あれは違う自分だ、それは分かっていた。痛めつけることで快楽を得る人種がいることも分かっていたし、そもそもそういった倒錯的嗜好も自分の手にかかれば物語にだって昇華させられる。
 けれども、これは、だめだ。
「シェイクスピア」
マスターである少女がこちらを窺って、そのタイミングを逃さずに頷いた。急用を言い渡されたシェイクスピアはその部屋を抜け出すことに成功した。勿論―――。
 その稚拙な遣り取りは新しくカルデアにやってきたサーヴァントには、筒抜けだったのだが。

臍で茶が沸くエピローグ 燕シェ

 燕青。彼は現実と物語の入り交じる新宿という特異点にてマスターを縁を結んだサーヴァントである。その成り立ちはシェイクスピアには魅力的だった。物語からキャラクターが飛び出してきたも同然なのだ! そんな夢を見ない作家はいないとまでは言わないし、そもそもシェイクスピアはそんなことを望んでなどいないのだが、自身の生み出したキャラクターがもしもこうして目の前に表れることがあったらと、それだけで二、三本書けそうなものである。シェイクスピア向きかと言えばそうでもないと思うし、恐らく同じく作家のサーヴァントであるアンデルセン向きの題材だろうとは思うが―――それでも向いているものだけを書き連ねる、なんてつまらない真似をシェイクスピアはしたいとは思わなかった。
 話が逸れたが恐らく、何事もなく彼と出会っていたのであればいの一番に話を聞きに行っただろうとさえ思うのだ。あの、新宿さえなければ。勿論あの新宿がなければ彼は存在し得なかっただろうし、こうしてマスターと縁を結ぶことも出来なかっただろう。それは分かっているがそういう話ではない。
 新宿で、自分と同じ顔のものが。サーヴァントであればそのような目に合うことも承知の上であった。もしかしたら自分と同じ顔だったからいけなかったのかもしれなかった、あれが、真実、自分であったなら。カルデアで観測をしていた、この、シェイクスピア≠セったなら。まだ真面に顔を合わせることが出来たのかもしれない。そもそも、先程召喚された燕青だって燕青≠ナはあるがあの、新宿で敵対していたものと同一かと言えば違うのだ。鋳型は同じでも、過程が違う。なのに、シェイクスピアは飲み込めないでいる。
「シェイクスピア」
少し時間を置いてマスターはシェイクスピアを訊ねてきた。当たり前だが燕青は一緒ではない。
 大丈夫かと訊ねるマスターにシェイクスピアは大丈夫でしょう、と他人事のように言った。
「仲の悪いサーヴァントなどこのカルデア内にもごまんといるでしょう! 元は人間! 恨みつらみの関係も殺し殺されも神代から今に至るまで飽きることなくその傲慢な遣り取りは行われている! それでも、此処で取り返しのつかない、大変なことが起こったことはありません。まあ、人理が焼却されるなんていう稀に見る大事件の前ではすべて些細なことに収束するのかもしれませんが! …此処は広い場所です。幸いマスターは既に私どものことを把握しておられると来た! ならば、困ることなど、そうそう起こらないでしょうな!」
それでこそ物語でもなければ!
 最後の言葉は付け加えることはなかったけれども、結局終わってみれば、すべてが物語のようにゆるやかに転がり出していたのかもしれない。

 聞かれたからと言って、素直に新宿のことをすべて話すようなマスターであるとは思っていない。では、これは一体何なのか。シェイクスピアは朝食の席でまるで最初から決められていたことのように自分の隣に腰を下ろした燕青に困惑していた。あまりに稚拙な遣り取りを晒したからだろうか。しかし普通であればあのような行動を見て、まさか興味を抱くなんてことはないのではないだろうか。百歩譲って喧嘩を売っていると捉えられることはあっても、こんな満面の笑みで接せられることはないのでは?
「なあ、」
「はいっ!?」
「アンタ、なんてーの? 俺は燕青」
「………マスターに聞いたのでは?」
というか、マスターが呼んだのをこの男は聞いていたはずだ。
「うん、聞いたけど。やっぱ名前って本人から聞くモンだろ?」
 特に、これからよろしくやっていきたい奴の名前は。
 その言葉が事実上のゴングで、本に例えるなら第一章の始まりだった。

 これまでをプロローグとしたところで、第一章がどんなものだったかというとまあ普通だった。暇を見つけてはシェイクスピアの前に現れるが、別に延々と喋っている訳でもなかったし、あれこれ聞いてくる訳でもなかった。観察しているのだろうことは分かったが、それでも日常差し支えのない程度であり変わった趣味だと思うくらいだった。そのうちにシェイクスピアが燕青に最初のような過剰反応をしなくなると、第二章が始まった。燕青は少しずつ、ぽつりぽつりと自分のことを話すようになった。そして決まってアンタはどう思う? と言うのでシェイクスピアは好き勝手見解を述べる。
「へえ、アンタの書く物語を俺も読んでみたいなあ」
そう呟く彼は人畜無害にさえ見えた。
 見えただけだったけれども。
 第三章は起伏の章だった。いつものようにシェイクスピアの元にやって来た燕青は、すっと表情を消したかと思うと唐突に手を上げた。それが唐突すぎたこととそれなりに威力があったことでシェイクスピアは床に転がる羽目になった。
 一歩、一歩。
 近付いてくる彼を見上げながら、あ、と思う。あの時のシェイクスピア≠焉A同じ気持ちだったのだろうか、と。
 そんな思考は一瞬で追いやって、宝具を展開して逃げた。被虐趣味がある訳ではないのだ。シェイクスピアとて痛いことは普通に嫌いだ。
 第四章はその続きで逃亡生活のようなものだった。マスターから苦言が呈されたようで後半には猛追は止んだが、前半は本当に非道いものだった。何処へ行っても先回りされているようなもので、一人になったら何をされるかと思ってしまい同室のアンデルセンと離れることが出来なかったくらいだ。迷惑をかけたとは思うがシェイクスピアの状況をネタにしていることも知っているので半々だろう。
「物語であればそろそろ絆される頃なんじゃないか?」
にやにやと笑う幼い姿の男に、私、主人公ではありませんので…と返すのが精一杯だった。
 そして、第五章。
 結局いろいろあって逃げることが出来ずに倉庫なんかに連れ込まれている。シェイクスピアの方が背が高いこともあり、形としては見上げられているはずなのに、どうしても逆な気がしてしまう。見下されているというか、見下されていると言うか。何にせよ落ち着かない。
 そんなシェイクスピアの焦燥もお構いなしに、なあ、と燕青は静かに言葉を絞り出した。
「アンタって、泣き落としたら絆されてくれる?」
「無理でしょうな」
「じゃあ、俺はどうしたら良いんだろう」
どうもこうも付き纏うのをやめたら良いと思うのだが、ついでに今ギリギリとすごい力でシェイクスピアの腕を握っている手も離せば良いと思うのだが、きっとその言葉は通じないのだろう。作家ともあろうものが、その功績でサーヴァントにまで召し上げられたものが! 言葉の可能性を放棄してしまうほどにこの状況はシェイクスピアにとって異常極まりないものだった。
「なあ、アンタは知らないと思うけど。アンタ、言う前に逃げちゃうから。…俺、」
利き手でないのはせめてもの配慮なのか、その配慮が出来るのならばもっと前の段階でして欲しい。
「アンタに非道いことをしたい」
「私は嫌ですなあ!」
 即答した。だろうと思っていたし、これ以外に言うべき言葉もない。
「うん、知ってる。分かってる」
分かっているのならばこの手を離して欲しいものだが、それを言うより先にまた口が開かれ、シェイクスピアの言葉は遮られる。
「俺は、アンタと一緒にいるのに、どうしたら良いんだろう」
「………普通に、非道いことをしなければ良いのでは?」
「でも、そしたら俺はアンタの嫌そうな顔をもう見れないってことだろ。それはなんか違うんだよなあ」
俺はアンタの嫌そうな顔を見たいんだ、だから非道いことをしたい。
 熱い、と思う。
 言葉の内容は兎も角、一つひとつが。まるで、これは―――
「俺、アンタのことが好きなんだ」
告白だ。
「どうしようもなく好きなんだよ」
 重ねられる言葉は真実のように透き通っていた。なくなっていた表情が戻ってくる、頬に色味がさす。
「好きだから、非道いことがしたいんだ」
初めて気付いたとでも言うように、繰り返される言葉。
「ねえ、俺って可笑しいかな?」
 つう、と涙が一筋、流れ落ちて、
「泣くほどのことですか!?」
思わず叫んだ。
「あれ。…あー…、うん、泣くほどのことだったらしいなあ」
先程泣き落としがどうのと言っていた口で何を言う!
 そうは思ったものの、あまりに静かに涙を落とすので、結局それ以上言葉を連ねることは出来なかった。
 絆された訳じゃない。決してそんなことある訳がない。死んでも―――もう死んでいるので、まあ、座が爆発してなくなったとしても―――ない。けれども結局、物語として結ぶのであればそういうことになるのかもしれない、と思った。物語など所詮神の視点を持つ第三者―――作家が勝手に外から眺めては書き上げるものなのだから。そこでキャラクターが何を思っていようと、その感情の上に文字を書き散らしていくものなのだから。組み込まれてしまったのなら仕方がない、それこそ舞台に出てしまえば台詞を言って歌って踊る、それしかないように。
 意を決して口を開く。
 ああ、本当に!

 なんて庸劣な幕引きだろう!



わたしあのひとが好き わたしあのひとが好きなの どうしようもないくらいに どうにもならなくって 泣きたくなるよ【strawberry shortcakes/魚喃キリコ】



20180509