すべて人に贈らるること 梶中

*なんちゃって平安パロ
*時代考証はほぼしてない

 鬼が出るという話を聞いた、と中也が口にすれば基次郎は予想通りに賊でしょう、と言った。
「東の辻の話でしょう? 賊ですよ」
以前貴方に忠告したことがあったでしょう、と続けられる。確かに中也は以前、基次郎に忠告を受けたことがあった。もしも聞いていなければ中也が死んでいたかもしれないことも、分かっている。
「賊にしても、検非違使共が一向に捕まえられねえんだぞ」
「そりゃあ賊の逃げ足が早いんでしょうよ」
「それだけか?」
「まあそれだけでしょうね」
中也さんが出張るような話ではないでしょうに、と言われれば確かにそうだが。
「手柄が欲しいんですか? 中也さん」
地位は中也の方が上だと言うのに基次郎の言葉はいつだってあけすけである。
「当たり前だろう。それに、人が怯えている」
「中也さんの視点は分かりますけど、やはり僕には理解が出来ませんね」
何故顔も知らない人々のために少しでも心が砕けるのです。
 梶井の家は陰陽師の系譜であることも手伝ってか、少々人々と距離を取りたがっているように中也には見えていた。それは別段悪いことではないだろう。人ではない、魑魅魍魎が跋扈する(らしい)この京の都で、出来るだけそちらに気をやっておきたいというのは間違いではない判断だと中也は思う。思うがしかし、中原の家が中枢に関わるものであるからか、やはり中也が彼らを捨て置くことは出来なかった。それは中也自身の良心というよりも課された使命のようなものであったし、教育として施されたもののうちの一つであったと思っている。
「物の怪でないなら俺でもなんとかなるだろう」
「そういえば、僕は中也さんの評判をあまり知らないのですが、中也さんには戦いの心得があるのですか?」
「手前は本当に噂に疎いんだな」
「別に、疎い訳ではありませんよ。ただ中也さんとは行動範囲が違うだけです」
それもそうであった。こうして中也が基次郎を探し当てるまでに、いつもよりも少々足を伸ばしてみることが必要だった訳であるし。
「で、どうなんですか? 弓なんかが出来れば上々かと思いますが」
「弓も出来るが、まあ、剣術の方が俺は好きだ」
「中也さんは出来ないことを出来るとは言わないので、大丈夫でしょう。弓はいつもよりも一本多く、もしもの時のために太刀も佩いてきてください」
「今晩か?」
「中也さん、出来るだけ早い方が良いのでしょう」
「それはそうだが、今晩出るのか?」
「僕たちが行けば出るでしょうね」
基次郎の返答は何か靄に包まれたようなものであったが、今更それを気にする中也ではない。
「時は」
「寅の二つ時…辺りでしょうかねえ」
「寅の二つ時?」
「はい。もうこの頃はそのくらいになると薄明るいですから」
賊には充分なのでしょう、と基次郎は言う。そして思い出したように僕のようなものにも、と付け足した。
 生まれつき目の弱いらしい基次郎は、あまり明るい場所へとは出たがらない。それでも出仕などやらねばならないことはこなしているらしいが、出来るだけ引きこもっていたいんですよ、というのが基次郎の言だった。
「迎えをやりますよ」
「人だろうな」
「今までに僕が中也さんに人以外をやったことがありましたか?」
ただの冗談だった。だから中也はそれもそうだと笑って、一旦梶井の家を後にした。



 そうして準備を整え、一眠りするとあっという間に寅の刻になった。りぃん、と音がして中也が垣根の向こうを覗くと、女が立っていた。見覚えのある女だ。梶井の家の下女である。
「中原様、お迎えに参りました」
「あの野郎はどうした」
「基次郎様は少々仕掛けるものがあると、別の者と共に先に東の辻へと向かっております」
これが基次郎でなければ文句の一つも言っているところだろうが、基次郎のことなので既に中也は慣れてしまっていた。元からそのつもりで中也がいない方が良かったのか、あとから思い付いたのかは事が終わったあとでまだ気になるようだったら確認すれば良い。
「弓はいつもより一本多く、太刀も佩く、だったな」
「はい。基次郎様からはそのように言われております」
「よし。行くぞ」
「はい」
女はするすると歩き出して、中也はそのあとを追う。すぐに牛車に辿り着いたが、一体今までどうして気付かなかったのかというような場所に鎮座していた。基次郎は中也に対して寄越すのは人であるようにとしているらしいが、梶井の家では下男下女に至るまでそういった少なからず心得のあるものだとも聞いていた。この女も基次郎が言うのであれば人なのだろうが、何かしら中也には分からぬものが見えるのかもしれない。
 音もなく女が牛を先導する間、何ともすれ違うことはなかった。基次郎はこの頃は既に薄明るくなるとは言っていたが、今日の空は曇っている。月も確か細いはずだ。そのような状況で本当に賊は辺りを見ることが出来るのだろうか。中也が疑問に思いつつ簾の合間から空を眺めていると、やはり音もなく車は止まった。目的地に着いたらしい。
「基次郎様」
「ああ、中也さん」
「準備の方はどうなんだ」
「あと少しです」
中也さんが帰ってからこれが庭に紛れ込んで来たので思い付きまして、と言う基次郎の手の中には壺のようなものが見える。
「それは何だ?」
「蟇(ひき)です」
「蟇?」
「はい。この壺にもやっと入るくらいの大きさでして、詰め込むのに時間が掛かりました」
想像して少々その絵面の刳さに言葉を迷った。基次郎は気にした様子もなく、これをですね、道の真ん中へと置きます、と言って辻の真ん中へと置いた。
「あとは待ちましょう」
 これで準備は終わったようだった。
 基次郎はいつもの檜皮色の玻璃を持ってきていないようだったので、ただそれだけが気になった。



 息を潜めていたのはそう長い時間ではなかった。中也でも暗がりに目が慣れ始めた頃、何処からともなく影がぬっと現れて、辻を彷徨き始めた。探しているようですね、と基次郎は言う。こんな堂々と牛車を止めている上に下女も外に立ったままであるのに、影はこちらのことなど見えないかのように辻を蠢いている。やがて基次郎の置いてきた壺に気付いたらしく、影が辻の真ん中へとずるずると移動する。その頃には影が二つあることが中也にも分かった。二人組なのか、と問うとそうですねえ…、と思案するような声が返ってきて、それきりだった。答える気がないのもあるだろうが、恐らく二人組ではないのだろう。なかなかに基次郎の扱いにも慣れてきたな、と中也は自分で思う。
 暫く影は壺を開けようと四苦八苦しているようだった。基次郎が持っていた時はただの壺に見えたが、何か仕掛けを施したのだろうか。影はなかなかに大きく筋骨隆々といった様子であったが、それでも苦戦が続く。中也はと言うと賊が諦めてはしまわぬかと焦慮しかけたほどだった。見計らったように基次郎が大丈夫ですよ、と言う。
「もう少しで壺が開きますから、中也さん、弓を用意してもらっても良いですか」
「賊を射抜くのか?」
「いえ。その必要はありません―――あの柳の辺りを、射抜いていただけますか」
その他は追って言います。基次郎の言葉に中也は素直に従った。地位も下である基次郎に本来であれば中也が従ってやる理由はないのだが、これは中也の持ち込み案件だ。これくらいは覚悟しているし、そもそも中也と基次郎の間ではそのようなこと、些事だった。中也が些事にした。
 今です、と言われて柳の辺りを射抜くと、ぶわっと何かが走り抜けていったような心地がした。同時に壺が開いたらしく、そちらにかかずらっていた影は野太い悲鳴を上げた。
「すみませんが中也さん、次の準備をお願いします」
「次は何処だ」
「あの水路の手前を」
言われた通りの場所に矢を射る。
 何かに当たった手応えこそなかったが、それでもざわざわと背筋は煩いまま。そのまま辻の西、橋の欄干の向こう、と矢を射っていく。
「最後です。足元に一つ、お願いします」
まだ悲鳴は続いている。なのに影は動こうとしない。
 頼まれた最後の一矢を射込むと、それらは嘘のように静かになった。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
そう言って車を降りて辻に入っていく基次郎を慌てて追う。
 影だったものは目を凝らして見ればやはり筋骨隆々の男の二人組だった。何処かから流れてきた無法者だろう。傷だらけである。それが何があったのだろうか、泡を吹いて倒れている。そしてその二人の折り重なった下に、やはり同じように傷だらけの犬が横たわっていた。犬もまた、気を失っているようである。
「一体何を見たのでしょうね」
てきぱきとそれらを捕縛した基次郎は笑うだけだった。
「まるで地獄でも見たような様子ではありませんでしたか」
「…手前は地獄を信じているのか」
「真逆」
その次に続く言葉を中也は知っている。
「僕が信じているのは月の使者だけですから」
 基次郎の連れてきていた下男が走って検非違使を呼びに行くことになった。それまでは月でも見ていましょうか、と基次郎は呑気な声を出す。辻から壺はいつの間にか消えていた。基次郎が回収した様子もなかったが、役目を終えたんでしょう、としか言われなかった。
「ほら、細い月も悪いものではありませんよ」
中也さん月、好きでしょう、と言われてそれは手前だろ、と返す。
 いつの間にか出来ていた雲の切れ間からは、確かに細い月が覗いていた。それが何故だか妙に薄笑いを浮かべているように見えて、何とも言えない心地になったので最後に一本残った矢を宙に向かって射るとまるで何かを切り裂くかのようにひゅいっと鋭い音がして、一瞬のうちに雲の切れ間は消えて、細い月も見えなくなった。後には曇天が続くだけである。
「やはり、中也さんは面白い方ですね」
基次郎が心底可笑しいと言うように笑っていたが、結局笑い止んで中也が問いただすより先に下男が検非違使が引き連れて戻ってきた。

 賊を検非違使に引き渡し、基次郎と分かれて中原の家へと帰る途中、ふと見上げた空は既に晴れていた。光が零れだし、もはや完全に朝の様相だった。その中に、白く残る月が一つ。
 それは先程とは逆を向いていた。
 ぱちぱち、と目を瞬(しばたた)かせた中也の思考を遮るように、ぐええご、と何処からともなく蟇の声がした。

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20171010