一生で一度だけのパズルのピース 

 高校生。委員会が終わって、その帰り道。ああ、と思った。夕焼けが長く伸びる中で、マシュしか目に映らなくて。
「こんな日がいつか来るって信じてた」
わたしは笑う。最初から決まっていたように。
「マシュ、大好きだよ」
「先輩、私もです」
「愛してる」
「私も愛してます」
 そうしてわたしたちの告白はおままごとのように成功し、わたしたちは恋人となったのだ。



「生涯にいちどだけ全速力でまはる日がある」
秋月祐一

***

たかが知人B 

 その日彼女が教会にいたのは、天草にとってはもう一人の先輩であるマシュを待っていたからだった。文庫本を手にして、まるで天草などいないかのように振る舞う。それがいつもの彼女で、変わりはない。しかしながら天草にだって話をしたい時というものはあるもので。マシュの委員会が長引いているこの時がチャンスだと思った。
「先輩、好きです」
 完全に見切り発進の言葉に彼女は読んでいた本を閉じる。
「一応聞くけど天草くんがわたしを、ってことじゃないよね」
「大丈夫です…違います…」
大分失礼な言い方だが今更そんなことを気にする彼女ではない。
「あの、ええと、先輩の伯父さんだって言っていた」
「本当は伯父じゃあないんだけどね」
「ないんですか」
「父さんのともだち。血は繋がってなかったと思う」
そこで彼女はにっこりと笑う。
「でもわたしにとっては大切な伯父さんん」
まるで威嚇しているように。
 しかしそれで怯む天草ではない。
「彼は結婚していますか」
「昔はしてたって聞いた」
「今はしていないのですか」
「してないよ」
彼女は少し考えてから、
「伯父さんの事情は大雑把にしか聞いてないけど、わたしが話すようなことじゃないってことだけは言っておくね」
そう、シャッターを下ろした。想像以上だった。
「…先輩のガードが固い…」
「そんなことないよ」
彼女にそこまでさせるほど、彼の過去は重いのか、それとも見えないだけで彼女は恋をした後輩を弄んでいるのか。後者はないことを知っていた。だから話をしたのだ。
「反対はしないけど応援もしないだけ。あと伯父さんに助け求められたらわたしは伯父さん側につくかな」
「別にそれは良いですよ、自力で頑張りますし」
思わず頬を膨らませる。
「先輩が私のことをどう思っているかは知りませんが、私だって自分の恋を頑張るくらいには地に足がついているんですよ」
「…知ってるよ」
 なんだそんなこと、というように彼女はまた本を開いて、
「わたしは天草くんがそういう子だって知ってる」
そんなことを何でもないように続けるのだから、天草は結局それ以上の協力を請えなかった。



image song「高嶺の花子さん」back number

***

悲しみの幕切れ 

 長期休暇を利用してやって来た青年と一頻り時間を埋めたあと、ふいに言いたくなったことがあった。
「俺みたいな人間は一人で充分なんだって思ってた」
聞いていた青年は驚いた様子はなく、そうですか、と相槌を打つ。
「ヨージロー…ヨーの親父を訪ねて、ヨーに会って、自分の息子を喪った部分を埋めてんのかって、罪悪感があった」
「例えそうでも先輩は怒らないでしょう」
言葉はまるでそのためだけのもののように美しく輝いていた。
「貴方が先輩に傾けた愛は本物です」
 そう、いつか誰かが言ってくれることを知っていた。それが自分にとってとてつもなく大切な人であろうことも。
「お前らがそう言ってくれることは分かってるよ、でも俺が納得出来なかった」
でも、そうじゃない。それだけでは過去は乗り越えられない。言葉はただひたすら傷の上に包帯となって降り注ぎ、かさぶたの代わりにはなっても皮膚にはならない。そこには傷があるまま。
「でもそれももう終わりだ」
 傷は自分の身体がしっかりと皮膚の再生をして、そうして初めて治るのだ。
「俺にはお前がいる」
引き寄せる必要はなかった。
「それが幸せなことだって、そう思うから」
そう言ったら青年はこれ以上ない幸せというように笑って、それからどちらからともなくキスをした。



私みたいな人間は、私ひとりで十分だって。
山田詠美

***

力強い君の選択と君の未来 

 はっと飛び起きたのは嫌な夢を見たからだった。心臓がどっどっと煩い。まるで全力疾走のあとみたいだ。しかもとんでもないものから逃げていたみたいな。
「ヨー」
震える声で呼ぶと、隣に座っていた姪は何ですか、と手を伸ばしてくれる。
 彼女は怖い夢を見たのか、とは聞かない。分かっているから、そのまま請われるままに手を貸すのだ。ヘクトールが手を握っていれば落ち着くのを知っているから。



やさしい木漏れ日の中で「怖い夢を、見たんだ」
(手遅れにはさせない)
https://shindanmaker.com/156545

***

君と僕なら幸せになれるさ 

 何を言っても子供の戯言にしかならないのなら、とそれこそ赤面するような口説き文句から何から何まで言ってみたことはある。忘れたことなどない、大切な彼との時間だったから。
 けれども昔こういうこと言ってたよなあ、と蒸し返されると流石に照れるものがあって。
「そんなに言うなら答えをくださいよ」
―――貴方と私で、幸せになれるとは思いませんか。
半ばヤケクソにもう一度聞いたら、当たり前だろ、と返された。



https://shindanmaker.com/509564

***

ありんこの涙 

*√夕暮れ

 ひどいことをしている、という自覚はある。それはセックスにおいてだとか、デートにおいてだとか、そういうことではなく。この関係に至るまでの道筋で、どうにも間違えたと思える点についてだった。
 契約の解消は、出来たはずだった。天草の方から言い出せば、それでなくても彼が言い出した時に素直に頷いていればよかったのに。きっとこんな惨めな気持ちにはならなかった。何も手に入っていないというような、そんな空虚な気持ちには。
 無理強いはしていない、けれどもただそれだけだ。与えられるだけの恋のような、だからこれは決して愛にはなれない。双方ともに、そんなことは分かっているはずなのに。天草はそれでも彼を手放せない。引き止めてしまう。言葉にすれば彼が何処にも行かないことを知っていて。
「貴方に優しくしたかっただけだったのに」
 眠っている彼には、その言葉は届かないまま。



やさしくありたくてやさしくあれずに眼鏡ケースを踏んで壊した / 卵塔

***

綴り糸の最中で 

*√放課後

 その知らせを聞いた時息を飲みもしたし、涙することもしたけれども、それでも近況から近々そうなるだろうことは分かっていたので、天草四郎がそこまで取り乱すことはしなかった。もしも取り乱すとすれば彼女の恋人としてあった先輩だろうと思っていたし、生前からもしも取り乱している人がいたらよろしくね、とよくよく頼まれていたので、後輩としてそれくらいはこなすつもりだった。
 だったけれどもこれはあまりにひどい。そして予想外だ。休憩してくださいと送り出した先輩の背中が見えなくなってから、天草はその日ずっと気になっていた人の元へと向かう。先輩がいなくなってやっと、顔を覆うことが出来たその人の元へ。
「マシュ先輩よりひどい」
そう呼び掛けると、少しだけ指が動いた。
「………あの子は…ほら、ヨーがちゃんとケアしてからいったんだろうな。あの子、そういうことはしっかりしてる子だったし」
「貴方に関してはそうではなかったと?」
「いや…」
 血は繋がっていないが彼女の伯父としてずっとやって来た彼が此処まで疲弊するなんて思っていなかった。天草にとって彼はずっと大人で、だからこそ手の届かない存在だったはず、なのに。
「違うんだ」
彼は呻くように言う。
「俺はあの子に提案してるんだ。田舎に帰らないかって」
それは初耳だった。
 天草が彼女の喉が弱いことを聞いたのは、もう病状がどうにもならないところまで来てからだったが、本人やその周りが知らなかったとは思えない。確かに、空気の綺麗な田舎の方が、こんな煤けた都会よりもまだマシだろう。
「俺もあの子も知ってた。そっちの方が長く生きられるって、でも俺はあの子に選択させて、何も言わなかった。俺が、」
彼女は、分かっていたのだろうか。
「俺があの子を引きずってでも連れて帰らなきゃいけなかったのに」
彼女の死後、彼がこれだけ悩むことを。そこに自分の言葉がどうやったって入り込む術がないことを。
 今なら思う。
 取り乱している人がいたら、の仮定を天草は先輩のことだと思っていたが、彼のことだったのではないか。先輩のことは、彼女が充分にやりきったのだから。
「先輩は、」
けれども、期待されても天草には月並みなことしか言えない。
「楽しかったんじゃないですか」
「分かってる、でもそういう問題じゃない」
ああ、この先は押し問答だ。ループだ。同じことしか繰り返せない。それでも先輩が、唯一残した仕事だと言うのなら。
「もう全部話してください」
「なんで」
「私は貴方の恋人なので、貴方が罪の意識を抱えているならそれを分かち合いたいんですよ」
 それくらいには可愛い後輩をしていたつもりだった。

***

掃除屋さんはなんでも出来る 

 街で掃除屋さんに会ったら、そろそろ学生は夏休みですか、と聞かれた。その通りなので頷くと、ハワイに行く予定があるのですが、マシュ嬢と二人くらいなら連れていけますよ、と言われた。いやなんで突然ハワイ、と思ったので聞いたらどうやら掃除屋さんの勤めている会社の慰安旅行らしい。慰安旅行で部外者がついていく訳にも行かないだろうと言ったが、別に向こうに行っても殆ど別行動だし、家族か友人を連れてきて良いというのは言われているし、掃除屋さんには家族はいないので、そこでわたしとマシュに白羽の矢が立った―――正直使い方が違う気もするが―――らしい。まあハワイは気になるし行けるなら行ってみたいけれども私はパスポートを持っていなかった。マシュは多分持っていると思うが(だってあの学校の修学旅行は外国だ)(勿論中等部でも)。だからまあいい話ですね、ということで終わると思っていた。終わるはずだった。
 翌日家に帰るとパスポート取得に必要な書類がすべて揃っていた。どうやら昼の間に掃除屋さんがやって来て説明をしちょうど対応をした父の了承を得て必要書類を一式取ってきたらしい。行動が早い。まさかと思って隣の家に駆け込むと、マシュもまた同じようなことが起こっていたらしかった。あの無口なおじさんと掃除屋さんが会話しているところなんてまったくもって想像出来なかったけれどもまあ会話があったのだろう、貴重なものを見逃した気がする。
 ということで別に嫌ではなかったし掃除屋さんと一緒なら何事にも対処出来そうな気がしたのでそのまま夏休みの予定は決まった。委員会の夏休み分の持ち回りを調整しただけで、私たちは学校が終わるのを待って、掃除屋さんの会社の人たちに少し遅れて合流することになった。

 というのが前置きで、今の状況を説明すると、ハイジャックに巻き込まれた。ハイジャック犯は掃除屋さんによって手早く取り押さえられ、奥歯に仕込んでいたらしい毒物も掃除屋さんがちゃっちゃと回収し、ハイジャック犯は可哀想なほど鮮やかに無力化された。死人は出ていないし、機長も副機長も無事だ、だからもう大丈夫、となった時、機長も副機長も咳き込み始めた。慌てて掃除屋さんが確認するとどうやら遅効性の毒を飲ませられていたようだった。幸運にも(幸運にも?)掃除屋さんがあるものから解毒薬を作り出す技術を持っていたので、二人とも一命はとりとめたが。何度目になるか分からない疑問だが、掃除屋さんは一体何者なんだろう。
 二人とも一命はとりとめたが、すぐに飛行機を操縦するようなことは出来なかった。普通の飛行機なら自動操縦がついているので正直どうにかなるらしかったが、ハイジャック犯が暴れた所為でそのシステムに一部異常が出たらしい。端的に言うと壊れた。飛んでいる間は大丈夫だが、着陸となると人の手が必要になるのだとか。なんだそのピンポイントご都合主義は。
 とは言えこうなったら誰かがやるしかない。いろいろあって操縦席までついてきていた私とマシュは、此処でフィクションでよく見る、お客様の中に操縦士はいませんかー!? をやるのかと思い、落ち着こうと必死になっていた。なっていたというのに、掃除屋さんはふむ、と頷いただけだった。
「私が操縦しましょう」
ええっと声が上がった。そりゃあ顔も見えない相手に命運を託すのは普通に怖いだろう。そう言えばパスポートとか搭乗口では顔を出しているらしいが、掃除屋さんはどうして顔を隠しているのか。趣味と言われれば頷くしかないけれど。
 けれども流石は掃除屋さん、さっきからの活躍で不満の声は一瞬で消えたらしかった。本人は久しぶりですなあ、とかなんとか言っているが不思議なことに、掃除屋さんならなんとかしてしまいそうな気がする。
 他の人もそういう気持ちだったのか、結局この機の命運は掃除屋さんに任された。

 そしてやっぱりというか何というか、なんとかなった。
 特筆することが何もないくらいに飛行機は普通に着陸し、その後情報を何処からか仕入れてきたらしい掃除屋さんの会社の社長さん(大きい人だった)に迎えられた。掃除屋さんは少し話をするらしかったので一旦別れたが、その日の夕方には合流した。
 今まで聞いてこなかったが流石に今回は気になったので、何処で飛行機の操縦なんて出来るようになったのかと聞いてみたら、掃除屋さんはにこっと笑った。実際には仮面で見えていないのだが多分あれはにこっと笑った。
「こういう時は何と言うんでしたかな、ああ、ハワイで親父殿に教わったので=I」
此処がハワイだとか親父殿って誰だとかいや普通そんな英才教育みたいなのはしないだとかいろいろツッコミたいことはわたしもマシュもあったのだけれども、なんだかその答えに脱力してしまってその後は普通にハワイを楽しんだ。

***

誰かのいた世界 

 引っ越すことになったよ、と親友が言った時にヘクトールが思ったことは置いていかれる、ということだった。置いていかれるも何も、ヘクトールは彼の家族ではないのだし、彼が自分の家族を優先することは別に可笑しなことではなかった。彼はこの田舎の家を引き払うつもりはないのだと言う。借りたい人がいれば貸そうと思うし、と続ける彼の話にまったくついていけなくなったところで、彼がヘクトールはどうする? と聞いてきた。
「えっ?」
「梓さんが、田舎が気に入ってるなら管理任せるって言ってたし」
梓というのは彼の妻の名前だった。やはり、彼女から見てヘクトールは邪魔なのだろうか。
 そう思って、じゃあ、と言いかけたその時。
「でも梓さんはヘクトールも一緒に来てくれると思うって言ってた。おれも、そうなったらいいなあって思うよ」
続けられた言葉に、一瞬、思考が止まった。
「………ついてって、いいの」
「うん。引っ越し先の社宅、学校近いとこはやっぱ子供いる家庭優先だから、同じ建物には住めないけど。他のとこ空いてるから、梓さんがそっち取ってる」
「梓さん怒らないかな」
「今更だよ。梓さん、ヘクトールが一緒に来ないこととか考えてないと思うよ」
じゃなきゃあんなに楽しそうに部屋探してないと思うよ、と彼は笑う。楽しそうに夫の友人の部屋を探すというのは、世間から見たら少し可笑しいのではないかと思う。
「前から思ってたけど、俺、梓さんにどう思われてんのかね」
「前聞いた時は犬って言ってたよ」
「犬かあ…」
それでも良いかなと思ってしまったから、思い切り笑っておいた。



半欠けの氷砂糖を口うつす刹那互いの眼の中に棲む / 松野志保

***

すべて一緒にいられることが出来ないのなら 

 彼の選択のことを恨んだことはない。天草四郎だって仲の良い先輩のことを思うくらいはするし、正直このまま一生ものの関係になるのだと思っていた。世間は男女の間で消えない情があるとすればそれは恋情だなどと決めつけたがるらしいが、先輩と後輩の情だって長く続くものであると、天草は思っていた。
 だから今でも思う。彼の判断は正しいものだった。もし別のものを選んでいても、大体何故彼がそれを選んだのか予想がつくので、やはり天草は正しいと言っただろう。それだけ彼が単純明快であるからかもしれない。少なくとも、とある一点においては。
「…先輩は元気ですか」
『元気だよ。…まだ、大丈夫だ』
―――まだ。
その言葉が重くのしかかる。
 人間というものはいつか死ぬ生き物であった。それを嘆き悲しむのは、もうとっくの昔にやめたような気がしていた。
『俺の選択は、あってたよ』
電話越しに愛しい人の声がする。
「はい。貴方は間違えませんから」
 それは既に正しさの話ではないことを、彼もきっと知っていた。



(せめてこの人生の幾許かだけでも)



あとかたも無くなるものなど有りはせぬ氷点の下エンドレス・サマー / 森まとり

***




20170713