あかの沈黙 三輪秀次×木部紅緒



 目が合った瞬間、いいな、と思った。
 とても良い絶望が、いろいろなものに飾り付けられてその目の中には鎮座していた。



 この店にはあまり人は来ない。限られた人しか入れない、そういう店だから客足など気にしていない。だから店内は埃っぽくても良い。それでも掃除をするのは彼らが煩いからで。
 小瓶を一つひとつ磨きながら、時折ラベルに新しい文字が書かれている。私が書いているのではないから知らないけれど、大体がああなるほどね、となるものだからこれを書いているひとはすごいと思う。ひとじゃないかもしれないけれど。中身は『あお』だった。この店の小瓶はすべてそう。液体とも固体ともとれない何かが、ただその色(そんざい)を崩すことなく自分の『あお』だけを保って揺れている。
 私の仕事は彼らを、正しい場所へと送ること。彼らを求めてくる客を見極めて、正しいものを渡すこと。お代はいりません、それがこの店。
 かららん、とベルが鳴った。いつもいつも思うけれども、笑っているみたいだ。ぶわりと流れ込んできた空気は知らない匂いで、ああまたこの店の気まぐれが出たな、と思った。この店は騒々しくて、一つの場所に静かに座っていることが出来ないのだ。学校へ行くと言えば元の場所に戻ってくれるから、聞き分けは良い方なのだとは思うけれど。
 入り口に立っていたのは学生服の少年だった。少年、と言って良いのか。きっと、私と同じくらい。いらっしゃいませ、とは言わない。彼はまだ、私に気付いていない。あずき色をしたマフラーになんとなく、美味しそうだな、と思った。そういえば今は冬だった。今年はおしるこを食べていない。この客が帰ったら店に街へと戻ってもらって、そうして買い出しに行こう。お餅と小豆を。きっと、おいてあるところはあるはずだ。
 そんなふうに考えていたらお腹がきゅうと鳴いた。その音が聞こえた訳ではないだろうけれど、客は顔を上げた。さて、と笑う。彼の目には、私はどう映るだろう。
「…ねえ、さん」
おや、と目を見開いた。今まで決して少なくない客の相手をして来たけれど、彼のように誰かの名を呼ぶパターンは初めてだった。
「姉さん、どうしてこんなところに」
客が一歩、一歩、近付いて来る。
 こういう場合はどうすべきだろうか。学校にも通っているし、同年代の男子の力の強さというものを知っている。彼にとっての姉さん≠ェどういうものなのかは知れないが、私と重なるくらいだ。あまり良いものとは言えまい。このまま髪を掴まれて店の外に引きずり出される可能性だってなくはない。それは困る。痛いのは嫌いだ。
 よし、と思う。彼にはこの店はまだ早い。それは分かっている。此処に彼の元へと導かれる小瓶はない。ならば、彼はこうしてやってきたのだとしても、客ではない。ならば、と一つ頷いた。彼の目にはそれが、姉であることの肯定に映ったのか、表情がみるみる歪んでいった。歩調が早まる。そして、彼が私に向かって手を伸ばして、そうして瞬きをしたその時―――私の目の前から、彼は消えた。
 カーテンに遮られた向こう、元の道で誰かが立ち尽くしているのが分かった。分かったけれども、きっちり閉まったカーテンはこちらからも、向こうからも、その反対側を見せないようにしている。私は暗がりで伸びをする。
「いいな」
それは正直な感想だった。
「あれはきっと、良い『あお』になる」
けれども幻影に惑わされているようならまだまだだ。
 彼は客ではなかった、それだけのこと。そう思って使いもしないレジからお金を取り出す。お餅と小豆を買いに行って、今日の晩御飯はおしるこだ。

***

 おしるこが思いの外よく出来たので翌日の三時のおやつにも食べながら、私はほくほくしていた。まさか二日連続で客が来ることなどなかろう、という考えで、今日は奥に引っ込んでいる。店の表の看板はopenになっているし、鍵も開いているけれど、小瓶たちが盗難にあうなんてことはないので店員としては楽なものだ。
 一杯目を食べ終わって、もう一杯、と思ったところで、かららん、とまたあの笑い声がした。



 二日連続で客なんて、と店へ顔だけ出して、げっと漏れそうになった声を私は慌てて飲み込んだ。
 昨日の客だった。例の姉さん¥ュ年。昨日あんなふうに追い出したのにまた入れるなんて、と店への文句が溢れ出る。
 この店だって店員がいなければ困るのに、一体何を考えているのか。そんなことを思いながら頭を柱へと打ち付ける。その痛みに冷静になってから、いや、店というのはそうやってものを考えている訳ではない、と思い直した。額を擦る。
 店は、店の有りたいように有るだけだ。ただ単に、この辺りの土地が気に入っただけなのだろう。学校へ行かせてもらう代わりに、そういうところには目をつぶる。それが約束だったのだか、仕方ない。
 柱に頭をぶつけた音は思いの外大きかったのが、もう一度顔を覗かせると客と目が合った。また、いいなと思う。ぐるりと濁る『あお』は、とても美しい。一体彼の何がそんな色を作り出しているのだろうか。そう好奇心が疼きだした時、彼の表情がぐっと歪んで昨日店から追い出したという現実が引き戻って来た。ああ怒られるだろうか、今の時代にあんな接客をする店なんて、と消費者センターに訴えられるのだろうか。いや消費者センターは違うか、食べログに書かれるのか、いやこの店はそういう媒体には載らないものだし、そもそも此処は食べ物屋さんではない。そんなふうにぐるぐると巡る思考の間にも、客は近付いて来ていた。ずしり、ずしり、重そうな足取り。
「そ、の」
 時が、止まったかと思った。いっそのこと止まって欲しかった。流石に二回目を追い出す勇気はない。店が同じ土地に止まったということは気に入っている訳で、つまり今後もこの客が店に来る可能性は高いということだ。小瓶には気に入られないくせして、と思う。黙ったままの私にむっとしたように眉を寄せてから、客はすうっと息を吸った。
「…昨日は、すまなかった」
どうやら素直に謝ることは出来るらしい。
「亡くなった姉さんに、貴方がとてもそっくりだったものだから」
「そうなんですか」
答える。そう答える以外に言葉がなかった。客との無意味な交流は不要だ。してはいけない、とも言う。そもそも彼は客にすらなれていないのだから、本来ならば私がこうして対応することはないのに。
「姉さんが、こんなところにいるはずもないのに」
それは、こんな埃っぽい店にいるはずがないという意味だろうか。とても失礼だ。
「今日は、それだけ、謝りに来ただけだ」
「それは…どうも」
「それ、じゃあ…」
かららん、と笑い声がした。
 なんだか拍子抜けだった。

***

 どうやら本格的に店はこの土地を気に入ったらしい。ふらふらと出歩いて見て、どうやらこの辺りが異世界人に侵略されそうになっているらしい、ということは分かった。また難儀な土地を選んだものだ、と思う。それに対向する組織というものがいるらしく、警戒区域というのに入らなければそこそこに安全らしい。



 と、聞いていたのだが。
 こんな映画みたいなものがあるのだなあ、と思った。目の前で暴れるそれは機械生命体というか、ゴジラというか、その、つまりこんな生活をしている私でも思わず嘘でしょ、と呟くくらいに。わりと私は非日常的な日常を生きてきたはずなのだけれど、これはない、ない、絶対ない! そう思いながら特売のネギを担いで走る私は一体どう映っただろうか。いや、周り人間はいなかったからどう映ったも何もないのだろうけれど。
「………警戒区域、避けてたはずなのになあ」
―――このまま、死ぬのだろうか。
 そんなことを初めて思った。死というのは、あまりに身近で関係のない話しであったけれども、このままあれに連れされらたりしたらどうなるのだろうか。立ち止まって見上げる。怪獣のようにそれは鳴いた。何を訴えているのだろう。機械であるなら感情はないのだろうか。
 咆哮。
 ああ、もうすぐ。と思った瞬間。
 一閃。
「………あ」
出た言葉はそんなものだけだった。向こうも多分、同じ顔をしていた。
「…この、間の」
「え、ああ…」
「え、何、君、ヒーローだったんだ」
「ヒーロー………」
「ヒーローじゃない」
「………別に、そういうのじゃない」
記憶を、と何かしらの器具を出そうとして、彼は諦めたようだった。それが彼が初日に言った姉さん≠フ所為なのかは分からながいが、そもそもそういうものは多分効かないので良い判断だったと思う。
「三輪秀次だ」
「私は木辺紅緒(きべべにお)」
「べに…もしかして、紅いという字を書くのか?」
「そうだけど」
変? と首を傾げると、いいや、と三輪くんは首を振る。
「あんなに『あお』に囲まれているのに『あか』だなんて、少し面白いな、と思っただけだ」
気を悪くするなよ、と言われた。そんなことを言われたのは初めてだったので、どちらかと言うとびっくりしたし、確かに、なんて納得してしまった。

***

 三輪くんは異世界人と戦う組織の一員らしい。
 それを改めて聞いた時、私はとてもびっくりしてしまった。



 びっくりしたと言っても別に悪い意味ではない。ただそういうことは大人≠フ仕事だと思っていたから、私と同じ年(あの後年齢も聞いた)である三輪くんがヒーローをやっているだなんて、おどろ木ももの木さんしょの木だった訳だ。こんな身の上の人間にそんなことを言われるなんて三輪くんも大層迷惑だろうなとは思うが、私は私ほど非日常に生きている人間を見たことが本の中くらいでしかなかったのだから仕方がない。
 あの日から私は三輪くんを店から弾くことを諦めた。店も店で三輪くんのことを嫌っていないようなのでそもそも一店員の私に決定権などなかったけれども、それでもcloseという札を掛けるという作業(作業自体は発生しないのだから作業と言うのは可笑しいのだろうけれどもここは文脈として作業)をすることを諦めるのは、私にとって殆ど初めてのことだった。根負け、と言ったところかもしれない。
 三輪くんは、何も言わない。私が最初に怖がったからか、あれ以来姉さん≠フ話もしない。ただぽつぽつと、この街について話をしてくれた。私のことは事情を知らずに引っ越してきた人間とでも思っているようだった。私はそれについて何も言わない。三輪くんには悪いけれどもそこは騙される方が悪い。特に、私のような人間にはそれがとても必要なことだからただ、黙って三輪くんの話を聞いている。三輪くんは同級生の男の子にしてはとても静かで、とても素敵な『あお』を秘めていた。あまりこういう人はいない。私は興味津々で三輪くんと共に過ごした。三輪くんと過ごす時間は私にとってとても有意義だった。
 そんな日が続いたある日。
 三輪くんがいつものように来て、そして他愛もない話をしていた時。かららん、と入り口のベルが笑った。私は慌てて立ち上がる。いらっしゃいませ、と言う必要はこの店にはないが、それでも私は店員である。それなりの接客を、と思う気持ちはあるのだ。気持ちだけ。
 でも、入ってきた人は客ではないようだった。『あお』を求めていない人は私は一目で分かる。分かるからこそ三輪くんとこうしておしゃべりなんて歳相応のことをしているのかもしれない。そして同時に、どう頑張ったって『あお』になりそうにない人だとも思った。闖入者は私を見ていなかった。彼が見ているのは三輪くんだった。そういえば同じ制服を着ている。知り合い、だろうか。
「秀次」
三輪くんの名前だ、と記憶力の良い私は思い出す。ということは、それなりにこの人は三輪くんを知っているのだろう。ちょっとタイプの違う人間みたいだけど、三輪くんは暗い顔をしているし、もしかしていじめられでもしているのだろうか。そうであったらどうしよう。いじめよくない、なんて拳を振りかざせるほど私は真面な神経をしていなかったし、そもそも同年代の男の子に勝てるとは思わなかったし、もしかしたら三輪くんが平穏に暮らすために黙っている可能性だってあるのだ。
 という私の心配を他所に三輪くんは呼びかけだけですべてを察したらしく、うるさい陽介、と返した。陽介、というのが闖入者の名前らしかった。名前で呼ぶということは三輪くんからも一応それなりの矢印が向いているということで、つまりはこの闖入者は三輪くんの友達もしくはそれに準ずるものであるらしい。少なくともいじめっこではないようだ。
「蓮さん気付いてるぜ」
蓮さんという方を私は存じあげなかったけれども、話の流れ的に偉い人っぽいなあ、と思う。
 黙っている三輪くんに飽きたのか、闖入者の陽介くんは私の方を向いた。
「なあ、アンタ、えっと、名前聞いても良い?」
「木部だよ。木部紅緒。貴方は?」
「おれは米屋陽介。秀次の友達」
「友達なの、三輪くん」
「………チームメイトだ」
わお、と私は思った。三輪くんは言い直しはしたが否定はしなかった。つまり今の言い方は追加の説明であって彼と三輪くんは彼、米屋くんが言った通りに友達なのだ。
 三輪くんに友達がいたなんて!
 自分のことなど棚上げでびっくりである。いやいやそもそも私は友達がいないのではなくて作ると面倒だし困るから自主的にぼっちなのだ。三輪くんとは違う。
「秀次は報告漏らすなんて珍しいだろ」
「…別に、漏らした訳じゃない」
「でも一般人の記憶はさ、消去する決まりじゃん」
そこで私はやっと二人の会話についていくことが出来た。三輪くんと私が初めて会った時のことを言っているのだ。一般人の記憶は消去する決まり。なんだと。知らなかったそんなこと。
「…三輪くん」
「…木部は黙っていてくれ」
おお、初めて三輪くんが私の名前を呼んでくれた。
 私はそれで、また一つ、三輪くんのことでびっくりしたことが増えたのだった。

***

 この店にテレビがあるなんてことを私は初めて知った。



 という訳で私は引っ張りだして来たテレビを見ながら、いつものようにやって来た三輪くんをおもてなししていた。あれから三輪くんの友達でチームメイトな米屋くんはやって来なかった。私も三輪くんに記憶消去の件はどうなったの、とは聞かない。暗黙の了解のようなものだ。三輪くんは三輪くんでやるべきことがあるだろうし、それは三輪くんの考えにもとづいて行われたものだろうし、私は此処のいるべき人間ではないので三輪くんの人生に口を出す権利などないのだ。
 テレビの中ではボーダーの批判がされていた。私は私なりに気を遣ってチャンネル変えようか、と言ったのだけれど、三輪くんはそのままで良い、と言った。
「これが見たいんだ」
 テレビの中では救われなかった人たちが泣いていた。もう戻ってこない、何をされているのかも分からない―――ボーダーは怠慢だ、まで言っていた。そうかなあ、と私は思う。此処で起きているのは異世界からの侵略だけれどもそもそも他の国だってある中で侵略というのはいつだってある訳で、それを誰か一人(この場合は一つの組織)の所為にするのはちょっとばかり大変なことなのではないかなあ、と。まあただの小娘の考えなので、そして三輪くんには否定されそうなので何も言わないでいたけれど。テレビの中の人はまだ泣いていた。どうにもならない、それを三輪くんは真っ直ぐに受け止めていた。そうだよね、とも言わない。そんなことはない、とも言わない。
 ふと、言葉が浮かんでくる。
「三輪くんもそうなの?」
私のその唐突な言葉に、三輪くんは言葉に詰まったようだった。それでも私は続ける。
「三輪くんも可哀想なの?」
「………お前は、」
私を真っ直ぐに見て、ああ本当にこういうところは好ましいな、と私は思って―――思って、首を振りかけて、心の中でだけにして、三輪くんを同じように真っ直ぐ見返す。私は誰かを好ましいとかそういうことを思ってはいけないのだ。いや、いけないなんてことはないだろうが、それをして今後辛くなるのは私なのだ。私のことは私が守ってあげないといけない。
「自分が可哀想だと思っているのか」
「それなりに、ね」
迷った末の三輪くんの言葉に、私はすぐに返すことが出来る。出来てしまう。
「不幸ではないと思うけど、学校の行かせてもらってるし、こうやって三輪くんとも話せているし」
だめな時はだめでね、と私は続ける。だめな時は本当にだめなのだ。店が三輪くんを気に入ったからなのか何なのか、三輪くんはこうして遊びに来てくれる。何にもないところなのに。
「私はそれなりに大丈夫なんだろうけど、それでもそれなりに可哀想だと思うのよ」
可哀想、可哀想、可哀想。そう繰り返すことはもうやめていたけれども、私の中でその認識が覆ったことはない。
 私は可哀想だった。それは私が私のために、認めてあげないといけないことだった。
「三輪くんは思ったことないの? 自分が可哀想だって」
三輪くんは戸惑っているようだった。こんなに悲壮感のない可哀想があるのか、とでも思っているのかもしれない。でも私は悲壮感なんてものには慣れているし、私は私でこの店の店員をやっているのだから、『あお』になる訳にはいかないのだ。
「………ある」
三輪くんは迷った末に、小さくそう言った。三輪くんの目で、『あお』が光る。
「そう」
じゃあ仲間だね、と私は笑った。
 三輪くんは笑ってくれなかった

***

 三輪くんが遊びに来ることは絶対に前とは違うことなのに、それは日常とばかりに何も変わらなかった。だから私は安心していたのかもしれない。
 三輪くんと私は、絶対的に違う存在なのに。



 油断していた、と言えばそうなのだ。三輪くんがこの店にいることが私にとっての当たり前になっていて、私はそれ故に彼がこの店の一部なのだと捉えるようになってしまっていたのだろう、と思う。だから三輪くんが少し体調が優れないようであった今日、大丈夫、と声をかけるようなことをしたのだ。店にとって三輪くんが許容されている存在なのだと勘違いしていた。いや、勘違いではなかったかもしれなかったけれど。
 だから三輪くんが何か答えようとして、そのままふらり、と身体を傾けた時、あっと思ったのだ。多分、危ない、とも。店は基本的に私の願いを叶えてくれる。店はいたいところにいる以外、私の願いは基本的に叶えてくれる。三輪くんはふらついた場所が悪かった。棚のすぐ近くで、棚にはたくさんの小瓶たちがひしひしと詰まっていて、三輪くんがぶつかったことでその安定を失ったのだった。
 だから私はあっと思ったのだ。危ない、と思ったのだ。
 今、三輪くんに降り注ごうとしていた小瓶たちは浮いていた。危ない、と思ったのが小瓶たちに対してだったのか三輪くんに対してだったのか、私にとってはどうでも良かった。それでもこの場で言葉が通じるのは小瓶ではなく三輪くんである。だから私は三輪くん、大丈夫―――と声をかけようとして、そして、それは阻まれた。
「よく分からないけれど、ほとんど知らないような人に対して突然に武器…武器だよね? それ。武器を向けるというのはこの日本では許されていないんじゃないの?」
「今のはどうやった」
「わお、無視? 此処日本じゃないとか言わないよね。流石に日本じゃないとか言ったら私、怒るよ」
「…誰に」
「店に」
三輪くんはどうして私が店に怒るのか分からないようだった。ただその綺麗な顔にもったいないくらいのシワを刻んで私になんだかよくわからないけれど刃物のようなものを向けている。これは多分、ボーダーの武器というやつだ。名前などの詳しいことは全く知らなかったけれど私は三輪くんが戦うのを一度見ている。私の記憶力は悪い方ではない。あの時の三輪くんも、同じものを持っていた。出し入れ自由なんてすごいな、と思う。あと変身。一瞬だった、あとなんだか魔法少女みたいだった。ちょっと羨ましい。
「もう一度聞く、今のはどうやった」
「知らないよ。私がやったんじゃないもの」
私は本当のことを言う。実のところ刃物を向けられるなんてことは生まれて初めてだったので緊張していた。けれども私は本当のことしか言えない。嘘が吐けない。
「白々しい」
「ほんとのことだよ」
だから困ったな、と思った。
 店は何もしない。いつもだったら私に害をなすものをそのまま店にいさせるなんてことはしないはずなのに、店は黙ったままだ。それならさっきの小瓶救出もやらないで欲しかった。確かにあれを集めるのは大変だったけれども、それと比較したらどう考えたって店員がいなくなることの方が大変だろう。私みたいなものを店が何人も作り出すとは考え難かった。
 三輪くんは、本気だ。
 本気で、私が可笑しなことをすれば殺すつもりだろう。
「私は生け贄だよ、ただの」
店は私に何を望んでいるのだろう。それは今でも分からない。十七歳になった今でも分からない。店番をさせて、小瓶を集めさせて、求める人に絶望を売って。
「私はどう足掻いてもこの店に縛られたままなの。そりゃあ学校には行かせてもらってるけど―――他は全部この店の言いなり。死ぬことだって―――まあ人並みには許されてはいるけれど―――不慮の事故とか、自殺とか、他殺もね。許されていないの」
―――そんな人生に、意味が、あるの?
「だからあの時、三輪くんが私を助けてくれた時」
 思い出すのは異世界からやって来たという侵略者に殺されそうになった時。もしかしたら殺されるのではなく、連れ去られる、のかもしれなかったけれど。
「本当はあの時、私が危ない目にあっても店がどうにかしてくれたはずなの。店にとって、私はいなくなってはいけない存在だから。なのに、三輪くん、助けに来るんだもの。びっくりしちゃった。…それとも、」
三輪くんが突き付ける刃は微動だにしない。それでこそ三輪くんだ、と思う。
 私と同じ、可哀想な男の子。
「店が三輪くんを寄越してくれたのかな」
「………俺はあの時、自分の意志であの現場に向かった」
三輪くんの瞳が揺れる。奇麗な、『あお』。何処までも澄んでいるのに、今にも濁っていきそうな、そんな『あお』。
「そこにお前がいたのは偶然だ」
「…そっか」
刃が降ろされる。
 私にとってはそれで、それだけで充分だった。

***

 三輪くんはその騒動のあとも店に遊びに来てくれた。面の皮が厚いなあ、とは思わなかった訳ではないけれど、私は私で三輪くんが来ることを楽しみにし始めていたので、良かったなあ、と思うだけだった。



 じっと、三輪くんが私の顔を見ている。よくあることなので私は気にしない。…まったくもって気にしない、と言ったら嘘になるけれど、だって同い年の男の子にじっと見つめられているのだ。そしてその三輪くんはそこそこにイケメンなのだ。一応歳相応の感覚を獲得している私はどきどきだってする。けれども三輪くんは別に私を見ている訳ではないのだ。
―――姉さん。
初対面で彼が漏らした言葉を私は忘れてはいない。いないのだ。
 三輪くんが見ているのは、彼のお姉さん。きっと、この街を侵略している異世界人が関係しているのだろう、ということくらいしかぼんやりとした推測が出来ない。でも私には関係がないことなのだ。私はきっといつかこの街からいなくなる。私が確実にいられる場所なんて学校くらいなもので、その学校に三輪くんはいない。
 三輪くんが、手を伸ばして来た。
 そして私の頬にそっと触れる。こらこら少年、そういうのは好いている相手にするものだぞ、と私は思うけれどもなんとなく察している私は文句を言うことも茶化すこともしない。
「お前はどうして、姉さんに似ている」
「それは君が願ったからだよ」
これは三輪くんの願いだ。三輪くんが思っている顔に、私はなる。なる、というのは違うかもしれない。いつだかクラスメイトが来た時は私を私と認識してくれたし、思っている顔に見える、というのが正しいのだろう。訂正、しなければ。
 そこまで考えてから、あれ、と私は思った。あれ、あれ、あれ。何かが可笑しい。
「ねえ三輪くん、聞いても良い?」
何かがずれている。
「三輪くんはどうしてこの店に来るの?」
本当に今更な質問だと思った。
「この店に貴方の買えるものはないし、何より私は初対面で店員とは思えないほど失礼な態度を貴方にとったし、その後だって、ほら、貴方に迷惑を掛けたのに」
勿論、異世界人のうんたらかんたらの話であるし、そのあとの記憶消去などの話である。あれから三輪くんがそれをどう片付けたのか私は知らなかったけれど、米屋くんも訪ねてくることはしなかったけれど、私はそれが三輪くんの迷惑になっているという自覚はちゃんと持っていた。ただ、その迷惑を被るという決断をしたのが三輪くんだから、私は何もしないだけで。
 喉が、からからと乾いていく。ねえ、三輪くん、と。そう呼ぶのにどうしてこんなに緊張するのだろう。
「私は今、貴方の目に、どう、映っている? 容姿の問題。ちょっと、言語化してみてくれないかな」
三輪くんはどうして今更そんなことを聞くのかと疑問に思ったようだった。そうだ、本当に今更だ。今更すぎるのだ。もう三輪くんと出会ってから半年が過ぎていた。なのに今更容姿の確認、だなんて。
 それでも三輪くんは答えてくれる。
「黒髪で、目も黒くて、肌は少し青褪めているように見える。鼻は高くない。正直そんなに美人な方ではないと思う」
「むっ。ひどいこというなあ」
「でも、その目は―――」
 じっと、三輪くんの真っ黒な目が私を見た。私を見て、私はああ、と思う。ぞくぞくと心が踊るのを感じる。私がこんな変な人間になってしまったのはこの店の所為だ。こんな環境にずっと縛り付けた、店の責任だ。
「お前の目は、黒だけど、黒じゃない」
三輪くんの『あお』が、私を射抜く。
「いろんな色≠ヘある」
 息が止まりそうだ。私が別の人間になってしまったような。否、今ちょうど作り変えられているところなのかもしれない。店に囚われた木部紅緒が、三輪秀次という一人の人間の出現により、新たなる事実に気付かされている、最中。
「お前の中にいろんな人間がいるみたいで腹が立つ」
「…そこに、お姉さんは」
「いないだろうな」
それがすべてだった。
「あー…」
私はそんな間抜けな声を出すことしか出来ない。
「三輪くんには、最初から私が見えていたって訳か」
先ほど三輪くんの上げた特徴。それはそっくりそのまま鏡の中に見えていた私と合致する。
「あー…嘘、なんか私、かっこわるい」
でもそりゃそうだ、と思う私もいた。
 だって、三輪くんは客じゃない。
 そんなことは最初から分かっていたはずなのに。浮世離れしてしまった弊害がこんなところで顔を出すなんて。
「ねえ、三輪くん」
私は諦めて言葉にする。
「これからも、此処に顔出してくれる?」
三輪くんはどうしてそんなことを聞くのかという顔をした。今まで当たり前にしてきたことだった、もう日常の一部だった。三輪くんにとって私がどんな存在かは知らなかったけれども、三輪くんにとってはこれからも続いていく日常の予定、だったのだろう。そう思いたい。
「私はいつか貴方の前からいなくなるかもしれないけど、その時は小瓶をあげるから」
三輪くんは客じゃあないから、きっとその小瓶を持て余してしまうだろうけれど。
 正しい持ち主の元に渡らなかった小瓶を私は知らないけれど、きっと、何の役にも立たない。
「―――…」
三輪くんはその時初めて、泣きそうな顔をした。最初に私を見た時にもしなかった顔だった。
「二度も、失いたくはないんだが」
「人生なんてそんなものだよ」
私はまるで人生の先輩のように言う。私は失うことが最初から分かっていたから、失うようなものは作らなかった。それだけの話なのだ。
 三輪くんは毎日のように此処に寄ってくれるけれど、彼もこの小瓶たちを欲しいと思うのだろうか。私は疑問だった。まぁ、三輪くんが幾ら欲しいと言っても、彼に導かれる絶望は此処にはない。それを私は可哀想だとは思わなかった。思わなかったけれど、別の感情がある。暫く三輪くんの泣きそうな顔を眺めていて、ああ、と思った。それが答えだった。
 「私、三輪くんが欲しいんだ」



 私の言葉を聞いた三輪くんはまさに百面相、だった。その横でそれを気にもせずに私はふむふむ、と考え込んでいた。



 この店は絶望を詰めた小瓶を売る店である。売る、と言っても代金を取る訳ではないし、それが正しい人の元へ導かれるまでの保管倉庫のようなものだった。だからレジは飾りだし、店から私に渡されるお小遣いの置き場所、程度にしかなっていない。この店の店員である私にはやってきた人が客かどうか確かめる能力(チカラ)があった。だから三輪くんが来た時にすぐに分かったのだ、三輪くんに導かれる絶望は、此処にはないと。何故なら、彼は既に絶望を持っているから。私はそう思った。だからいつか彼の『あお』が彼を凌駕して、彼が小瓶に詰められるだけの存在になったら私と彼はまた繋がるのだろうと、そう思っていた。
 ただそれだけだと、思っていた。
 でも違ったのだ、逆だったのだ。それにすぐ気付くことが出来なかったのは、そんなパターンが初めてだったから。私の落ち度ではない、と一応弁明をしておく。
 私に。
 この店の店員なんてものをすることになった私にも、導かれる絶望がある、なんて。
 でも勿体ないな、と思う。私は別に、絶望を小瓶に詰める作業はしないのだけれど。勝手に出来上がる絶望の詰まった小瓶を、時々拾いに行くだけで。それでも私は知っているのだ、誰しも『あお』を持っていることを。彼の目にも、同じようにそういった小瓶になり得る『あお』が存在していることを。
―――それが、きっととても美しい小瓶になるであろう、ことを。
なのに、私は、ただ黙って三輪くんを見ているしか出来ないのだ。世界が、三輪くんが、その時を選ぶまで、もしくは選ばないことを、見ているしか出来ない。すべての人間が小瓶にならないように、三輪くんがどれだけ奇麗な『あお』を宿していたとして、三輪くんが小瓶になるとは限らないのだ。
 私は、それが、とても欲しい、のに。
「三輪くん」
呼んでみる。さっきの今だ。三輪くんは少し、戸惑っているようだった。
「三輪くんは、何処にも行かないでね」
さっきと真逆のことを言ってみた。
「…さっきは、お前が何処かへ行ってしまうように聞こえたが」
「うん。それは可能性として、あり得なくはないけれど、多分、三輪くんとは離れることはないって、今結論が出たから」
「何だそれは」
「運命みたいなものだと思ってくれて良いよ」
我ながら気障な言葉を使ったものだと思う。
 きっと三輪くんの中には付き合うだとか、恋愛に割いている容量はないのだろう。それは私も同じだ。三輪くんの『あお』は私に導かれるものだけれど、それは運命だけれど、私の中にも恋愛事に割いている容量はない。そもそもそんな容量があったらまず、こんな店の店員はやっていない。
 だから、これで良いのだ。
「やっと、自己紹介が出来るね」
私は笑う。手を伸ばす。
「私は木部紅緒。この不思議な『あお』を売る店の店員」
それの正体が絶望だと言うことを、三輪くんには言わない。三輪くんはきっと優しいから、自分の中にある絶望について考えて、これからもしかしたら彼が『あお』に飲まれる際に私のことを考えてしまう。それでは駄目なのだ。
 三輪くんの絶望は、三輪くんだけのものでなくてはいけない。
 でないと、彼のこの奇麗な『あお』は、生きない。
「願わくば、いつか、君が私の『あお』になる日まで、どうぞよろしくね」
 三輪くんは何のことだか分からない、という顔をした。そういう顔のまま、よろしく、と私の手を取った。あたたかい手だった。私よりも少し大きくて骨ばった、同い年の男の子の手だった。
 私はそれで良い、と思った。
 本当にそれで良かった。

(完)



番外編



恋と、錯覚してしまいそう

 その瞳の上の、『あお』を見ると胸が高鳴った。この店へ来る客たちはこんな気持ちだったのかと、初めてその胸の内を知ることになった。じっと眺めていると、三輪くんはむずがるよう身動ぎした。私が見つめていることに気付いているらしい。でも彼はやめろとは言わないから、私はそれに甘えている。彼の『あお』は、とても美しいから。
 どくどくと胸が鳴る。湧き上がる思いがある。はやく、はやく。その『あお』を独占したい。
 ああ。



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20160923