嗚呼明日になんかならなきゃ良いのに 

 とても、晴れた日のことだった。
 延々と夜は疲れ果てたような啜り泣きに侵されていて、それをよくにっかり青江は耐えたと思う。その口を、目を、塞いでしまえば。
 まだこの馬鹿らしい茶番を続けていられたかもしれないのに。
「青江ちゃん、良い顔になったよね」
泣きはらしたような目がにっかり青江を映した。どこまでも、晴れ晴れとした笑顔で。
「最近ずっと、うずうずしてしょうがないんだ、………ねえ、青江ちゃん」
 彼女にとって、にっかり青江という存在は、彼女の世界を崩しかねないものだった。否、崩す存在だった。彼女の今まで必死で生きてきた、走り抜けてきた世界を、根底から覆す、そういう存在だった。それを分かっていたはずなのに、彼女はにっかり青江を切り捨てなかった。そういう部分が、彼女が本来は人間であると訴えているようで、とても可笑しかった。
「青江ちゃんって、強いんだよね。ねえ、青江ちゃん。斬ったり斬られたりしようよ。アタシと、しようよ」
今。
 彼女は最後の扉に手をかけている。
「ねえ、青江ちゃん」
ずっと、彼女と出会った時からずっと呼び続けていたその名で、甘々しい声で、繰り返しながら。懇願するように、縋るように、彼女は首を傾げる。
「好きでしょう?」
うん、と頷いた。それが彼女の誘いに対する受け容れなのだと、彼女にもちゃんと伝わったらしかった。爛々と、いつか見た光が灯った瞳がにっかり青江を映す。
 この細い身体など。彼女が今までどれだけの過去を歩んできたとしても、彼女は人間で、にっかり青江は刀剣だ。その戦い方を知っている刀剣だ。今此処に、本体である刀もある。それを、彼女も分かっている。分かっているからこそ、その言い回しを使ったのだ。それも、ちゃんと、分かっている。
 きらり、うららかな陽射しに刃が煌めいた。
 まるで祝福のようで、笑ってしまった。

***

僕が死んでも誰も泣かない

 戦慄く唇が見えた。
「青江…ちゃん」
彼女もこんなふうに声を震わせるのなだな、とそう思ったら笑みが浮かんできた。じわり、広がる痛みなど気にならない。
「どう、して」
「どうしてだろうね」
 まるで幼子のするようだ、と思った。何も知らない幼子が何か悪いことを犯してしまって、それがどうしてだか分からないけれど悪いことだと分かって、泣きそうになっているのを慰めるように。慰めながら、それがどうして悪いことなのか、丁寧に教えるように。
「青江ちゃんは強いんでしょ!? なんで、どうして、」
唇が、言葉を失ったようにまた震える。
 にっかり青江の胸には、小さな柄が生えていた。たった今、彼女がその手でにっかり青江に向けたもの。…きっと、にっかり青江が避けるだろうと、避けて逆に殺されるのだろうと、そう思って向けた、もの。
 別段、彼女に死にたい感情があった訳ではないだろう。それどころか、死にたくないの一心で此処まで駆け抜けて来たのだろうと思う。だからこそ、彼女は周りへの配慮が足りない。自分で精一杯だから。
「アタシは………」
今にも涙をこぼしそうな瞳が、にっかり青江を映している。其処にはずっと追い求めていた爛々とした光もあって、けれどもそれだけではなくて。
「アタシ、青江ちゃんを、殺したくなかった、の?」
彼女が今まで殺してきた不特定多数とは、にっかり青江という存在が確実に異なっていることを示していた。
「君の気持ちは君にしか分からないけれど」
 それだけで、良かった。それだけで、にっかり青江には充分だった。
「僕は君を愛しているよ」
やっと、この言葉を言える。
 彼女の目が更に最大限までに開かれてて、その唇が言葉を失った。
「大丈夫、斬ってあげる。僕はまだ動けるよ」
にっかり青江は、漸くその名の通りに笑える。
「だから、一緒にいかせて」

***

是非大事にお持ち帰りください 

 笑っていた。それが分かったのが、救いだったのかもしれない。
 彼女の鼓動が完全に消えるのと同時に、この城から一切の気配がなくなった。彼女によって顕現されていた彼らは、力の供給源である彼女が死したことによって現世から断ち切られたらしい。静かだな、と思う。特に刀集めに精を出していた訳ではないこの城も、それなりに賑やかだったのだなと今更になって気付いた。
 自分は、どれだけ。
 彼女しか見えていなかったのだろうか。笑う。自嘲ではなく、満ち足りた笑みをしているだろうと思った。こんなに、こんなに。自分の身の内が、伽藍堂な身の内が、彼女で満たされていたなんて。どんなに、幸福なことか。
 にっかり青江がすぐに消えなかったのは、その前に破壊相当の傷を負っていたからか、それとも長く彼女の近侍を務めていたことで、他より多く彼女の力を受け取っていたからか、それとも。
 人間に、なったからか。
 すべてはどうでも良かった。
 彼女のすべてになれた、それだけでもう、にっかり青江に望むものなど何もなかった。

***

今度は、正しく、人間で。 

 胸に刺さったものを抜かないまま、その力を失った身体を抱きかかえる。庭の端の方に出来たあの温室が彼女のためのものだったと、彼女は理解していただろうか。きっと、していないだろう。彼女はそういう生き物だった。やっと、人間に戻ってきた、人間歴で言ったらきっと、にっかり青江と同程度だ。そんな彼女が、彼女よりも先に人間になったにっかり青江の、その行動の理由について、正しく理解が出来るはずがない。分かっていた、それで良かった。そんな彼女を好きになった。
 やっと辿り着いた温室で、転がる装飾品の上に彼女を下ろす。いつか彼女にあげようと思って集めていたものたち、もう必要なくなった。彼女は死んでしまった。にっかり青江が殺した。
 この胸の刃を抜けば、にっかり青江もまた、死ぬのだろう。しかし元が刀剣である以上それは破壊にしかならない。彼女とは、一緒にいられない。目に焼き付けるように横たわる彼女を眺める。此処でにっかり青江が消えれば、彼女の行方を知る者はいなくなる。彼女はこの時空の狭間で、一人腐っていくのだ。それを最後まで確認出来ないのが、唯一心残りだけれど。来世なんてものがあるのなら。
「お互い、普通≠ノ生まれたいものだね」



サイコは不思議な温室の中で、柔らかな陽に照らされ横たわっています。辺りには小さな装飾品が散乱し、恋人が見つめています。きっとすぐに腐敗するね。またいつか。
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***

贅沢な日々 

 とても晴れた日のことだった。
 男だというのに長過ぎると言われる髪をなびかせて知らない街を行く。今日からこの街で生きていくのだと思うと、今まで何処か無感動だった自分の胸も、期待に震えるなんて可愛らしいことをするみたいだった。不気味な男だと、何度言われたことか。いつだって絶やさない笑みが心の底を読ませないみたいだなんて、何度。
 そんなもの、と思った。
 生まれた時からずっとこの頬に張り付いている、呪いみたいなこの表情を恨んだことはなかったけれど。そんなものの所為にする周りの彼らは、両親でさえも、何処か見下した目線で見る以外に出来る接し方などなくて。
 街が、変わったら。そんな甘々しい空想を抱いていた訳ではないけれど、それでも何か期待するように、誰かを呼ぶように、心臓はどきどきとその役目を果たすように鳴るのだ。
 ふいに。
 呼ばれた気がして振り返る。
「う、わっ」
「わっ!?」
その瞬間に誰かとぶつかった。
「す、すみません」
「いえこちらこそ」
 どうやら背の低い女の子らしかった。自分の目線よりもずっと低いところに頭があったから、避けることが出来なかったのだ。いつもなら出来たはず、なのに。
「わ、すごくきれいなお兄さん」
異様にぎらついた瞳に、自分が映っているのを、見た。
「特にその笑顔、すてき」
「え、あ…」
「ああ、すみません。すぐに思ったこと言っちゃうんです」
悪い癖、と女の子は笑う。よく怒られる、と。
「君は………」
どくり、と。
 心臓がひときわ大きく鳴った。
「あの、初めて会って、こんなことを言うのもどうかと思うんだけど」
「何? アタシ、もう貴方に不躾なこと言ったんだからまあ、大抵のことは許せると思うけど?」
ずっと、この時を待っていた、そう叫ぶように。
「君の、名前を教えてもらっても?」
 女の子は何、そんなこと、と笑った。
 そうしてなんてことなさ気にその唇に乗せられた名前はきっと、ずっと求めていた名前だった。



image song「贅沢な日々」天野月

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20150605