結局帰ってからもあの光景が気になって眠れなく、
次の日の学校を桜井はぼーっとして過ごした。
クラスメイトに大丈夫か、と問われて大丈夫です、と弱々しく返す。
妖なのか、人なのか。
人ならば、自分と同じように見えるのか…。
「ねぇ、あの門の所の人、俳優の諏佐さんに似てない?」
「えー?あ、ホントだー」
「本人だったりして」
「まっさかー」
女の子たちの話し声に、桜井も窓から校門を覗いてみる。
控えめに手を振って来たその人は、諏佐佳典で間違いなさそうだった。

「どうも」
校門に行けば、話し掛けられた。
「あの…何か御用でしょうか…?」
「ええと、昨日の夜…」
びくり、と肩が揺れる。
見てはいけないものだったのだろうか。
目に見えて怯えた桜井に、諏佐は困ったように笑いながら頬をかく。
「高尾…うちの式が、お前と目が合ったって言ってたからな。ちょっと気になって。
もし良ければ…お茶でもどうだい?」
断る理由はなかった。

コーヒーが運ばれてきて、ウェイトレスのお姉さんがごゆっくりどうぞ、と戻っていく。
一口それを口にして、諏佐がやっと口を開いた。
「ええと…諏佐佳典だ。表では俳優、裏では妖祓いをやっている。
お前は…その、妖が見えるんだな?」
「桜井良です。
妖…諏佐サンも、見えるんですか?それに、妖祓いって…」
胸がどきどきしている。
同じように見える人に出会うのは、初めてだった。
「ああ、見える。ちなみにオレはちゃんと人間だよ。
妖祓いと言うのは、言葉の通りだ。妖を祓う仕事だな」
そんな仕事があるなんて知らなかった。
昨日の夜のあれも、妖祓いの一種らしい。
封印なのだと諏佐は言っていた、一緒にいたのは自分の式なのだとも。
「お前の力を見込んで、仕事の手助けを頼みたかったんだが…」
人が多くなってきたな、と諏佐が呟いた。
なんでだろう、と不思議そうに。
「諏佐サン…貴方、自分が俳優だって自覚してるんですか…」
「ん?…ああ、そっか」
思い出したように諏佐が苦笑する。
「自分もそうなはずなのに、人間のことは難しくて困るね」
その表情で、この人も自分と同じように、人と距離を取ってきたのだと悟った。
力になりたいが、進んで妖に関わるような真似をしても大丈夫なのだろうか。
不安が消えない。
ふと、首元の蛇の模様が目にはいる。
あれ、と思った。
あの刺青は、こんな形だっただろうか…?
見つめる桜井に気付いたかのように、それはしゅる、と動いた。
目を見開く。
「刺青が動いた…?」
「あ、これも見えるのか」
すごいな、と諏佐は説明を始める。
「身体中を動きまわるんだよ、この痣。オレの身体に住み着いている妖だ」
「体調に…影響は…?」
「ん、ないよ。
一応、どうしてオレの身体に住み着いたのかも分かってる」
だけど内緒、と笑う諏佐にずきり、と何処かが痛む。
どうしようもないのだとつきつけられているようで。
「君は優しい子だね」
そんな様子を見ていた諏佐が零した。

「それは優しいんじゃねぇ。
ただのお人好しか、踏み込む領分も解っていない馬鹿だ」
突然天井から声が降って来て、桜井の身体に何かが巻き付く。
髪だ、と理解するのと同時に、桜井の視界に少年が映った。
金色の髪にはちみつ色の瞳をした少年が、天井に逆さまの状態から降りてくる。
「諏佐、それはお前にも言えることだぞ。
こんな餓鬼に入れ込んで何になる、災厄を呼び寄せてからじゃ遅いんだぞ」
「…軽率だったのは謝るよ、宮地。
だから彼を離してやってくれないかな」
宮地と呼ばれた少年は舌打ちをして諏佐を睨む。
「それは命令か?」
「出来ればお願いが良いかな」
桜井の手首に巻き付いた髪が、ぎり、と締まった。
少し痛いがどうやら本気で危害を加えに来ている訳ではなさそうなので放っておく。
それを横目で確認し、もう一度諏佐が口を開きかけた時、
「離しい」
聞き慣れた声が耳元に降りてきて、視界に光が溢れる。
大きな舌打ちと共に、髪による拘束が解けた。
「今吉サン…」
「ワシのものに手ェ出すなんて、覚悟は出来てんやろな?」
沈黙が流れる。
それを打ち破ったのは騒ぎを聞きつけたウェイトレスで、
犬の連れ込みは困る、というその言葉に、桜井は今吉を引っ掴んで、
またも逃げるようにその場を後にした。
「明日、七辻公園で待ってる」
後を追う諏佐の言葉が、耳にこびりついて離れなかった。

「明日も会うんか?」
不機嫌そうな今吉の声に頷く。
「本当は…本当は、たくさん、聞きたいことがあるんです…」
きっと、同じものを抱えてきた人だから。



翌日、諏佐に会いに行くのには今吉も着いて来た。
妖が絡むと聞いて、放っておくのは得策ではないと考えたらしい。
「桜井は無茶しかせぇへんからなぁ」
反論出来ないので好きにさせることにした。

公園に行く途中、この前のお面の妖とすれ違う。
「こんにちは」
思わず口をついて出た挨拶に、しまった、と思う。
お面の妖はじろり、とこちらを向いただけで何も答えなかった。

「お待たせしました」
「いや、待ってないぞ」
諏佐の元に駆け寄る。
諏佐は視線を今吉に移して、何とも言えない表情をした。
「桜井、これは…犬か?」
「ええと…一応、狐です」
「狐!?」
その反応に、やっぱり狐には見えないんだと思う。
こんなふっとりしたラインでは仕方ないとは思うが。
「いえ、あの、本当は狐でもなくて…」
口ごもる桜井に、小さく諏佐は笑う。
「そっか」
可愛いね、と今吉を撫でながら目を伏せる。
本当のことを言葉にするのは、あまりにこそばゆい。

古びた家屋に入り、腰を下ろす。
どうやら短い間借りている家らしい。
こうすれば人に聞かれることもないだろう、と諏佐は笑った。
俳優だと言うのに、下手な笑い方をする人だと思った。
諏佐が高尾、宮地、と呼べば、この間見た二人の子供が現れる。
「こっちが高尾でこっちが宮地。昨日は宮地が悪かったな」
痛くなかったか?と問われ、大丈夫です、と返す。
「祓い屋なんに式も制御出来ないとか、向いてないんちゃう?」
「良く言われる」
失礼なことを抜かす今吉に言葉を返しながら、諏佐は何やら書く手を止めない。
「元々祓い屋なんてやるつもりはなかったんだ。
でも他にまかせておくと此方にもしわ寄せが来るからな。
それならオレがやった方が納得も出来る」
そのまま、今回受けた依頼の説明を始めた。
あかずの倉を開けたら、其処に住み着いていた妖に祟られた。
良くある話だ、と諏佐は笑う。
「祓うだけなら力ずくでやればどうにでもなるんだけどな」
問題は此処からだ、と更に続けた。
「あの妖はこの高尾の知り合いなんだ」
黒髪の少年の方の頭を撫ぜる。
高尾と呼ばれたその少年は、心配そうに顔を歪めていた。
「それも、かなり仲が良かったらしくてな。
それならば助けてやりたいと思うのが、まぁ、普通だろう」
呆れたように今吉がため息を吐く。
「ようそんな甘い考えでやってられんな」
「それも良く言われる」
諏佐は苦笑して話に戻った。
「けれど厄介なことに呪縛については大まかなことしか分からなかった。
細かいことまで分かれば普通に呪を解くだけで済んだんだがな。
桜井、もし家の鍵を失くしてしまったら、お前はどうする?」
「え?」
「その家は自分だけの家で、他に合鍵もないし、新たに合鍵を作ることも出来ない」
諏佐の言いたいことが何となく分かって、桜井は拳を握る。
「…そんなことが、出来るんですか…?」
「さぁ。五分五分と言ったところかな」
いつもこんな無茶苦茶やっている訳じゃない、と付け足された。
どうしよう、力になりたいけれど、自分にそんなことが出来るのだろうか。
いつも、妖を殴ったりするだけの自分に、呪を掛けられた妖を救うなど―――
「お前には繋がりを強める力がある」
迷っている桜井に、諏佐は静かに語り出した。
「助けると言っても、結局最後はその妖の力頼りだ。
もし彼が生きる気力を失っていたら、どうにもならない。
けれど、お前が繋がりの力を強めてくれれば、
高尾の力をあちらに受け渡すことも出来る…はずなんだ」
恐る恐る、と言ったように手を差し伸べられる。
「もし良ければ、協力してくれないか。
それとも、こういう甘いやつは嫌いか?」
「―――いえ」
同じく恐る恐ると言ったように、桜井はその手を取った。

帰り道、 道端に伸びている縄を見つける。
「これ…」
拾ってぐい、と引っ張ってみた。
ぐい、ぐい、と気の赴くままに引っ張っていって、
「やめんか小童」
「…スミマセン」
あのお面の妖に行き着いた。
「この縄は…?」
「…お前、アイツの匂いがする」
お面の妖は質問には答えずに、小さく零す。
「…座ってください。
その手の包帯、気になるから直したいんです」
暫く迷っていたようだったが、根負けしたように妖は手を出した。

その細い指に丁寧に包帯を巻き付けていく。
それを見詰めながら、妖はぽつりぽつりと話しだした。
彼を此処へ縛り付けたのは何処ぞの祈祷師であること。
昔は山守りをしていたこと。
家と倉を守るように命じられ、開ける者がいたら祟るようにと言われたこと。
…最近、倉を開けた者がいること。
役目を果たさねば縄が締まり、首が切れるようになっているため、祟るために通っていること。
桜井は視線を縄の始まりに移す。
頑丈な金属片で括りつけられたそれの周りにある、無数の引っかき傷。
昔は逃げようとしたのだろう。
「逃げることは諦めた…この包帯があれば、それで良いと思ったのだよ」
山守りをしていた時に、友人が巻いてくれた包帯。
お前の指はとても綺麗だから、未来を導ける素敵な指だから、守れるように。
その思い出だけを抱いて、此処で無為に時間をやり過ごすだけの日々。
「倉が開いた時、役目など果たさず、このまま首が落ちるのも良いと思っていたのだよ」
お面の妖は未練はない、と言い切った。
「けれど縁とは面白いものだ。アイツが祓い人の式など…。
アイツが仕えると決めた人間の手柄になるのは、喜ばしいことなのだよ」
ああ、助けたい。
桜井は強く思った。





20121126
20130117 改訂