僕たちは不幸を知らない 

だってそれは排除されるべき分岐路(ルート)なのだから。


 ねえ、と意外と強い力で襟首を掴まれた時、正直なところもう終わった≠ニ思った。
「そんなところで何してるの」
それはこっちの台詞だ。
 此処は裏路地である。社会の逸(はぐ)れものが集まるような場所だ。そんな場所にどうして君がいるのか。塵芥箱の向こう側からいつ破落戸(ゴロツキ)に目を付けられるか分かったもんじゃないと、はらはら見つめていたのが裏目に出てしまったらしい。
「屹度君は僕がどうして此処にいるのか知りたいんだろうけど、そんなの答えるまでもないよね?」
名探偵が何処かに赴く時、それは。
「………事件であるか?」
疑問符がついたのはこの六年で培った対人関係の築き方の初歩だった。分かっていることでも問うてやる。それを名探偵であるべき君にやるのは些か可笑しな気分だったが、君とて人間だ。この様式を悪く思うことはあるまい。
 と、思っていたのだがどうやらお気に召さなかったらしい。むんずと掴まれたままの襟首を引っ張りあげられ、次に来るのが何か分かって咄嗟に耳を塞いだ。
「なにそれ!!」
文字列では伝わらないだろうがとんでもない大音量である。人の耳元で叫ぶことはしてはいけないと、恐らくこの名探偵にはそんな常識は備わっていないのであろうが―――取り敢えず痛い。
 こちらが耳を塞ぐことなど想定内だったのか、それだからこそ叫んだのか、真意は分かりかねるがやっと襟首は離された。離されたがそのまま重力に従ってこの身体は地面へと放り出され、ずべしゃ、という音を立てる。後ろで塵芥箱を漁っていたカールにもその音は聞こえたらしく、キィ、という鳴き声がした。大丈夫かと問うているのではないようだ。
「君、忘れてるの? そんなに莫迦だったの?」
軽い足音でカールが寄ってくる。てしてし、とその小さな前足が君の言葉を肯定するかのように叩いてくる。痛て、と声を上げてもお構いなしだ。いつもの風景。
 こんな裏路地で。敵地(アウェイ)で、君はすぐさま君の空間を造り出す。
 そこに、人を引きずり込もうとする。
 手が伸ばされた。ぱんぱん、と塵屑を払ったらしい。そして前髪を整えるように撫で付けてから(恐らくこれは誰かに教わったのだろう)(幼子がするような大人を真似る動作に近かった)、君は手を差し伸べる。
「君は、僕が後にも先にもヒヤリとさせられた、唯一の探偵なんだよ」
ほら行こう、といろんなものが囁き出す。立て、走れ、お前にはそんなところは不似合いだ。そのすべては幻想だろうに、君が言うだけで。
「もっと君はそれに誇りを持って!」
 小さな手を取ると引き上げられた。
「扨(さて)」
君は笑う。
「探偵に助手をやってもらう名探偵ってのもなかなか贅沢だね!」
「我輩が助手になるのは決定事項なのであるか…」
「何? よく聞こえないけど文句? 文句あるの?」
「ないのである…」
カールおいで、というとどうしてか彼は君の肩の方に乗った。なにこれ変な生き物! と君はきゃらきゃらと笑う。
 路地裏の塵芥箱の裏から。
 また、世界がはじまる。

***

えぶりでいはっぴい 

 君今日が誕生日らしいね、と名探偵が言うのを探偵であるエドガー・アラン・ポオは知っている。予見していると言っても過言ではないほどそれは緻密に計算し導き出された未来である。最早月も空を彩り時計は十二時の少し手前であり、今から何をしようというのも遅いのではないかと、それこと一般人ならそう思うような時間である。しかしながら探偵を名乗る生き物たちにはそれは十分、いや十二分な時間である。何故なら相手の言葉など互いに予測し合っているも同然なので。
 名探偵が何処にいるのか探偵は知っている。例え本拠地を移そうとも探偵が縋り付くような執念で探し当て声を押し殺して誘いをかけることを知っているからである。考えた結果名探偵は探偵を手中にすることにしたのであった。幾重にも組まれた推理から成る現状はそれなりに双方に利をもたらすものである。閑話休題、そういう訳で探偵はいつでも好きな時に名探偵に会えるのである。
 何か望むものはあるの、とそれはひどく棒読みの台詞だった。何故なら彼は名探偵であるので最初からその答えを知っているのだ。彼は探偵の利き手の爪の隙間の汚れ具合や袖の釦の擦れ具合などから探偵がこの数日何をしていたのかを推理する。推理するまでもなく名探偵は目の端に映しただけでそれらを察する。探偵などには及びもつかない脳の回転、それに憧れる訳ではないけれど。名探偵の目が鞄に向けられる。其処に入れてある原稿に探偵は思いを馳せる。
「我輩の物語を読んでほしいのである」
 言葉は綺麗に重なった。探偵の言葉遣いも呼吸もすべて把握してしまった名探偵が、心を浮かせる探偵の声に、冷や水を掛けるが如き声で被せたのだ。その事実にも探偵は浮き足立ち鞄を抱き締める。そうしてその一連の動作を見てから名探偵はようやっと笑みを見せて、それからため息を吐く。
「君がそう言うのは知っていたけどねえ、」
少しだけ大人びた表情で名探偵である江戸川乱歩は言う。
 「それ、いつものことじゃないか」

***

うさぎの皮を被るおこがましい女め 

 人間観察は嫌いじゃない。だから彼の傍には時折女性が寄ってくることを知っている。それは母性本能だったりそういったものを刺激されている様子で、どうにも彼を子供としてしか見ていないようだった。それはそれでどうなのかとも思うけれど、例えそうだとしても異性が彼に近寄るというのがとてもとても落ち着かないのだった。彼は恋愛の対象がどちらの性別であるのか等そういう話をしたことはなかったが、こちらも探偵なので推理くらい出来る。これはある意味奇跡のようなものなのだ。恐らく次はないし、もしも別れるなんてことがあったら―――とそこまで思って首を振る。そんなことないように生きるのだ。彼に捨てられたら屹度何も出来なくなってしまうだろう。
「乱歩くん!」
話しかけてくる女を振り切って、彼の元へと駆け出した。
 人間観察は前提のようなものだ、勝手にされてしまう。そう思っていなくても、出来てしまうのだから仕方ない。だから彼の傍には時折女性が寄ってくることを知っている。控えめに言っても金を持っているようには見えないだろうが、あのしどろもどろになる様や赤面するところがうぶに見えて楽しいらしく、そういった自分に自信があると見せかけた女によくたかられている。お兄さん、一晩どお? 手取り足取り教えてあげるからさ。なんて。彼が今更女に何かを教わらないといけないほどの知識の
持ち主だったら屹度眼の前にやって来たりはしなかっただろう、と思う。それは別として、彼の傍に異性がいるという事実が気に食わないのだった。彼は押しに弱いところがあるけれど、浮気の心配をしている訳ではない。香水の匂いを付けられても、今更それを気にするような繊細な性格でもない。
「遅い」
呼びながら女を振り切って駆けてくる彼はまるで躾のなされた犬のようだ。隣にいた女に連れが来たから、と立ち上がる。
 人目も憚らず抱き締められて、抱き締め返したその互いの目が、互いの背後にいた女を見据えていることを屹度、互いに言うことはない。何故なら名探偵と探偵なのだから、言う必要がないのだから。



OTOGIUNION
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***

悲しくないのそんな評価で 

 彼が来る自分のところへやって来る度に江戸川乱歩は暇なのだろうか、と思う。思うけれどもこの、ある意味平和な世界で(一般人が難しいことをふっかけて来ないという意味である)名探偵の出番は正直あまりないし、今は探偵社員としてあの男の対策を練り、殺し合いの相手としてお膳立てされてしまったポートマフィアのことを考えなくてはいけない。面白くない。暇ではないけど暇というやつである。その中で娯楽を求めるのはおかしなことではない。
「どうして?」
だから乱歩は問うた。
 何故彼が断ったのか、推理することは簡単だった。だから本当のところこの質問は意味がないと言うことになる。けれどもこういった盤面において駆け引きというのが自白を引きずり出すのに適しているのだと、既に名探偵は知っている。
「君の小説は素晴らしいと思うよ」
「そんなこと思っていないくせに」
その通りだった。仮にも探偵を名乗るだけある、口先だけの言葉はそのままに見抜かれるらしい。けれども人間というのは口先だけの言葉にも乗ってやるものではないのだろうか。乱歩自身は自分以外の探偵社の人間が正しく江戸川乱歩というのを尊敬して、そう言っていることを知っているから参考にならないだろうが、世辞愛嬌というものが世の中には存在する。そしてうまく生きていくためには―――例えばこの探偵社の社長に会わない分岐路(ルート)において―――そういったものを上手に咀嚼しなければならないと分かっている。とは言え、今も昔もそんなもの必要ないと思うし、そんなことをしている暇があったら真相へと切り込んで行きたいのが本音ではあるが。
「思っていない、ねえ」
「そうであろう?」
乱歩君、とこちらを呼ぶ声は震えており、本当はそう思っていて欲しいというのが見え見えである。隠しているつもりがあるのか、と聞いてみたい程度には。
 この手の駆け引きの重ねは正直なところ面倒だった。面倒だったが彼の異能力を借りることが探偵社の勝利のためには不可欠で、乱歩の能力から考えれば彼からそれを借りることはそう難しいことではなかった。ただ、どうしてだろう、とその疑問がつきまとうだけで。理解していても納得には遠く及ばない、好きだとか嫌いだとか怖いとか怖くないだとか。名探偵が優れているのは本当で現実なのだからただ普通にすごいと褒めてくれたら良いのに。
 だから、唇を舐める。
「ねえ、君、これは勝負だよ」
乱歩は笑う。笑ってからああ、と思う。理解した。納得など、死んでもしてはやらないけれど。
 彼は分かりやすくその言葉に笑みを浮かべる。
 きっとこれはとある分岐の末なのだと、そんなことを思っているうちに当初の要求は通った。名探偵の仕事はこれからである。

***

かみさまのサラダ 

 僕たち、一緒に住もうか、なんて言ってみたら目の前でもそもそと何か野菜をかじっていた男―――勿論不法侵入などでなくれっきとした乱歩の客、というか恋人であるエドガー―――はぽとり、とフォークを落とした。普段椅子に座らせれば作法も何もかも完璧な男ではあるが、流石に乱歩の家で朝を迎えるとなると気が抜けるらしい。こんな間の抜けた一面を見ているのはきっと乱歩と彼のアライグマだけだろうな、と思う。極度に人間関係を築くのが下手な彼は、乱歩よりもずっと強固な常識人≠フ鎧を纏って生活していたようであるので、その辺りの擬態が乱歩よりもずっと上手い………ように、乱歩は大概の場合、感じる。その他価値観、特に金銭感覚に関してはよく分からない、というのが実情だった。そもそも乱歩は自分の資産を殆ど福沢に管理を丸投げしているのだし。
 さて、その話は置いておいて。
 一緒に住もうか、と言ったのは別に冗談でも何でもなかった。もそもそと野菜をかじる恋人を見て、あ、そうだ、と前々から思っていたことを言おうと思い立ったというだけだ。エドガーだっていつか言われるだろうと推理が出来ていたはずなのに。まあ、この寝起きに言われるなんてことは思ってもいなかっただろうが。
「ええと…それは乱歩くんが我輩の屋敷に越して来る、ということで良いのであるか」
「探偵社から遠くなるから却下」
「ではつまり、我輩にこの部屋に越して来いと?」
「まあそうなるよね」
「探偵社の寮ではないか!」
「正しくは寮じゃないよ。扱いとしては大家さんみたいなもので」
「でも寮ではないか!!」
「うん、まあ別にそれでも良いや、そうなんだけど。嫌?」
「嫌ではないが………」
 ぐるり、とエドガーが部屋を見渡す。次に何を言うのか、乱歩には推理が当然出来ているけれど。
「狭い」
改めて聞くと、本当にそれを言うのか、という気分には勿論なる訳で。
「………君の感覚に合わせていたら山を買うことになりそうなんだけど」
「あ、それならもう山を一つこの国でも持っていて」
「は?」
「あ、乱歩くんも興味があるのであるか? 一度来てみたら良いのである。涼しいところでな、行くのに不便だったので町おこしに少し協力して交通の便を良くして…」
「何言ってるのか分からないんだけど」
「分かっているくせに何を言うのであるか」
「いや分かるけど分かんないんだって…」
あ、この会話してたら遅刻するな―――そう気付いた乱歩はとりあえずサラダのミニトマトを一つ取り上げて、丁寧にヘタを取ってからエドガーの口へと詰め込んだ。
「考えておいてね!」
じゃあ僕は出社するから! と言って飛び出して来た部屋の中から、不明瞭ないってらっしゃいが聞こえて、ただただずっとこんな生活がしたいなあ、とだけ思った。



造物主同じ失敗して生まれ香菜サラダを隔てるぼくら / 森まとり

***

横浜は壊滅しました 

 世界の終わりを本当にこの目に出来るなんて一体全体誰が思ったことだろう、とエドガーは疾走る。今はただこの頭脳も役立たずになって、脚に命令を下すしか出来ない。急ぐこと、それだけが今の命題だった、それだけで良かった。
―――嗚呼、世界が終わる前に!
この口から告白なんてものを繰り出さなければいけないのは懺悔よりもずっと難しいことだった。



文字書きワードパレット
12 急ぐ/終わり/告白

***

猫たちのワルツ 

 がぶり、とその指に噛みつかれていったァ! と悲鳴を上げたエドガーは何も間違ってはいないと思う。今悲鳴を上げないでいつ上げるのだ、そんなことすら思う。
「な、何なのであるか…乱歩くん…。何か気に食わないことでも…あ、いや、もしかして虫歯であるか!? だからあれほど社長殿に歯磨きを念押しされていたのであるか!?」
「違うよ!?」
あと歯磨きはちゃんとしてるよ! と怒られる。
「そうじゃないなら何故我輩は噛まれたのであるか…」
「一応左手にしたんだけど」
「左だって紙を抑えるのに必要なのだが」
「………そうだったね」
「乱歩くん」
「ごめん」
「別に良いのであるが」
何が理由なのか教えてくれはしないか、というのは名探偵であるエドガーの台詞ではなかった。けれども当人に聞いた方が良いこともある、と思っている。
 だからエドガーは乱歩に問うた。一体、何の心算なのかと。そんなことは自分の頭で考えたら分かることなのに。
「僕は、」
乱歩がやっと、質問に答え始める。
「いつか愛なんてものが原因で君を傷付けるんじゃないかと恐ろしいんだよ」
「今更である」
既に分かっていたそれに、エドガーは間髪入れずに応えることが出来た。
「だって我輩は、君に敗けてとても傷付いたのだから」
「そうなの?」
「そうであるよ」
 ここのところは未だ認識に齟齬がある、とは思いながらも別段すり合わせなければいけないものでもないので放っておいている。
「だから、今更であるよ、乱歩くん」
大事なのは今、乱歩がエドガーを見ていることなのだから。
「それが愛というものが原因なのであれば、」
 くすぐったい言葉だ、と思う。こんなにもくすぐったいもので、人類は発展してきたのか。
「それはそれだけ我輩たちが変わったと、そういう話というだけであろう」
それをこらえながらそう言ったら、顔が真っ赤だよ、と言われた。



凶暴になったりしないの?こんなにも私はあなたに噛み付きたいのに / 栞

***

君の運命は僕の手の中に 

 難しい話をするね、という台詞はとてつもなく名探偵には不似合いなものであったことだろう! しかし乱歩はそれ以外に言う言葉を見つけることは出来なかったし、つまり今の一番の最適ルートはこれであるのだ、何処かのマフィアの首領と思考回路が被ってしまったようでそれだけはとてもとてもきに食わないのだけれど。
「エドガー」
君が決めなよ、と殆どの零距離で呟いて。
 彼が自分の名を呼ぶまでを待っている。



きみの名をつぶやいてみる名のきみよ喉に舌に歯に唇に住め /イソカツミ

***

ミルクココアにダイブ 

 甘い生活を夢見ていたのかと言われるとそうではない、とは言える。言えてしまう。けれどもどうやったってこの恋からは逃れられなくて、恐らくエドガーはそれを心地好く思っていて。
「乱歩くん」
自分の声の、言葉の、綴る文字のその甘さに笑ってみせたら、マシュマロを浮かべたら良いよ、と少し照れたような様子で言われた。



白紙に恋 @fwrBOT

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君のほかにはだれもいない 

 ああいうのは何もかも解明出来ないのに何もかも解明したいと願う人間がやるものだよ、とあまりにも幼い口調で言われたそれが毅然と聴こえてしまってああ、そうだな、と思う。思うけれどもやはり、星を眺めて行った場所が美しかったのは事実なので。世界の秘め事を伝えるように耳打ちする。いつか―――いつか。謎が来るのを待っていないで、謎の方を迎えに行こうと、そんなことを。



星占いが最悪を告げる朝、カビの匂いのする古いアパートで塩湖に行きたいと言ったことについての話をしてください。
#さみしいなにかをかく
https://shindanmaker.com/595943

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20151028
20170306
20180509
20190921