いきをすって、そして、はいて 恵比寿と夜ト神 「ハンバーグ、美味かったか?」 オリーブ軒のカウンター席で涙を見せたその武神は、帰り道にそう問うた。 オリーブ軒の煮込みハンバーグは今まで食べたどれよりも美味しくて、それこそほっぺたが落ちそうだったので笑顔ではい、と答えた。こんなものが存在するこの世界がまたいっとう好きになって、ひと目見て思ったみんなを幸せにしたいという願いは、更に強くなった。 「僕はみんなを幸せに、出来るでしょうか」 自分の手を包んでいる武神を見上げて問う。 しあわせ、とその武神は呟いた。色のないただの鸚鵡返し。 「そんな神様になりたいんです」 じっとこちらを見下ろしてくる瞳は驚愕のような、寂しさのような、羨望のような。入り混じった色をしていて判別に難く、見つめ返すにもざわりと肌が粟立つようなそんな気さえした。 「…そうだな」 ふい、と逸らされた視線が何処を見ていたのか、背の低い恵比寿には知り得ない。 「まず、自分が幸せになれたら…良いんじゃないか」 絞り出すようなその言葉が、なんとなく彼の積み重ねた経験から生まれた生まれたような気がして、こんなに強い武神でもそういうことがあるのだと分かったような気がして、繋がれた手をぎゅっと握った。 「僕が、しあわせに?」 「そうだ」 「みんな、ではなくて?」 「いや、みんなだ」 その視線は返ってこない。 「みんな、の中にまず自分を入れてやれ」 みんな、の中に、自分、を。 「はいっ」 夜に照らされ始めたその町で、その声は元気に聞こえただろうか。 * 20140225 すべてのまんなかで 恵比寿と巌弥 巌弥の膝は心地好くて、ついつい其処で長く話を聞いてしまう。その日も恵比寿は、過去の恵比寿のことを聞いていた。神は口伝で創られる、そう言ったのは巌弥だった。今は天に追われている身ではあるが、彼は間違いなく今までの恵比寿に誰よりも近く寄り添ってきたのだ。彼の話以上に実のあるものなんてないだろう。 最初は渋るように唇を閉ざしていた巌弥も、あの約束をしてからは少しずつ、話してくれるようになった。彼らがどんな志を持っていたのか、そういうことはぼかされてしまったけれども、天に討たれたともなれば、今の恵比寿が同じ道を辿らぬように配慮するのも仕方ないのかもしれない。 「前の僕のように今の僕が死んでしまっても、また今の僕と同じように、恵比寿という存在は生まれるのですよね」 父という存在がいたら、こんな感じなのだろうか。見た目のことを言えば巌弥は年老いていて、今の恵比寿と並べたら祖父と孫なのだろうけれども。 「それは、何も変わらないのでは、と思っていたんです」 脈々と続いていくその生命は、人々の願いによって終わらないようになっているのだろうと。そうであるならば神の死というものは、再生を前提としたただの作業なのではないかと。そう、思っていた。 思っていたけれど。 「…でも、夜トさんを見ていたら、そういうことではないのだと思いました。巌弥ともあの約束をして、きっと違うのだと思いました」 今≠フ恵比寿だけを見つめて言葉を絞り出した二人の心を、恐らくは先代のために一度は砕け散ってしまった心のことを、なかったことにはしたくないと、強く願った。 「…巌弥も、前の僕がいなくなったこと、悲しいですか?」 見上げる。 少しばかりその瞳は何かを映したようで、次の瞬間にはくしゃりと歪んで巌弥は俯いた。 「…はい」 「そう、ですか」 若、と震えたその声に寄り添うように耳を澄ます。 「貴方が生まれて来てくださって、私は本当に嬉しいのです」 「はい」 「それでも、やはり、私は、私の目の前で幾人もの恵比寿様がお隠れになったことを、悲しく思うのです」 この元道標はずっと、その気持ちを押し殺して来たのかもしれない。皺の刻まれた手を出来る限り優しく撫ぜながら、恵比寿はそんなことを思った。 「巌弥」 小指を立てて差し出す。 「指きりげんまん、しましょう」 まだ小さな恵比寿には出来ることは限られている。今すぐに、巌弥の悲しみを癒やすことは出来ない。けれども、その足がかりならば。 いつかきっと、とそう希望が持てるなら。 それは、幸せの一端にはならないだろうか。そのうちに全体像が見えてくるであろう、尻尾ではないだろうか。 それを捕まえたら。 「…はい」 巌弥が同じように指を差し出す。その表情は晴れているとは言えなかったが、先ほどよりも優しい光が灯っていた。それで良い、と思う。今は、今は、それで。 「ゆーびきーりげーんまーん…」 制裁などきっとないけれど。この唄に誓うことがきっと、今出来る最善だ。 * 20140225 むかえにいくよ 恵比寿と毘沙門天 「僕は、強く、なれるでしょうか」 そんな問いがぽろりと口からこぼれ落ちたのは、お茶の席でのことだった。何かと世話を焼いてれる毘沙門天は暇があれば恵比寿と神器を遊ばせてくれるし、悪戯や荒さがしさえしなければ、彼女の屋敷にも好きに出入りして良いと言ってくれる。 「強くなりたいのか?」 「はい」 ことり、と紅茶のカップを置いて問うた毘沙門天に、恵比寿は真っ直ぐな瞳で返す。 「夜トさんに聞きました、前の僕は黄泉で彼と戦ったのだと」 その言葉に少し、空気が硬くなったような気がした。先代の恵比寿が死ぬ間際のことともあって、恵比寿の周りの人間はこの辺りの話題を殊の外嫌う。しかしながら恵比寿にとって、その時のことが一番に気になるのだ。 硬化した空気のことなど気にせずに続ける。 「その時の僕のことを、夜トさんは褒めてくださいました」 褒めて、くれたという分類で良いのだろう。あれにはもっといろいろな意味も込められていただろうが、今はそこにまで推察が及ばない恵比寿には、それを他人に話すというのはなんだか気が引けた。 「夜トさんは、前の僕には違った強さがあったと言いました。けれども、どうにもその強さは、僕には悲しいもののような気がするのです」 夜ト神の目にも、巌弥の目にも、同じように悲しい光が宿っていて、けれども同じ顔をした目の前の恵比寿にぶつけることも出来ないようで。それが恐らくは先代の恵比寿によってもたらされたものであろうと、想像に難くない訳で。 「恐らく、持っていて悪い強さではありません。けれども悲しさが付随するような、そんな気がするのです。ですから、ですから僕は、違った強さも持った神様になりたいと、そう思いました」 見上げた先の毘沙門天は思った通りに難しい顔をしていた。 「僕の考えは甘いでしょうか?」 「いいや」 ぽふり、とその手が頭に置かれ、優しく撫ぜられる。 「良い考えだと思う」 やはりと言うべきかその視線にも何かしら含まれているようだった。今は問うても教えてはもらえないだろう、そう思っていた。 いつか、大人になった時にでも聞いてみよう。その時はどんな言葉が返って来ても、ちゃんと受け止められるように強くなろう。 みんなの、しあわせのために。しあわせを、まもれるように。 「ありがとうございます、痴女さん!」 その瞬間、ばきん、と毘沙門天の持つカップの取っ手が砕け散ったのは何故なのだろう。 * 20140225 20180509 編集 |