わたしの最愛の部下よ、さよならだ。 男審神者+清光 刀剣男士における修行というものがどういうものなのか私はよく知っていた。だから私は私の初期刀である加州清光が修行に行き、極となって帰ってきたところで何が変わる訳でもないと分かっていた。いや、変化というのは勿論あるのだが、その本質が変わる訳ではないのだ。それを私は彼らを送り出す前から分かっていたし、何ならレポートも読んでいた。修行というものが彼らに及ぼす作用について、彼らの思考を司る部分がどのように変化するのか、恐らく他の審神者が不安に思うような部分も私は前からすべて知っていて、だから特に何も言わずに送り出せたのかもしれない。 此処は所謂本尊(プロトタイプ)のいる本丸。こちら側の重要機密。此処にない情報はないとまでは言わなかったけれど、私の気質が研究者なのもあり、結局殆どの情報が揃っていた。 極が形になった刀剣男士から順繰りに送り出し、それで問題がないようであれば他の本丸にも通達する、その形を取っていて今まで失敗したことはなかった。それはそうだろう、もしこれが失敗すれば、それは今までの成果がすべて台無しになるということだった。そもそも失敗など許されていないのだから、失敗するはずがないのだ。そのことをこぼせば、本当はそんなこと思っていないくせに、と口が尖らされる。 「主は研究者じゃん」 「そうだな」 「だから研究には失敗がつきもの、って一番よく知ってる」 それを言わないのは俺たちのため? それとも自分のため? 三年を経た頃にやっと自信らしい自信を身に着けたらしい加州清光は、私にそんなことを言った。 「…後者が七割かな」 「逆じゃないんだ」 「ああ」 私は怖がりだから、と言えばそうだね、と肯定される。 そんな加州清光にも修行が解禁され、じゃあ行ってくるね、と彼は軽い調子で旅立った。政府から支給された鳩によって私には一日も経っていなかったけれど、加州清光はもっと多くの時間を経験してきたはずだった。 「主」 帰ってきて一番に、私に駆け寄ってきた彼の表情が忘れられない。 「…お守り、返しに来たよ」 「…最初に言うことがそれか」 「………ただいま」 「おかえり」 私の言葉は、きっと詰まっていなかったと思う。 そうして半年近くが経った。聚楽第など新しい形態の戦場にも彼らは協力してくれたし、新しく刀剣男士として顕現したプロトタイプたちも上手くやっているようだった。 「そろそろ四年だね」 お茶にしよ、と加州清光がお盆を持って入ってくる。 「また日記書いてる」 「良いだろう、やることがないんだから」 「まあ、やることないってことは平和、ってことだもんね」 それを俺たちは喜ぶべきなんだろうなあ、と何やらきらびやかな洋菓子をつまみながら加州清光は呟いた。名前は前に教えられたけれども忘れてしまった。もう四年も経てば加州清光だって私が菓子の名前を覚えていないことも分かっているだろう。主は煎餅派だもんね、と以前呆れられたことだってある。でも、俺の好きなお菓子一緒に食べてくれるの、嬉しいよ、と。 「今日は短いね?」 「これから書くんだ」 「そうなの?」 何かするの? とその瞳は興味津々と言った様子で私を見遣る。 紅い、瞳は。 彼とは違う。 貌(かたち)も何もかも、違うのに。仕草だけが私に彼の痕跡を訴えかける。だから私はずっと手元に置いていたものを手に取った。そして、加州清光に手渡す。 「………これ、」 「それを、」 私の声は、震えてはいないだろうか。それだけが不安だった。 「お前にやろうと思う」 でも、と加州清光が言いかけたのが分かった。 これは、お守りだった。刀剣男士が持つような、破壊から身を守るものではなく、加州清光が修行に出る時にお守りとして持っていったもの。文字の羅列。ただの布袋と言えばそうだった。何の効力もないもの。…私が持っていても、意味がないもの。 「ずっとそうすべきだったんだ」 何度も何度も考えた。でも、練習はしなかった。だから本当に、ちゃんと言葉に出来ているのか分からない。研究の発表はそれでも練習が出来る。この四年の中でも私はそういったものに携わり続けてきたし、一番近くにいた加州清光はそれだって手伝っている。 だから、分かるのだろう。 これが私の、本番一発勝負であることが。 「加州清光」 呼ぶ。私は呼ぶ。心を込めて。最初に込められなかった分も、今、込められれば良いと、そう思って。 「私の初期刀」 「…厳密には初期刀じゃあないでしょ?」 「でも、登録はそうだ」 「うん、知ってるけど」 主はそれで良いの? 首を傾げる加州清光は、分かっていないのに分かっていた。知っていないのに知っていた。これでも俺は、主の一番傍にいたんだよ、と言われてしまえば私は反論を持たないし、反論したいとも思わない。 だからこそ言いたいのだ。 この四年、ずっと言えなかったことを。 「私は、初期刀がお前で良かったと思うよ」 加州清光が目を瞬(しばたた)かせる。静かに、その長い睫毛を震わせる。主、と呼ぶその後ろの何処かで、雪の落ちた音がした。 「…たくさん迷惑掛けたのに?」 「その分挽回はしてもらっている」 出会った頃にあった事件は何も、加州清光だけに非があった訳でもないのに。あれはそもそも、私たち人間が刀剣男士のことを、付喪神のことを何も分かっていなかったからこそ起こった事件だった。神なんて名前を付けた時点で私たちは理解しているべきだったのだ、彼らの苛烈さに。それを怠った、彼らは自分たちの実験の成果なのだと、驕りを持っていた。確かに実験の成果ではあっただろう、彼らは私たちの血と汗と涙の結晶である。しかしそれとこれとには天と地ほどの価値観の差があったのだ。それは非を明確にするならば人間側だった、神をも作ったと驕っていた研究者の方だった。加州清光が気にしている通り、あれが決定打となって私は研究職員から審神者に転属になったのだけれども、だからと言って研究が出来なくなった訳ではない。寧ろ前よりも地位が高くなったが故にやれることは増えた。皮肉だろうとは思うけれど。 それを加州清光は知っているのに、未だ気にしていることを知っているから。 私はもう大丈夫なのだと、伝えようと思った。伝えたかった。 「加州清光、」 誰でもない、私の初期刀に。 「お前は加州清光だ」 「…うん」 「だから、これを渡したい」 「………いいの?」 「渡したいんだ。それとも、要らないか?」 「ううん、要るよ、要る…すごく、嬉しい」 加州清光、と私は再び呼ぶ。私が名付けた訳ではない、元々あった素晴らしい名前を、私は私が付けたかのように呼ぶ。 「私の、私たちの最高傑作」 「うん」 「私たちの刀剣男士」 「うん」 「私の、初期刀」 「うん」 「だからお前は、それを持っていてくれ」 ずっと、と言うのは酷だと分かっていた。以前指摘された通りに、私は研究者で、審神者になりきることは出来ないのだから。 「いつ、この戦争が終わるのだとしても、お前はさいごの時まで、このお守りを手放さないでいてくれ」 期限を付けて、願わくば加州清光がそれを重く捉えないように。 涙に濡れたような瞳で、加州清光は笑った。 「りょーかいっ!」 絶対ぜったい大事にするね、と言う彼の、その爪の紅さにはもう慣れてしまっていた。 人間は強い生き物だった。悲しいことがあっても腹は減るし眠りたくなるし、明日の予定だって考える。限りある生命の中で戦って、別れて、それを繰り返して。それでも明日を生きていく。明日があることを信じている。 四年という歳月は私にとっては恐らく充分だった。私の中でそれは傷として残り続けるだろう、きっと彼がそれを望まないことを私はよく分かっているが、それでも残るのだろう。でもそれだけだった。私は明日も腹を空かせるし眠りたくなるし、私たちの世界を守るために戦うのだろう。 それが出来ない訳がない。 何故なら、きっとその隣にはこれからも、私の初期刀、加州清光がいるのだから。 20190328 |