山古
貴方の眸はどうしても、色眼鏡しか通せないの。 (もうすぐ、もうすぐ、春だよ) カラフル・ワールド
フラスコをさかさまに
「惚れ薬?」 「ああ」 そんなもの存在するのか、とでも言いたげな山崎の声に、一つだけ頷く。 「まぁ催淫剤の方が適切だろうな」 惚れ薬なんていうのは可愛い言い方に過ぎない。 人間は、心なんて不確かなものよりも、眼前の欲求に忠実であるように出来ている。 掴んで騙して、そうして勘違いでその心とやらを手に入れることが出来るように。 そんな単純な生き物だ。 何もかもが本能に沿って作られている。 「催淫剤って、おま」 夢がねーな、と続けた山崎に一歩、近寄った。 からかうようにフラスコを振ってみる。 爆発の危険性がない、そう分かっているからこそ出来る、ある意味命知らずな行為だ。 不機嫌そうな顔のまま、それでもそこを動かない山崎に小さく、使うか、と尋ねてみる。 「…いらねーだろ」 高さのそう変わらない目が拗ねたようにこちらを見てくる。 「惚れ薬でも催淫剤でもなんでもいーけどよ、 それって結局見えないもんが欲しくて使うんだろ」 だから、いらねーだろ。 ふい、と目を逸らした山崎が可愛いだなんて、そろそろ末期かもしれない。 「それも、そうだな」 笑って廃液バケツに近付く。 さかさまに全てが消えて行くのを、山崎が興味なさそうに眺めているのがやたらと嬉しかった。
(時折急に喉が渇くように、お前と夢を見ていたくなるんだ)
きらきらと光るような夜だった。 あんまんから立ち昇る湯気がふわりふわりと空気に食われていって、 なんだか冬だなぁと思うような、ひどくありきたりな夜。 もう春も近いはずなのに、消えてなくなった暖かさ。 それで良い、なんて、一人の意見で言うことではないけれど。 「…卒業、おめでと」 こんなしみったれた別れには、それで充分だと思った。 クラスメイトたちに囲まれる花宮を拉致して、 元バスケ部で卒業打ち上げをしていたのはさっきまでのことだ。 もうきっと、会うこともない。 蓋をしていたこの想いともおさらばだ。 「…そっちこそ」 返って来た言葉にそれもそうだと笑う。 「なんか言いたくなったから」 「そうか」 自然と歩む速度が落ちて行く。 お前も離れたくない、なんて、思ってくれていたら。 そんな少女漫画みたいなこと、あるはずないのに。 願うだけはただだと言わんばかりに、生まれては喉で殺される言葉たち。 「高校楽しかったな」 「あんなラフプレーだらけの青春が?」 お前が言うなよ、と小さく突っ込む。 「まぁそれも、振り返ってみたら」 ひでー人間だな、とは思う。 けれども、これが自分という人間なのだと、開き直るしかない。 「なぁ」 立ち止まる音がした。 振り返る。 「オレに言うこと、あるだろ」 見透かしたような言葉にずくり、と胸の辺りを抉られる心地だった。 「卒業おめでとう?」 「それはさっき聞いた」 「じゃあ、」 「惚けるな」 かぶせてくるな。 この短くて長い時間で、それなりにチームメイト同士も似通ったのか、 なんて思うのは、かぶせるのが得意なチームメイトがいたからだ。 「もう、オレは、待ちくたびれた」 「…待ってくれ、なんて言ってねーぞ」 「そうだな、けど」 お前は待たせるだけなんてしないだろう? 全部お見通しだ、と言わんばかりににやりと笑ったその顔に、 まぁ一発くらいお見舞いしてもいい気がする。 許されるよな、と思いながらため息を吐くが、どうせやらないのだ。 それすら分かっているような目の前のこいつが心底うざったい。 「ほら、言ってみろ」 やまざき。 甘くてきらめいていて、宝石みたいな声だった。 殺し続けていた言葉たちが一斉に息を吹き返して、ああ、ほら。 この想いにさよならを告げよう。
「あいして、」
(呼吸が出来ない程切ないだなんて、悪役にはぴったりの最期だ)
あやす手のひら
はっと目が覚めたのは、恐らく夜中だった。 どくどくと脈打つこめかみに、今自分が何処にいるのか分からなくなる。 飛び起きたい衝動を堪えて見知らぬ天井を凝視きていると、 落ち着いてきたのか思い出してきた。 此処は合宿所だ。 思い出すとすうっと頭が冷えて行くようだった。 時折聞こえるふがふがという音は瀬戸の寝言だろう。 こわい、夢だった気がする。 どくりどくりと、自分の心臓の音がやけに煩かった。 額に浮かんでいるのは冷や汗だろう。 ごろり、と左を向くと、寝る前と同じに山崎がいて、すうすうと規則的な呼吸をしていた。 眉間にしわが寄っていない分、いつもより幼く見える。 そうっと手を伸ばす。 どんな夢なのか覚えている訳ではないのに、 怖かったような気がする、とその感覚だけ残っていて。 何となく山崎に触れていたくなった。 けれど起こすのも忍びない。 明日も朝早くから練習があるし、合宿はもう数日続く。 こんな個人的にも程があることで、山崎の睡眠を妨げてしまうのは如何なものか。 古橋にもそれくらいの常識はある。 「やま、ざき」 起こさないように名前を紡ぐ。 ふわふわと指先をなぞる。 ごつごつとした指先はバスケをやっている人間のもので、少しだけ嬉しくなった。 「やまざき」 バスケをやっていなければ、きっと会えなかっただろう。 運命とか奇跡とか、偶然にそう言った名前をつけたりはしないけれど。 それでも会えて良かったなんて、そんなことを思うのだから。 ふふ、と唇が弛む。 以前では考えられない程に、甘い思考をするようになった。 恋は盲目とはよく言ったものだ。 ふいに、山崎の手が応えるように動いた。 もぞもぞと動いて、そのまま古橋の頭を撫ぜてくる。 「やまざき?」 応えはない。 夢でも見ているのだろうか。 大人しくそれを受けながら古橋は思う。 やわやわと撫ぜる手のひらに、何処かへ行っていた眠気が戻ってくるのを感じた。 きっとこの手のひらのことを優しいと言うのだろう。 とろり、とした眠気の中、そんなふうに思った。 この集団の中で浮きこそしないが、確実に山崎という人間は異質だ。 そしてその異質が齎す恩恵を、古橋は独り占め出来ていると自覚している。 「やまざき」 招かれるように目を閉じる。 お前のやわらかさも、優しさも、お前が齎すすべてが、自分のためであったら良いのに
(その名は、あまりに甘やかで、紡ぐことすら畏れ多い)
診断メーカー
20130411