Raining
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それはとても晴れた日で
未来なんて要らないと思ってた


 

 「花宮」
久しぶりに会った木吉の、その笑顔は変わっていなかった。全てを包み込んでしまうような、きれいな笑顔。そして、その顔のままで木吉は花宮に告げる。
「オレ、お前に復讐しようと思う」
とても、晴れた日のことだった。
 「脚でも折るか?」
いつか来るであろうと思っていた。どれだけ誠実だと天然だと心が広いと言われていても、木吉も所詮人間だ。負の感情からは逃げられない。木吉に向き直る。
「それじゃあお前は苦しまないだろ」
話している内容に反して木吉はいつもの通りで、もしかしてずっとこんな思いを抱えてきたのか、とまで思った。
「とりあえず付き合って」
「何処へ?」
「…分かってるんだろ。トボけるな」
舌打ちしそうになる。このまま分からないふりで流そうとしたのに。
「正気か? オレ、男だぜ」
「分かってる。―――花宮がオレのことを好きなことも分かってる」
こいつ。思わず唇を噛んだ。
「は? オレが、お前を?」
声が震える。
「宣言された復讐を甘んじて受ける程、お前は馬鹿じゃない。それなら、馬鹿にならざるを得ない理由があるんだろ?」
「…さい、」
「花宮、お前はオレの申し出を受けるんだろ」
「…るさい」
「花宮はオレのことが好きなんだから」
「うるさいッ!!」
思わず振り上げた手はいとも簡単に掴まれた。そのまま包み込まれる。
「で? 返事は?」
はなみや、と耳に熱のこもった息で囁かれる。どくり、と疼いた胸を誤魔化そうと、顔を上げたのは失敗だった。
「…はッ」
目が合ってしまえばこの溢れ出る感情を隠すことなどできなくなる。
「ノッてやるよ」
この先何が待っているとしても、ずっと欲していたものが手に入る快楽には抗えなかった。
 ああきっと、雨ならば泣いていた。



何故だったのだろうと
今も思うけれどまだ分からないよ





 木吉鉄平と花宮真は付き合っている。所謂恋人という仲だ。しかし、それは一般でいう甘ったるいものから構築されている訳ではない。木吉はこれが復讐だと言った。花宮はそれでも受け入れた。それだけの、こと。
 「…ん」
差し込む陽の光が眩しくて目を開ける。白いシーツの波、埋もれる自分。花宮はぼんやりする思考の中で、愛しい声を聞く。
「おはよう、真」
光に塗れる視界の中、木吉がへにゃりと笑う。
「…おはよう、鉄平」
甘い声に思わず笑みが漏れた。
 理由がどうであれ、恋人という関係を結んでから、幾度か身体を重ねることもあった。行為中の木吉は復讐とのたまった人物と同じだと思えない程やさしく、その度に花宮はみっともなく縋りたくなる。ずっとこうしていたいと、泣いて訴えたくなる。
 でも、それは駄目だ。これは復讐なのだから。それを忘れないように心に刻み付ける。
 「今日はどうする?」
「ん、参考書見に行きたい」
一つひとつ自分を優先してくれるようなこの甘さだって、いつか崩れる偽物なのだ。 
 すてないで、などとは言葉に出来ない。
 「オレは真のこと、好きだよ」
毒のように、耳に滑り込む言葉。これがいつか終わってしまうと言うのなら、
「…オレも、好きだよ」
今をただ、笑うしか、出来ない。



帰り道の匂いだけ優しかった


 

 「最近、花宮元気ないね」
部活が終わり更衣室でのんびりと着替えをしていた時。何処か硬質な原の声に花宮は振り向く。
「そうか?」
いつもと変わらない表情だと、人は言うかもしれない。しかし、同じチームで花宮を間近で見て、そうして二年以上を過ごしてきた原には違うと分かった。原だけじゃない、霧崎第一の面々は気付いているはずだ。どう切り出そうか迷っていただけで。その証拠に原と花宮の遣り取りを心配そうに見守っている。
「そうだよ」
「お前の勘違いだろ」
「木吉の所為でしょ?」
言葉は遮られた。花宮が分かりやすく肩を揺らす。
「だって花宮、何か様子が変だもん。隠してても分かるよ」
原の言葉が真っ直ぐに突き刺してくる。
「あの日ね、オレたち、花宮の後つけてたの」
それがどの日を指すのか直ぐに分かってしまう。久しぶりに木吉に呼び出され、告白された日。
「会話は聞いてない、けど…」
霧崎の近くにある小さな公園。其処に呼び出されて木吉の告白を受けた後、自分はどうした? わざわざ自問自答しなくても、思い出すより先にそれは瞼の裏に焼き付いている。くしゃりと歪む表情を誤魔化すように木吉の襟首を掴んで屈ませ、ずっと夢見た其処に接吻けを落とした―――それだけだ。
「…そうか」
見られていたのなら仕方ない。
「木吉と、付き合ってるの?」
頷く。
「花宮は木吉が好きでそうしてる?」
頷く。
「木吉も、花宮のこと、ちゃんと好きなの?」
これには、頷けなかった。
 ラフプレーをしていろんな人間を壊してきた自分。その手段を取ったを後悔などしていないし、反省もしていない。木吉がその内の一人だとしても、彼の膝を壊して、この先のバスケ人生を奪ったのだとしても、だ。それなのに、どうして苦しい。
 「…違うの?」
原の声に怒りの破片を感じて、咄嗟に花宮は笑った。それが今までチームメイトには向けることのなかった、所謂お出掛け用の笑顔だということに花宮は気付いていないようだった。
「これは、復讐だから」
「なに、それ」
嘘みたいな笑顔を向ける花宮に、原の声が震える。
「オレの所為なんだ」
花宮は重ねた。木吉は悪くない。首を振る。
 木吉の脚を壊した、それは変えようのない事実だ。木吉には正当な復讐の権利がある。例えそれが花宮の恋心につけ込んだ、ひどく残忍なものであっても。反省も後悔もしてはいないが、それほどのことをしたのだという自覚はある。
 木吉の一番だったはずの、バスケを奪ったのだから。
 「でも、そんなの…ッ」
「原、もう止めとけ」
尚も言い募る原を止めたのは山崎だった。
「花宮」
そのままこちらを見やる。
「辛くなったらいつでもオレたちは話、聞くから」
「…ああ」
原と話している間にも進んでいた帰り支度は整っていた。花宮は鞄を持ち上げて部室を出て行く。
「じゃあな、明日もいつも通りだから」
お疲れさまでした、という声に送られて、ぱたん、と扉が閉まった。
 「花宮、辛そうだけど同じくらい幸せそうだろ」
ぽつり、と零された言葉に一瞬遅れて花宮を追いかけようとしていた原の動きが止まる。原も気付いていて、でも無視したかったこと。
「どんだけ言っても、これは当事者の問題だから…。オレたちは花宮が逃げ込めるところになれば良いと思う」
「そんなの、狡いよ」
「うん、そうだな」
「オレ、そんな物分かり良くなりたくない」
「もう少しだけ我慢しろ」
ぽん、と頭を撫ぜられた。



私は無力で言葉を選べずに


 

 木吉が自分の脚を壊した張本人・花宮と付き合っていることは日向も知っていた。昼休み、教室の隅、向き合ってパンをかじりながら、あまりに真剣な表情で大切なことを言うように囁かれたのは、花宮が好きだ、という言葉。思わず食べていたパンを落としてしまった日向に罪はない。
「…花宮って、あの花宮か?」
暫く口をぱくぱくさせてから、辺りを警戒しながら問い返す。こくり、と頷いた木吉に対して浮かんで来たのは、よりにもよって何で花宮? という率直な疑問だった。これが花宮でなく他の―――悪く言えばもっと全うな人間だったら、もっと別の驚き方が出来た気がした。
「オレさ、膝のこと、許せる訳じゃない」
「ああ」
「でも、好きなんだ」
「はぁ」
「…可笑しい、かな」
「あー…」
何と返したら良いのか。落ちたパンを拾って袋に詰めながら日向は目の前の男を見つめていた。
 木吉鉄平は、花宮真のことが、すき。
 膝を壊された方と壊した方。壊した方から壊された方へのそれならば兎も角、逆というのは非常に飲み込み難い。正直、可笑しいと思う。
 だが。
 「…良いんじゃね」
まだ開けてなかったパンの包装を破きながら日向は呟いた。
「可笑しいとは、思うけど。良いんじゃね。恋とか、元から可笑しいものだと、思う、し」
柄じゃないとは思うからかどんどん後半が掠れていく。パンにかぶりつきながら視界に入れた木吉はきょとんとしていて、それからほわり、と笑った。
「…ありがとう、日向」
 それが、花宮と付き合うことになったと報告をもらう一日前のこと。
 「…今度は何なんだよ」
花宮のことなんだけど、と内緒の話を打ち明けるように(事実内緒の話なのだが)囁かれたのは、それから三ヶ月は経った日のことだった。少々問題のある告白の方法も全て聞かされていた日向にとって、これ以上聞くべきことがあるとは思えなかった。
「花宮、オレといると辛そうなんだ」
ぎゅう、とパンを握りしめながら不安そうに木吉は切り出す。その大きな手の中でパンは無残にもひしゃげた。本人は無意識なのか、気にする様子もない。
「…何で」
「何でか分からないから日向に聞いてるんだけど…」
本当に思い当たらないのか。日向はため息を吐く。
「お前のことだ、復讐って言うことが復讐だったんだろ」
その言葉に木吉は一瞬目を見開き、そしてゆるゆると頷いた。
「何で日向には分かるんだろうな」
「ダァホ。お前が本気で恨んでる奴とそんな理由で付き合えないことくらい、二年一緒にバスケやってれば分かるわ」
紙パックの野菜ジュースにストローを刺す。
「花宮には言ってねぇんだろ」
手に力が入ったのか、木吉の手の中のパンは更に無残な姿になった。クリーム系じゃなくて良かったな、と頭の片隅で思いながら日向は言葉を続ける。
「オレはアイツのこと許してないし、お前がアイツと付き合うのも正直気に食わない。だけど、それでもお前がアイツを好きだって言うんなら、オレに止める権利はねぇよ」
レンズ越しに視線がかち合う。
「はやく誤解を解いてやれ」
 「…ありがとう」
木吉があの時と同じようにほわり、と笑った。



生きてゆける
そんな気がしていた
 

 話したいことがある、とメールで呼び出されたのはあの日の公園だった。
 ああ、もう終わりか。メール画面を見ながら花宮は息を吐く。結構続いたな、と思っていた。
 あの時、木吉は復讐だと言った。木吉を好きだと言う花宮に、自分と付き合え、と言うことが復讐だと。つまりは、いつか終わることを前提とした関係なのだと、言外に言われているのが花宮に分からない訳がなかった。希望を持たせて、手酷く棄てる。そんなことしなくても、復讐は充分に機能する。自分のことだ、それは分かっていた。一度知ってしまった蜜の味は、例えゆっくりとでも取り上げられるのは苦しくてたまらない。
 辿り着いた公園に既に木吉はいた。自分を見付けてほわり、と微笑むその表情にずきり、と胸が痛む。終わりだと言うのに、それはまるで恋人のようだ。事実、今この瞬間はまだ恋人であるのだけれど。もう、終わるのに。
「真に、言わなきゃいけないことがある」
木吉は缶を握りしめた。開けたプルタブから逃げていく熱気がもどかしい。
「…何」
努めて静かな声色で返そうとした。空気に触れたところから酸化していくその言葉が、ひどく震えているのを、何よりも花宮自身が一番良く分かっていた。終わりだ、終わらないでくれ、まだ傍にいたい、泣き縋ることくらい出来そうなのに、どれ一つとして花宮の中で燻るだけで、出て行かない。
「あの時、復讐だなんて言って悪かった」
ああ、ほら、そんな間に。
 おわりのことば。
 まるで、魔法が解けたようだと思った。今まで喉に張り付いていた言葉たちが一気に霧散して、胸がすくような悲しみだけが静かに鎮座している。あまりに、それは穏やかな終焉だった。
「じゃあ、これで終わりだな」
立ち上がる。缶が手から滑り落ちてしまった。飲み干した後で良かった、と花宮は場違いにも思う。
「今までありがとう、少なくともオレは楽しかった」
顔を見れない。見たらいけない。
「じゃあ、」
くん、と袖がひかれた。見なくても分かる。木吉が花宮の袖を掴んでいる。
「…行くな」
絞り出された声は、あまりにも小さかった。けれど、それを花宮が聞き逃すこともない。
「いかないでくれ」
幼子のように拙く、その舌が言葉を紡ぐのを信じられない思いで聞いていた。
「オレはいろいろと間違えたんだ。それを、ちゃんと説明したい」
きいてくれ、まこと。何で、どうしてそんな泣きそうな声を出す。
 「復讐なんて、嘘だったんだ。強いていうなら、お前に復讐って言うことが復讐だった。そんなふうに想いを告げれば、お前はオレを消せないと思った」
まるで、真実を語っているようじゃないか。半ば呆然とした頭で花宮はそれを聞いていた。
「酷いことしてる自覚もあった。それでお前を傷付けている自覚もあった。…でも、それと同時にそうやってお前を傷付けられるのは俺だけだと思った。ひどい優越感が湧いた」
掴まれている袖から、熱さが沸き上がってくるように。これは、夢なんじゃないか。都合の良い、夢。
「それでもオレは真が好きだ。離れたくない。お前に辛い思いをさせておいてなんだと思うかもしれないが…それでも…」
でも、こちらを射抜くような瞳が、その大きな手が、何一つ過不足なく木吉で、花宮の愛した木吉で、ああ、本当に、
「オレはお前が好きだ」
ゆめみたいだ。
 木吉に向き直る。
「…真は、オレのこと、どう思ってる?」
それを聞くのか! 花宮の中で言葉が濁流を作っていく。
「こんな酷いオレだけど、まだ真のこと、すきでいて良いか…?」
もう、言葉じゃ足りない。
 抱き締める。ぬくもりは優しくて、嘘みたいで、でも本当だって痛い程分かって。
「復讐という言葉に囚われるくらいには、すきだ、バァカ」
 あまりに甘くて優しい関係は、二度目の産声を上げた。



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