毒を貴方に 

 聖杯を貴方に使おうと思います、と彼女は言った。そういえばドクターから許可が出たので、という日常会話の延長線。
「それがどういうものなのか、魔術師殿は理解しておりますか」
「多分。だから先生に言うんです」
それは溝です、と言われる。
 「他の誰がいなくなっても先生だけはわたしを逃さないで」

***

聖杯の毒 

 一体幾つの聖杯が消えたのか、数えることはしなかった。一つ足りない、と言っていたのは少し前のことで既にこの身体にはこれ以上注ぎ込めないくらいの願いが詰まっている。きらきらと光る希望の塊を咀嚼して、そうして立った身体に大した差異は見受けられないように思えたが。
「これで先生はこのカルデアの一番になりました」
マスターである少女は笑う。にっこりと。
「先生ならこの意味が分かると思いますが、責任重大ですね」
 決して自らの愛する少女には向けない、冷たい笑みだった。

***

その一つひとつが貴方の糧になるから 

 ということなので、とマスターである少女は虚空に向かって言う。
「マシュの好きにさせてあげてくださいね」
先程のドクターとの会話を聞いている者がいると分かっての言葉だった。消しているはずの気配に気付いている訳ではない。自らの選んだサーヴァントであれば、自分の行動をすべて把握しているはずだという驕傲から来る発言である。
「今までと何ら変わりはないでしょう」
姿を見せずに言葉だけを投げかければ少女はそうかもしれませんね、と笑った。
 彼女が何よりも叶えたいのは、彼女が寄り添うたった一人の少女の選択なのだった。

***

共犯者 

 魔術師殿、と声を掛ける。バレますよね、と少女は言う。その指先がどうなっているのか、大切な者に彼女は決して言わない。
「ドクターまでは誤魔化そうと思いませんから」
「承知」
カルデアに戻るまで、ちゃんとした処置が出来るまで、それまでは。
 どうか、知らないでいて。
 その願いが残酷なのか、判断はつけないまま。

***

春がいつか来るように 

 マスター、と呼ぶ。彼女はそれだけで振り返る。此処でマスターというのは彼女しかいないので、彼女以外に振り返る者などいないのだが。
「貴方も、あまり褒められたものではありませんよね」
確信だった。これでも王なのだ、小さくとも、見えるものは見えている。
 そうかもしれませんね、とマスターは呟いた。それは曖昧なように見えて断定の返事だった。



先祖から相続したものを我がものにするためには、改めて獲得せよ。利用しないものは重荷だ。その時々に作ったものでなければ、その時々の役にたたない。

ファウスト / ゲーテ

***

わたしたちは生きている 

 先輩、と呼ぶ。なあに、とやわらかい声が返って来る。それがマシュ・キリエライトの日常。呼べば必ず返事が貰える。それがどれだけ尊いことなのか、それはマシュでもマシュの先輩でも変わらないことなのだろう。
「好きです」
「うん。わたしも好き。マシュが好き」
いつもは言葉を尽くさない彼女の、この時だけは言葉を重ねる癖が、とても好きだった。



くすんで鈍い おまえら絃よ まだ知ってるか むかしの歌を 胸を燃やした あの歌を 天使らは呼ぶ 天上歓喜と 悪魔らは呼ぶ 地獄責め苦と 人間は呼ぶ それこそ恋と

深夜彼女(へリン)の / ハイネ

***

怒るのは役目ではないので 

 最終決戦、それこそ何が壊れても誰が消えても可笑しくなかった。このカルデアだって攻撃を受けた訳で、戻る場所がなくなるかもしれない中で人間はよく頑張った。頑張った、それは確かだ。此処に喚ばれて力を貸して、良かったと思う。
 でも。
「マスター、あの時一瞬諦めても良いって思っただろ」
人間である少女と違い、英霊である自分たちは戻るのにレイシフトを必要としない。完全に消えない限り、磁石のように此処に戻ってくる。だから最後は管制室から見ていた。スタッフと一緒になって、もう少し! と声を上げるサーヴァントも多い中。
「嬢ちゃんがいなかったから? だから戻ってこなくて良いって? それはさあ、狡い考えだとおじさん思う訳よ」
 少女は答えない。
「うん、マスターはそうしてろ。だんまり決め込め。何言っても多分オジサン怒るから」
それを認めて続ける。
「聖杯を与えるってのがさ、どういうことなのかマスター分かってんだろ。だからオジサンにくれたんじゃん。なら最後までその責任とれよ。途中で逃げ出すのはだめだ。………分かったら返事」
「はい」
 少女の顔は見なかった。
 見る必要などないと、分かっていた。

***

惻隠の情 

 眩しいな、と童話作家は目を細めた。それが厭味の形をした別の何かということは分かりきったことだった。
「あのマスターが何と言って貴様を口説いたのか、それだけは興味がある」
その言葉になるほど、と頷く。
「溝、と。魔術師殿は言っておられましたなあ」
その言葉に童話作家はハッと笑った。予期していたものとは違ったらしい。
「溝だと? 貴様、その言葉をそのまま受け取ったのか?」
「受け取るしかありませんでしたから」
「まさかあのマスターもそんなことを思っている訳ではあるまいに」
「それでも願っているのやもしれません」
何処までが本当なのかは分からなかった。そもそも作家に真実を説くことなど烏滸がましいのだろう。そういう言葉を恐らく、釈迦に説法と言うのだ。

***

毒食わば皿まで 

 オタクも大変ですねえ、と声を掛けたのにそう意味はなかった。ただ、新しく聖杯を獲得する度にサーヴァントにそれをくべるマスターの、ある意味凶行ともとれるそれが当たり前になった場所での、労いとからかいを兼ねたものだった。
 だけのはず、だったのだが。
「…次はお前だと思うが」
見た目と中身の年齢の合っていない童話作家は低い声で言う。
「最終戦での特別手当と言っていた」
「は?」
「大体のものは自給自足出来てしまうからせめて聖杯をと」
「マジで言ってる?」
確かに今まで煙草やら何やら嗜好品はレイシフトを頼むだけで、材料を調達し自給自足してきた。マスターもそれには協力的であったので知っているのも分かっているが。
「まあ諦めろ」
まだまだ注ぎ込まれる予定らしい童話作家は口元を歪めた。
「嘘だろ…」

***

何より星5なので 

 天草四郎は聖杯を欲している。それはマスターも知るところであり、なんなら先日その思いの丈をぶちまけるように戦ったばかりなのだけれども。カルデアに帰って来て彼女が言ったのは、アンデルセンがまだ強化終わっていないので、という言葉だった。
「強化」
思わず問い返す。あと出来たら次はロビンで、その次はアマデウス、その次は、と次々に挙げられていく名前は古参のサーヴァントらしい。と、そこまで聞けば恐らくマスターと自分の間で聖杯というものについて認識の齟齬がありそうだという予測はすぐに立つ。
 と、少し話をした結果。
「私が言うのも何ですが」
「はい」
「聖杯をドーピング剤のように言うのは如何なものかと」
「………大して変わらなくないですか」
効果が持続するだけで、というマスターに、自分で決めた確固たるルールがあるらしいマスターに、どうやら聖杯獲得はまだ先伸ばしにした方が良さそうだと思うのだった。



20170306