天に向かって手を伸ばすような、 

 あれは少し恐ろしいのであるよ、と素直に告白したというのに返ってきたのは何だそんなこと、というようなものだった。軽い。恐怖というのはその人間の根源であって本質であって、だから人はそれを他者に話すことを厭うのだろう。それを、彼は理解しているはずだったけれど。
「だって、少しなんでしょう」
彼は幼子のように首を傾げる。
「君の世界で一番怖いものは僕、でしょう」
 だから僕のことが好きなんだもんね? と笑ってみせる恋人に、否定の言葉を吐ける日を待っている。

***

来週はきっと晴れるよ 

 まるでカーテンみたいである、と見たままを言ったら君の喉はかみさまが囀るように作ってしまったのかもね、と返された。彼なりの賛辞の言葉だと分かっているのでそうであるか? と首を傾げるだけに留めたが。
「たからものをね、」
「うん」
「探しに行きたかったんだ」
君と、と膝を抱える彼を、天気が悪いから今日はやめておこう、と説得したのは自分だった。ぽつり、ぽつりと雨ではない音がする。鼓膜の底にこびりついている。これが夢なのか、それとも推理なのかも分からずに、今、彼の着ている服がきちんと綺麗なままであることを嬉しく思っているのを、伝えられずにいるのだ。



雨の日、少しずつ周囲が暗くなりだした時間、深く暗い坑道の奥できみの服についていた皺についての話をしてください。
#さみしいなにかをかく
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***

革命にもなれず 

 何処だって良いから本当は連れ出したくて、例えば母国だとか。でもきっと彼はこの街から離れたがらないから。言葉は不必要と、そんなことを喜ぶのは社会に溶け込むことを目標としていたはずのいつかの自分に叱られるだろうか、呆れられるだろうか。
「君が世界を敵に回しても」
屹度こんな台詞は陳腐でしかなくて、でも今こそ言うべきだと思ったから。
「我輩は君の味方であるよ」
 愛しい人。
 誰もいなくなった場所で思いっきりその名前を呼ぶ必要はない。だってこの指は、同じ謎を辿っているのだから、その導くままに走れば良いだけなのだ。

***

白磁のダンス 

 俯いている花の横顔が君を呼んでいるみたいで、とその声は言い訳がましく聞こえた。エドガーのこの痩身に頭を突き刺すような抱擁の理由が、それであることは別に真実であるから仕方ないのだけれど、それにしたって嘘の吐けない関係というのを惨たらしく思うようになるなんて思ってもいなかった。
「そうであるか?」
「君の方がこういうの得意でしょう」
「我輩は詩情の方はどうであろうか…」
「書いたことないの」
「あるにはあるが」
「なら良いじゃん」
何が良いのかはさっぱりだったが、エドガーはそれでも納得したらしい。
「…君って、」
「ん?」
「本当に僕のこと好きだよね」
 知ってたけどね、と言っても尚、この両手を離したくはないのだから。
***

はなうたと午後 

 楽譜って暗号みたいだ、と滑らかな声がしたのでそうだね、とだけ返す。ゆるやかな木漏れ日がいやに視界を照らして、眼鏡をするのも勿体ないような気がして。
「次は音楽家の話でも書くの?」
「すべてがネタな訳ではないよ」
ふうん、と打ち切った会話の中で再び目を閉じてしまうのは少し、違うような気がして手を伸ばした。

***

たとえばインクが染みるように、 

 ゆらり、と揺らめく灯りがまるで現と灼き切ろうとしているかのようだった。自分たちのいるところはただの(テクスチャ)一枚であって何の保証もされていないのだと突き付けられたようで。
「くは、」
思わず笑ってしまったら思考を推理されて、君って被虐趣味でもあるの、と難しい顔をされた。
「ないのであるよ」
「良かった。安心した」
流石に君を虐めたい訳じゃあないからね―――と他人事のように言う彼に、その言葉の嘘のなさに、なるほどすべて天然だったのだな、と思うことで夢を打ち消す。
「まだ灯りは必要?」
「いいや?」
 ふっと深まった闇の中で、ひどく現実が濃厚に漂っていた。

***

きらきらひかる君のそくせき 

 たからものみたいである、と言ったらその目が瞠られた。
「何か可笑しなことでも言ったであるか」
「いや、そうじゃないけどね」
たからもの、なんて思ったことなかったから、と口元をおさえる彼がどんな顔をしているのか、見たいような見てしまうのが勿体ないような、そんな心持ちが半々で、どうして良いのか分からなくなった。

***

君が飽和している 

 まるで婚前の挨拶のようだな、とエドガーは思う。まあ乱歩のあの、常日頃からの自由な態度を見ていれば確かに保護者ないし監督者というのがいることは容易に想像が出来たし、それが探偵社の社長であることは推理するまでもないことではあったのだが。
「…うちの、乱歩は」
「アッ、ハイ」
うちの乱歩ときてしまった。大方大事な子供が誑かされているのではないかと疑っているのだろう、と思っていたが何か違う。
「迷惑をかけていないだろうか」
「エッ、あの、いえ、その」
「貴殿が組合の一員であったことは私はあまり長考するようなものではないと思っているのだが、その…乱歩は、いや、半分、もしかしたらそれ以上に私の所為であろうが、自由で、しかし…あの才能であるからして、自由にしていて欲しいと思う部分もあり…」
「―――」
 何となく、分かった。
「…あの、」
「やはり、君に何か迷惑を」
「いえ、いや…その。かけられていると言えばそうかも、しれないのではあるが、我輩も、嫌だったら嫌だと言えるのであるし、その、社長殿が気にするほど…乱歩くんに対して、我輩は遠慮をしていないのである」
「…そうか」
「あっ、と、えっと、その、その…であるからして、お付き合いというのを、出来たら許して欲しいと、そう思うのであるが」
「ああ」
 ふわり、とその口元を笑みが彩る。
「どうか、」
頭が下げられる。
「うちの乱歩をよろしく頼む」
その美しいさまに。
 頭を上げて欲しいのである! と叫ぶまで時間を要してしまったのはまた別の話なのだ。



消すことのできない少しの優しさとして紅茶へと落とすクリーム / とかげ

***

二十四時の鐘は鳴らない(この世の何処にも魔法はない) 

 人間というのは謎を生成する生物である―――とまで言ってしまえばそれはどうなのか、とあちこちから言われてしまうことだろうが、まあこれはエドガーの脳内の出来事であるのでそういうことは起こらなかった。ただ、エドガーはそういった外の反応を考えてしまうので、脳内の出来事であって現実に起こっていないことであっても少々へこんでいるのではあったが。その反応の理由を詳らかに説明することは出来るけれど、それはそれとして、エドガーとてそういった反応に慣れきっている訳ではないのだ。抑々それを他愛ないこととして片付けることが出来ていたら、こんな島国くんだりまでは来なかっただろう。組合に入ることもなかっただろうなあ、と思うと今とはまったく違った生活をしていたのかもしれない。それこそ貧乏に貧乏を重ねたような、そんなものを。まあ、実際今エドガーはそういう道を辿っていないので想像でしかないのだけれど。…その場合もなんだかんだで資金繰りだけは順調にしていたのだろうな、とは思うが。今はその話は関係がないので置いておく。
「なんだか今日は元気がないね」
分かっているのにそんなふうに聞いてくるこの恋人は、諸々を通り越して性格が悪いのではないかと、屹度一般人であれば思ったことだろう。しかしながらエドガーは違う。
 自分がどうしてその行動を取ったのか。
 推理して、理解してくれる人間がいる。納得してくれる人間がいる。それはエドガーたちの世界において、ひどく珍しいことであるのだ。今はその珍しい人間が恋人という位置についてはいるけれど、別にこの位置でなくともこの悪戯めいた遣り取りはあっただろうな、というのは推理するまでもない。
「そう見えるのであるか?」
「うん」
君は僕に対して隠し事はしないけれど、今日はそれがとても顕著だ、と乱歩は笑う。
 乱歩は理解しているはずだ。
 出張先から帰ってくるのが少し遅くなって、その間探偵社で待っていたエドガーが探偵社の社長と少し、話をして。
 何を。
 聞いたか、なんて。
「乱歩くん」
それでも乱歩はうん、と頷く。エドガーがエドガーの言葉で乱歩に投げかけるのを待っている。
「今でも、自分を囮に、と思うことはあるのであるか?」
「そうだなあ。あの時だって別にそう思ってた訳じゃないし、まあ、若気の至りっていうか、考えなしだったっていうか。反省はあるけど…もうしない、とは言えないよ」
「正直であるな」
「名探偵が嘘を吐いたら終わりだろう?」
「そうではあるが」
まるで、これでは。
 嘘を吐いて欲しかったみたいだ。
 エドガーは乱歩が嘘を吐かないことを知っている。だからこの答えだって予想出来ていたのに。胸に蟠るものは一体何なのだろう。乱歩ならばこれとて推理してしまうのだろうか。
「その話が、どうかしたの」
「どうかした訳ではないが…」
そうだ、どうかした訳ではない。そういうことだってあっただろう、あるだろう、その程度のことが分からないほど愚鈍ではない。何ならエドガーにだって身に覚えがある。
 だから、特に言うことはなかった。同じことがあった、と楽しげに話題にすることでもないのだ。本来であれば恐らく、此処で会話は打ち切りだろう。それか、どうでも良い感傷でも吐き出すか。
 エドガーは、そのどちらもしたくはなかった。
 咳払いをせずに喉を整える術など、もう、身に染み付いている。
「我輩はもし、そんなふうに乱歩くんが決断する日が来ても、止めないのであるよ」
「うん」
「その代わり、この名探偵はきっと世界を敵に回すのであろうな」
これが感傷だと、言えてしまえたら良かったのか。ぼんやりとそんなことを思いながら口にする。別にエドガーの心は痛んでなどいないし、これからも痛む予定はないのだから。
「………君は、名探偵だよ」
 そっと、乱歩が口にした。未だ大きなトランクはそのまま。あの中にどれほどの菓子が詰まっているのだろう、と思うと微笑ましくすらあるのに。
「だから、謎を解いて世界を救うんだ」
予定調和だった。エドガーの台詞は乱歩に、乱歩の台詞はエドガーに、互いに読み合っては答え合わせのように舌に乗せられる。処刑台をのぼる罪人のように、きりきりと上がる刃の音が聞こえるように。
「乱歩くんらしくない」
それは、足掻きのような言葉だった。
「…いや、」
だからという訳ではないが、すぐに打ち消す。
「乱歩くんらしいのだろうな」
「僕らしい?」
「ああ」
頷いて。
 見つめた先に立っているのは、いつもの乱歩だ。
「だって乱歩くんは探偵社員だから」
エドガーを負かした時から何一つ変わっていない、乱歩だ。
「我輩には、それはどうしたって出来ないことであるよ」
「僕が頼んでも?」
「…それは、狡いのであるよ」
「君のことは僕が一番よく知っているからね」
乱歩の手がトランクから離れて、その衝撃で少しだけ車輪が回った。乱歩は気にもせずに距離を縮める。
「君は世界がどんなふうになったって、僕の願いを叶えてくれるだろう?」
 手が、伸びてきて。
「ねえ、エドガー」
エドガーの両手を包む。
「好きだよ」
まるでとても大事なもののように。
「だからその時が来たら、一緒に世界を救おうね」
 その声に乗った甘さにはどうしたって抗えないことをエドガーは知っているので、負け惜しみに、そういうことを言う時は小指を絡めるのではないのであるか、とだけ言っておいた。



image song「女神」ポルカドットスティングレイ

***

朝靄のためのカンタータ 

 暗号みたいである、という声にそうかな、と首を傾げるような真似はしない。朝の光はまだ少し弱くて、その光の中で寝惚けたようにそんなことを言うのを聞いている。
「音と音が手を繋いで、そうして一つの曲になるのであるよ」
「ふうん」
「不思議なものだ」
「そうだね」
 答えはするけれど、そのぼんやりと浮かび上がる世界を壊すのは申し訳ないような気がして、カーテンがはためくのと同時にベッドに飛び込んだ。

***


20221202