「すごいな、珍しく積もってる」
ざくざくと雪を踏みしめながら木吉が言う。
桜井が此処に越してきて初めての冬。
「珍しいんですか?」
「ああ。
雪自体は毎年舞うくらいはするけど、こうして積もるのはあまりないな」
「へぇ…」
この街について、まだ知らないことは多い。

学校が終わり、桜井はいつものように教室まで迎えに来たメンバーと帰っていた。
木吉、花宮、伊月。
三人とも一学年上の二年生であるが、桜井がバスケに興味を持っていることを見抜いて、
バスケ研究会という非公式組織に誘ってくれた大切な先輩たちだ。
バスケ研究会については、また別の話で。

「そういえば桜井、今日も授業中寝てたんだって?」
ふと伊月に振られた話題に、桜井はほんのり顔を赤くした。
「二年生にまで伝わっちゃうんですか…」
「まぁ、狭い学校だからな」
笑う伊月。
冬と言えど午後の日差しは温かい。
昼食後、お腹も満たされぽかぽかとした日差しに当たれば眠気は当然来るものだ。
少し寝不足だったのもあるが。
そして、また、昔の夢を見た。
小学生、まだ人に見えないものと見えるものの区別がついていなかった頃の夢。
三階にある教室の窓から女の人が覗いていたから、桜井は見たままを言っただけだ。
しかし、それは普通の人には見えないもので。
ヒソヒソと囁かれる。
窓の向こう、首がぐりん、と傾いているその女の人は、にやり、と笑った。
夢は其処で終わって叫びながら飛び起きた桜井は、
「なんだ…夢か…」
と安心すると同時に、教師に居眠りがバレて小言を貰ったのだった。
「…何か、悩みでもあるのか?」
マフラーに埋もれた花宮がじっとこちらを見た。
寒がりの花宮は、木吉の分のマフラーも巻いている。
どうやら話を聞く限り、小さい頃から木吉が押し付けてくるらしい。

花宮の視線は、心配の色をしていた。
まだ慣れない、この視線。
悪いものではないはずなのに、胸がどきどきして罪悪感に駆られる。
苦手だ。
「いえ、大丈夫です。悩みなんてありませんよ」
否、本当はある。
けれど、妖が見えるなんてことは、絶対に言えない。
まだ心配そうな顔をしている花宮に笑いかけた。
「今は、とても幸せなんです」
今度は、本当だった。

早くの両親を亡くし、身寄りもなく、親戚中をたらい回しにされ、
最近やっと落ちつけた黒子家。
この街はとても暖かくて、とても心がくすぐったい。

じゃあな、と手を振る三人と桜井は別れる。
何もない放課後はこうして途中で別れるのが常だ。
家の方向が違うのだから仕方ない。
ワン、ワン、とけたたましい犬の鳴き声にそちらを向けば、
塀の上に見慣れたまんじゅうのような姿を発見した。
「今吉サン」
「おお、桜井。今帰りか?」

まんじゅうのようなもったりしたシルエットを持つこの良く分からない生き物は、今吉という。
今は亡き桜井の祖父・桜井リョウとは友人だったらしく、
その縁で出会った桜井を守護している、所謂妖怪だ。
普通の人間にも見えるように変化した獣(本人曰く狐だが、
黒子家では犬と認識されている)の姿で、桜井と共に黒子家で暮らしている。

今吉や他の妖怪からの又聞きでしかないが、祖父のリョウは強力な妖力の持ち主で、
それを生かして妖怪を子分(恐らくだが本人にとっては友達のつもりだったと思われる)にし、
名前を書かせて忠誠を誓わせていたらしい。
それを集めた友人帳。
持つ者に名前を呼ばれれば決して逆らえず、
その紙を燃やされれば妖怪自身も燃えてしまうという、契約書の束である。
遺品としてそれを継いで以来、妖怪と接することは前以上に多くなった。

「今吉サン何してるんです?」
「この犬をからかってるんよ」
わんわん、と妖しげな生き物に精一杯吠える犬をにやぁ、と見下ろす今吉。
愉快やわぁ、とはしゃぐ今吉に、塀の上でそんなに動いたら滑るんじゃ、と思った矢先。
「あ」
ずるっ、どすっ、と立て続けな音と共に、今吉の口からごふっという悲鳴が漏れる。
「…今吉サン…」
腰を強打したらしく打ち震える今吉を見下ろして、桜井は呆れからため息を吐いたのだった。



思いの外強く腰を打ったらしい今吉が薬草を取りに行くと言ったので、
少し心配になった桜井は着いて行くことにした。
「用心棒を心配する奴がおるかいな。
ワシ、こう見えてもめっちゃ強いんやで?」
桜井とて今吉が非常に強いことは分かっている。
今までも幾度かその力に助けられて来たのだから。
「…それでも、怪我してるんですから、心配ですよ」
曖昧に桜井は笑う。
向けられることも苦手だが、今までそういった心配を向ける先がなかったのもあり、
こういった感情の処理の仕方が分からない。
そんな桜井を見てまぁ、ええけど、と今度は今吉がため息を吐いた。

「こっちの方は初めて来ますね」
「この繁みの向こうや」
がさがさ、と薬草を探す今吉に着いて行った先は、足跡一つない雪原だった。
足元の雪を掬って今吉に投げつけて見る。
「なっ、桜井!?何すんねん!」
「スミマセン!一度雪玉投げてみたかったんです…!」
ぼすぼす、と更に投げれば、ばばばばと雪を掛けられた。

ほう、と息を吐く桜井に、今吉はぽつぽつとこの土地について語る。
この雪原はしばの原と言うこと。
昔は二匹、森の守り神の石像があったこと。
今は一匹しか残っていないこと。
見つからんわぁ、と駆けていく今吉を見つめながら桜井は雪をいじっていた。
小さな雪うさぎが出来上がる。
ひとり、か。
石像に凭れながら考える。
今はこの上なく幸福だ。
何よりも、こうして雪遊びをする余裕がある。
けれど、いつまでこのままでいられるだろう。
また一人になってしまうことだって、あり得ないことではない。
その時、ボクはあの頃のように耐えることが出来るのだろうか。
ず…と背後で音がして、振り返る。
「…ん?」
ずずず、と石像から何か出て来ている。
妖か、その影は桜井がそちらを見ていることに気付いたのか、声を発した。
「人の子、オレが見えてんの?
…丁度良いやぁ。
オレを移す依代必要だったしー」
影が大きい。
「その身体、ちょーっと貸してねー?」
びゅ、とそれがこちらに飛んでくるのに、桜井は悲鳴を上げた。



「桜井!!」
勢いで雪原に転がった桜井に、今吉が近付いて来る。
「無事か?」
「ええ、避けました…でも…」
ちら、と目線をズラした先には先程作った雪うさぎ。
みるみるうちに葉の部分が紫に染まって行く。
これはもしかしないでも、これに入ったのでは。

次の瞬間、
「うわぁ~こっちに入っちゃった~」
可愛らしい雪うさぎは立ち上がった。
その妙に可愛いくない動きに、桜井と今吉はがんっと謎の衝撃を受ける。
「…まぁいっか。
器があれば実体化して動き回れるもんね~」
のんびりした口調で雪うさぎは言う。
良いのか、雪うさぎで。
「雪なんかでオレの入れる器作れるなんて、大した人の子だね。
オレはその石像に宿るものだよ。
ねぇ、人の子、これが融けきるまでで良いよ、力貸して」
「はぁ?」
雪うさぎの突然の協力要請に声を上げたのは今吉だった。
「何言うてんねん、そないなめんどいこと…」
「もし拒否するなら、三代先まで、祟る」
タチ悪!!!
桜井と今吉の心が一つになった瞬間だった。

「名前はあるんですか?」
掌に雪うさぎを乗せて問う。
雪を踏みしめる感覚にはもう慣れていた。
「あるけど、呼んで良いのはあの子だけだしー」
雪うさぎがつーんと言い放つ。
こういった妖は良くいる。
名前は妖にとってもとても大切なものだから、それをやすやすと教える気にはならないらしい。
「じゃあ、ボクがつけても?」
「…変なのつけたら怒るしー」
紫色に染まった葉が目に入る。
「…紫原、なんてどうです?」
「…別に、変じゃ、ない」
そっぽを向いた雪うさぎに微笑みを送って、
「ボクは桜井です。こっちは用心棒の今吉サン。
これからしばらく、よろしくお願いしますね」
「こっちこそ、よろしくだしー」
こうして桜井と今吉は、紫の雪うさぎ、紫原の手伝いをすることになったのである。

紫原の話をまとめるとこうだった。
しばの原からずっと西へ行った村に「魔封じの木」というのがあったが、
三日程前に切られたらしく、そこに封じられていたものが解き放たれたのだと言う。
草木を枯らしたり獣の心を乱したりするそれを、紫原は放っておけないと言った。
「つまり、その悪霊退治を手伝えば良いんですか?」
「…絶対」
ざわざわ、と空気が震え出す。
「絶対あいつをこの手で封印してやる」
「紫原サン…?」
これを桜井は良く知っている。
悲しみと…憎しみ。
「そういえば、どうして紫原サンは一人なんです?
もう一匹、石像がいたんでしょう?」
こくり、と紫原は頷いた。
「あの頃は楽しかったよ。
オレたちはいっつも二人で森を守ってて、
きれいなものを一緒に眺めて…でもね、あの子は…征十郎はね、
粉々に砕けちゃったもういないの」
うるりと、その瞳が少しだけ光ったのが桜井には見えた。
「あのしばの原にはもう、オレ一人きりなの」
ひとり、きり。
桜井はその言葉を噛み締めた。



「―――敦」
とくん、とくん。
優しい生命の音がする。
「敦、此処は退屈かい?」
綺麗な紅と黄金(こがね)の瞳がこちらを向いた。
「僕かい?僕はちっとも退屈じゃないよ」
とても、美しい少年。
「幸せさ」
その言葉に嘘偽りはないのだと、その笑顔がいっぱいに伝えていた。
「だってずっと」
ぴきぴき、と不穏な音がする。
「ずっとお前と一緒にいられるんだから―――…」

パキン、と言う音と共に桜井は目を開ける。
カーテンの隙間から朝日が差し込んで、小鳥の鳴き声が聞こえていた。
夢。
胸の上に登っていた今吉をそっと下ろし、起き上がる。
部屋の隅では紫原がまだ寝息を立てていた。
今のはきっと、紫原が見ている夢が流れこんできたのだろう。
あの赤い髪をした綺麗な少年が、征十郎なのだと思った。
ひょっとしたら、彼は悪霊に砕かれてしまったのかもしれない。
だから、残された紫原がこんなに必死になっているのかも。
桜井は昨晩感じた憎しみに、そう理由を付けた。

まだ夢を見ているのか、ぽろぽろと涙を流す紫原を撫ぜる。
「紫原サン、あまり泣くと融けてしまいますよ」
階下から朝ごはんだと呼ぶ声がした。
返事をしてからもう一撫で。
「どんな事情かは分かりませんが、悪霊なんてものを放っておく訳には行きません」
ぱちり、とつぶらな目が桜井を見上げる。
「此処には、ボクが守りたいものがたくさんあるんです」



放課後、研究会メンバーで集まった時にそれとなく話を振ってみると、
聞いたことあるぞ、と木吉が話してくれた。
「確か昔、村を突然襲ってきた悪霊を、えらい神主さんが大木に封じたって話だ」
相槌をうつ。
「その木、道路広げるとかで切られたらしいぞ」
缶のブラックコーヒーを煽りながら花宮が口を出す。
「うわ、マジか。怖いことするなぁ…」
伊月も顔を歪めた。
全くだ。
仮にも魔封じなんて名前のついている木を何の下準備もなしに切るなんて。
「森林公園付近の植物が枯れ始めてんのも、それの影響だって噂だ」
「ありえなくはないだろうなぁ」
見えない人間と言うのは本当に、恐れ知らずなのだと桜井は感じた。



20130118