私は一通だけ、出せない手紙を持っている。

出せなかった手紙 墺洪前提の洪+普

*史実含む

 「ハンガリー」
オーストリアさんが呼んでいる。
「部屋の掃除をしていたら、これが出てきました」
渡されたのは、白い封筒。歳月の所為で少し黄ばみ、所々に紅い染みがあった。宛名も、差出人も書いていないが、私はそれが何であるか覚えていた。
「―――…」
受け取って、見つめる。オーストリアさんはしばらく私を見つめていたけれど、
「それが何なのか、聞いても?」
控え目に聞いてきた。
「―――手紙なんです」
私はゆっくりと紡ぎ出す。
「出し損なってしまって、でも、棄てられない手紙」

 私がこの手紙を書いたのは、第二次世界大戦が終わる頃のことだった。もう、終わりが見えていたから、だった。
 幼い頃から一緒だった彼は、弟の家に住み、その影は忘れられようとしていた。私は闘いの中で、急に恐怖を感じた。
―――彼が、消えてしまうのではないか?
国民は既に、彼の国であるという誇りを忘れている。王国が滅亡し、有名無実の州だけが残り、それが辛うじて彼の存在を支えているだけだった。今まで隣に居た存在が消えるという恐怖は、ひどく恐ろしいものだった。そう言った恐怖を身近に感じた時、私は彼に何かを伝えたいと思った。でも、会えば憎まれ口を叩く仲だ。伝えるべきことが、上手く伝わるとは思えなかった。だからこそ、私は手紙を書いた。次に会ったら渡そう。そう決意した。
 ―――でも。
ロシア(注釈:この時はまだソ連)が国に侵攻してきて、首都は陥落。国民が犠牲になっていく中で、私は国境付近で闘った。彼には会えていなかった。戦火の中、私はずっと手紙を持っていた。一瞬でも良い。会えるのなら、絶対にこの手紙を渡そう。そう、心に決めていたのに。
 彼の弟が、降伏した。
 それに伴い、私も降伏。彼は、言うまでもなかった。
 それから連合国による解体指令が出て、彼は消滅を余儀なくされた。私はその時、確かに泣いたのだと思う。大嫌いだったはずの彼の為に。それと同時に手紙が不要なものとなったことを、私は知っていた。受取人の居ない手紙など、持っていても無駄。私はそれを棄てようと思った。…でも、棄てられなかった。
 少しして、彼の弟の嘆願により、彼が消滅せずに、今まで通り弟の家に住むことになったと、風の便りで聞いた。それでも、手紙は不要だと思っていた。

 「…そうですか」
オーストリアさんの声は、穏やかだった。
「今はもう彼の軟禁も解けて、いつでも会えるけれど、手紙を渡そうとは思えないんです」
私は目を伏せた。
「彼のことは、幼なじみとしか思っていませんし、この手紙だって、恋文ではありません。私には、オーストリアさんだけです。でも、彼は、」
ふわり、と抱き締められる。
「そうですね。幼なじみというのは、誰にとっても、大切なものです」
にこ、と微笑みかけられる。
「今度の休日に、ドイツの家に行きましょう。その手紙を持って」
手が震えた。
「きっと、喜びますよ」
銀髪の彼は、どんな反応をするだろう。
 オーストリアさんの指が、そっと頬を滑った。目が熱いのは、きっと、気のせいだ。



20090701
一行の想い 墺洪前提の洪+普

 「ハンガリー」
オーストリアさんは、優しく私の名前を呼ぶ。
「手紙は持ちましたか?」
私は手の中の古い封筒を見せた。
「行きましょう」
私はそう言って、封筒を握りしめた。六十年。それは私たちにとっては短い時間。それでも、この中の想いは、決して軽くはない。

 「オーストリア…」
呼び鈴を鳴らして出てきたのは、ドイツだった。
「お久しぶりです、ドイツ」
オーストリアさんがにこやかに笑う。
「どうしたんだ、突然」
「ちょっと、貴方の兄に用事がありましてね」
「兄さんに?」
ドイツはぽかん、とした表情をしていたが、我に返ると、
「まぁ、どうぞ…」
私たちを中に招き入れた。
 紅茶が出される。
「兄さんを呼んでくる」
そう言って、ドイツは階下に降りていった。ここは一階であるから、もちろん、ドイツが行ったのは地下。私はぎゅ、と手を握りしめた。世界には、もう存在しないとされている国だ。隠れていなければ、仕方ないのは分かっている。
「ハンガリー」
オーストリアさんは私の気持ちを汲み取ったように、私を呼んだ。
「大丈夫です」
私は言った。あの時のように、気丈に振る舞えていれば良いのだけれど。落ち着かせようと、深呼吸する。吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って
 ガチャ
「…よぉ」
ゆっくりと息を吐き出した。
 「てめ、顔見るなりため息かよ」
途端に不機嫌な顔になる。小さなことで直ぐ拗ねるところは、昔から変わっていない。
「彼女は深呼吸していたのですよ」
オーストリアさんがフォローしてくれる。
「深呼吸?」
きょとん、とした顔。
「落ち着かなければいけないことがあるんです」
「はぁ」
 ぽすっ
少し顔を上げれば、向かいのソファに、彼が座っていた。
「で、何だ?用って。今更お前らが付き合ってるなんていう報告じゃねぇだろ?」
彼にしたら、今日私たちが訪ねてきたことは、全く予想も付かないことなのだろう。
「ハンガリー」
オーストリアさんが私の名前を呼ぶ。
私は一度強く目を瞑って、
「はい!」
ずいっと、封筒を差し出した。
 「…へ?」
古ぼけた封筒を目の前にして、彼はひどく呆けた顔をしていた。
「あんたによ、あ・ん・た・に!」
顔が赤くなっているかもしれない。そう考えると、もういたたまれない気分になって、
「受け取りなさいよ!!」
怒鳴りつけて彼に古ぼけた封筒を押しつけると、だっと席を立って玄関の方へ駆け出した。
「ハンガリー!」
オーストリアさんの声が聞こえる。だけど、私は立ち止まらなかった。立ち止まれなかった。ドアに手を掛ける。紅茶のお礼も言ってないし、お暇の挨拶もしていない。本当に、礼儀のなってない、私。ドアを開けて、そのまま飛び出そうとした時。

 ふわり

 「…待てよ」
耳元で声がした。誰かの手が見える。背中に体温を感じる。そして、視界の端にちらつく、銀色。
「プロ、イセン…?」
抱き締め、られている?
「俺も!」
私が抱き締められていることに抗議する前に、彼は口を開いた。
「お前に逢えて、良かった」
「!」
手紙を読んだのだ、と分かる。
「すげぇ、嬉しかった」
「あれは、」
「分かってる」
腕の力が緩んだ。そっと、彼が私から離れる。
「幼なじみとして、だろ?」
振り返れば、いつもの俺様な笑顔。
「それでも、嬉しかった」
「―――」

 ずっと、ずっと、心にしまってきた、一行の想い。
《貴方に逢えて良かった》
ただ、それだけ。



(オーストリアさん、見守ってくれてありがとう)



20090701



20180509 編集