Milky Way ? No , Thank you !! 

 夏休みだと言うのに、山崎は制服を着て教室の机に座っていた。なんてことはない、ただの補講である。此処で注目すべきは補習ではない、ということであろうか。流石に赤点をそうホイホイとるような残念な頭はしていない。
 所謂進学校である霧崎第一高校では、夏休みが始まっても尚生徒を学校に縛り付け勉強させたがる。残念ながらその成績の優劣に関わらずそれは強制だ。学生の夏休みを奪う教師陣に幾らかの文句くらい言っても構わないのではないか。
 話が逸れた。
 クーラーも効かない真夏の教室に、集められているのは見知った顔ばかりだ。しかし、それはクラスメイト、という訳ではない。茹だる暑さにそこかしこ死にかけているのは、バスケ部の面々だった。何故、こんなことになっているのかと言うと。部活の合宿と学校の補講が被ってしまったから、とそれ以上の理由はない。通常ならば補講と被るような日程の合宿など組むなと言われるだけなのだが、花宮曰く、
「最初は補講と被らないように調整してたんだが、生徒がやってるとこよかちゃんとした監督がいるとこのが手が回るのは当然だろ。やっとこぎつけた時にはもう良いとこは埋まってたんだよ。まぁ今回良かったのは顧問が学校に話つけられたってことくらいか?全く―――」
と愚痴が尽きないようだったが、兎にも角にもバスケ部は実績をそこそこ出しているということもあり、全員の補講をずらしてもらうことに成功したのだ。
 しかし。日程をずらした所為でそれは真夏も盛りになってきたそんな日になり、そして更には時間外だと言うことで教室のクーラーの使用を禁止されたのである。天井についているクーラーは傘などを用いればリモコンなどなくても使えはするが、使用状況はそのまま事務室に伝わってしまうので、既に補講をずらすなどという特別措置をしてもらっている以上、大人しくしていろ、というのが我らが主将からのお達しだ。
 前置きが長くなった。
 「山崎」
出された数学の課題をつついていた山崎に声が掛かる。
「なんだよ古橋」
ぽたり、とその額から汗が落ちて、プリントを濡らした。あー…と面倒くさそうな声を上げながら、山崎は鞄からタオルを引っ張りだす。
「そんなに暑いのなら、上を脱いだら良いだろう」
「脱ぐって言ってもなぁ…」
「どうせTシャツ着てるじゃないか」
「そりゃそうだけど」
流石にYシャツ一枚というのは心許ないので、その下にはTシャツを着込んでいる。その所為で暑さが増しているような気はするが、あれやこれやの理由でそれを辞めることは出来ない。
「脱いだらセンセーにいろいろ言われるだろ…」
「大丈夫だろう」
こんなに暑いんだから、熱中症対策だと言えば、なんとかなる。古橋の声にそういうもんか、と吐いて、そうして山崎はボタンに手を掛けた。正直限界だった。風も大してある訳ではなく、汗もあとからあとから流れてくる。そうして脱いだシャツを山崎はひっさぼった。
 「う、わー…何も変わんねぇ…体感温度すら変わんねぇ…」
首を逸らして首元をぱたぱたさせる山崎を、古橋はじっと見ている。なんだよ、と訊ねれば、いや、と古橋は前置きして目を伏せた。
「これを、」
机の上のそれを拾って、古橋が言う。
「これを隠したら、山崎は帰れなくなるのだろうか」
突然何を、と片眉を上げてみせるも、嗚呼そういえば今日は八月七日だったと思い出す。ならば、そういうことなのだろう。
「それって七夕だったか?」
「地域によるんだろうな。オレが知っているのはこのまま七夕に繋がるやつだ」
そうか、とだけ返した。山崎がそれを知っているように、古橋もその結末を知っているだろう。男は天女の羽衣を隠したけれど、それは見つかってしまう。行かないでくれと縋っても意味はなく、天女は空へと帰ってしまう。同じように山崎も帰ってしまうことが古橋には分かっているはずだ。何なら、Yシャツを着ずに帰るという選択肢だってあるのだと。
 じっとりとした沈黙が流れる。
 それを破ったのは、今まで何処かへ行っていた監督担当のはずの教師だった。
「この暑い中お疲れ様、バスケ部の諸君にアイスの差し入れだ。良いか、他の奴らには内緒だぞ〜」
ワーセンセーアイシテルー! 一瞬前まで屍と化していた部員たちが我先にと生き返り教師に群がる。否、アイスに、だろうが。
「あと山崎はさっさと上を着ろ〜」
「センセー、それだと俺が上に何も着てないみたいなんでやめて下さい」
ほら、と古橋の方に手を出す。一瞬戸惑ったのが見て取れた。が、それでもぎこちない動きではあったが、それを山崎に手渡す。
 さんきゅ、とそれを羽織って立ち上がった。
「お前なら手先器用そうだし、草鞋を千足、なんてちょちょいのちょいだろ」
表情など見なくても良いと背を向ける。
「瓜の根本…だったっけ? ちゃんと千足埋めて、ちゃんと会いに来いよ。そしたらなんもサボることなく、一緒に暮らそうぜ」
 センセー、バニラある? バニラーと駆けていくその背に、
「…ばか」
その熱っぽい囁きは届いたのか、届かなかったのか。
 「ふるはしーアイス溶けるぞ」
「…今行く」
つう、と一雫額から滑り落ちた汗を拭った。



お前と俺を隔てるものなんて!
(8月7日は山古の日)

***

 「山崎は帰りが遅いな」
アーメイ。
「いや、文句を言っている訳ではないんだ」
エイロー。
「ただ…ちょっと寂しいから返事が欲しいだけだ」
ウイーテイー!

メイメイ!

 ふぁあ。
 どことなく気の抜けた電子音で鳴く、その妙に不気味なものを山崎は半眼で見つめた。怪しい。いや、今はそれは問題ではないのだ。怪しげであろうと一世を風靡したものではあるし、別段悪いものではないだろうとは言える。問題は、何故そんなものが家にあるかだ。高校卒業後古橋とルームシェアし始めて幾年か経つが、今までこれを見たことがない。新しいもののようにも見えるし、買ってきたのだろうか。古橋が何を買おうと自由だが、こういう勝手に喋るものをこんな居間に置いておいて欲しくはなかった。
 「ああ、山崎帰ってたのか」
その後ろからぬっと顔を出した古橋がおかえり、と言う。山崎はそれにただいま、と返すとそれを指差した。
「これ、何」
「見てわからないか」
「分かるけど、何で此処にあんのかと思って。買ったのか?」
「いや、原がくれた。ちょっと遅い誕生日プレゼントだって言って」
そう言われるとはぁ、と納得せざるを得ない。確かに先週は古橋の誕生日だったし、このどぎつい色合いも原のセンスだと言われれば頷けてしまう。
「それで此処に置いてあったのか」
「ああ」
こくりと首を縦にふって見せた古橋にふぅん、と言葉を返した。
「まぁ最近寂しかったしな」
なんてことないように言われたその言葉には、ふぅんとは返せなかった。
「…それは、」
「別に山崎に言うつもりはなかったんだ。お前が忙しいのも、その中で時間を何とか工面してくれてるのも知ってる」
こちらを向いた古橋の頬にはうっすらとした笑みが彩られていた。
「これ以上言ったら我が侭になるしな。それはお前の方が片付いたら十分聞いてもらう予定だから気にするな。覚悟だけしておけ」
ひらりと一つ手を振って、じゃあ俺はこれからバイトだから、と出て行く古橋を見送って。
 やけにしんとした空間に座り込む。
「ばかじゃねえの…」
付き合い始めて幾年か経つが、こんなふうに言われてしまうと改めて。
「あー…もう、どうしょもねーくらい惚れてんな…」
少なくとも、あのおねだりの仕方が反則だと思えてしまうくらいには。ふぁあ、と電子音で鳴くそれを一撫でする。
 頬がひどくあついのなんて、触れずとも分かっていた。



にとさんお誕生日おめでとうございました!

***

むし-やしない【虫養ひ】食欲その他の欲望を一時的にしのぐこと。また、そのもの。

蟲を養う男 R18G

 「弘」
いつものように花宮に呼ばれて、
「此処に取り引きに行って来い」
ぽん、と山奥の村の地図を渡されたのが、すべての始まりだったと思う。
 道とも言えぬ道を車で走って数時間。本当に人が住んでいるのかと問いたくなるような場所の奥には、ひっそりと家が犇めき合い、小さいながらも其処に共同体が存在していることを示していた。車を後ろ向きで止め直してから懐に忍ばせた拳銃、靴底に敷いてある鉄板、太腿に括りつけたナイフ、奥歯に仕込んだ毒物をそれぞれ確認してゆっくりと車から降りる。いくら名のある花宮の名代として来ている取引だとは言え、此処が山崎にとってあまりにもアウェイであることには変わりはないのだ。まぁ、例え山崎が殺されてしまって死体が出てこなくとも、花宮ならば帰って来ないというだけで全面戦争へと持ち込むくらいの権力は持っているのだが。話が逸れた。
 そうして通された場所は寂れたバーのようだった。開店は夜なのか、取り引き相手と山崎しかいないその空間にはぽつんと一つ、置物があるだけだった。
 怪談だったか、都市伝説だったか―――どちらでも同じようなものだと思っていたけれど。
 もそもそと時折思い出したように動くそれの、仄暗い眸が山崎を捉えて離さなかった。じっと絶望を知っている、そういう眸をしていた。
 「お気に召シましタ?」
妙な訛りで取り引き相手の男が聞いてくる。日本人ではないのか、それは分からなかったなかったけれども、そうだったとしても別段珍しいことでもない。
「あ? …あぁ」
曖昧に頷くと口が裂けるかと思う程の笑みを浮かべ、男は笑う。良い金づるを見つけた、という顔だ。流石辺境だな、と思った。こうした欲を少しも隠せないとなると、花宮がいるようなところではやっていけないだろう。実際、上司である花宮のこういった表情を山崎は見たことがない。
 山崎の予想通り男は金額を提示して来た。それは山崎にとってもはした金、と言ってしまえるような金額ではあったが、
「悪ィけど、個人的な買い物は許されてねーから」
此処にはお遣いをいいつかって来ている身だ。勝手な真似は組織、ひいては花宮の不利益に繋がることだってある。
 男はそれもそうかという表情をしたあと、良いことを思いついたと言わんばかりに人差し指を立てた。 「そレならば、今回の取引ニ上乗せ、という形なラばどうデしょう?」
其処までして売りたいか、と思う。今回の取引に上乗せという形を取るのならば花宮に一度連絡を取ることになるので、必然的にそれを買うかどうかのお伺いを立てることになる。
「分かった」
ため息は吐かない。
「確認してやるよ」

 「ただいま」
仮住まいのアパートの扉を開ける。返事はなかったが、寝ているのだろうと思って靴を脱いだ。そうしてリビングへと足を踏み入れて、
「…何やってんだよ」
うぞうぞと床に張り付き蠢く置物を呆れた目で見下ろす。
「ん、ちょっと、動こうかと思って」
「失敗したのか」
「ああ」
「無理すんなよ」
少しばかり残る腕の下に手を差し入れ、起こしてやる。
「すまない」
「いや、別に良いけど」
 置物、否こうして動いて喋るようになった時点で彼、と言うべきだろうか。あの日、電話に出た花宮に事情を掻い摘んで話したところ、驚く程すんなりと買い取りの許可が出て、めでたく彼は山崎の所有物となった。
 四肢をそれぞれ三分の一程度ずつしか残されていない彼の名前は、古橋康次郎と言った。

 四肢の欠損によって古橋に出来ることは限られていて、放っておいたら簡単に死んでしまいそうではあったが、それでも買い取った当初は何を言うでもなく、ただ置物としてあるだけだった。して欲しいことはあるだろうに、ただ何を言わず、求めもしない。それが変わって来たのは山崎が丁寧に世話をしたからなのか、それとも何か別の理由があるのかまでは知らなかったが。
 「お前は何がしたいんだ」
山崎に買い取られてから、古橋が初めて発した言葉はこれだったと思う。最初は誰の声なのか分からなくて、目の前で動く古橋の唇を凝視してしまった。
「お前はオレを何のために買ったんだ」
長いこと使っていなかったであろう声帯が吐き出す音はひどくざらざらとしていて、声というよりかは音の方が近かったのかもしれない。
「何って…さぁ…」
特に買って何をしようと思った訳でもない。敢えて理由を上げるならば目についたからで、更には押し売りにあったからで。あの時きっと古橋を買い取ることが出来なかったら、山崎は今頃古橋のことを忘れていた。
 暫く疑うようにこちらを睨(ね)めつけていた古橋は、一つ息を吐いて、
「お前は、可笑しい」
そう言った。
「可笑しいか?」
「ああ」
古橋はそのまま続ける。
「あの男はオレを見世物にしていた。そして、更に金を払う者には慰み者として使う権利を与えていた」 あの男とはあの日の取り引き相手であろう。そういえば、と思い出す。買い取ったばかりの古橋には傷だらけで、それが情事の名残だったのだとしたら頷けるような気がした。そもそもこの形にするということが人間でないものとして扱うようなものであり、その先に待っている待遇もおおよそ人間扱いなどないに等しいのだろう。
 「けれどお前は何もしない。オレを毎日風呂に入れ、飯を食わせ、服を着せ、トイレの世話をし、髪を整える。何のためにオレを買ったんだ、何故何もしない」
その言葉は古橋の価値観を表しているように聞こえた。だから山崎はわざとらしく首を傾げてやっただけで、それには答えなかった。
 その日から、少しずつ古橋は喋るようになった。名前を聞いたのも、この頃だった。

 「おかえり、山崎」
出会った時は仄暗いだけだった古橋の眸には、欠片ながらも光が宿るようになっていた。特別山崎が何をしたという訳でもない。確かにこうしてアパートの一室に置いて匿うようにして世話をしてはいるが、それは観客が一人になっただけであって、あのバーで見世物になっていたのと本質は変わらない。それに、古橋が気付いているのかいないのか。既にそういうものに成り下がっている彼には、関係のないことなのかもしれなかった。しかし、それでも、
「ああ、ただいま」
この情けない、吐き気のする程蟲のような姿が、愛おしいだなんて。
 欠け過ぎている古橋がすべてを満たしていくような気がするだなんて、なんて皮肉だろう。けれどこれが一過性のものなのだと、山崎には良く分かっていた。いつかきっと、山崎は古橋にあの男がしたのと同じようなことを求めるだろう。
 その時に古橋の眸がどうなるのか、あの時以上に絶望に染まるのか、それだけが少し楽しみだと、山崎は小さく笑ってみせた。

***

白猫は泡になどならない 

 「…一応聞く。どうしたんだ、その頭」
「今日は猫の日だから。そういうプレイをしようかと」
「そうか。オレはそういうのは求めてねぇんだけど」
 霧崎第一高校、男子バスケ部の部室から少々離れた今は使われていない倉庫。埃っぽいその中で、山崎は古橋と二人、向き合っていた。古橋の頭には何処から調達したのか猫耳。真っ白なそれがやたらと黒髪に映えるが、やはり見慣れないものへの違和感の方が強い。
 古橋は見た目にそぐわずこういった行事に積極的だ。山崎としてはそんな積極性は不必要だと思うのだが。先日のバレンタインにもチョコレートプレイをしよう、とお湯に溶かしたチョコレート(恐らく本人は湯煎したつもりだったのだろう)をボウルごと渡され、困惑したのは記憶に新しい。案の定古橋がそのボウルをひっくり返して、山崎が薄いチョコレートを被る羽目になったばかりか、あちらこちらに飛び散った茶色の液体の掃除のために奔走、やり始めてしまったら最後いろいろ気になってくる訳でそのまま大掃除、と折角部活が休みだったのに重労働をすることになったのだった。
 山崎だって男子高校生だ。人並みに性欲はあるし、男であろうと現在恋人として付き合っている古橋が誘ってくるのならノりたいとは思う。だがしかし、ノれない理由と言うのもある訳で。
「今日部活休みじゃないだろ。明日もあるし」
自分に跨る古橋を山崎は見上げる。
「あと、とりあえずこれ解けよ」
山崎は少しだけ手首をあげて見せた。そこには霧崎指定の赤のネクタイ。山崎はとっくに失くしてしまっているので、これは古橋のものだ。山崎が抵抗するのを見越したのかぎっちりと縛られている。後で痕になったりしないかが心配だ。というか抵抗されると分かっているのにヤろうとするな、と言いたい。言わないが。
 「解かない」
「何でだよ」
「解いたら山崎は逃げるだろう」
「逃げねーよ、お前連れて部活に出るだけだ」
むっとした表情で古橋が口を噤んだ。押し問答になるだけだと悟ったのか、山崎の制服に手を掛ける。ぷちり、ぷちりとボタンを外していく丁寧な手つき。
「花宮に怒られるぞ」
「もう手遅れだと思う」
そりゃそうだけど、と山崎は言葉を濁した。正確な時間は分からないが、きっともう部活は始まっている。今から行ったとしても怒られるのは免れない。それでも無断でサボるよりかは遅刻の方が花宮の怒りは軽いように思えるが。

 話している間にも古橋の手は止まらない。晒された脇腹を指が撫でて、びくり、とするのを抑えて山崎は息を吐く。
「…お前が今日は何の日だって言ってくるのは聞いてて面白いけど、なんでもかんでもセックスに結び付けなくて良いと思うぞ」
手が止まった。
「そりゃあお前のこと好きだし、恋人だし、シたいとは思うし、スるのも気持ち良いけどさ、どう考えてもお前の負担の方がでかいだろ」
突っ込まれる側なんだし、と続ける。
 古橋のことなら全部分かる、なんてそんなこと言えない。けれど、分かろうとする努力はしているつもりだ。つもりでは駄目なのだろうが、今はつもりでしかいられない。自分のこと以外にちゃんと心を砕ける程、山崎は大人になれていない。それでも、
「どこにもいかねぇから」
「…約束は破るためにあるものだろ」
「…なんでお前そんな卑屈なの」
このあまり動かない表情の、細かな差異を読み取っていたい。取るに足らない笑みを与えたい。涙の種類を知りたい。古橋が丁寧に積み重ねている恐らく愛という名前のそれに、しっかりと応えられる存在でいたい。
 「あーもー分かったよ。オレが証明してやるから!」
「証明?」
「約束は破るためのもんじゃないって」
揺らぎすら見せないその黒い瞳を見つめる。相当クサいことを言っている自覚はあった。だけど、此処で逸らしたらいけないというのも分かっていた。
「…山崎らしいな」
そっと古橋が呟く。その表情にまだ納得してないものを感じてまた口を開こうとした、その時。
 だんだん! と扉の方から激しい打音がした。びくう! と二人で肩を震わせてそちらを見やる。
「こーうーじーろーう。ひーろーし。…いるんだろ、開けろ」
紛れもなく我らが主将の声である。そりゃあもう怒りに満ち満ちた我らが主将の声である。なにこれ怖い。
「…おい、古橋」
「何だ」
「開けろって言ってるぞ」
「山崎だったらあれを開けられるか?」
「いや、無理だけど。開けなかったら開けなかったで更に怒りのボルテージが上がってくだけだと思うぞ」
それもそうだな、と古橋が立ち上がった。山崎は黙ってそれを見守る。
 かちゃり、と静かな音で鍵の回る音がした。静かな空気が流れる。ギィ…とまるでホラーの如く軋んだ扉は、次の瞬間蹴り開けられた。
「部活サボって何やってんだ、テメェらはよ!!」
「何って…ナニ?」
耳をぎりりりりと引っ張られて古橋が悲鳴を上げる。
「どうせ今回も十中八九原因はお前だろ! 康次郎! 部活サボってまでサカるんじゃねぇ!!」
「痛い痛い花宮耳がとれる」
とれてしまえ! という花宮の怒声と共に古橋が床に投げ捨てられた。怒りマックスの主将はとんでもなく恐ろしい。古橋の耳がちゃんとついているか心配なのはあるが今は我が身だ。
 そこでようやく、花宮は古橋の頭についているものに気付いたらしい。床に転がった古橋を十五秒ほど凝視したあと、くるりと山崎の方を向いた。ボタンを外され手首を拘束されたままの山崎である。暫く何か言いたそうに山崎を見つめてから、
「…こういう趣味なのか、弘」
「誤解だ! そのこういうが何を示してるのか聞きたくないが、誤解だ!!」
あと出来たらこのネクタイも解いて欲しいです! と控えめに願い出る。花宮は盛大にため息を吐いてからネクタイを外した。痕は残っていない、一安心。ちらり、と古橋の方を見やれば起き上がっている。どうやら耳はちゃんとついているようだ。ついでにやっと猫耳も外してくれた、いつもの古橋だ。
「お前ら外周行ってから来い、10周な」
「え、オレも?」
「当たり前だろ! 自分の猫の躾くらいちゃんとやっとけ!」
手早くボタンを止めて倉庫から出て行く花宮を追った。すれ違いざま、
「さっきオレが言ったこと、忘れんなよ」
ぼそり、耳元で囁く。ばっと古橋が山崎を振り返るのを無視して倉庫から出た。太陽が眩しい。
 「忘れるわけ、ないだろ」
古橋がぎゅう、と猫耳を握り締めるのが横目で見えた。
 ああ、今はそれだけで充分だ。



ねこのひ

***

十八回目の夏は来ない 

 北風が身にしみるような日だった。ぼってりと落ちてしまった日が名残すら見せずに、たい焼きから昇る仄かな湯気を際立たせている。
「暫くしたら、春だな」
たい焼きを真っ二つに割って、その腹から黙々と喰らい尽くしていた古橋が、思い出したように言った。 「旧暦の話か?」
「ああ、まぁ、そうだ」
カレンダーは既に十二月の半分を消費していて、悲しいかな古典がついてまわる高校生活の所為でそういった切り返しには慣れたものだ。
 「春には、」
其処で切った古橋はもう一口、たい焼きに噛み付いた。はむはむと動く唇を横から眺めながらその続きを待つ。
「春には、死んでしまうだろうな」
むにゅ、と口内で潰れる餡子の味が消え失せたような気がした。
「きっと、耐え切れない」
「…そう、だな」
否定することは出来なかった。山崎も同じことを思っていたから、嘘を吐いてまで何かを言う必要もないと思っていた。
 また帰り道は沈黙に満ちた。けれどもそれが心地好いのだがから、この余命宣告をされた恋だって、悪くはないと思うのだ。



きっとこの恋は、この冬を越えられない、から。

***

空ろな充溢感 

*花←山・瀬←古前提で瀬花含む

 隣で古橋が硬直するのと、山崎が息を飲むのは同時だった。そしてすぐさま何とかしなければ、という使命感に駆られ、手を引っ掴んで駆け出すことが出来たのは山崎の方だった。
 少し行ったら北門を抜けて、そのまま駅へ行けただろうに、反射的に逆方向に走り出してしまった所為で、やっと立ち止まれたところは南門の前だった。
「…山崎」
言葉を失くしたまま立ちすくんでいた山崎に掛かった声は古橋のもので、そのアンバランスな静かさに泣きそうになる。
「花宮と瀬戸、抱き合っていたな」
事実の確認、と言わんばかりの流暢な物言いに山崎は喉に手を掛けられたような心地だった。息の仕方が分からなくなりそうで、でもその手を掴むくらいしか出来ない。
「あのままきっと、キスでもするんだろう」
知らなかった訳ではない。花宮と瀬戸の関係は知っていた。知っていてこの思いを捨てられなかった。
「校門で何を、とも思うが…こんな時間だしな」
夕日も落ちて頼りない校門の電灯の中で、ひしと抱き合う二人は童話か何かから抜け出してきたようにも見えた。勿論、そんな可愛らしい性格をしている奴らではないのは自覚している。けれど。
「明日は部活もないしきっと、今日はどちらかの家に泊まるのかもしれないな。そして…」
「古橋」
遮る声はか細くて、しかしそれでも古橋には届いたようだった。
 自分たちには一生居れないであろう立ち位置に、焦がれている、なんて。
 「…たい焼き買って帰るぞ」
「…そうだな」
繋いだ手の温かさが残酷に感じた。だけれどもそう感じられている間はきっと大丈夫なのだと、そう信じていっそう強く握るしか出来なかった。



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***

嘘吐きが謳う 山→古

 山崎は自身の少しばかり上にいるその存在にただ困惑するだけだった。からっとした夏の空がずっと続いていて、それを遮断するが如くそれは浮いている。
「何だ、そんな呆けた顔をして」
その顔は山崎が良く知るものだった。同級生、同じクラス、同じ部活。甘い焦燥を誘う、そういう人間と同じ顔。
 それはあれ、と首を傾げると、また山崎に話し掛ける。
「言っている意味が分からなかったか? もう一度だけ言うぞ。オレを、買え」
何度繰り返されたってその発言をすっと飲み込めるなんてことは起こらなそうだ。山崎はまるで自分のことではないかのようにそう思う。
「いや、買えって何だよ」
「そのままの意味だが」
「いみわかんねーんだけど」
「お買い得だぞ?」
古橋の顔で、彼がきっとしないであろう満面の笑みを称えてそれは言う。ひどい違和感に顔を顰めてやれば、楽しそうにそれはくるりと一回転、宙を舞ってみせた。
「お買い得とか言われても」
金なんて持っている訳がないし、そもそも人間の形をしたものを買うなんて抵抗がある。それが、古橋と同じ顔をしているのならば尚更。
「でも、欲しいんだろ?」
「…お前じゃ、ねぇよ」
苦々しく吐いたその言葉に、頭上のそれは可笑しそうに笑った。
「お前が欲しいのはオレだろ。あの古橋康次郎と、オレと、何がどう違うのか、何が古橋康次郎を古橋康次郎たらしめるのか、言ってみろ」
唇を噛む。古橋はそんな風に頭上には浮かないだとか、そんな風に笑ったりしないだとか、言えることはそれなりにあったはずなのに、どれも喉を出て行かなかった。
 自分が何も古橋について知らないと突き付けられているようで、言えなかった。



(押し売り上等!)
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***

世話焼き男の有意義な買い物 

 ざわざわと興奮に染まる声がする。その中で煩わしそうに身動ぎをしながら―――それでも他に付け入る隙を見せぬように、山崎は隣でふんぞり返っている自分の主を見た。欲しいものがあったら買ってやるから。原も瀬戸も自分こそが彼の役に立つのだと、彼についていく仕事があったら何が何でもついていこうとするのに、この時ばかりは二人とも曖昧な返事で濁していた。その様子にため息を吐いた主、花宮はじゃあ、と山崎を指名したのである。そしてダメ押しと言わんばかりに先述の台詞を投げかけられれば、そこそこ単純に出来ているという自覚のある山崎に、ついていかない理由はなかった。
 という訳で連れて来られた先は。
「…花宮」
「ンだよ、欲しいものでもあったのか」
「いや別に」
「じゃあ黙っとけ」
答えるのが面倒なのか、それともただ単にこの場所だからまずいのか。
 廃墟と化した、恐らく元々は学校だったであろう場所。その体育館だったらしい暗い場所で、順繰りにお披露目される商品。会場に入る時に渡された番号札。聞くまでもない、競売である。問題は、その商品だ。
「さてお次は十二歳の少女! その道のプロに仕込まれて高飛車だったお嬢様も丸くなりました! 気品溢れる顔を歪ませたい方向け、さて五十万から!」
人間、なのである。
 先ほどの少女が二百四十万で売れたところで一端幕が下りた。さっさとこの場所から逃げ出したい山崎だったが、主である花宮が動かないのに付き人が抜ける訳にはいかない。この場に山崎がいるのは護衛も兼ねているのだ、まぁそれが実際必要かどうかは置いといて。
 原も瀬戸も同行を渋った訳は既に分かっていた、確かにこういう場所は好んで来たくはない。こうして花宮が来ているのだって恐らくは仕事の関係だ、先ほど何やら良い服を来た人々と言葉を交わしていた。もしかしたら人間が売られていく様が面白い、なんて思っているのかもしれなかったが。否定出来ないところが怖いところだ。
 するするとまた幕があがって、その壇上のものがぱっとライトに照らされた。男だ。年の頃は山崎や花宮と同じくらい、黒い髪は比較的短めでさっぱりしている。青白い肌に良く映える、海老茶の着流し。生気というべきか覇気というべきか、そういう人間らしいものが抜け落ちた表情。
 どくり。胸の辺りで音がした。
「花宮」
「あれで良いのか」
山崎の返事を聞く前に花宮が手を上げた。司会者がその手の形で金額を叫んだが、そんなもの既に耳に入っていなかった。
 ばちり、と壇上のそれと目があった気がした。
「では、二十三番様の落札とさせていただきます!」
ぱちぱち、と起こる拍手。二十三番、それは先ほど入り口で渡された花宮の番号だ。すぐに壇上からそれは降ろされて、花宮と山崎のところへとやってくる。
「世話はちゃんとしろよ」
 係の者から犬のようなリードを受け取って、それをまじまじと再度見る。一言も発しないそれは見れば見るほど、人間味に欠けているように見えた。そういうものは見慣れているはずだった、はずだったけれども、どうしてか、これはこうではいけない、瞬時にそう思ったのだ。
「分かってるっつーの」
「なら良い。じゃあ、出るぞ」
用事は済んだと言わんばかりに立ち上がる花宮についていこうとして、自分の手の中のリードを見つめる。それは先ほどまで壇上にいたそれの首に繋がっており、安っぽい赤色をしていた。違う、とそう思う。もったいない、そうとも思った。未だぼんやりとしたままのそれの手を取ると、やっと表情が変わった。
「なんだ、別に、冷たくはないんだな」
呟いて手を引くと、戸惑ったように付いてくる。もうリードは離してしまっていた。戻ったらすぐに安っぽい赤色も外してしまおうと思う。赤系統は大体似合うだろうな、そう思い浮かべるのは知り合いの呉服屋だ。連れて行って着せ替え人形にするくらいが丁度いいかもしれない。
 そんなふうに今後の予定を立てながら花宮の背中を追う。
「…お前の、手は、冷たいんだな」
空耳かと思うほどに小さな、独り言のようなそれに答えるように、繋いだ手に力を込めた。



ask
競売に掛けられる古橋

***

小指の糸は切ってしまった 

 縋り付くような熱をそのままにしていた。
 何もしなくて良い、子供の遊びのように目隠しをしたままで、その塊は泣きそうな声を出す。予想以上にそれは熱かった。熱くて、どうしようもなく今を生きる人間なのだと思った。どうして彼を、今にも死にそうだなんて言うやつがいるのか、触れてみれば分かると、何度も思ったことは正しかった。
 良いんだ、分かってる、大丈夫だから。そんなふうに意味のない言葉を並べる彼に、ため息、一つ。お前は花宮がすき、なんだろう。そうであれと願うように、そうでなくてはいけないと自分に言い聞かせるように、その声は切々と続いていく。
 良くない、分かってない、大丈夫じゃない。何度も否定されてしまったあとでは、その言葉を吐くのだって容易ではない。漏れる息が無駄に空気を濡らしていく。
 暫くして、背中のそれが本格的に嗚咽に変わったのに気付かないふりを続けたかった。どうして、信じない。どうして、おちてこない。そう思いながら空を見上げる。その嗚咽は、それほどに自分が好きだという証明なのではないか、それならば、縋れば良いじゃないか、と思う。例え彼が言うようにこの自分の言葉が嘘であったとしても、真実だとあれほどまでに訴えたのだ、嘘だと思ってもつけ込むことを、していいのに。どうしてか、この男はこんな場所にいるというのに、ひどく誠実だ。そして、妙に、脆い。
 それが心配だ、なんて。この恋の始まりはそういった憐憫なんて。そこまで見抜かれているから、信用に足らない言葉しか吐けないのだろうか。
 なぁ、古橋。
 答えは、山崎の背中で泣いている男しか、知らない。



「なんで信じてくれないんだろう」
http://shindanmaker.com/392860

***

箱庭 

 さァさァ皆様、お待ちかね、この一座、一番の目玉の登場で御座います。そんな言葉がするすると幕が上げられて、観客がざわっと目を見張る。
「上は人間、胴から下は魚、世にも奇妙な生物、人魚で御座います!」
確かに座長の言う通り、水槽に沈められたその生き物の上半分は人間の形をして、下半分は魚の尾びれと同じ形をしていた。
「…ふるはし」
ぎゅっと拳を握りしめながら、舞台袖からその名をそっと呟く。聞こえないはずなのに、まるでそれに応えるかのように、くろぐろとした瞳がこちらを見やった。
 全国各地を興行して回るこの一座で、下っ端である山崎弘の仕事は見世物の世話だった。見世物、という言葉で想像はつくだろうが、彼らの格好は殆どが奇異に満ち溢れたものだ。目が三つあるもの、背中に羽根のような膨らみのあるもの、まぁ中には見た目は普通だが、奇異な能力を持っているがためにこんな場所にいる者もいるが―――その中でも、一番人気なのは先ほどの人魚だった。
 舞台を終えてがらがらと移動させられる水槽に近付く。
「古橋」
呼び掛けると、ちゃぽん、と音を立てて中の人魚が顔を出した。その唇の動きから自分の名を呼んだのが分かって、にこりと笑う。
「今日も頑張ったな」
こくり。
「座長がお前のご飯、美味しいものにしてくれるって」
そう伝えれば、ぱあ、とその頬に僅かに喜色が走った。やまざきは、と問われたので静かに首を振る。
「おれはいいの」
でも。
「いいの、古橋が美味しそうに食べてくれればそれでいい」
ふてくされたような顔をして何やらまくし立てる古橋を見ながら、ああ、もう、声なんて思い出せないな、と山崎はそう思った。
 はじめから古橋康次郎という存在が人魚だったかと問えば、その答えは否である。最初、山崎が古橋に出会った時、その下半身には山崎と同じように脚がついていて、ぺたぺたと音を立てながら良く彼は山崎の後ろを付いてきた。同じ時期に入ったから、ということもあったのかもしれない。周りは大人ばかりで慣れないこの環境で、心細かったのかもしれない。
 親に売られるようにしてこの一座に入った子供に、未来などない。希望もない。それでも生き抜こうと、身を寄せ合って、一人分にも満たない食事を二人で分けあって、そうして生きていた。
 あの日までは。
 ある日突然、今までこちらを見向きもしなかった座長が二人の前にやって来て、じぃっとこちらを品定めするように見たあと、おもむろに古橋の腕を掴んだ。山崎は慌ててその腕に縋り付いてどういうことなのか聞こうとしたが、何を言うより先に地面に叩きつけられた。こちらで正解だな、と座長は言った。
「やまざき!」
悲鳴のような声で古橋が振り返る。もがく古橋の頬を座長の手が打った。見ていられなくて身体の痛みもそのままに立ち上がると、今度は蹴りが繰り出された。座長の爪先が鳩尾に入って一瞬目の前が真っ白になる。
 それからはもう、何も出来なかった。あちこち踏まれる中で古橋の悲鳴と懇願だけが、妙に耳に残っていた気がする。ごめんなさい、あばれないから、さからわないから、やまざきが、しんじゃう。それを聞いて座長は満足したのか、他の大人にそれをどうにかしろ、とだけ残して、古橋を連れて行ってしまった。薄れゆく視界の中で、やまざき、ごめんね、ごめんね、と泣きそうな古橋の声が、わんわんと響いていた。
 そうして、帰って来た古橋の下半身に脚はなくなっていて、代わりに魚の尾びれのようなものがついていた。その日から、山崎の仕事は人魚及び見世物の世話になった。
 ほら、と差し出した木の匙に、かぷり、と古橋が食い付く。美味しそうに口を動かすその表情を見て、山崎はよかった、と微笑んだ。やまざきも、と指差された皿に、先ほどと同じように首を振る。これは古橋の食事だ。たとえその古橋が許可したとしても、山崎が食べたことが知れれば座長は喜び勇んで山崎を痛めつけるだろう。それはもう分かっているのだ、だから、そんな隙を進んで作ってやることはしない。古橋も分かっているのだろうが、彼は彼でバレなければ良いとでも思っているのだろう。
 古橋の喉がこくりと動いたのを見て、次の一口を差し出す。
また同じように古橋の口腔内へと消えていく料理。水槽の縁に手をかけるからであろう、前より少しだけ逞しくなった腕がするりと伸びてきて、山崎を捉えた。
 え、と声を発するよりも先に唇が押し付けられた。常時水に浸かっているからか、それは冷たかった。
「…ふ、」
僅かに開いた隙間をこじ開けるように、同じく冷たい舌が入り込んで、口の中の料理を送ってくる。それを押し返す術も知らない山崎は、慣れない呼吸に声をうわずらせながら、黙って甘受するしかなかった。
 山崎の喉が動いたのが分かったのか、古橋が満足そうに離れる。うまかっただろう、とにんまり笑う古橋になんだかとてもいたたまれなくなって、次の一口を無理矢理その口へと突っ込むと、山崎は顔を覆った。



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見世物小屋で働いてる古橋と世話係の山崎

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