「良くん」
ある日、真剣な面持ちでさつきが切り出した。
「な、何でしょう…さつきさん…」
「あのね、本当に言い難いんだけど…」
今日は早く帰って来ていたテツヤも、その後ろで同じような表情をしている。
心臓がばくばくしている。
何を言われる?この家から出ていけ、とか?
桜井の額を冷や汗が落ちる。
「テツくんとも話し合ったんだけどね…?
―――今吉さん、太り過ぎだと思うの」
「…へ?」
思わず、間抜けな声が出た。
人間にも見えるように狐姿に化けた今吉を拾ったから飼いたいと申し出て数ヶ月。
黒子家では何故か今吉は未だに犬と認識されている。
まぁ確かにふてぶてしい程の身体のラインを見て、狐と言える人は少ないだろう。
「どうして狐姿だとこんなに丸いんでしょうね…」
「ワシもそれ知りたいわ…」
だから、はい。と笑顔でさつきに首輪と散歩紐を渡され、
桜井と今吉は転がるように家を出てきていた。
折角なので渡されたものはちゃんと使っている。
人型は雅な格好をした眼鏡の美形で、本性は美麗な九尾狐だというのに、
どうして動物型はこうもふてぶてしく丸いのだろう。
桜井は不思議でならなかったが、それは今吉も同じらしい。
「まぁ犬と思うてくれるのは、いろいろ便利やけどなぁ」
確かに、狐を拾ってきたとなると飼うというのにも更なる説得が必要そうだ。
「その割には犬らしくはないですけどね」
お揚げ好きですし、と思い出す。
本性が狐だからなのか、
今吉は人間の想像するお狐様を地で行っているような気がしてならない。
「犬らしくなぁ…飼い主と追いかけっこでもすれば良いんか?」
言うが早いか今吉が駆け出した。
桜井の手から散歩紐がすっぽ抜ける。
「犬らしくして欲しいとは、言ってないんだけどなぁ…」
呟いて、何処か楽しそうに今吉の飛び込んだ草原に入っていった。
「迷子になりますよー、今吉サーン」
ざくざくと草をかき分けて今吉を追う。
がつん。
「え」
何かに躓いて、桜井は大きく身体を揺らがせた。
何かに抱きとめられる。
ふわり、と香ったそれはものすごく身近なものだった。
「悪い。躓かせたな、大丈夫か?」
「は、はい」
が、声が違って慌てて顔を上げる。
何処かで見たことあるような顔。
「良かった。
…こんなところで居眠りするもんじゃないな」
苦笑する男に遠くから声が掛かる。諏佐さーん、休憩終わりでーす。
じゃあ、と手を振って、今行きます、と男は声の方へ向かう。
「…刺青?」
男の首元に見えた蛇の模様が、酷く印象に残った。
「桜井?」
後ろから声を掛けられてはっとする。
「花宮さん」
「今の諏佐佳典じゃねぇか」
「お知り合いですか?」
す、と花宮が目を細める。
「お前、テレビ見ないのか?」
「え…人並みだと思いますけど」
確かに黒子家に引き取られるまでテレビを見る余裕はあまりなく、習慣にはなっていないが。
此処に来てからは夕食後には家族団欒、とでも言うようにさつきを真ん中に三人で並んで、
仲良くテレビを見ることも少なくない。
「今売り出し中の俳優だよ。モデルの黄瀬と並んで大人気だぞ」
そう言われてああ、と思い出す。
「ポケリのCMの人…」
「そうそれ」
がさ、と足元が鳴って今吉が顔を出した。
「今吉サン、追い掛けてあげられなくてスミマセン」
「…桜井、それ、犬か?でかいな…」
「ええ、拾ったんですよ」
「そうなのか。
…オレの家この近くなんだ。今度遊びに来いよ」
じゃあ、と花宮と別れる。
「はい、必ず」
よいしょ、と桜井は今吉を抱え上げた。
「友人か?」
「はい。
ボクをバスケ研究会に誘ってくれた、大切な先輩ですよ」
もふもふの毛並みに顔を埋める。
さっきの人と、同じ香りがした。
桜井は幼い頃から良く変なものを見た。
それは妖と呼ばれるもので、普通の人間には見えないもの。
そう、例えば、
「…包帯、解けかけていますよ。巻き直しましょうか?」
こんなものとか。
綺麗な緑色の髪をした変なお面の妖は、振り返りもせずに言い放った。
「人のくせに構うな」
そのまま歩いて行ってしまう。
彼の首に掛かる縄が気に掛かった。
「阿呆、やたらと声掛けたらあかんよ」
「そうですね」
呆れたような声の今吉に笑って返す。
この町に来てから、暖かい人たちと言葉を交わすことが多くなった。
だから、少し浮かれているのかもしれない。
「ただいま」
おかえり、と暖かな声が返って来ることは、こんなにも幸せなことなのだ。
真夜中、桜井は目を覚ました。
「…夢、か」
嘘吐き、と罵られる夢。
見えない人たちにとってはそれが正常な反応だと分かっていても、
何も知らないくせに、と思うのをやめられない。
今吉は、と思って辺りを見回せば、飲みに行ってくる、との書き置きを見つけた。
桜井の元に舞い降りたお狐様は、割とこうして自由にしている。
「水、飲んでこよう…」
ふ、と息を吐いて、桜井は布団から抜けだした。
台所で水を煽る。
こうして昔の夢を見るのは珍しくない。
此処へ来てから増えたのは、それだけ今の暮らしが幸せだからだろう。
「でも、そろそろ忘れたいなぁ…、」
呟くのと同じタイミングで、胸がざわつくのを感じた。
この感じを桜井は良く知っている。
妖の気配が近い。
もしこの家に入って来でもしたら―――ぎゅっと拳を握る。
今吉が出掛けている今、見るだけだ。
そう自分に言い聞かせ、家を飛び出した。
「多分…こっちの方から…」
冬の夜だ、息が白く染まる。
その寒さよりも、
自分の暮らしているあの家に危険が振りかかるかもしれない、という方が怖かった。
見えるということは、そういうことでもある。
暫く歩いた藪の中で、桜井は人影を見つけた。
「こんな時間に…?」
木の影からひょっこりと顔を覗かせてみる。
成人済みであろう男性と、小学生くらいの背丈が二人分。
暗くてはっきりは見えないが二人の子供の方は和装をしているように見えた。
冬の真夜中にしかもこんな藪の中で、人間が何かやっているとは考えづらい。
三人とも妖だろうか、と桜井はじっと見つめる。
力が強いらしい桜井はその使い方をあまり良く分かっておらず、
人間と人型をとっている妖の区別さえつかない。
話し掛けてみようか、でも、どうやって?
悶々と考え込んでいると、三人の向こうに影が飛び出してきた。
ざわり、と嫌なものが身体中を這い回る。
あれは悪いものだ、と本能が訴えている。
危ない、桜井が口を開く前に、男が持っていた木の棒で地面を突いた。
「宮地」
「任せとけ」
子供の一人が宙を舞う。
残った方は男の横に立っているだけだ。
「熱を孕みし影なる者。
月影に穿て、安寧の眠りの海へ落ち滾れ」
男の足元には陣、手の中には壺、それに吸い込まれる影。
何が起こったのか、さっぱり分からない。
だけれど、一瞬辺りに溢れた光で、男の顔を見ることは出来た。
それが更に桜井を混乱に陥れる。
昼間に見た、諏佐佳典、その人。
今のは、一体?
空を舞う子供は人間ではないとしても、もしかして、諏佐も…?
男の横に立つ小さな影がこちらを向いて、その黒い瞳と目があったような気がして、
考えるより先に桜井は其処を逃げ出していた。
20121126
20130117 改訂