幾層もの想いを:山古
ぺらり、古橋の小さな手が、小さくなってしまった手が、ページを捲る。
この手が大きかったところなど今の′テ橋は見たこともなかったが、
いつの日かそうであったことくらいはもう分かっていた。
山崎はその横で、石のように立っている。
古橋の、神のすることに口は出さないと、そう決めているような様子で。
「オレにはこんなに名前があるんだな」
ぽつり、呟いた。
古橋―――またの名を恵比寿。
人間社会に適応するために幾代か前の恵比寿が付けた名前、それが古橋だった。
それ以来、彼の神器たちは彼らの神を古橋と呼んでいるらしい。
その方が貴方を身近に感じられるのです。そう言ったのは、幼い姿形をした神器だった。
身近。
身近に感じられたから、何だと言うのだろう。
「恵比寿様は名のある神だからな。祭神名までいれるとそうなる」
返って来たのは静かな声だった。感情の揺れることのない、声。
彼がこういう声を出す神器であるのは最初から知っていた。
なのに。
「恵比寿、か」
溢れる言葉は。
「エビスという言葉には水死体という意味もあるのだな。…オレは、一体何者なんだ」
真っ直ぐに山崎を見上げる。返って来るのはやはり、静かな瞳。何も、何も。
もう古橋に感情を揺さぶらせることはしないとでも決めているかのように。
「イザナギ様とイザナミ様の第一子だと言う説が有力だ…ヒルコ様、
それが彼の名前で、海へ流された神は時を経て、正しく成長してかえって来たのだと」
ふうん、と頷く。
「要らないから棄てられたのだろうか」
本のページに、並び立てられる名前。
そのどれも、古橋の胸の底まで入ってこなかった。ただひとつ、
―――古橋。
道標である山崎の呼んだ、その一言以外は。
けれども最初の日以来、山崎はあまりその名を口にしない。
呼ばざるを得ない状況にならなければ、呼ばない。
そんな、名を呼ばれない存在なんて。
「まるでオレは野良だな」
今なら、野良と呼ばれる幾人も主を持つ神器の気持ちが分かる気がした。
「山崎も、いつかオレを棄てるのか?」
まさか、とでも言おうとしたのだろうか。
その唇が湿らされるのを見て、そうはさせないと続けて口を開く。
「山崎はとても古い神器なのだと聞いた。オレはこんな本なんかより、山崎の話が聞きたい」
ああ、と思った。
ああ、揺れた、と。
「聞かせて、くれるか?」
こてり、と首を傾げれば、山崎が断らないことは良く分かっていた。
20150124