉を聞いて思ったこと。
―――人間であれば殺したくなってしまう、と言っているよう。
それを、にっかり青江は分かっているのだろうか。きっとにっかり青江は僕が戯言と思っている方が都合が良かっただろうから、僕から何を言うこともしなかったけれど。それに僕はやはり、にっかり青江に対してどう話し掛けたら良いのか分からなかったし。彼は気の良い刀剣男士であるとは思う。しかし、彼には僕には視えないものが視えているようだったし、きっとそれは彼女を理解するにあたって、彼にとってひどく有用に働いたのだろう。そして、それを誰にも知られたくないと、そう、思ったのだろう。
 だから、僕は知らないふりをする。
 けれどももし、このままにっかり青江が人間のようになってしまうことが進めば、その時は一体どうなってしまうのだろう。彼女はにっかり青江は殺すのだろうか、殺したいと願うのだろうか。それににっかり青江は応えるのだろうか。僕たち刀剣男士と彼女の関係は主従で、彼女が主なのは変わりがなかった。だから彼女が望めば、命令すれば。にっかり青江は彼女に殺されるであろう、とも思う。彼女が、此処では平穏に暮らしている彼女が、本当にそうするかというのは置いておいて。でも、もしそうなってしまったら、きっと彼女は泣くだろう。此処でももう、平穏を手に入れることは出来ないのだと、刀剣男士とて人間のようになってしまうのだと、人間になってしまうのだと、彼女はそう思って悲しむだろう。彼女が自害するとは思わないが、今後審神者としてやっていけるだろうか、とそんなことを思った。彼女にもしものことがあれば僕たち、彼女と契約した刀剣男士は瞬時に契約が途切れて消えてしまう。それを僕は知っていた。彼女が出会った時に紙を読み上げてくれたから。まあ、そんなことがなくとも僕たちはこの身に降りたものとして、誰もが知っていただろう。
 彼女は此処に人間はいないから、と言った。僕の見ていた彼女はずっと、心穏やかな様子だった。ただの人間のようにしか見えなかった。
 それが、にっかり青江といることで、少しずつ崩れ始めている。
 僕は彼女のその変化を、にっかり青江のその変化を、どう捉えるべきなのか分からないでいる。
 けれども、ああ、これは本当にきっと神の視点なのだろうけれど、そんなものから見れば彼女もにっかり青江もとても可愛らしいもので、だからきっと、彼女とにっかり青江がどんな結果を選んだのだとしても、僕は後悔しないのだろう、と思った。そして彼女とにっかり青江が、否、二人≠ェ、結果を選んだ瞬間、僕はやっとその関係を恋と呼べるのだろう、と。

 きっと、僕は。
 あの二人の恋を応援したいのだ。
 応援したくて、たまらないのだ。可愛らしい人の子が、右往左往して迷う様を、慈愛を持って見つめるかのように。



 シン、と静まり返った本丸。
 さきほどまで誰かがいたのであろう気配だけが、色濃く残っている。

 その書付は、誰もいない本丸に取り残されている。



20181108