山古
山崎弘は古橋康次郎の眸を食べたことがある。
別に山崎が食べたくて食べた訳ではないと此処で弁解しておく。
ミーティングが終わったあとの夕陽差し込む部室で、
うつらうつらとしていた山崎の口に無理矢理古橋がねじ込んだのだから。
「う、んッ!?」
口の中にむにゅりと押し込まれたそれに、ばっと目を開ける。
それまでの揺蕩うような心地好さは一瞬にして消えうせた。
現実。
そう脳みそが瞬間的に認識して慌てる。
「起きたか」
しかし顔を上げた先にいたのは古橋で、どうやら身の危険はなさそうだと思った。
これが原辺りなら、口の中のものを即座にはき棄てるくらいはしたはずだ。
「…何だ、これ」
ころ、と舌の上を転がる球形は、飴にしては大きく、そして甘みも何もなかった。
「目」
「は?」
「だから目」
オレの、と古橋は自分の眸を指差す。
山崎はもう一度、は?と声を漏らした。
古橋の眼窩には両方とも奇麗に眼球が収まっており、欠けた様子など微塵も見当たらない。
追いつかない頭で古橋をぼんやりと見上げているうちに、
口の中のそれはゆるりと融けてなくなってしまった、その瞬間。
「ッ、う!?」
ざわり、と脳の中枢を叩くような悪寒。
狭い箱の中、ぎゅうぎゅうに詰められているような。
「ふる、はしッ!?」
「山崎」
咄嗟に掴んだ腕はやんわりと離さされて、代わりに落ち着けといわんばかりに頭を撫ぜられる。
「ごめん、でも、大丈夫だから」
耐え切れなくて瞑った瞼の裏、浮かんできたのは。
くすんだ橙の後頭部、
自分の後姿なんか見たことなどないが紛れもない自分だろう。
飽きないのかと思うほど視界の中にあって。
眠っている横顔の写メ、それから取り出されるもの。
たぱぱと滴る白濁が画面にも飛んで、震える指がそれをぬぐって、それで。
「…ふる、はし?」
「見えたか?」
古橋の手が頭からこめかみ、頬へと降りてくる。
いつの間にか伝っていた涙を掬ったのは、さっき見えたものと同じ、こわいくらいに震える指。
「山崎」
微かに頷いたのが見えたらしい古橋は眉尻を下げて、
「すきなんだ」
小さく呟いた。
まるで懺悔のようだと山崎は思う。
一生赦されることのない罪を背負っているみたいだ。
つついたら消えるしゃぼん玉のように震えて、あまりに頼りない。
「ふるはし」
未だがんがんと山崎の脳髄を痛めつけるその容量に目を細めながら、
それでも出来るだけ優しく、とその名を呼ぶ。
涙の痕を辿っていくその指をふわりと包む。
「ふるはし」
なかなかこちらを向かない古橋に、もう一度声をかける。
ゆるゆると指を撫ぜ返してやれば、やっとその黒い眸が山崎を射抜いて、ああ、と思う。
先ほど自分はこれと同じものを口に含んで融かしていたのか、と思うとぞくぞくする。
「ふるはし、すきだ」
そしてそれをもう一度食べたいだなんて、ああ、呆れて物も言えない。
もう少し、君の世界を
感じていられたら良いのに。
20130411