非融解少年 

 てんてん、と音がしている。山崎はスクイーズボトルをじゅっと噛み締めながら、それを聞いていた。
「古橋」
ばすっとそのボールがリングを通り抜け、気持良くネットを揺らしたのを見てから声を掛ける。
「だむだむすんのもそれくらいにしとけよ」
「…前から思っていたんだが、山崎は見かけによらず擬音語が可愛らしいな」
「あー…妹いっから。その影響だ、忘れろ」
「いや、面白いから覚えておく」
原辺りは話のネタにでもしてそうだけどな、うげぇ、勘弁。そんないつもと同じ中身のない話をしながら、居残り練習を切り上げる。
 音は、まだてんてん、と続いていた。

 そこに転がる事実に気付くまでに、実のところ山崎は一ヶ月程の時間を要していた。集団に馴染めない人間というのは何処へ行ってもいるもので、その舞台が進学校となった故に目に見える程のいじめというものに発展しないのでは、などと呑気に考えていたのもある。その妙に色の白い少年の元に自ら歩いて行かなかったのは、どうにも少年が馴染めないでいることを苦痛としていないようであることと、山崎自身が事なかれ主義の嫌いが強かったからに他ならない。もしも何か問題が起こるようなら流石に手を出すべきだろうか、けれども巻き込まれるのはごめんだな、そんなことを思いながら入部から一ヶ月、山崎は特にその少年と接触することはなかった。
 その思考が全くもって無駄だったことを知ったのは、とある金曜日の部活の時間のことである。
 いつもと同じ拙いドリブル。誰かの汗でも落ちていたのか、つるりと滑ってバランスが崩れた。
 薄皮一枚。そんな危ういものよりももっと向こうの話。はぁ、と吐いた息はだたの納得だった。
 そういえば、彼はいつも古橋の後ろにいたな、と思い出したのもその時だった。誰かに見られているとも思わないのか、少年はズレた部分をきゅっと直すと、また輪の中に加わっていった。それはやはりと言うか古橋の後ろだった。もう一度息を吐く。どうやら古橋は彼に好かれているらしい。しかし、まぁ、害がないのなら放っておいても良いだろう。
 あの瞬間、咄嗟に思い浮かべたのは某魔法使いの児童文学内に登場するキャラクターであり、彼にあやかってその馴染めない少年のことはニコと呼ぶことにした。誰に言うでもない山崎の中でだけの呼び名だった。



放課後の読書歴

 図書室に入るとカウンターの中で本を読んでいた眼鏡の少年と目が合った。少年は山崎に軽く会釈をすると、そのまま本に戻る。もうこちらを見てはいないが無視するのも気分的にあれなので、こちらも会釈だけして棚の並ぶ方へと足を進めた。一列一列覗いていく。そして、三列目でその目当ての見慣れた後頭部を見つけた。
 「古橋」
声を掛ける。すぐに古橋は振り返って、山崎、と呟いた。
「どうしたんだ」
「ん、部活なくなったから、その連絡に」
なんか体育館にスズメバチ入ったんだと。安全のため全部活中止、と言えばそれは物騒だな、と言葉が返って来る。
「まだ終わってないなら手伝うけど」
その方が早く帰れるだろ、と首をかしげると、いや、と古橋は首を振った。
「ああ、委員会の仕事はもう終わっているんだ」
運が良いのか、いつも仕事は比較的早く片付くのだと古橋は言う。委員会の仕事は基本的に二人組だが、まるでもう一人、こっそり誰かが手伝ってくれているみたいに。
「ちょっと個人的な探しものをしていただけで」
この棚で見つからなかったら部活に向かおうと思っていた、そう続けられてそうか、と頷く。
「本か?」
「ああ、でも見つからないから、また今度にする」
委員会の仕事もあるし、いつでも探せる。そう言って古橋はカウンターの方へ向かっていった。山崎はその後ろを付いて行く。
「山崎はドーナツは好きか?」
「好きだけど、何で?」
「クラスの女子からフェアの情報を聞いたんだ」
「なるほど。行くか」
そんな他愛のない会話はいつものことだ。
 それを、カウンターの中から眼鏡の少年がじっと見ていた。
 「あ、この本」 古橋がカウンターに置かれていた文庫本を拾い上げる。
「これを探していたんだ」
それは先ほどまで少年が読んでいた本だった。
「お前に前おすすめの本聞かれただろ、それ」
オレの好きな本だから、お前が気にいるかは分からないけれど。渡された本を受け取る。
「さんきゅ。じっくり読むわ」
眼鏡の奥のその視線が古橋の言った好き、に反応して和らいだのを見て、ああ、と思った。
 二人におすすめされてしまっては、大切に読まない訳にはいかなかった。



ホーム・スイート・ホーム 

 ねぇ、この学校にも七不思議ってあるんだって。そんなことを原が言い出したのは土曜か日曜、どっちかの一日練習の時の昼だった気がする。得意の話術で周りをうまいこと引き込んだ原が話す内容を、山崎はぼーっとサンドイッチをかじりながら聞いていた。図書室の座敷わらしだとか、体育館の開かずの扉だとか、真夜中の音楽室で亡くなった先生がピアノを弾いているだとか、二宮金次郎が動くだとか、校庭の百日紅の樹の精霊だとか、職員室前廊下の公衆電話は異世界に繋がっているだとか。どうにも何処かで聞いたような話ばかりで、これと言って興味を持てるものではなかった。公衆電話についてはまずこの世界と繋がっているかどうかも怪しい。
 しかしながら先にも述べたように素晴らしい話術を持っている訳で、一緒に輪になって弁当をつついていた者たちの大半はその話に夢中になっていた。
「最後も、この体育館のやつなんだけどね、男の子がバスケしてるってやつ」
七つ目に差し掛かったのか、原の声がまた一際低くなった。ノセられた同級生たちがおお、と声を上げる。
「こんな話、なんだけどね」
そのままの声で、原は更にゆっくりと勿体つけて語り始めた。
 生徒会に属する女子生徒が、とある放課後、校内の見回りをしていた。すると、体育館からてんてん、とボールの音がする。誰かいるのかと思って覗いてみると、そこには同い年くらいの少年がボールをついていた。もう下校時間は過ぎてると注意しようと、ねぇ、と声を掛けると少年は顔を上げた。上げた瞬間その首がぼろり、と落ち、女子生徒は悲鳴を上げて逃げ出した。
 「それから彼女は、ボールの音を聞いても二度と体育館を覗くことはありませんでした」
おしまい、と原が締めると、今まで静かだった周りがまた話し出す。首が取れるってヤバくね、体育館ってことは此処に出るんだろ? もしかして一緒に練習してたりなー! という言葉に何を言うでもなく、ずず、とパックのジュースを啜った。
「ザキは怖がると思ったのにな〜」
「ん? あー…俺そういうの信じてねーからな」
信じていないものはいない、というのが俺の持論だ! と少し強く言い張って見れば、原はそれを強がりと解釈したようだった。
「あのねーあれには続きがあってね、七つ全部に出会っちゃうと呪いを受けるんだってー!」
「…まじかよ」
今度の返答は、脚色なく本音だった。
 顔を上げる。原のその真後ろで、キィとその扉が小さく音を立てた。中からニコが出て来て、その向こうがちらりと見える。食卓だろうか、丸い机の周りに幾つかの影が座っていた。最初にそれに気付いたときは其処に住んでるのかよ!? と思ったが、もう入学して一年以上だ、いちいちツッコむ気力もなくなった。
 こんなに近いのにな、とため息を吐いてみれば、珍しく起きていた瀬戸が、その意味を正確に理解出来る、把握している限りではただ一人の瀬戸が、肩を竦めて見せた。



閃光ドロップキック 

 唐突だが花宮はいつも左肩にいろいろ乗せている。それはどろどろとしていたり、ねっとりとしていたり、もぞもぞと動いたり、とまぁ、千差万別ではあるのだが共通して黒い色をしていた。それは大体は花宮の左肩に乗っているだけなのだが、時折大きくなりすぎるとぼろりと落ちて、それが別の人間にくっついたりする。放って置いても三時間程で消えるようなのは確認済みではあるが、どうにもそれがくっついた人間は、取れるまであまり気分が優れなくなるようだった。
 という前置きがあったので、外練の日、休憩時間に花宮と古橋が話していたときに、その黒いものが古橋に向かって落ちようとしていたから、山崎はいつものちょっとしたお節介でそれを避けさせようとした。今までも手の届く範囲であればやってきたことではあるし、普通に成功するはずだった―――というと失敗したようなので、先にネタばらしをしておくが、成功はした。だがしかし、それは山崎の功績ではなく、別のものが要因ではあるのだが。
 此処で少し場所の説明を挟もうと思う。一口に言えば、其処は校庭で、もう少し細かく言うのならば校庭の端で、もっと細かく言うのならば校庭の端の百日紅の樹の下だった。この百日紅は昔むかしにこの近くに住んでいた、なかなかのお金持ちのお姫様が寄贈したものらしい。お姫様っていつの時代だよ、そんなにこの学校古いもんなのかよ、とツッコみたいところは満載ではあるが、口伝で伝えられるうちに内容が変形することもあるだろう、ということで今回は放っておく。
 話を戻すと其処だったから、とも言えるのだが、花宮の左肩の黒いものが古橋の方へ落ちようとした瞬間、その百日紅の樹から何か赤いものが降ってきた。
 ドロップキック。
 思わずそれが普通の人間には見えていないということも忘れてぽかん、と口を開けてしまった。それを初めて見たからではなく、ただ単純にドロップキックという手段が繰り出されるとは思っていなかったからである。赤い着物を艶やかに着こなしたそのロリっ娘のことを、山崎は寄贈者にあやかって姫さんと呼んでいた。それが、ドロップキックである。思わず口が開いてしまうのも仕方ないだろう。
 花宮は予期せぬ衝撃で見事に地に伏せていた。
「…花宮、どうしたんだ、一人で」
古橋の声で現実に戻り、慌てて口を閉じる。顔を見てみればひく、とその口角が震えていた。そりゃあそうだろう、同級生が何もないところで突然転んだようにしか見えない。
「何にもないところでコケる程疲れてんのか、花宮」
「ちげーよ!」
仕方なくフォローに、と馬鹿にした声を上げてやれば、すぐさま我らが主将は起き上がって肩パンを食らわせて来た。いてぇ! と悲鳴を上げる傍ら、古橋はとうとう我慢の限界を迎えたのか肩を震わせていて、それを見た姫さんが満足そうにふん、と鼻を鳴らしたのが見えた。
 地面に落ちた黒いものはいつの間にか失くなっていた。



君はアイドル 

 霧崎第一高校の職員室前廊下の片隅には、生徒からは既に忘れ去られた過去の遺物が鎮座している。
 「あ、山崎」
クラスの違う古橋と出会ったのは購買の前だった。
「購買か?」
「ああ」
パンを幾つか引っ掴みおばちゃんにそれを見せて代金を払いながら、古橋が話しかけてくる。
「なぁ、山崎、今携帯持ってるか」
「あー…教室置いてきちまったけど」
「…お前は携帯不携帯だな」
「悪かったな。ポケットに入れる習慣がねぇんだよ」
何故そんな質問をしたのか、古橋は自分の携帯を持っていたはずだが。考えるまでもなく携帯は電話をする機器であり、その辺の事柄から導き出される答えは一つだろう。
「携帯忘れたのか?」
「ああ、クラスの奴に借りるのもなんとなく頼みづらくてな」
公衆電話ってこの学校にあったよな、と呟く古橋に山崎はああ、と頷いた。
 別に、古橋がクラスでいじめを受けているとか、そういうことではない。きっと古橋が誰かクラスの人間に携帯を貸してくれと頼めば、借りられるのだろう。しかし、古橋の方に溜まっている馴染めさなとでも言えば良いのか、それが自分がそうして良いのかという自信を持たせないでいる、それだけの話だ。
「あすこの公衆電話まだ使えんのかな」
「どうだろう、駄目だったら教室まで借りに行っても良いか」
「いーよ。そのまま一緒に食ってくか?」
「そうさせてもらう」
特にこれに付き合う義理はない。ないのだが、どうにも放っておけないというのが四月から古橋を見ていて抱いた感想である。勿論、それが彼自身がどうのというよりかは、彼の周りのもののため、という方が正しいのではあるが。わいのわいのしているのを見ると、どうにも楽しい気分になるのだ。
 と、言う訳でついてきた職員室前廊下だったが、古橋が公衆電話の前に立っているのを、山崎は少しばかり頬が引きつるのを感じながら眺めていた。
「やはり壊れているのだろうか」
うんともすんとも言わない、と古橋が差し出して来た受話器から、きゃー! という黄色い悲鳴が聞こえてきたなんて気のせいだ。
「あー…一回切ってからもっかいやってみれば。それで駄目だったら俺の貸してやるからさ」
「そうだな」
 勿論、二回目の電話も通じることはなかった。



世界線はいつだって少しズレている 

 見えるか見えないか、それは非常に紙一重な事柄だと山崎は思っている。
 対象は何でも良い話ではあるが、話を簡単にするために霊的なもの、否、霊的な現象と限定してみよう。例えば原から聞いた七不思議の中にあった二宮金次郎が歩く、とか。二宮金次郎だ。見えるも見えないもそこに存在するものである。そういうものが歩くだの動くだの、動く瞬間から霊的なものになるわけでもないのだ。別段違う世界に住んでいる訳でもなく、同じところに存在している。そういったものが見える、見えないという差異として出て来ることを、山崎は所謂才能であるとは思わない。
 結果、気付くのか気付かないとかという話になる。
 つまるところ、見えない人間というのは、そういったものが目の前でぴょんぴょん跳ねていたとしても気付かないのだ。はぁ、と吐いた息が白く染まる。もう本格的な冬だ。
「なぁ、古橋。コンビニ寄らね?」
「寄る。あんまん食べたい」
そんな会話をしながら、校庭を出て行く。
 視界の端で二宮金次郎が残念そうにがっくりと膝をつき、背中の薪を落とすのが見えた。



センチメンタル発表会 

 忘れ物をした、なんて古橋が言うので、部活の終わった後の真っ暗な校舎を、職員室から借り受けた鍵を握って山崎と古橋は歩いていた。夜の学校を歩くなんてわくわくするな、なんて言う古橋の発言が発端で、廊下の電気は付けないままである。足元はぼんやりと差し込む外の外灯で何とか見えはするので、好きにさせたのだが。何か出そうだな、と山崎の少し前を歩く古橋に聞こえないよう、こっそりと息を吐く。
「貴婦人の作るスープ、か」
古橋が振り返る。
「何か言ったか?」
「いや、なんでもねぇよ」
 古橋のクラス、一年七組に着いてからは流石に電気をつけた。古橋が自分のロッカーをあさっている間、山崎は廊下の奥を見やる。つきあたりは音楽室で、分厚い扉の向こうから僅かに光が漏れていた。ああ、そういうことかと古橋に目線を戻すと、ちょうど忘れ物が見つかったらしい。
「付き合ってもらって悪かったな」
「いや、別に」
良いこともあったし、と言えば古橋はちょっとだけ首を傾げてみせたあと、ああ、夜の学校はなかなか歩けるものではないからな、なんていう少し外れたことを言った。



非日常アンチテーゼ 

 「呪い、ねぇ」
口に出していたらしく、横にいた原がにやにやと顔を覗き込んできた。
「あれ〜ザキ、こないだの話気にしてンの?」
「いや別に」
「またまたァ、そんな強がんなくても良いって」
心底面白がっているというのを隠さないまま、原がザキって怖がりなんだってー! と叫びながら駆けて行くのを、オイコラ待てェ! と追いかける。
 今日も今日とてニコは練習に混じっているし、アットホームな扉は開いたままだし、その中からきゃあきゃあという聞き覚えのある黄色い声は聞こえてくるし、日替わりBGMも聞こえてくるし、姫さんと二宮金次郎は並んで体育館を覗いているし、眼鏡の少年は体育館の舞台に座って本を読んでいるし。きっと呪いなんてなくて、この先もこの日常が続くだけなのだろう。
 ちらりと見やった古橋もいつも通りシュート練習をしていて、そういうもんだよな、と思いながら、まだ吹聴して回っている原をとりあえず捕まえて、頭ぐりぐりの刑に処さねばならないと、そう決心した。



20131216