森林公園へ行けば何か手がかりもあるかもしれない、そう思いながら家路を辿る。
ふと、家の前に見慣れない人影がいることに気付いた。
「おかえりー桜ちん」
紫の髪をした気だるそうな大男が竹箒を手に庭掃除をしている。
「え、どちら様…です…」
つ、と視線が男の頭に行った。
うさぎの耳。
「…もしかして、紫原サンですか?」
そういえばこの香りに覚えがある。
甘い、お菓子のような香り。
「そうだよー。
器と大分馴染んで来たから、短時間なら本来に近い姿になれるようになったの。
練習とお礼を兼ねて、庭掃除してた」
「そうなんですか、ありがとうございます」
掃除って何か楽しいね、と嬉しそうにざかざか掃く紫原に、桜井は慌てて声を掛ける。
「有難いですけど、程々にしないと融けてしまいませんか?」
「ほっといたら良えやん」
がさがさと繁みから出て来たのは今吉。
「融けてくれればさっさと開放されるで?」
「…協力するって約束しましたからね」
「桜井は、ほんま、甘いなぁ」
剥いてくれ、と渡された蜜柑を受け取ると、
「二人は仲が良いんだね〜」
紫原が笑った。
その言葉が少し照れくさくて桜井も笑みを返した。
が、
「昨日も雪のかけあいっこしてたもんね」
次の言葉で固まる。
かあ、と頬が赤く染まるのを感じた。
あれを見られていたと思うと何だかすごく恥ずかしかった。

恥ずかしさに膝をついた桜井と今吉を見て紫原は呟く。
「征十郎のこと、思い出すなぁ」
何処か寂しそうなそれに、桜井は立ち上がった。
「森林公園に悪霊の手がかりがあるかもしれません。
…行きますか?」
「―――うん、行く」
きっと決意したような目もまた、何処か寂しそうだった。

「征十郎はね、優しい子なの」
森林公園に向かう途中、紫原が語り始める。
征十郎という名前も、紫原は桜井が口にすることを拒んだため、
今度は便宜上「赤司」と呼ぶことにした。
夢で見た彼は、とても綺麗な赤い髪をしていたから。
「オレは自分勝手な願い事しかしない人間嫌いだったから、
征十郎もそれに合わせていてくれたけどね。
貧しい村人たちがお参りに来た時、うわさ話をしていたの。
三色の虹を見たら願い事が叶うらしい、って。
征十郎は馬鹿馬鹿しいって笑ってた。でもね、」
紫原が空を見上げる。
「その日から虹を見る度、征十郎は言うんだ。
三色じゃないねって、残念そうに。
あの人たちの願いは叶っただろうか、って」
その様子があまりにも寂しそうで、悲しそうで。
「…赤司サンを砕いた相手が、悪霊なんですか?」
振り返る紫原。
その瞳はただ凪いでいた。
「桜ちん。オレはね…」
びちゃり。
紫原が何か言いかけた瞬間、桜井が何かを踏んだ。
「う、え!?」
腹を喰われた魚。
先を見ればそれは点々と落ちている。
「見てみぃ、あっちや。所々草木が立ち枯れてるやろ、辿るで」
今吉の言葉に、桜井と紫原は強く頷いた。

暫く行くと一軒の廃屋が見えてきた。
「あそこから何か感じます。
今吉サンは外をお願いしても良いですか?」
そう言って桜井と紫原は廃屋に足を踏み入れる。
空気がひどく淀んでいた。
「桜ちん、あのね。本当は、その悪霊っていうのは…」
言い掛けて紫原が鼻をひくつかせる。
「この匂い…あっち!」
紫原がだっと走り出すのを追いかけようとして、桜井ははた、と足を止めた。
ざわり、後ろから、視線を感じる。
ばっと振り返ると同時に、何かが飛んできて床に倒された。
「…おのれ、人め」
威嚇を続けるその影をきっと睨みつける。
これが、悪霊だ。
紫原が追っている、悪しきもの。
「ゆるさん、おのれ…」
身体を蝕む悪意のままに、影が桜井に手を伸ばした。

「紫原サン!!」
影と桜井の間に割り込んだのは、鮮やかな紫だった。
まるでそれが大切な相手であるように、紫原は悪霊を抱き締める。
「桜ちん」
赤い髪。
「これがね、征十郎なの」
生臭い中に交じる、紫原と同じ香り。
「…え、だって、それが悪霊じゃ、」
「うん。征十郎が悪霊になったの。
だからオレがこの手で、どうにかしてあげたかったの」
ぎゅう、と紫原が赤司を抱きしめる程に、香りは強くなる。
「征十郎、帰ろう、一緒に…」
うう、と苦しそうなうめき声。
「放せ」
カッと光った赤司に、紫原は床に叩き付けられた。
その衝撃で雪うさぎに戻る。
「紫原サン!」
ぎゃぎゃ、と不快な声をあげ、赤司は外へ飛び出して行った。
「悪霊が…!」
桜井の声に今吉が廃屋に飛び込んで来る。
「…チッ、逃がしてもうたわ」
見上げた空の遠く、黒い影が消えていくのが目に入った。



紫原と赤司は二体で一対。
しばの原の石像に宿り、森を守っていた。
悪い気が流れて来れば二人で浄化し、村へ降りようとする邪鬼がいれば祓って。
そうして穏やかに暮らしていた二人の生活は、村の土が痩せてしまったことで一変する。
作物が殆どとれなくなった村人たちは二人に泣きついた。
どうか、土を肥やして欲しい、と。
しかし、人間にも得手不得手があるように、神にも属性というものがある。
二人は祓い神であった。
故に、畑を潤すことなど専門外だったのだ。
それでも、苦しそうな彼らをどうにかしてやりたいと思った。
通り掛かる妖に方法を訊ね、力の限りに邪気を祓い続ける。
それでも一向に良くならない状況に、二人はいつしか生命の光を削り村に流すようになった。
…しかし、それでも何が変わる訳でもなかった。

ついに、村人たちにも限界が来た。
人間たちは鍬や鋤を手に二人の元へ押しかけてきた。
不作の苦しみを、全て二人の所為にして。
役立たずの神だと、必要のない神など壊してしまえ、と。
「征十郎はね、泣いてた。
愛してやったのに、どうしてこんな仕打ちを、って。
それでもね、人間にオレたちの声は届かないの」
痛々しい表情で紫原は続ける。
「それでオレは獅子(イヌ)とは呼べない形に崩れて、
征十郎は谷底へ落とされて砕け散ったよ」
その声に、僅かに涙色が混じるのを桜井は感じた。
「…その後、征十郎は砕けた器から飛び出して、
悲しみと憎しみから悪霊となって村を襲ったみたい。
そしてそこで、魔封じの木に封じられて、それっきり」
紫原が顔を覆う。
「オレ、守ってやれなかった。
人間から征十郎を、憎しみから征十郎の心を。
だからね、せめてオレがこの手で、征十郎を…」
ああ、と桜井は思う。
いつか紫原から感じた悲しみは、赤司を想ったものだったのだと。
そして、あの憎しみは、人間へ向けられたものだったのだと。
「…こんなの、悲しいです」
「神サンが悪しき存在に堕ちるのは意外と簡単なんやで」
今吉が笑う。
「妖が神になるのは、大変なんに、なぁ」
それも、何処か悲しそうに感じられた。



それから数日間、人間にも妖にも聞き込みを続けたが成果は得られなかった。
森や池、畑などが少しずつ荒れているようだったけれど、
それでも赤司の居場所は掴めない。
この地方のしては珍しく雨が降り続いて、
赤司はその向こうへ姿を隠しているように感じられた。

夜。
眠っていた桜井はずるずる、と不穏な音で目を覚ます。
胸の上に重み。
ハッとして目を開けると同時に、首に手が掛けられた。
まさか、赤司が?
力の限り抵抗するうちに気付く。
違う、赤司じゃない。
ぐ、と更に込められた力に、
「ッやめてください!!」
桜井渾身の拳が、首を絞めてきたもの―――紫原に炸裂した。

「ただいまー…って何やってんねん」
今吉が首を傾げる。
何処へ言っていたのか問うと、月見酒だと返って来た。
相変わらずの中年妖怪っぷりである。
「今吉サン…ッ紫原サンの様子が変なんです…ッ」
「寄らんとき、桜井」
今吉が制す。
「アイツも悪霊に堕ちかけてるだけや」
部屋の隅で苦しそうに喘ぐ紫原を見つめることしか出来ない。
「憎しみも悲しみも育つもんや。
寂しい時間が長すぎたんやろうなぁ」
「桜ちん」
苦しそうな声で紫原が呼ぶ。
紙、ちょうだい。
掠れたその言葉の意味を理解し、桜井は瞠目した。
「桜ちんは友人帳持っているんだよね。
それにオレの名前、書いて。
もしオレが駄目になったら、それで止めて」
「それは出来ません!」
もしもの為に人型になった今吉の後ろで、桜井が叫ぶ。
名を縛ると言うことは、生命を握ることと同義だ。
「紙が破けたら身体も裂けるんですよ…!?」
「その方が良い!!」
悲痛な声。
「もうやだ。ひとりはやだ…」
顔を覆った紫原に桜井は近付く。
「…まだです、紫原サン、しっかりしてください。
貴方はまだ一人じゃありません!」
その肩をやや乱暴に掴み、顔をあげさせた。
「赤司サンがいます、何とかしてあげるんでしょう?
ボクたちだっています。
ボクは頼りにならないかもしれないけど、今吉サンはすごく強いんですよ?
手伝うって、約束したじゃないですか」
「…でも、オレ、何も出来ない。
桜ちんのために、何も出来ない。
森を守るしか出来ないの、役立たずなの」
ぼろぼろと溢れる涙に、桜井はふと昔を思い出した。
自分にそんな価値はないと、優しさを受け入れられなかった頃を。
ぐ、と唇を噛み締める。
何かしてもらうために何かするなんて、そんな見返りは考えなくて良い。
でも、そう言ったところで、きっと紫原は聞いてくれない。
なら。
「…紫原サンは、庭を掃いてくれました。
赤司サンがこっちに向かって来た時、庇ってくれたじゃないですか」
桜井が嬉しかったことを。
何にも出来ないなんて、そんなことないのだと。
「紫原サンは人間を嫌いかもしれませんが、ボクは紫原サンが好きです」
ぎゅっと抱き締める。
この想いが少しでも、伝わったら良い。
「そしてきっと、虹に願おうとしてくれた、赤司サンのことも好きですよ」
紫原はたくさん泣いて、雪うさぎの姿に戻った。



20130118