どうか世界がやさしいものでありますように ロマニ

 一つは、残しておこうと思うんです、と彼女は言った。
「無理だと、言われたようなものですけれど」
「…うん」
「でも、人間ってそういうものに希望を持ったりとか、するんじゃないでしょうか」
「うん」
「だから、残して置きたいんです。一個、だけで良いから」
「良いよ。それを決めるのは君だ」
「…ありがとう、ございます。このこと、マシュには」
「内緒だね。分かっているよ」
 二人だけの秘密だ、と彼女に言った僕は、大人の顔を出来ていただろうか。

***

 その日はいつもより遅く部屋に戻った。同室の少年が大体何時に寝ているかなんて知っているから、起こしてしまうかもしれないと少し心配だったが部屋の中で動く気配はない。もうそのまま寝てしまおうと自分のベッド、二段ベッドの下のランプをつけて―――
「ありゃ」
驚いた。
 いつもなら上で眠っている少年がヘクトールの場所で眠りこけていたのだから。



ライン上でワンツーステップ 天+ヘク

 とは言えヘクトールとて鬼ではない。サーヴァントと言えども疲労は溜まるし彼はそのクラスと能力故によく引っ張りだこになるのだ。それを分かっているので彼が行き倒れていても思うのはまあ仕方ないな、ということなのだった。しかし、どうしたものかね、と後頭部を掻く。少年に此処で寝ていられるとヘクトールの眠る場所がない。少年の使っている二段ベッドの上のことも考えたが、すぐに首を振った。少年は疲れているからこそ此処で眠りこけているのだろうし、だから起こすのも忍びない。
「…まあ、いっか」
この部屋にはソファだってある訳だし。眠るところに困る訳ではない。
 そう思ってランプを消して、そのままヘクトールはソファで眠りについた。

 朝だ、と思って目を開けると、少年も目を覚ましたようだった。自分のいる場所とヘクトールのいる場所を確認して、ああ、とすべてを把握したようだった。そんなに、やらかしてしまった! というような顔をすることでもないと思うのだけれど。そもそもサーヴァントなんて何処でも眠れるものなのだし。
「…すみません、占拠してしまったようで」
「なーに、気にすんなって」
「私のベッドで寝てくれても良かったのに」
「オジサンの匂いついたらヤでしょ?」
「匂いなんてないじゃないですか」
サーヴァントなんですから、と言われると確かにそうだが。
「そうだけどさ…ほら、気にならない? なんか、こう」
「気になりませんけど」
「………そう」
「兎に角、本当にすみませんでした。次、もしこういうことがあったら、私のベッドを使って大丈夫ですので」
「別に、二段ベッドの上下交換しても良いんだよ? クラス相性的に君は出ずっぱりになることあるんだし」
「…いえ、それは」
「上の方が落ち着く?」
「…ええ、まあ、そんな感じです。天井が近い方が、安心するので」
その物言いに引っかかるものを感じたが、ヘクトールはそう、と呟くだけに留めた。
 それと同時に、恐らく今後こういうことがあってもヘクトールは彼のベッドを使うことはしないのだろうなあ、と思った。

***

百年 ぐだマシュ

 恋なんてしたことがなかった。と言うといろいろ語弊がありそうだが、ここまで何もかもあたたかいものを捧げたいと思うような優しい恋は、したことがなかった。この状況が異常だからかもしれない、そもそもこんな自分が矢面に立つようなことにならなくても突然降って湧いた魔術という分野に飛び込むこと自体が今までの生活からしたら異常と言えば異常なのかもしれない。とは言ってもこのような状況をどうやったって再現するなんてことは出来ないし、そもそもこの状況でなければこんな恋をすることも、なかったのだから。
「マシュ」
優しい、優しい声が出る。自分がこのような声を出せたことが怖くて、嬉しくて、泣きそうで。
 彼女はわたしを人間と言ったけれど、わたしを人間にしたのは彼女なのだ。
 いつか、わたしがそれをしっかり、自分で認められたとき、わたしは彼女にそれを伝えたい。誰よりも、貴方がわたしのすべてなんだと、そんな、苦しいことを。



夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ / 万葉集

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木漏れ日の天使たち デル

 陽射しを求めるように、小さく丸々ようにして手をしっかりと繋いで。そんな、ああ、言葉にすればとてつもなく可愛らしいことを彼女たちがやっているのを見かけたのは、アンデルセンにとって恐らく不幸だった。彼女たちが嫌いだと言う訳でもないが、それでも此処に居合わせることになってしまったのは不幸としか言いようがなかった。
 浮かんでくる物語の数々。どれほどの傷が、彼女らに残ったのか。マッチを灯してみたところで見えるものなどないのではないのか。アンデルセンはとうにやめたはずの祈るなんて行為を、やはり今でもしてしまう。この姿は影法師、繰り返すだけ、何にもならない。それでも祈るなんてことをしてしまう。
「こうして眠っていればただの物語でしかないのにな」
そのうちに秘めたる人間らしき粗暴さや邪悪さなど表には出ないのだ、言葉や、感情が。その形を頃いていく、どうしたって、枠に収まらないものに。
「けれどもそれを枠に収めるのが、作家というものなのだろう」
ペンを取る。
 木漏れ日に、鳥は鳴いていなかった。



書架と書架のあいだにしゃがむと/誰からも行方不明になれるから//地上からとうに消えた/毛深い生きものになって/暗がりで草を食んだ//目を凝らすと/ひとりの少年が/大きな河になって胸をうねらせ/遠く滅んだ国の王妃と向きあっている
北川朱実 夏の演習

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愛しい君へ マシュ

 理由なんて多分探せばいくらでも出てくるし、そうしない理由だって同じくらい見つかるのだと思う。何よりも人間らしい彼女は時折びっくりするくらいどうでも良い我が侭を言ったりして苦笑されていた。そのどうでもよさが恐らく、この閉鎖空間に平和を齎していた。
 彼女が、一番大変なのだと、誰もが思っているはずなのに彼女は自分が一番大変なのだとは思っていないのだ。
「先輩」
だからマシュは呼ぶ。
 何よりも、彼女のことが好きだったから。
 彼女のどうでも良い我が侭を叶えてあげたくて。ああ、これが人間≠ネのだろうか、それとも、これが、魔術師ではない人間≠ネのだろうか。本当のところその辺りを区分するためのものを、持っていない、から。
 そう、ただ好きだった。なんでもない、彼女のことが。
 とても、とても好きだった。



白黒アイロニ @odai_bot01

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さよならの仕方は教えたくない ぐだマシュ

 洗脳のようなものなんだよな、と思うことがある。彼女は此処しか知らなくて、わたししか知らなくて、これは吊り橋効果、きっといつか切れるもの。ただ切れるような要素が今此処にはないだけで、なかなか来ないような気がするだけで、本当に、ただそれだけのこと。
「君は意外とロマンチストだよね」
天才は笑う。美しく笑う。
「だって、ダ・ヴィンチちゃんだってそうでしょう」
「君ほどじゃあないよ」
「わたし、服部まゆみをおすすめされて読んだことがあるんです」
「あれは創作だよ」
「でも、全部が嘘じゃない」
 嘘だったらきっと、この天才は静かにその目に涙を張らせて笑むなんてことをしなかったはずなのだから。
「愛も、恋も、」
「うん」
「等しく人間の欲望で、本当に、ただ、それだけなんだよ」
「…天才が言うと、様になりますね」
「だろう?」
 わたしたちは笑った、共に恋をするように、愛に溺れるように、笑い合って、忘れることにした。



くらやみの地にひとり立つ ぼくはあなたに見えはせぬ ましてあなたに見えようか ぼくのこころの暗さなど
【今宵は客が】ハイネ

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未来はひらけているから ぐだマシュ

 この空をいつか見せたいと思っていたのだ、生きたいと思うのと同じくらい強くに、彼女にわたしがいつか見て美しいと思ったものを見て欲しいと、そしてその感覚を共有して欲しいと。きっとそれはだいそれてはいなくともひどく傲慢なものだったのだろう。それこそゲーティアに言ったら腹を抱えて笑うレベルの。
「…マシュ」
「はい」
「わたし、今、とっても嬉しいよ」
「私もです、先輩。空が…こんなに美しいなんて、私は思ってもいなかったんです」
「………うん、わたしも」
此処だ、とわたしは息を吸う。
「マシュ」
 はい、何でしょう、と彼女はわたしを見る。向き合う。風の音が空の高く高くとても遠いところまで突き抜けていく。
「わたし、マシュが好きだよ」
「私も先輩が好きです」
「こうして一緒に勝ち残って、マシュと一緒に空を見れて…これからとても大変なことが起こると思う。でも、わたしは多分、この日を後悔することは出来ない」
「はい、私もです」
「ねえ、マシュ」
ふわり、と唇が動く。
 羽根のように。
「キス、してもいい?」
拗ねた時の子供のような声が出たにも関わらず、マシュはぱあ、と顔を明るくさせて、そしてとても美しい笑顔ではい! と頷いてくれたのだった。



(「マスター、なんか機嫌良いですね?」「まさか、とうとう一線を…!」「いや待てアルジュナ、二人が消えていた時間はそう長くはない」「小さい英雄王サマ? 純粋無垢な兄弟を馬みたいに扱うのやめてやんなさいよ」)

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嘘を嘘とも言えないひと 天+ヘク

 そんなに面白いかな、と言えば観点によるのではありませんか、と当たり前の言葉が返ってきた。
「あのねえ」
「すみません、でもそうとしか返せなかったもので」
「まあそれは分かるけど」
ヘクトールとて喧嘩を売りたい訳ではない。出来ることなら関わらず平穏に暮らしたいのだが、かの少年はそれをよしとしないらしい。よしとしないというと語弊がありそうだが、ヘクトールからしてみれば同じである。
 そんなふうに目頭に力を込めるヘクトールを横目に少年はふわりと微笑むだけだ。
「どうせこの記憶は記録されないんですよ」
「そーね」
「だから、どうせなら好きにやろうかと思いまして」
「何がどうせならなのか分からないかな〜オジさんには〜」
分かるくせに、とは返されない。
「若者ですから」
「はー…そうやって若者ぶる」
「貴方がいつも言ってることでしょう」
「そうだけどね」
「………嫌、でしょうか」
「別に」
 此処できっと嘘を吐くだけの毒気を抜いてしまう少年から、きっとヘクトールは逃げることは出来ないのだろう。



太陽はあんなに遠くかがやいてわかっているよもう戻れない / 黒木うめ

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うたかたのような マシュ

 これが一体どのような感情なのか、推測をつけることは出来ても答えを出すことは出来ていなかった。どの答えを選んでも選ばなかった方の答えを愛おしく思ってしまうような気がして。閉じて開いた世界の中で、この腕に抱えきれないほどの美しいものを得て。
「マシュ」
呼んで、手を伸ばしてくれる。
 それがどれほどの幸福なのか!
「先輩」
「大丈夫?」
「はい!」
「よし、行こう」
進む、進む、大きなものを背負っているとは思えない背中に、いつだって縋り付きたい。



ささやいてください春の光にはまだ遠いけどきっと遠いけど / 東直子

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バニラエッセンス、チョコレート、あとは少しのハニーミルク ロビン

 カルデア内には喫煙所がある。というと語弊があるのだろう、正しくは作った、だ。非常事態に陥っていくつかの部屋が自由に使えるようになった此処でサーヴァントはなかなか人間味のある生活をしているので、喫煙所の作成もそのうちの一つだった。ロビンフッドはそこの常連であり、今は広いその部屋を独り占めにしている最中だった。
「マスター」
ふと気配を感じたので扉を開ける。するとやはりそこにはマスターである少女が立っている。
「吸う?」
「マシュは煙草の香りが嫌いなようなので」
入ってきた少女は律儀に断る。別に吸いに来た訳ではないのだろう。考え事をしたかったのか、話し相手を求めに来たか。どちらでも良いけれど。
「ていうかそれ、前も聞いたしオレも分かってて聞いたけどさ、オタク、未成年じゃなかった?」
「未成年ですよ」
「じゃあ断る理由そっちの方が良いんじゃないの?」
「吸ったことあるのでなんとも…」
「うわ、それ他の奴には秘密にしといた方が良いぜ」
「わたしもそう思います」
だから内緒ですよ、と笑う少女を見て、ロビンフッドはああ、この少女は良くも悪くも普通なのだな、と何度目かも分からない気付きを改めてしたのだった。

***




20190502