セックスしないと出られない部屋 

 目覚めたら白い部屋にいた。何もない部屋である。扉もなければ窓もない、電気もなければ椅子やらベッドやらの家具があるわけでもない。しかし起き上がった山崎には部屋の中がしっかり見えた。電気がないのに何故、と思わなくもないが見えるのだから仕方ない。
 ぼんやりと部屋の中を見回して、山崎はぽん、と手を打った。
「夢か!」
「夢じゃないぞ」
そして、一呼吸も吐かない内に否定された。
 声の出処は真後ろだった。聞き覚えのあるその声に、山崎はぎぎぎ、と振り返る。
「久しぶりだな」
いつも通りの顔でよっと手を上げてみせたのは、古橋だった。
「…久しぶりって、ここ、俺の夢の中だから」
「残念ながらそうじゃない」
「夢の住人に否定されても」
「だから夢の住人ではなくお前のチームメイトの古橋康次郎だ」
押し問答である。
 こんなふうに言い合いをしていても何も始まらないと、山崎はため息を吐いた。
「じゃあお前が俺の夢の住人でないとして、なんでこんなところにいるんだよ。こんな、扉も窓もなんにもない四角い部屋に」
「それは分からない」
「わかんねーのか…」
 がっくりと肩を落とす山崎、でも、と古橋は続けた。
「どうすれば出れるかなら、さっき聞いた」
「さっき?」
「放送がかかった」
「放送って…」
何だよそれ、と顔を歪めてみせる山崎に、古橋は説明を始める。
 どうやら、山崎が目を覚ます少し前、この部屋には放送が流れたらしい。わんわんとこの部屋全体に響くような放送で、何処が出処なのかもさっぱりしなかったらしいが。その、安っぽいボイスレコーダーで変えたような声は、起きている古橋に挨拶をしたあと、この部屋から出る方法を伝授した―――らしい。
「で、その方法ってなんなんだよ?」
「セックス」
「はい?」
思わず聞き返す。
「だから、セックスだ」
「ええと、それは」
「オレとお前でセックスをすれば、この部屋から出られると」
 ぽかん、と山崎は口を開ける。セックス。セックスとは性行為である。性行為とは性欲に基づいた行為のこと。性器などの接触に始まり性交までを指す幅広い単語。
「俺と?」
自分を指す。
「お前が?」
古橋を指す。
「セックス?」
こくり、と縦に振られた首を見つめながら、山崎は暫く何も言わずに目を瞬かせていた。
 もしかしたらこの白い部屋の真ん中で向き合っている夢が今にも終わるかもしれない、そんな希望を抱いていた。



セックスしないと出れない部屋の山古
ask

***

カラフル・ワールド 

 貴方の眸はどうしても、色眼鏡しか通せないの。



(もうすぐ、もうすぐ、春だよ)

***

フラスコをさかさまに 

 「惚れ薬?」
「ああ」
そんなもの存在するのか、とでも言いたげな山崎の声に、一つだけ頷く。
「まぁ催淫剤の方が適切だろうな」
惚れ薬なんていうのは可愛い言い方に過ぎない。人間は、心なんて不確かなものよりも、眼前の欲求に忠実であるように出来ている。
 掴んで騙して、そうして勘違いでその心とやらを手に入れることが出来るように。そんな単純な生き物だ。何もかもが本能に沿って作られている。
「催淫剤って、おま」
夢がねーな、と続けた山崎に一歩、近寄った。からかうようにフラスコを振ってみる。爆発の危険性がない、そう分かっているからこそ出来る、ある意味命知らずな行為だ。不機嫌そうな顔のまま、それでもそこを動かない山崎に小さく、使うか、と尋ねてみる。
「…いらねーだろ」
 高さのそう変わらない目が拗ねたようにこちらを見てくる。
「惚れ薬でも催淫剤でもなんでもいーけどよ、
それって結局見えないもんが欲しくて使うんだろ」
だから、いらねーだろ。ふい、と目を逸らした山崎が可愛いだなんて、そろそろ末期かもしれない。
「それも、そうだな」
笑って廃液バケツに近付く。
 さかさまに全てが消えて行くのを、山崎が興味なさそうに眺めているのがやたらと嬉しかった。



(時折急に喉が渇くように、お前と夢を見ていたくなるんだ)

***

「あいして、」 

 きらきらと光るような夜だった。あんまんから立ち昇る湯気がふわりふわりと空気に食われていって、なんだか冬だなぁと思うような、ひどくありきたりな夜。もう春も近いはずなのに、消えてなくなった暖かさ。それで良い、なんて、一人の意見で言うことではないけれど。
「…卒業、おめでと」
こんなしみったれた別れには、それで充分だと思った。
 クラスメイトたちに囲まれる花宮を拉致して、元バスケ部で卒業打ち上げをしていたのはさっきまでのことだ。もうきっと、会うこともない。蓋をしていたこの想いともおさらばだ。
「…そっちこそ」
返って来た言葉にそれもそうだと笑う。
「なんか言いたくなったから」
「そうか」
自然と歩む速度が落ちて行く。お前も離れたくない、なんて、思ってくれていたら。そんな少女漫画みたいなこと、あるはずないのに。願うだけはただだと言わんばかりに、生まれては喉で殺される言葉たち。
「高校楽しかったな」
「あんなラフプレーだらけの青春が?」
お前が言うなよ、と小さく突っ込む。
「まぁそれも、振り返ってみたら」
ひでー人間だな、とは思う。けれども、これが自分という人間なのだと、開き直るしかない。
「なぁ」
立ち止まる音がした。振り返る。
「オレに言うこと、あるだろ」
見透かしたような言葉にずくり、と胸の辺りを抉られる心地だった。
「卒業おめでとう?」
「それはさっき聞いた」
「じゃあ、」
「惚けるな」
かぶせてくるな。この短くて長い時間で、それなりにチームメイト同士も似通ったのか、なんて思うのは、かぶせるのが得意なチームメイトがいたからだ。
「もう、オレは、待ちくたびれた」
「…待ってくれ、なんて言ってねーぞ」
「そうだな、けど」
お前は待たせるだけなんてしないだろう? 全部お見通しだ、と言わんばかりににやりと笑ったその顔に、まぁ一発くらいお見舞いしてもいい気がする。許されるよな、と思いながらため息を吐くが、どうせやらないのだ。それすら分かっているような目の前のこいつが心底うざったい。
「ほら、言ってみろ」
やまざき。甘くてきらめいていて、宝石みたいな声だった。殺し続けていた言葉たちが一斉に息を吹き返して、ああ、ほら。
 この想いにさよならを告げよう。



(呼吸が出来ない程切ないだなんて、悪役にはぴったりの最期だ)

***

あやす手のひら 

 はっと目が覚めたのは、恐らく夜中だった。
 どくどくと脈打つこめかみに、今自分が何処にいるのか分からなくなる。飛び起きたい衝動を堪えて見知らぬ天井を凝視きていると、落ち着いてきたのか思い出してきた。此処は合宿所だ。思い出すとすうっと頭が冷えて行くようだった。時折聞こえるふがふがという音は瀬戸の寝言だろう。
 こわい、夢だった気がする。どくりどくりと、自分の心臓の音がやけに煩かった。額に浮かんでいるのは冷や汗だろう。ごろり、と左を向くと、寝る前と同じに山崎がいて、すうすうと規則的な呼吸をしていた。眉間にしわが寄っていない分、いつもより幼く見える。そうっと手を伸ばす。どんな夢なのか覚えている訳ではないのに、怖かったような気がする、とその感覚だけ残っていて。何となく山崎に触れていたくなった。けれど起こすのも忍びない。明日も朝早くから練習があるし、合宿はもう数日続く。こんな個人的にも程があることで、山崎の睡眠を妨げてしまうのは如何なものか。古橋にもそれくらいの常識はある。
「やま、ざき」
起こさないように名前を紡ぐ。ふわふわと指先をなぞる。ごつごつとした指先はバスケをやっている人間のもので、少しだけ嬉しくなった。
「やまざき」
バスケをやっていなければ、きっと会えなかっただろう。運命とか奇跡とか、偶然にそう言った名前をつけたりはしないけれど。それでも会えて良かったなんて、そんなことを思うのだから。ふふ、と唇が弛む。以前では考えられない程に、甘い思考をするようになった。恋は盲目とはよく言ったものだ。
 ふいに、山崎の手が応えるように動いた。もぞもぞと動いて、そのまま古橋の頭を撫ぜてくる。
「やまざき?」
応えはない。夢でも見ているのだろうか。大人しくそれを受けながら古橋は思う。やわやわと撫ぜる手のひらに、何処かへ行っていた眠気が戻ってくるのを感じた。きっとこの手のひらのことを優しいと言うのだろう。とろり、とした眠気の中、そんなふうに思った。この集団の中で浮きこそしないが、確実に山崎という人間は異質だ。そしてその異質が齎す恩恵を、古橋は独り占め出来ていると自覚している。
「やまざき」
招かれるように目を閉じる。
 お前のやわらかさも、優しさも、お前が齎すすべてが、自分のためであったら良いのに



(その名は、あまりに甘やかで、紡ぐことすら畏れ多い)



診断メーカー:リンク切れ

***

大丈夫だからもう誰もいないから歌って聴かせてよ 

 お前の方から嫌いになってくれ。そんな言葉を言われれ頭を殴られた気がした。別に、動揺した訳ではない。ただ。
「おまえ、本当にばかなんだな。ばかでもいいんだけど、っていうかもう、一生ばかのままでいてほしいくらいなんだけど」
言葉が零れ出る。
「それ絶対、一生ないから」
「絶対なんてないだろう」
「絶対なんて絶対ない、ってそれがもう既に絶対です≠チてか?」
「…貸したアルバムちゃんと聞いてたんだな」
心底意外そうに古橋が言った。だから山崎は目を細めて返す。
「当たり前だろ」



愛してる』とは言えないから、山崎くんに古橋くんは「君の方から、嫌いになってよ」と口にする。
http://shindanmaker.com/562881



image song「37458」RADWIMPS

***

午前三時のラブレター 

 ふと、目が覚めた。何かに呼ばれたような、そんな心地で。ゆるゆると押し上げた瞼はそう重たくはなく、このまま目を閉じてしまえばもう一度眠りに落ちるのは難しいことではないだろう。けれども山崎はそうすることはなく天井を見上げた。
 月だろうか。暗い部屋の中に差し込むうっすらとした光が、ぼんやりと天井で休んでいる蛍光灯を照らし出している。今夜は晴れているのだろうか、満月だっただろうか、そんなことをふわふわ思いながら窓のある方へ視線をずらすと、窓辺に誰か立っているのに気付いた。
 ふるはし。小さく唇が吐いた息のような声を、その影は聞き逃さなかったらしい。振り返る。表情は逆光になって見えはしなかったが、仄かに笑まれたような気はした。
 その影が小さく手招きをしたのが見えたので、ゆっくりと上体を起こす。唐突に響いた、んが、という呼吸音に肩を揺らすも、直ぐにそれが瀬戸だと気付いた。此処には部の合宿で来ているのだ。問題児ばかりを抱える花宮が一番彼らを御しやすい形、と収まったのがこの形、部の中でもいっとうに扱いの面倒なベストメンバーを、同じ部屋にまとめてしまう、というものだった。
 そろそろと立ち上がると隣の原が寝返りを打った。立ち止まって見下ろして見るも本当にただの寝返りだったらしい。足音を立てないように、それと同時に誰かを踏んだりしないように、そうやって古橋のところにまで辿り着くのに、相当な時間が掛かったように思う。
「眠れないのか」
差し伸べられた手を取って、同じように月の灯りの下へと入って最初に発したのは、そんな言葉だった。古橋の顔には淡く疲れの色が見えるような気がした。今日の、否、もう昨日のことではあるが、練習だっていつも学校で行うものより密度の濃い構成になっていた。休める時にしっかり休まねばまだ続く合宿の中、何処かで倒れないとも限らない。
「少し、な」
寝付けなかっただけだ、と古橋は何でもないことのように呟いた。しん、と静まり返った室内に、またも瀬戸の呻きなのか寝言なのか良く分からない呼吸が響く。
 まだ繋がれたままだった手に、ふと視線が行った。誘われるようにして古橋の妙に白く照らされた掌の上に指を滑らせる。始めは手首に近い方で横に長く一本、その右端を突き抜けるように落とした一線を、そのままくるりと回して離す。数秒、落ち着けるように深く呼吸をしてから、同じ長さの横線を二本、それを右下へとまとめるように跳ねて、そこから繋がるようにもう一度落とす。
 暫く古橋は何も喋らなかった。山崎にはその余韻を追いかけているようにも見えた。
「…ふ、」
軽く、漏れる笑み。
「…おれもだ」
そう小さく零された言葉を皮切りに、その腕を引き寄せる。
 時が、止まったようだと、そう思った。月の下で、その光に照らされて、その瞬間が永遠にも感じられた。けれどもそれと同じくらい、いつもと同じように朝が来るのだと、それは決して不幸なことではないのだと、分かってもいた。

***

ニシルの夢 

 ふわり、ふわりと。その思考がなみなみと注がれたものに沈んでいく感覚を古橋康次郎は良く知っていた。何色ともつかないそれは自分であって自分でないもので、そこにあるのにないような、そんなあやふやな感覚を古橋にもたらす。
 とんとん、という音が目を開けた。何かを叩くような音である。映ったのは知らない天井。もすり、と寝返りを打とうとしたら、ベッド代わりにしていたらしい赤いソファから落ちそうになった。
「起きたのか?」
声の方を向くと、そこには山崎がいた。
 瞬間、思い出す。
 古橋は山崎と此処に暮らしていることを。山崎は今、何かを作っていることを。
「…ん」
「まだ眠いなら寝ててもいいぞ」
「ん、」
とんとん、という音は山崎が釘を打っている音だった。自分の周りを見回すと、たくさんのものが詰め込まれた大きな緑のリュックサックがある。
「起きるならその中身点検しとけよー」
「ん」
まだぼやぼやと薄らぐ頭を振って起き上がる。そっと撫ぜたリュックサックは、つるつるとした触り心地でしっかりしたものだった。
 もうすぐ、この世界は終わる。
 一つひとつ中身を点検していく中で、古橋はそう思った。だから山崎は船を作っている。とんとん、と優しい彼のような音を立てながら、その中身とも言える部分を作っていく。あたたかな色をしたその木は何処から持ってきたのだろう、古橋はぼんやりと考えた。周りの森だろうか。この家の外には鬱蒼とした、とまではいかないがそこそこにしっかりとした森があることを古橋は知っていた。
 中身が終わったら山崎は今度は金属の板を一枚いちまち貼っていくのだろう。頑丈な船を作るのだ、そう言っていた。任せろよ、そう言う山崎に古橋は任せた、と言った。だから古橋の仕事はそれに乗せる荷物を選別することなのだ。
 よいしょ、ときつく結ばれたベルトをとって開けたその中に、古橋は勢い良く手を突っ込んだ。
 ぼーん、と柱時計が時間を告げる。
「山崎」
声を掛けると、その顔はすぐに上げられた。
「飯にしよう」
「お? もうそんな時間?」
「ああ」
そっか、と呟いて、よいしょっ、と山崎が立ち上がる。それを見届けてから古橋はことり、カウンター造りに皿を置く。真っ白な生地にいい色に焼き目がついたパン、牛乳。山崎のために挽いた豆の香りが、いつまでも鼻の奥に残っていた。
 静かな暮らしだった。
 毎日同じものを食べて、同じことを繰り返す。
 暫くすると、山崎は予想通り金属の板を持ってきた。木の時の音とは違うその音を聞きながら、やはり古橋のやることはそれを眺めて、荷物の整理をするだけだった。
「古橋」
「何だ」
「もう少し、荷物減らした方が良いんじゃねえ?」
古橋のまとめた荷物はもう六個目になっていた。残っているのは必要最低限のものと、柱時計くらい。まだこれに食料やら何やらもまとめるのだ。小さい船では入らないかもしれない。
「悪い、でも、全部必要だと思うんだ」
かり、と掻いた頬は冷たくなっていた。
「本当は、この家だって」
「…家は、無理だな」
「そうだろう」
「まぁ、仕方ねぇな」
 そうして、何度目の太陽が昇った時だったろう。
「出来た」
まだ薄い光の中、山崎はとびきりの笑顔を見せた。
 二人で荷物を積み込み、その大きな船を押して外へと出る。
「うわぁ」
外の光景を見た古橋は、思わず声を漏らした。それは幼い頃に封印した少年の心が上げた声のような気がした。この数日まったく外へ出なかったので気付かなかったが、玄関のすぐ目の前まで水が来ていたのだ。
 世界が、終わる。
 それを目前にして、こんなに心がざわめくなんて。
「ギリギリ間に合ったな」
笑う山崎にこくり、と頷く。
「さ、朝飯食ったら出発しよう」
船をしっかりと繋いで家の中へと戻る。今日も白いパンの焼けるいい香りと牛乳の注がれる音、丁寧に挽いた豆の香りがしていた。ぼーん、と。柱時計が忘れるなよ、とばかりに鳴った。
 最後に使ったものたちを一番小さなリュックに詰め込んで、二人で船へと乗り込む。中は思いの外四角くて狭かった。それがなんだか山崎らしくて笑う。
「出発だ」
舵を握った山崎の背中が、とても頼もしく見えた。
 がくん、と船体が傾いたのは水の上に出てからだった。もう結構、あの家から離れた頃のことだった。
「………? どうしたんだろ」
首を傾げる山崎の袖をちょちょいっと引く。
「山崎、そういえば、大きな螺子が落ちていくのを見た」
「お前…今更そんなこと言われてもどうしようもねえだろ」
「そうだな」
「そうだろ。…って、なんでお前、そんな嬉しそうな顔してんだよ」
「だって」
 さっきから船は波にもまれているようだった。ぐらぐらと、立っているのも覚束ない。
「山崎と、一緒だから」
ぼーん、と一緒に持ってきた柱時計が、リュックの一番上で鳴った。その瞬間、がったん! ひときわ大きな音がして二人、床に倒れ込む。
 やまざき、と頭を胸に埋める。嗅ぎ慣れた白いパンと、キリマンジャロの香りがした。
「お前と一緒ならばオレは、ピンチだって嬉しいさ」
「ばーか。ピンチなんかじゃねぇっての」
すぐに巻き返してやる、そう言って頭を撫ぜると、山崎はまた立ち上がって操縦へと戻っていった。
 一度も古橋にやれとは言わない、そんな背中が本当に好きだった。
「お前に見たことのない景色、見せてやっから」
だから、あの山の頂上まで、もすこし我慢してな。
 ふわり、思考が浮き上がっていく。残念だな、そう思って目を開ける。知らない天井などはなく、よくよく見知った自分の部屋のもの。
「…やまざき」
掠れた声が漏れる。
 ああ、あの二人は無事、山へと辿りつけたのだろう。



image song「箱舟」天野月子

***

損と嘘 

 その言葉を吐こうと思ったのは、今しかないと直感したからだった。
「山崎、オレを愛してくれ」
アーモンドのような形をした目が、まあるく見開かれる。
「どんな形でも良いんだ」
笑う。出来るだけ可愛らしく見えるように。
「オレはお前のために何でもしよう。山崎が花宮に教わったことを持て余しているというのなら、サンドバックになろう。大丈夫だ、仕返しなどしない。オレにだって耐えることは出来る。罵声も甘んじて受け入れよう。大丈夫だ! お前に何を言われても、お前の言葉はオレにとってはこの世の何よりも美しく素晴らしいものなのだから」
幸せなんだ、と続ける。
 山崎は何も言わない。引いてしまっただろうか。こんな、男に告白をされるなんて。ああ、もしかしたら告白自体が初めてなのかもしれない。意外と人気のある山崎だったが、見守りたい派が多くて恋人にはちょっと、と思う女子が多いらしい。分からないな、と思ったが競争相手が減るならばその方が良い。
「やまざき、やまざき、やまざき」
重ねる。
「愛してるんだ」
伝われと、そう心から。
「だからオレに、何でもして良い」
 オレは、山崎を世界で一番愛しているのだから。
「古橋」
震えた唇がオレを呼ぶ。
「…そんなのは、愛じゃない」
 さて、崩れた音は何だったか。



song by倉橋ヨエコ

***

「ねえちょっと、いちゃつくならヨソ行ってくんない」 

 自分になぞらえた青いピンの乗っかった車型のコマが、一つのマスで止まった。結婚=Bそう書かれたマスに古橋の表情がぐっと歪むのを察知する。
 顔なんて見なくとももう分かる。毎回毎回ご苦労様だ。ゲームだろ、と(こちらは見えるところで)(まぁ顔なんて見えやしないが)顔を歪めて見せた原を気にもせず、山崎はもう一つ、青いピンを袋から取り出した。
「これで、いーだろ」
 きゅっとはめてから顔を上げれば、古橋の頬が和らぐのが分かるから。

***


20191226