白に咲いた紅 日露

 「何故貴方は家に来るんですか…」
私の一日は、盛大なため息と共に始まった。
 炬燵に入っているのは、可愛らしい笑顔を称えた男。
「だって、君の家はあたたかいんだもの」
可愛らしくそう言うが、右手に蛇口を構えている所為で可愛くはない。マフラーとコートを着たままで、更に手袋も付けたままで、炬燵に入っている姿は、正直言って暑苦しい。
「…炬燵に入るなら…というか家に入るなら、マフラーとコートを脱いでくださいよ。手袋も取ってください」
「ええ!」
彼は目を見開いて私を見る。
「マフラーとコートと手袋を取ったら何が残るって言うんだい…?」
「蛇口が残りますよ」
私はにこ、と笑って続ける。我ながら、黒い笑みを浮かべられたと思う。
「でなければ、追い出します」
「!」
彼がびくっと肩を震わす。普段の彼の姿からは想像も出来ないようなその姿に、私は小さく笑った。こんな彼を見れるのは私だけ―――そう思うのは、独占欲だろうか?
「私が台所から帰ってくるまでに、マフラーとコートと手袋は脱いでおいてくださいね」
みかんは食べても良いですよ、と付け足して、私は台所に向かった。
 換気扇を回す。冷たい風が入ってくるけれど、ことことと煮込んでいる鍋が温かい。鍋を温めるだけだから、割烹着は必要ない。手に息を吹きかけながら私は炬燵に座っている彼のことを考えた。マフラーとコートと手袋はどうしただろうか? あの寒がりの彼が、素直に脱ぐとは思えない。またいつものように、甘えるのだろうか。大きいくせに、上目遣いを駆使して。彼のそれが無意識かはたまた策略なのかは知らないが、私は大概あれに甘い。鍋の中に小さな気泡が見えて、私は考え事を中止する。鍋の中身が良い具合に温まっていたので、火を止めた。換気扇も止める。さて、脱いでいるか、上目遣いか、どちらかな。私は鍋の中身を皿に盛りながら考えた。ほこほこと湯気が上がる。これで、少しは大人しくしてくれると良いのだけれど。そうして、居間に向かう。
 「!」
居間に着いた私は少し驚いた。
「…何をやっているんですか…」
彼は炬燵に突っ伏していた。マフラーは取っていないものの、コートと手袋は脱いでいる。
「寒くて…マフラーは無理…」
弱々しく言う彼が愛おしいなんて感じる私は、もう末期なのだろうか。こと、と皿を炬燵に置く。
「みかん、食べなかったんですね」
「炬燵から手なんか出せないよ…」
そう言ってから、やわらかい香りに気付いたのか、彼は顔を上げた。
「肉じゃがですよ。朝からこんなもので悪いのですが」
箸を彼の前に置く。
「…僕の、ために?」
なんて言うから、
「自惚れも大概にして下さい。昨日の残りです」
冷たく言い返す。実際は《彼のために》温めたのだけれど。朝から肉じゃがを食べる予定はなかった、それは言わない。
「………」
それでも嬉しそうに皿を見て、そろそろと炬燵から手を出して箸を持つから、それが可愛くて。
「それ食べたら、マフラー取ってくださいね」
「…うん」
もきゅもきゅと肉じゃがを頬張る彼は、小さく頷いた。
「へも、なんれ―――」
「口の中のものを、のみ込んでから喋ってくださいますか?」
はしたないですよ、と加えれば、彼は黙った。少しの間、下を向いて肉じゃがをのみ込むことに専念する。しばらくしてのみ込めたのか、彼は顔を上げた。
「でも、何でそこまでマフラーを取らせようとするの?」
「………」
今度は、私が黙る番だった。それが常識だから=Aそう言ってしまうのは簡単だ。でも、これまで私は彼にその常識を強要しては来なかった。
「ね、何で?」
下から覗き込まれる。
「―――」
目が合ってしまえば、嘘なんて、吐けなくなってしまう。
「…邪魔だからです」
私は言葉を吐き出した。
「どうして? 僕はいつも、このマフラーをしているのに」
ぎゅ、とマフラーを握る彼に、私は眩暈のようなものを覚える。そのマフラーが彼の姉から贈られたものだとは、随分前から知っている。今更それに嫉妬などしない。それは、私よりも、彼が良く知っているだろう。私は彼の過去に執着はしない。彼だけでない。その他、全てのものにも。それは、そうしなければ生き残れなかった、世界の流れであるのだろう。決して、その所為にするばかりではないのだが。
「邪魔なんですよ」
私はもう一度繰り返して、彼のマフラーに手を掛ける。握っていた手をそっと解いて、マフラーを完全に取り去ってしまう。
「これがあると、こう出来ないでしょう?」
白い首筋に手を掛ける。もちろん、力など入っていない。私がしたいのは、こういうことじゃない。
「…嘘吐き」
彼は笑った。笑って、私の手を掴むと、自分の方へ引き寄せる。
「君がしたいのは、こうでしょう?」
彼の膝の上で、彼の首筋に抱きつくようになった私は、
「分かっているじゃないですか」
復讐も込めて、その首筋に強く接吻けた。
「…痛いよ」
彼は言うけれど、気にしない。
「全く、貴方は冷たいですね」
「君はあったかいよ」
さっき接吻けた所をなぞる。
 「…早く、食べてしまわないと、冷めてしまいますよ?」
肉じゃがを指差す。
「もう少し…こうしていたいんだけど…」
「庭の椿が咲いたんです。見に行きましょう」
また上目遣いをしてくるけれど、今度は負けない。
「外ですから、マフラーをして良いですよ。貴方のは長いんですから、使い方を考えてくださいね。ちなみに私はマフラーなんて持っていません」
「…分かったよ」
私の言いたいことが分かったのか、彼は私を離した。私が膝から降りると、もきゅもきゅと肉じゃがを頬張り始めた。
 私は庭を見る。
「雪が…降ってきましたね」
白い庭の中で、赤く色づいた椿が、ひどく印象的だった。



20090630



20180509 編集