夢見る固形苛性ソーダ:今諏佐



今吉翔一には人に見えないものが見えた。
それは幽霊とか妖怪と言ったそういう類のものではなく、
一番近いものをあげるのならオーラ、だろうか。
人間の周りにふとした瞬間見える、その人間の本質を表したもの。
そう、今吉は自分にだけ見えるそれを結論づけていた。

例えば中学の後輩の周りには、朝露が光る蜘蛛の巣が見えた。
主たる蜘蛛はおらず、ただ朝露だけがひっそりと光っている様に、
ああ、と思ったのを覚えている。
それは失望でも発見でもなく、自分の予想していたものとの答え合わせのようだった。
今吉は人を見抜くことに長けている。
それはこの目の所為ではなく、彼自身の能力だった。
この目が見せる時折の風景はただの答え合わせ。
今吉はそうやってそれと付き合ってきていた。
見えるものが徐々に変化することも知っていた。
知った時も驚きはしなかった。
人間は変わらないことなど出来ない生き物、そうだと知っていたから。

そうして高校に進学し、今吉は一人の男と出会う。

彼の名前は諏佐佳典と言った。
やわらかな笑顔の似合う温厚そうな、そして真面目で実直そうな男だった。
何処か不器用で、先輩に媚びたり出来ないでいるのを時折助けた。
同じ部活、同じクラス、寮の隣の部屋のよしみで。
彼のことは良い友人だと思っていたから。
それだけだった、それだけだと思っていた。

冬だ。
初めて諏佐のそれが見えたのは。

あの日は県外の学校との練習試合だった。
今吉も諏佐も実力主義の桐皇で番号をもらい、試合にも出ていた。
「お前、諏佐だよな?」
試合終了後話しかけてきた男に、微かにだが諏佐が肩を揺らせたのに今吉だけが気付いていた。
「久しぶりだなー桐皇に行ったのか!
お前結局誰にも行き先言わなかったんだって?みんな心配してたぞ?」
「悪い、あの時はそんな余裕なかったんだ。
桐皇に決まったのも結構ギリギリだったし、引越しもあったし」
穏やかなその笑みは、きっと作り物だと直感した。
何度も何度も見てきたいつものそれとは、少し勝手が違うように感じた。
「そっかーそれもそうだよな。
でも、お前はもっと強豪行くと思ってたよ」
「そうか?」
「うん、だって諏佐強いじゃん。今日も試合出てたしさ。
一年生だから控えめにしてたんだろうけど、
オレ、お前の弾丸みたいな切り込み、すっげー好きなんだぜ」
違和感を感じた。
弾丸みたいな切り込み。
桐皇学園に入り諏佐と出会って同じ部活でプレイして約一年。
諏佐を見て彼のスタイルをそう感じたことなど一度としてない。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいよ」
「これからも応援してるからな!頑張れよ!」
手を振って元同級生であろうその男は離れていく。
「…諏佐?」
その瞬間だ。
ゆらり、揺れる中に一瞬、映ったもの。

まるで翼のように広がる凍りついた水と、その中で時を止めたような白い魚。

「何だ、今吉」
「…中学の同級生なん?」
「ああ」
まだ強張りは残るものの、諏佐の笑みはいつものものに戻っている。
「…諏佐は、」
何を聞こうというのか。
開いた唇は逡巡して一度閉じられた。
「此処に来て良かったと思う?」
「此処?」
「桐皇、に」
「―――ああ」
良かったと思ってるよ。
そう細まった瞳を見て、今吉は頷く。

自分が融かせば良いだけだ、そう思う。
この凍てついたものが融けて自由自在な水の翼になるように、自分が動けば良いだけだ。
そしてこの白い魚が楽しそうに動く日がくれば、それで良い。
いつか此処で、彼が羽ばたけるようにしてやろう。

傾いた自分の心に気付きながら、今吉は諏佐の背を押す。
「なら良えわーほら、片付け行こ」
「そうだな」
少し駆け足。

まだ、夢を見ることは赦されるはずだ。



20130308