黛葉



*黛さんの実家が大阪で実家通い設定
*卒業ネタ



だって、負けたら勝ちじゃんね、これ。
惚れたら負けよ。 そんなことを言った大昔の人は大馬鹿だ。 葉山は走りながらそんなことを思っていた。 春休みでも練習はある。 先日から春休みに入った洛山高校のバスケ部は、ついさっき昼休憩に入ったところだった。 暖かくなった空気にそろそろ桜もほころぶ頃だ、なんてのんびりした気分をぶちやぶったのは、 チームメイトである実渕が部室の扉を蹴破った音。 その時葉山は昼食であるコンビニおにぎりに手を掛けたところだった。 「小太郎!」 何事だ、と顔を上げると名を呼ばれた。 オレ?と自分を指してみれば、実渕はずんずんと近付いてくる。 「黛さん、今日引っ越すって」 何を言われたのか、分からなかった。 「れお姉?」 「今、職員室にプリント出しに行って、それで、先生たちの話聞いちゃったの。 さっき合格報告に来て、それで言ってた、って。実家に一度寄ってから、そのまま、って」 これを伝えるために走って来たのだろう、実渕の息は荒れていた。 ぶつ切りだったが必要な情報は聞き取りやすいように言葉にされていて、 そんなところにもこのチームメイトの気配りを感じる。 「小太郎」 「さっきって、ほんとにさっき?」 「ええ、そこは悪いとは思ったけどツッコんで聞いてきたわ。ほんとにさっきよ」 それだけ聞ければ充分だ。 おにぎりをさっと開けると口に咥え、開いた手でバッシュの紐を解く。 「昼休憩、終わる前に戻って来なさいよ」 「…ッ、分かってる」 瞬時に脳裏に浮かんできたのはあのおっかない主将の顔だったけれども、勿論それだけじゃない。 この洛山という強豪で、レギュラーを背負っている責任、みたいなものだった。 葉山小太郎と黛千尋の関係が少しずつ変化し始めたのは夏の頃からだったと思う。 本人たちでさえ持て余すような微妙さで、 もしかしたら外から見ていた人間の方が分かっていたのかもしれなかった。 と言っても、本当にそれは微妙なものだったので、 気付いていたのは実渕と、あとは恐らく赤司くらいなものだったろう。 丸く、やわらかいものではなかった。 でもだからと言って、触れたら爆発するような、そんなものでもなかった。 徐々に縮んでいく距離は嫌ではなかった。 二人でいる時間も、ふとした瞬間目が合うことも、会話が途切れることも、何もかも。 それがプレーに影響するかというとそんなことはなかったし、 バスケにおいては葉山の負うプライドやら何やらの方が大きくて、 何度もひどい言葉を吐いたと思う。 それが問題にならなかったのは、 諦められ甘やかされていたのだと、大した時間も経っていないが今なら分かった。 一つの年の違い。 それだけだと思っていた。 けれども実際はもっとたくさんのものが黛には見えていたのだろう。 葉山にしたら絶対に越えられない壁があって、どうしようもないと思っていたこの才能だって、 黛にとっては自分を拒絶するような傲慢さに見えていたのかもしれない。 言葉にはしたことはなかった。 この関係に先に名を付けた方が負けだ、双方がそう思っていた。 それと同時に、触れるか触れないかという距離感がとても心地好かったのもある。 ぬるま湯に浸かるようなこの関係は、葉山にとっては幸福と言っても間違いはなかった。 言葉にすれば、それは明確なものとしてこの世に顕現する。 そうしたらもう二度と、このぬるま湯には戻れない。 熱かったり冷たかったり、二面性を行ったり来たりする、そういうものになってしまう。 葉山は変化が恐ろしかった。 だから、黛が飽きるまで、 もしくは痺れを切らすまでは、無名に甘んじていようと、そう決めていた。 学校近くのバス停にたどり着く。 周りに黛の姿は見当たらなかった。 もう前のバスに乗っていってしまったのだろう。 ポケットから取り出した携帯を確認する、まだもう少し時間がありそうだ。 そのままアプリを開いて時刻表を確認する。 先ほど実渕は、黛は一度実家に寄ると言っていた。 実家の場所なら聞いたことがある。 「…にじゅう、はっぷん」 恐らく、黛が乗るであろう電車。 それが、タイムリミットだ。 それまでに駅で黛を捕まえなければ、恐らく、もう二度と会えない。 そういう話をしたことはなかったが、 残念ながらそういうことを平気でやる人間なのだ、黛千尋という人は。 バスの時刻表を見る。 次のバスは二十分。 駅の近くのバス停まで、平均十分。 これは賭けだ、と思った。 神様、と心の中で叫ぶ。 少しで良い、少しで良いから、運をちょうだい。 願いが通じたのか、葉山が二個目のおにぎりを飲み込む頃にはバスがやってきた。 予定時刻より少し早い。 自動でドアが開くのを待つのももどかしく、押し入るようにして乗り込む。 車内はがらがらで、バス停には葉山の他には誰もいなかった。 運転手は呑気な顔をして時計を確認して、一人頷くと扉を閉めた。 ぷしゅう、とバスが動き出す。 「じゅうきゅうふん」 携帯の時計を読み上げる声は、震えているようにも聞こえた。 道はひどく空いていて、信号にも引っかからずにバスは進んだ。 これは本格的に天が味方してくれているのかもしれない。 一番扉に近い席に浅く腰掛けながら、葉山はただぎゅっと拳を握りしめ祈っていた。 今になって、黛の連絡先を知らないことを、知ろうとしなかったことを、ひどく後悔した。 いつまでも其処にいる、そんなふうに思っていた訳ではない。 それでも、卒業前に話す機会があると、たかを括っていた結果が今だ。 黛に会ってどうするだとか、考えてはいなかった。 けれども今会わなければ、此処ですべてが終わってしまう、それだけは分かっていた。 終わったところで何が起こるということもないだろう、 そんなこともあったな、そう笑える日も来るだろう。 でも、だけど。 それでも、何もしないで終わるなど、きっと、後悔する。 バスが目的の停留所に着いた時、時計は二十七分を指していた。 「あと一分!」 カードを翳して支払いを済ませると飛び降りる。 目の前の横断歩道、信号は運良く青だった。 渡りきった先、そのまま駅の階段を駆け上がる。 黛サン。 階段の上、発車メロディが聞こえていた。 ホームに足を踏み入れる。 臙脂色の車体の扉が閉まるのが見える。 行かないで、叫んでいる暇があったら足を動かせと全身に命令を送る。 待って、待って―――ふわり、と身体が宙に浮いた気がした。 ずべしゃ。 ひどい音と共に視界が一瞬消える。 喉から漏れたのは反射的な悲鳴だった。 コケた。 じんじんと広がる痛みに理解する。 強かに打ち付けた膝小僧と、本能でついた手は擦り剥けているかもしれない。 そんなふうに地に伏した葉山の横を、臙脂色の電車はゆったりと出発していった。 間に合わなかった、痛い、会えなかった。 胸がぎりぎりと締め付けられるような心地。 痛みというのは慣れなのだと誰かが言っていた気がする。 葉山は元々の身体能力の高く、最後に転んだのなんて正直記憶の彼方の出来事だ。 その所為か、やたらとぶつけたところが痛い気がした。 涙が出そうだ。 そんな痛みに起き上がる気力も湧いてこず、 それでもどうにか自分を落ち着けようと、息を吐こうとした。 「派手に行ったな」 息が、止まるかと思った。 顔を上げる。 「まゆずみ、さん」 聞き間違えるはずがない。 どこか偉そうで、かっこつけで、すべてに興味がないとでも言いたげな、そんな低い声。 文庫本を片手にこちらを面白そうに見下ろしているのは、やはり、黛千尋、その人だった。 差し出された手に縋って立ち上がる。 手の方は少し擦り剥けているようだが、膝の方は無事なようだった。 「大丈夫かよ。膝割れてねぇ?」 「ん、多分…?」 「屈伸してみろ」 言われた通りに屈伸をする。 別段、可笑しな痛みは感じない。 「大丈夫そうだな」 こういう時のこういう台詞は、もっと笑顔で、 安心した、というように言うべきではないのだろうか。 黛のいつもと変わらない、 一応知り合いが目の前で派手に転んだから心配してみせただけ、 みたいなそんな軽い対応に眉根を寄せた。 が、それに黛が何らかのアクションを起こすよりも先に、葉山は気付く。 「何で黛サン此処にいんの?」 「何でって、帰るからだけど」 「ちげーよ、電車!今、出てっちゃったじゃん!」 痛みに歪む視界で、耳で、それはしっかりと確認した。 なのに黛は目の前にいる。 葉山の一本前のバスに乗ったのだとしたら、余裕をもってあの電車に乗れただろうに。 問われた黛は少しだけ目を細めた。 「…なんとなく、お前が来るような気がしたから」 別に、そこまでギリギリで計画練ってる訳じゃねえし、一本くらい。 そう何でもないように言い放った、 その姿がどうにも計算された気障ったらしさに溢れていて、つい吹き出した。 何だよ、今の、格好良いって感動するとこだろ。 その言葉にやはり先の行動は考えられたものなのだと分かって、 まだ荒い息の中、咳き込みながら笑い続けた。 「…にしては、ぎりぎりじゃな、い?だって、今日、もう、引っ越すって、」 「先生に聞いたのか」 「先生にはれお姉が聞いて、オレはその又聞き」 ああ、なるほど、と黛は頷く。 「どうせ受かるって思ってたからな。 それに良い部屋は早めにとっとかないとなくなるだろ」 「そりゃそうだけど」 だからと言って合格発表の前にさっさと引っ越し準備を進めるなんて。 相変わらず身の丈にあった選択、というものに自信があるらしい。 「で、お前は?」 「オレ?」 「お前は、何で此処にいんの」 その言葉で、あの勝負はまだ続いていたのだと気付いた。 こうして走って追って来て剰え転んで。 そんな行動を見てしまえば既に、葉山の方が分が悪いような気はするが。 どうしても、黛は負けたくないらしい。 ため息を吐く。 「黛サンに会いに来たの!」 「へぇ、俺に」 「あのねぇ、そろそろその分かってるくせに惚けようとすんの、やめてよ。話が進まない」 オレだって昼休み終わる前に戻らないとなんないんだから、 と頬を膨らませてやれば、悪い悪い、と笑われた。 黛が何かを差し出す。 きらり、太陽の光を受けて輝く銀の鍵。 何処のものかなんて、聞くまでもない。 「欲しいか?」 そんなもの、答えはとうに決まっている。 「うん。欲しい。だから―――」
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20140405