舞い散る蝶の標本の中 

 その黒い蝶を見たのはきっと最初で最後だった。こんな趣味を始めた山崎を、一度も責めなかった古橋。どんどん死骸で埋まる部屋で、まるで干からびるようにして死んでいた古橋。
「お前、なんだな」
手を伸ばした。蝶は、黒くて美しい蝶は、頷いたように見えた。
 山崎は虫ピンを持っていなかった。それで良いと思った。傷付けても、古橋に触れたいと思った。
 古橋を愛していたから、触れたいと思った。



(二人は眠る)

***

魚の目で騙す 

 オレがお前のことをすきだと言ったらどうするんだ。そんなことが言えたのは、自身のポーカーフェイスを自覚しているからだった。戸惑ったように揺れる肩、えっと、と言葉を探す唇。
 なんて、こたえるのか。
「えー…あー…そうだなぁ…。俺正直お前のことよく知んねーし、トモダチから、って言うしかねーんじゃねーの」
は、と笑みが漏れた。嘲笑だった。
「馬鹿、冗談だ」
「…おまえの冗談、わかりづれーよ」
「マジレス乙」
「やめろなんかそういうの」
 紛れもなく、自分への嘲笑だった。

***

 

*死ネタ

 お前が好きだ、と言った言葉に嘘はなかった。嘘はなかったが真実でもなかった、と山崎弘は懺悔する、そしてその懺悔が一つも間違うことなく相手に、古橋康次郎に伝わっていると知って、それでも尚、愛の言葉を吐く。こんな感情を抱くくらいならば、彼の一挙一動を観察するなんて真似はしなかった。好奇心は猫をも殺すとは言うが、本当に殺されるとは思わなかったし、そもそも自分が猫である可能性すら考えてはいなかった。
「…古橋」
呼ぶと、なんだ、と返るやわらかい声。
「お前が好きだ」
繰り返す、愛の言葉。
 お前はもう、この世にいないのに、こわれたぜんまい仕掛けのように 、ただ、繰り返す。



image「菊」三好達治

***

かいじゅうのくに 

 明日の夕焼けを見る。
「お前が何を怖がってるのかもオレにはわかんねえし、多分お前にも説明がつかねーのかもしれないけどさ」
頬を染めるのは夕日の色だけだった、いや、本当はこういう台詞を言うことになんて慣れていないはずだから、きっと照れてもいるのだろうけど、古橋にはやっぱりいつもの山崎にしか見えなくて、だから多分、それが山崎の本質で。
「それでも、オレは許される限りお前といたいよ」
「許されるって、何に」
「わかんねえ。時間とか」
「一緒に死にたい」
「出来ない時だってあるだろ」
死ぬ前に一緒に生きることを考えてみてくれよ、死ぬのはそれからでも出来るだろ、とそんなことを言う山崎はきっと普通≠ナ古橋なんかに勿体なくて、でもきっと伸ばされた手を取らないことなんて出来ないから。
 ああ。
 神さまがいるのならそいつはきっとあの狐目の先輩のような顔をしているに違いない。

***

ぼくらの未来(或いは進路調査票) 

 なんか書けたか? と暑さにやられるようにして教室のその隅の席、首を逸らしてみせる山崎のそれは白紙だった。古橋も、それは同じく。
「何を書いたら良いのか分からない」
「行きたい大学って聞かれてもなあ」
考えておくべきなのは分かるんだけどさ、と言う山崎が必要以上に古橋を自らの内側に入れていることが不安なのに、からりと晴れた空を見ているとどうでも良くなってしまうのだから本当に困った。



文字書きワードパレット
16 白紙/空/内側

***

上質なもの 

*堀宮パロ

 ころん、と消しゴムが落ちる。
「山崎、取ってくれ」
「はいはい」
部活のない放課後、人のいない教室で頭を突き合わせて課題をやっているのに特に意味はない。強いて言うならば家に帰れば寝てしまう可能性があるからだ。習慣とは恐ろしいものである。
「古橋が落としたのは〜」
使うから早く寄越せ、という古橋の言葉を気にせず山崎は続ける。
「こっちの使いかけでしょうかーそれとも、こっちの使いかけでしょうかー」
山崎の開いた手の上にはどちらにも消しゴム。
「どっちも使いかけじゃないか…右だ」
「下に二個落ちてたんだよ」
ほい、と右の消しゴムを渡しながら山崎は言う。
「誰のだろうな」
「まぁいいか」
後ろのロッカーの上にでも置いておくか、と消しゴムを眺めている山崎に、古橋はずい、と手を出した。
「何だよ」
「自分の消しゴム正直に答えただろ」
「そうだな」
「普通の消しゴムと金と銀の消しゴムをくれ、女神」
「俺女神じゃねえしそもそもこれだって持ち主がいるだろ」
 だから落とし物ケースに直行〜と山崎は言ってから立ち上がる。見た目にそぐわず行動が優等生だ。花宮なんかとは逆である。
 そんな山崎を見ながら、古橋はふと思いつく。
「山崎」
「何」
「ちょっと廊下に落ちててみないか」
「やだよ…上質な山崎弘見たくねぇよ…」
その遣り取りだけでよくぞ伝わったものだと思う。お前意外と何考えてるのか分かりやすいからな、と言われればそうか、としか返せないけれども。
「上質な山崎と…ちょっと上質な山崎と………普通の今の山崎の三人になるから少し面白い…」
古橋が笑うのに、山崎はえーと顔を顰める。
「やだよ…絶対上の二人と比べられんじゃん、今の普通の俺…」
「そうか? 全部貰うが」
「そういう強欲なところには行かないんじゃないのか。女神的にも良い子に与えたいだろうし」
「上質な山崎を?」
「俺から離れて?」
 戻ってきた山崎が席について、それからこほん、と咳をする。
「あと、金の斧は先に上質なものを見せられたにも関わらず、それに対する欲を出さなかったご褒美、みたいな感じじゃねーのか?」
「…急に頭良さげなことを言うんじゃない」
「お前って時々アホだよな…」
ううん、と山崎が唸る。
「だからさー、すげえ勉強が出来てすげえスポーツも出来るイケメンAがいるとするだろ」
「ああ」
古橋の頭の中には花宮が浮かんで来た。
「次にさ、イケメンだけど勉強もスポーツもそんなに、な感じのBがいるとするじゃん」
「ああ」
次に浮かんできたのは原である。
「でもそいつらじゃなくて、料理も勉強もそんなにーなふつーの素朴なCが親友です、っていうともれなくAとBとも親友になれる感じのアレじゃねぇの」
 言うまでもなくこの場合のCは古橋である。勿論、古橋の頭の中でだけ、だが。なんだか妙に悲しくなってしまって、机に突っ伏す。どうした、と言う山崎の言葉にもごもごと返す。
「AとBとスイパラでも行けばいいだろ…C要らないだろう…」
「Cが欲しいからCがいていいんだよ。Cがいなきゃだめだろ…」
なんでこんな話になったんだっけ、と山崎が言う。だから古橋は消しゴム、と返す。
「あー…そうだった。課題。課題終わらせようぜ」
「そうだな」
「そしたらスイパラにでも付き合ってやるから。俺じゃ嫌かもしれんけど」
「いや、行く」
 自分の消しゴムを握って、古橋は言う。
 ただの消しゴム、上質ではない消しゴムである。
「山崎だから一緒に行きたいんだ」
そう言ったら、山崎は少し照れたように笑った。


***

天の河のかたすみで 

 古橋が毎日家に帰る度に増えていたことがある。
 なんてことをおおっぴらに言ってしまえばそれはもう頭がおかしくなったとして病院に連れて行かれるだろう。原や瀬戸のたいへん貴重な真顔が見られるかもしれないし、あの花宮だって世界の終わりかってくらい優しい顔をするのかもしれない。ということを考えながら、でも増えていたのは本当だよな、と山崎は改めて思う。あれが何だったのか、ただの山崎の精神的なストレスとか、そういう自分には分からなかった部分が何故か古橋の姿を借りて現れただとか、そういう話だったのかもしれなかった。そうなると今度はどうしてそれが古橋のかたちをして、という疑問が浮かんでくるが、終わってしまったことを考えても仕方がないのが世の常である。今やあの頃とは違う関係になったのだから、今更そういうことを言っても関係がないだろう、とも。でも、なんとなくだけれどもベランダから空を見上げていたら、思い出したのだった。
 その頃は山崎にも古橋にも特別相手に対する感情はなくて、まあ言ってもチームメイト、くらいのものだった。ある日、突然のことである。家に帰って自室の扉を開けたら古橋がいたのだ。先程まで一緒にいた古橋である。仮にもチームメイトだったのでテスト範囲の話くらいはしたし、課題の片付け方とか、授業の範囲の話だとか、担当教諭の違う授業で相違点がないかだとか、そういう話は特別な感情がなくたってする。友人と思っていなくてもする。今思うと友人でも何でもないただのチームメイトと古橋が途中までであろうと、一緒に帰っていた、という事実がとんでもないものであるような気はするのだが、それは本筋から外れるのでさておき。
 勿論、山崎は驚いた。驚いて、ふるはし、と声を掛けた。でも古橋は何も言わず、床に座っているだけだった。体育座り。現実の古橋でも見たことのない行為だったし、いや古橋だって体育座りくらいするだろうが山崎は見たことがなかったので、そもそも山崎と古橋では家の方向が違う。別れた場所から走ったとしても先回りは無理だった。ならばこれは古橋ではないのだろう、と山崎は結論付けた。ならばおばけの類か、と思ったけれど通りがけに部屋を覗いた母が何一人で突っ立ってんの、と言ったことで誰にも見えていないことも確認出来た。別に山崎は今まで幽霊など見たことがなかったし、それは母も同じであると聞いている。ならば、残ったものは一つ。
―――幻覚だ。
原因が何なのかは分からないが、山崎だって思春期の真っ当な男子高校生だった。幻覚くらい見るだろう、ということでその日は流したのだが。
 翌日帰ってみると古橋が増えていた。
 思わず自室の前で崩れ落ちた山崎は悪くないと思いたい。
 それからも暫く古橋ではない古橋は増え続けた。全部が全部同じ訳ではなく、夏服の古橋、冬服の古橋、体育着の古橋、ユニフォームの古橋…などバリエーション豊かに増えていった。毎日、という訳ではなかったし、増えない日もあった。古橋と帰り道に夏祭りの話をした日は浴衣の古橋が増えていたこともある。山崎の自室は特に広い訳ではなかったが、増える古橋には触れることが出来る訳でもなく、バグ技のように壁にめり込んでいたりするのもあって、そのうちに増えようが漂っていようが気にならなくなった。
 そして、それらは。
 夏の終わりと共に綺麗さっぱりなかったようになった。
「…っていう、ことがあってさ」
こんな日だったんだよ、曇り空を見上げる。それでも合間から星々の河が見えている。東京でも天の河が見える、というのは本当に嘘ではないんだな、と思った日だった。山崎の実家の位置からは多分、晴れていなければそんなもの見えなかっただろうから、まあ、細かい天気は違うのだろうけれど。
「でもなんか、今本物のお前が横にいるんだって思ったらおかしくなっちゃって」
古橋は少し考え込むようにしてから、そっとベランダに出て来た。
「高校生の頃、お前と特に理由もなく一緒に帰るようになって、お前のことを毎夜考えてた頃があって」
「………うん?」
何やら始まった。
「その頃は別に恋だと何だとか思っていた訳ではないんだが、どうして山崎は俺と普通に話が出来るんだろうと」
「いや、普通にって…お前だって友達くらいいただろ」
「でもあの頃山崎は俺のことを友人だと思っていたのか?」
「微妙」
「だろう」
俺もだ、と直接言われると少しだけ微妙な気分になるのだな、と思った。
「それで、ただのチームメイトになんでそんなに普通に出来るんだろう…と考えていたことがあったんだ」
「まあ………結局情報だったんじゃね? テスト範囲の話ばっかしてただろ、あの頃」
「バスケの話はびっくりするほどしなかったな」
「そもそもお前と俺じゃあ好きなプレーも選手も違うじゃん…」
「弾まなかっただろうな」
で、と古橋が話題を戻す。
「そんな高校生、古橋少年の思考から溢れたものが毎夜お前のところに俺≠ニして行っていたなら、なんとなく説明がつきそうじゃないか」
「いや…そもそも思考は物質に…なるのか…?」
「そこは御都合主義で」
「ゴツゴウシュギ…」
納得いかないか、と言われてそりゃそうだろうよ、と返す。まあだろうな、と呟いてから古橋は先に中へと入っていった。入らないなら網戸を閉めておくが、と言われたので頼む。
「そういえば山崎」
「何だ」
「あのイルカのぬいぐるみは持って来なかったんだな」
「いやだって邪魔―――って待て、お前俺の部屋来たことなかったよな!?」
「さあ」
「えっ!? 何!? 誰かから写真でも送られて…!?」
「そもそも共通の友人をお前は自室に上げたことがあるのか?」
「ない」
「ならそういうことじゃあないんだろう」
「ですよね! っていうか待て、古橋、マジで………えっ?」
閉められた網戸の向こうで古橋が笑っていた。そういえばあの頃はまだこんなふうに笑う古橋を見たことはなかったな、なんてそんなことを思い出した。

***

テレビは他人事、たにんごと 

 テレビのニュースは当たり前のように殺人の報道をしている。犯人の動機だとかそういうものが、本当はどうでも良い人間が喋っているんだよなあ、と思うとリモコンでそれを消してしまっても別に良いのだと思う。
「…山崎」
「お前がさあ、何を思うのも別に好きにすれば良いし、俺は止めないけどさ」
一緒に暮らしていても、古橋の心だとかそういうものに寄り添うことが出来ないのだと、それが無力なことなのだと思ってしまうから。
「未来のこととか考えるのも大事だけどさ、今は俺と明日の朝食について一緒に考えてくれよ」
「…そうだな」
「パン? 米?」
「米」
「卵? 魚?」
「魚」
 そんないつもの遣り取りで、古橋は何処にも行かないのだと思えてしまう自分の、安さを思った。



ひとが死ぬニュースばかりの真昼間の私はついにからっぽの舟 / 笹井 宏之

***

君を想ひて花を吐く 

 好きだ、と認識したのは一体いつのことだっただろう。気付いたら目で追っていた、なんていうヒットチャートが強ち嘘を吐いている訳ではないと知ったのはその頃だった。理解の出来なかったそれらがやけに身体に馴染んできて、けれども古橋がそれを云うには少し、距離が分からなくて。
「古橋?」
伸ばしかけた指は、取られた。
「どした? なんか用か?」
「ええ、と、」
「なんか糸くずとかついてたとか?」
「そういう訳でも、ないんだが」
お前に触れてみたかったなんて。
 無駄に聡い山崎が気付いてしまうまでそんなに時間がないことを分かっているのに、ただ、古橋は俯いてその爪先を見つめるのだ。



明日の色 @asitanoiro

***

ドリーの骨 

 なかなかに厄介な感情なんだろうな、それは、というのがなんとなくだけれども分かっていた。でも分かっていたと言っても所詮それはなんとなくの程度を出なくて、というか、出したくはなくて、
 山崎は自分のことを賢いと思ったことはないけれど、残念ながら言うほど馬鹿ではないのも分かっているから。
「否定、してくれ、山崎」
泣き縋る古橋に、山崎はその背を撫ぜてやることしか出来なかった。
「否定してくれ、オレは花宮にはなれないんだと、オレは、そんな当たり前のことすら分からないんだ」
そうだよ、違うよ、お前は花宮じゃあないしどれだけ頑張っても花宮にはなれないよ、だから俺のことを好きになんてなっちまった所為でそれを認識してしまったのだとしても、古橋自身が古橋として居残るための楔でしかなかったのだとしても、山崎には本当に古橋が欲しい言葉を言ってやることは出来ないから。
「―――嗚呼、古橋」
なれるよ、なんて。
 唇を噛まなくては言えない言葉でなんか、なかったはずだった。



烏合
http://nanos.jp/tachibana/

***


20191226