羽ほどの枷もなく君へと身投げする R18

 山崎弘という男は見た目よりも臆病だ。臆病というとまた少し違った印象を人に与えそうだが、大事なものを大切にしすぎて手が出せない人種、とそう言ったら伝わるだろうか。
 それは晴れて恋人となった古橋に対してもそうで。
 早い話が古橋は山崎とセックスがしたかった。もしかして自分がネコの方だと思っているから手を出して来ないんじゃないかと思い、古橋がネコになると宣言してみたが、状況は変わらなかった。山崎が古橋に性欲を抱かないのか、とも考えてみたがそれもどうやら違うらしい。時折その瞳がとろりとする程に情欲を滲ませた、そんな視線を何度も受けている。けれど、山崎は手を出してこない。そこで古橋は自分が大切にされているのだと結論付けた。理由もなくそう考えた訳ではない、日頃の山崎を観察した結果出した結論である。
 が。
 例え大切にされていたからと言って、セックスしなくて良いと言うことにはならない。古橋とて一男子高校生だ。好きな人間がいて、その人間と付き合っていて、その先をいつまでもお預けされる現状にいつまでも我慢が出来る訳がない。まだ山崎にトラウマがあって古橋を抱かない、というのならば、もう少し我慢出来そうだったが、そうでもなさそうなのでやっていられない。
 古橋康次郎はもう限界だった。
 我慢が限界に達した古橋が走った行動とは、そう、凶行である。部活が終わった後、山崎を家に呼んだ。家族は全員何かしらの事情で今日は帰ってこない。まさにお誂え向きなこの状況を利用しない手などない。
 そうして、古橋は山崎を殴って昏倒させた。
 山崎が目覚めた時にはその両手首はベッドのパイプ部分に括りつけられていて、足元には古橋がちょこりと座っているという状態になっていた。
「起きたか」
「ふる、はし?」
「お前がなかなかオレに手を出して来ないから」
ベルトに手をかけられ慌てるも、膝を抱え込まれ大した抵抗など出来ない。否、しようと思えば出来るはずなのに、きっと蹴り飛ばすことになるだろう古橋を案じて、出来ない。山崎とはそういう男だ。ズボンと下着を一気に引き下ろして、それ越しに山崎を見やる。かあ、と分かりやすく朱を走らせた山崎に、少しだけ満足しながら大きく口を開けた。

 「やまざき」
はぁ、と荒い息が漏れる。
「やまざき、ぜんぶ、はいった」
とろり、と確かな色に染まった瞳がこちらを見て、また困ったように視線を泳がせた。時間を掛けて解したそこはぐちゃぐちゃと音をさせながら山崎を締め付ける。
「やまざき、ちゃんと、みて」
割れている腹筋を短い爪でひっかけば、びくり、と身体が揺れた。そうして恐る恐るこちらを見やる。
「オレ、いま、しあわせだ」
とんでもなく自分の顔が緩んでいるだろうことは自覚済みだ。そんな表情を晒してでも今の山崎の顔が見たかった。いつもいつも理性でたくさんのものを殺しているその瞳が、枷を失くしてどろどろに融けている様が見たかった。絡む。
「…オレ、も、しあわせだよ」
きゅう、と身体の芯が震えた。こんなことして山崎に嫌われはしないか、何処かにあった不安。それがたった今、本人によって打ち払われたのだ。きゅう、きゅうと存在さえ不確かな心が揺れる音がする。
「…ん、ぅ」
ぎゅ、と噛み締められていた山崎の唇から、喉が擦れたような声がした。
 何だ、今の。
 古橋の目が見開く。
「ひゃ、」
ぐり、と自分の中を抉らせれば薄い唇から漏れる声。
 かわいい。
 ぶわわ、と身体の奥底から湧き上がる。かわいい、かわいい、かわいい。そう思いながら腰を動かす度に山崎からは声が上がった。
「やまざき」
呼ぶ。
「やまざき、やまざき、やまざき」
―――かわいい。
流石に言葉にしたら怒られそうだから、空気だけで。
「ふる、はしッ」
切羽詰まったような声でなぞられる名前。
「てっめ、今ろくでもッねぇ、こ、ア、思ってん、う、ン…だろッ」
「そうだな、おもってる」
「な、にッ」
「…やまざきが、かわいい、って」
怒られるのを覚悟で口にした。声帯が引きつりそうな声で山崎は尚も続ける。
「ンだよ、それッよく、ン、分かんね、けどッ、ア、おまえ、のがッ」
いつもなら聞けないような言葉に、嬉しくなって接吻けた。
「もっと、」
ほとんど触れたまま言う。
「もっと、おまえの、ことばがほしい。ことばだけじゃない、ぜんぶ、ほしい」
 もっと、もっと、蕩けて。オレを溺れさせて。
 そしてそのままいつか、溺死してしましたい。
 腹の中が満たされていくのを感じながら、古橋はまた高い声を上げたその唇を、もう一度食んだ。



forえのさん・にとさん

***

不安定な視界

 「どうだ」
山崎より些か高い目線で古橋が問う。
「どうって…」
山崎の目線は古橋の足元を彷徨っていた。翠の色をしたヒール。明らかに女物のそれは霧崎第一男子バスケ部のユニフォームの色合いに酷似していた。
「似合うか?」
「似合うも似合わねぇもないだろ…それ、女物だろ?」
「そうだが…」
明らかにしゅんとした様子の古橋に山崎は首を傾げる。
「親戚が靴工房をやっていてな」
霧崎って強いんでしょう、この間雑誌に載っていたのを見かけてね、ああ雑誌は買わなかったんだけど、その時のユニフォームの配色が綺麗だなって思って。マシンガンのように喋る親戚が押し付けてくる靴を受け取り、古橋は逃げるようにしてその場を去ったのだという。それもそうだ、霧崎は決して褒められた戦法を用いているとは言い難い。そういった話題を避けるにはまず逃げるのが手っ取り早いだろう。
「折角だから履いてみたんだが…」
似合わないなら良い、と古橋は机に座る。そうして靴に手を伸ばして、ふと何か思い付いたように顔を上げた。
「何だよ?」
「…脱がせて、くれないか」
「は?」
これ、とでも言いたげにちょんちょん、と足を振る。
「自分で脱げるだろ」
「脱げるけど、大変だし」
山崎に脱がしてもらえるなら、こんな履きにくいもの履いた意味もあるだろ。確かにうっすらと笑った古橋に、山崎は盛大なため息を吐いてその膝を折る。
 すらりと伸びる程よく筋肉のついたそれが、今にも折れそうに見えたなんて、気のせいだ。



forにとさん

***

深淵に寄り添う眸 

 古橋の目はとても奇麗だ。山崎はそう思う。ただその真っ黒なビー玉のような目が、本物でないことを知っている。本物は山崎の手元にあるからだ。
 「古橋の目は奇麗だな」
ある日そう言ったら、古橋はそうか、と一言吐いて、その目をくれたのだった。流石にもらえない、と言うと、
「奇麗だって褒めてくれる山崎の手元にあった方が、オレも幸せだ」
なんてあの無表情に微かな、本当に微かな笑みを浮かべて言うものだから、突き返すことも出来ずに受け取ったのである。
 それは山崎の自室の、可愛らしい小物いれの中にひっそりと眠っている。時折取り出してはそれを月灯りに照らしてみてみる。例えば、自分のラフプレーが相手に決定的な打撃を加えた時とか。罪悪感などとうの昔に棄てた。花宮がそういうバスケをする、やめたきゃやめろ、そう宣言した時に、なけなし程度にあった良心もゴミ箱に放り込んだ。だけど、何か胸の辺りがざわざわとしてくるのだ。そんな時、こうして古橋の目を眺める。すると今までざわめいていた胸の辺りがゆっくりと、また静かになるのだ。  いつか、かえそう。きらきらと煌めくそれを眺めながら、いつもそう思う。これを、古橋にいつかかえそう。そう思うのだが、未だバスケに関わり続けるこの自分では、暫くかえせそうにもないな、とも思うのだ。
 「あれ、どうしてる?」
一度だけ、古橋に聞かれたことがあった。
「あれって、あれか?」
ああ、と古橋は頷く。
「家に、置いてある、けど」
かえせ、と言われるのかと思った。もともと古橋のものだし、人にやるものでもないのだ。そう言われたなら直ぐかえそうと思っていた。だが、
「そう、か」
古橋は不思議そうにこちらを見るだけだった。
「何だよ」
「いや、気になっただけなんだ」
「かえさなくて良いのか?」
自分からやると言った手前かえせと言えないのかと思って聞いてみると、古橋はますます不思議そうな顔でこちらを見るのだ。
「何故?」
無意識だろう、こてり、と傾げられた首。
「オレは、あれを、山崎に食べられたとしても良いのに」
 それに何と返したか覚えていない。ただ、その日は珍しく、何があった訳でもないのに古橋の目を取り出して見てみたのを覚えている。月に透かされるそれは確かに見ようによっては美味しそうだったけれども、これを食べて自分の一部にしてしまうのは、何か違うような気がした。やっぱり、これはいつか古橋の元へかえるものなのだ。そう思って小物いれの中にしまった。その時はこの小物いれも古橋にやろう。ふらっと入った雑貨屋で、ああ、古橋に似合う、そう思って買ったものなのだから。
 そっと蓋を閉める。
 月は、あまりに冷たくそれでいて水のようだった。それを一言で表す術を山崎は知っていた、でも知らないふりをする。古橋にその目をかえすことが出来たのなら、寝返りを打つ。
 その時は、今まで目を逸らしてきたものすべてを、抱きかかえて、おちていこう。
 閉じた瞼の裏に浮かんできたのはやっぱりと言うべきか古橋で、それに小さく笑いながら、山崎は眠りにおちていった。

***

「独占欲ってやつ」 

 例えるならばそれはぶちまけたインクのようで、山崎自身そんな経験はないのだが、そう思わざるを得ないような感覚だった。瀬戸と何やら話し込んでいる古橋の項やら膝裏やらがやらた目についてざわざわとする。見慣れているものだった。こういうのは、古橋の専売特許だったはずだ。なのに今、苦しめられているのは自分で。ああ、恋とはこんなものなのか。ぼんやりと思う自分がまた可笑しくて。げしっと、背中に感じたのは確かな足の裏の形だった。
「早く行って来い」
ひでー顔してんぞ、とお節介にも蹴りをくれたのは我らが主将だ。
「…まじで?」
「まぁ、オレが分かる程度には」
そうか、とだけしか呟けなかった。花宮は賢いが他人の感情の変化には疎いところがある。そんな花宮に気付かれているということは、相当、だということだ。
「行って来い」
二度目のそれは警告のようだった。行かないならば、と暗に何やら厄介なものを示しているようなものだ。へいへい、と面倒臭そうな顔で、事実面倒臭いのだが、古橋の元へ向かう。
 「古橋」
くい、と引いたTシャツの端は、瀬戸の目にも止まったようだった。
「………」
言うことがなくなる。
「珍しいな、山崎がこんなふうにするなんて」
お前の所為だよ、とは言わない。何故なら悔しいからだ。それ以外に理由はない。
「帰るか」
その瞬間のそれは、きっと古橋なりの笑顔だった。
「…おう」
Tシャツから手を離して鞄をひっ掴む。そうして部室から出て行く古橋を追う。
 「古橋?」
「なんだ?」
振り向いた古橋はやたらと嬉しそうだった。そんな彼が次にする質問を、山崎はもう知っている。
「何で、あんなことしたんだ?」
予想通りのそれにあー…と不明瞭な言葉を吐きながら、山崎はそれに答えねばならないであろうことを悟っていた。



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***

ひだまりの午後 

 今日はやたら山崎に見られている。山崎お手製の昼食を摂りながら、古橋は思った。
 日曜の昼、のんびりとした陽射しの差し込む部屋で二人は食卓についている。恐らくそこいらの同年代の男性よりかは料理のうまい山崎が、愛情と手間をかけて作った美味しい昼食である。山崎と比べて料理が決してうまいとは言えない古橋は、どうしても、という場合を除いては後片付け係に徹していた。それに関して文句を言われたこともないし、山崎が不満をためていたとも考えにくい。元来山崎という男は隠し事が苦手なのだ。本人も自覚する程のそれは、こうして一緒に暮らし始めて何年か経つ今でも一向に改善の兆しを見せない。記念日か何かだっただろうか、とも考えてみるが、心当たりはない。山崎は恐らく、またも周りと比べてしまうことになるが、イベント事が好きだ。しかし、それは本人が楽しみたいだけらしく、それを古橋にも押し付けてくることはない。それに、何かサプライズをしようとしたところで隠し事が苦手なのだから古橋には分かるのだ。よって、記念日関係でもない。ふむ、と古橋はパスタを咀嚼しながら考えた。山崎に語らせれば恐らく何処のオリーブオイルだとか何処のパスタだとか、古橋には到底理解し得ない情報を喋ってくれるのだろうが、そういうのを差し引いたとしても山崎の料理は美味しいと思う。ながら食いは良くないとは思いつつも、山崎の視線が気になってしょうがない。よし、と古橋は決意する。片付けが終わったら山崎にこの視線の意味を聞こう、と。
 「なぁ」
皿洗いが終わって手を拭いていると、声がかかった。それは古橋が想像していたよりも真剣な色をしていて。
「古橋」
まさか、別れ話。自分の考えにぞっとしながら振り返る。まさか、まさか、まさか。男同士だ、男女のそれよりもいつ終わりが来ても可笑しくはないとは思ってはいたが、こうも心の準備が出来ていない時に突然訪れるなんて勘弁してくれ。
「前髪、伸びたよなぁ」
 正直、拍子抜けした。

 俺が切る、と言い出した山崎のしたいように古橋はさせることにした。山崎が狭い洗面所に椅子を引っ張りこんで、ゴミ袋を器用に切ると古橋に被せる。床にもちゃんとゴミ袋が敷いてあり、準備は万全だ。
「いつもと同じくらいで良いか」
水で濡らした櫛で前髪を梳きながら山崎が問う。
「…ん、任せる」
いつもと同じくらい、というフレーズがくすぐったくて、古橋は目を細めた。そういうフレーズが自然に出てくるくらいには一緒にいたということを、証明されたような気がして、とてもくすぐったかった。  しゃきん、しゃきんと鋏が鳴る。
「…慣れているのか」
「大体自分で切ってたからな」
美容院行くのもめんどくさくてよ、他愛ない会話の中でもしゃきん、という音が続いていく。もし此処で手がすべったら、この刃は古橋を傷付けるのかもしれない。そう思うとこれも一種の生命を預ける行為なのかもしれない、と思えてきた。それが自然に、無条件に出来てしまう自分というのも、また少しくすぐったかった。しゃきん、しゃきん。この音が信頼の証であるように。しゃきん、しゃきん。また、心をくすぐっていく。
 「ほら、これで良いか?」
ドライヤーで軽く乾かした前髪は、よくよく見れば素人技だと分かるものの、変に曲がったりすることなどはなく、山崎の器用さを表していた。確かに、いつもの古橋だ。やはりくすぐったい。
「ああ。ありがとう」
「いや、俺がやりたいって言ったことだし」
後ろを止めていたセロテープを外すと、さっきまで古橋の視界を遮っていたものたちが落下していく。
「また、切ってくれるか」
「あ? そんなモン当たり前だろ」
「オレは、髪、伸びるの遅いぞ」
その言い方に引っかかりを覚えたのか、床でゴミ袋を風呂敷状にまとめていた山崎が振り返った。見上げられる。目が合う。
「…あのなぁ」
軽いため息のあと、少しだけ目を閉じて、山崎の睨み付けるような視線が古橋を貫いた。
「お前はどうだか知らねーけど、俺はもう同棲してる時点で、お前のこと手放すつもりなんかないっつーの」
ふい、と何でもなかったようにまた目線を落として、
「髪、とは言わねーけど、前髪は他の奴に切らせんなよ」
俺がやるから、と後片付けを再開する山崎の背中に、思わず抱き付いた古橋は、間違っていなかったと思う。



「いっしょに住んでる山古で、おまえ前髪のびてきたなーって言って古橋の前髪切る山崎が見たい」byうめださん

***

キラーチューン 

 「結婚、しないか」
 今日がプロポーズの日だと、昼の番組で見たから、ただそれだけだった。勿論、ふざけて言ったつもりはない。真面目に、心を込めて言ったつもりだ。だが、その反面それは叶わないことだとも重々理解していた。どれだけ奇麗な言葉で飾ったとしても、そういう形あるものは遺せない。それは宿命のようなものだ、逃げようとも思わない。鈍感そうに見えて感情の機微に鋭い山崎は、古橋が真剣に言っているのが分かるだろう。例えそれが無理だと分かって いても、そうだな、とノるくらいはしてくれるはずだ。古橋の好きになった人間は、そういう男だった。ごっこ遊びで救われるだなんて安っぽいものだと思ったが、そういうものなのだから仕方ない。山崎はちらりと古橋を見やると、そうだな、と呟いた。そうして立ち上がると自分の鞄を漁って、
「ほら」
放られた小さな箱を思わずキャッチする。良くドラマで見るようなその箱に、古橋は目を見開いて、そして山崎を見つめた。
「安いやつだけど」
どすり、とソファーに戻って、目を合わせようとせずに言い捨てる山崎。それが肯定のように聞こえて、慌てて小箱を開く。そこには予想通りというべきか、希望通りというべきか。
 煌く小さな宝石のついた、細い銀のリング。
 「やまざき、これ」
声が震える。
「要らないなら返せ」
その声に、僅かな緊張の色が見えた気がした。胸がいっぱいになって、思わずその小箱をぎゅっと握る。 「…要らなくなんか、ない」
あまりに唐突だったそれは、古橋から一切の語彙力を奪っていったかのように見えた。ぎゅうぎゅうと犇く感情全てが歓喜のものだとは言えないが、確かに何よりも大きく割合を占めているのは幸福感だった。何か言おうとした唇がはくはくと何度か空気を揺らせて、止まってしまう。
「ちゃんと薬指にはめとけよ」
左だぞ、と付け足す声に古橋は答えない。ただ、小箱を両手で持ったままの体勢で直立不動だ。
「…やっぱ要らないのか」
「違う!」
眉根を下げた山崎に、慌てて否定の言葉を搾り出した。
「ただ…」
喉が締め付けられるようだ。
「ただ、オレなんかで良いのかって、思って…」
消えていく言葉に被せるように、山崎がわざとらしく大きなため息を吐く。
「お前、それ、本気で言ってんのか」
ゆらり、と立ち上がる山崎を古橋は眺めているだけだ。身長は僅かに山崎の方が高い程度だが、こうして見ていると生まれ持った顔や、不機嫌な時に思いっきり眉間に皺を寄せる癖が、少しだけ怖いなんて思う。
「本気、というか、」
あんな言葉を口走った理由など、古橋自身が一番良く分かっている。
「オレは、オレに、自信がない、から」
山崎はきっと、普通に生きることも出来た。こうして古橋を選ばずに、他と同じように女を好きになって、そう、古橋がどう足掻いてもお遊びにしか出来ない結婚だって、出来たはずなのだ。それを棄ててまで自分を選ばせてしまったことが、古橋は時折怖くなる。そこまで価値のある人間なんかじゃないと、叫びたくなる。
 「あんまり馬鹿なこと言うんじゃねぇよ」
ふわり、と抱き締められた。いつもそうだ、と古橋は思う。山崎の言葉は強くて鋭いのに、それは決して古橋を抉ることをしない。古橋に触れた瞬間からそれは、ただ優しくて、甘くて、あたたかく、そう、蜂蜜のようなものへ姿を変えてしまう。古橋は積み重ねられたパンケーキになった心地がしていた。
「オレはお前だから、一生を捧げたいって思ったんだから」
少女漫画顔負けの台詞だと思った。耳も首も、きっと真っ赤に染まっている。
「お前には強制しないけど、お前もそう思ってくれたら嬉しいと思う」
山崎が箱の中から指輪を拾い上げる。そうして古橋の左手を取って、
「受け取ってくれるか?」
頷く。目の前の世界が安いフィルターを掛けたようになっているのも、今は気にならなかった。
 骨ばった指に、シンプルなデザインのそれがすとん、と落ちていく。
「大事にしろよ」
する、と指輪の嵌っている箇所を優しく撫ぜると、照れたような瞳が古橋のそれを捉えた。
「店の人に結婚指輪だって言って買ったんだからよ」
沸騰するように熱くなった目の奥を、隠すように山崎に抱き付く。
「…ばか」
「馬鹿だよ」
「おおばかだ」
「それを言うならお前もだ」
笑いを含んだ声に古橋も笑みを返す。
 「ほんと、ばかでよかった」

* プロポーズの日
image song「キラーチューン」東京事変

***

虚言癖と甘やかな道化 

 こくり、とその白い喉が動くのをただぼうっと見ていた。
「やまざき」
少々拙さの混じる声色で古橋が呼ぶ。
「ぜんぶ、のめた」
褒めて、とでも言いたげなその言葉に、そっと手を伸ばして頭を撫ぜてやる。すると嬉しそうに目を細めるのだから、こんなことしなくて良いなどとは言えなくなる。
 「お前さ、」
「なん、だ?」
それでも何も言わないでいるなど出来ないのは、山崎自身の持つ人間性故だろうか。
「その」
しかし、どう続けて良いのかすぐに分からなくなる。別に、嫌という訳ではないのだ。こんなものまで、古橋に受け入れられているようで。世の中には好きでもない奴とこういったことをする人種がいるのは知っている。それでも、古橋の行動の源が自分への好意である以上、形にすることなど出来ないそれを裏付けるものの一つなのだと、気付けない程山崎は鈍くはない。
「…それ、まずく、ないのか」
考えあぐねた結果唇から零れたのは疑問の形をとっていた。
「…まぁ、おいしくはないな」
少しだけ、古橋が目頭に力を入れたのが分かった。不機嫌な時にするその癖に、山崎は選ぶ言葉を間違えたことを知る。でも、一度口から出た言葉を取り消す術などない。だから、古橋が次に放つ言葉を待つのみだ。
 「山崎は、これ、嫌か」
「そんなことはねぇよ」
「だよ、な」
ふ、と古橋は口角を釣り上げた。
「確かにこれは、おいしくはないが、オレは、この味がすきだ」
歪んだ色の眦が山崎を映し込む。
「そして、山崎も、こうされるのが、すきだ」
話は終わったとばかりに古橋が再度口を開けた。ああ、と思ったが、その妙に赤い口腔内にそれが飲み込まれていくのを、山崎はただ見ているしか出来なかった。

 「ザキ、何それ、りんご?」
「おお」
「めずらしーね、ザキが果物食べてるとか」
昼休み。いつものメンバーで弁当を突いていると、いつもと違うその中身を指摘してきたのは原だった。 「何か突然食いたくなったんだよ」
喉を抜けていく果肉はあまりにも柔らかい。シャクシャクとりんごをかじる山崎を、古橋は何か言いたげに見ていた。山崎はそれに気付かないふりをした。シャク、と口の中に広がる酸味が、自分の一部になるのだと思うと何か可笑しかった。
 古橋が好きなのは、好きな人の為にまずいものすら飲み込める、そんな自分自身だ。だから、
「ちゃんと、オレを見ろよ」
シャク、シャク。そんな言葉も、その仄かな酸味を放つ果肉と共に、嚥下して。
 こくり、と骨ばっている方だろう喉が動くのを待ってから、古橋を見やる。
「古橋、食うか?」
そう、にっこりと笑った。

***

硝子細工の蝶々 

*古橋は棗色の髪、琥珀色の瞳をした男性で病名は『虚呪症』。進行はゆっくりで、徐々に硝子のような姿へ異形化していきます。
*山崎は漆黒の髪、烏羽色の瞳をした少女で病名は『蝶現症』。進行は大変遅く、徐々に羊のような姿へ異形化していきます。

 霧崎サナトリウム。人間が異形化していく病気―――まとめて幻想病と区分された患者を収容する施設。全国に点在するその収容施設の中でも、一際山奥に位置するまるで幻想郷のような場所。
 「先生」
りりん、と鈴の音が聞こえたような気がした。山崎はその方向へ目を向ける。白い病室の中に一人、青年が上体を起こしてこちらを見ていた。既に硝子に成り果てた声帯から震え出るその声は、風鈴のように涼やかだ。
「先生もご病気なんですか」
「ああ」
頭から生えるくるり、と捩れた角を見ればすぐに分かる事実。隠す意味もない、山崎は小さく頷く。へぇ、と瞳を僅かに煌めかせた青年はじっと山崎を見つめた。
「何というご病気なのか聞いても?」
「チョウゲンショウだ。蝶が現れる、と書く」
「蝶現症…なるほど、だから先生からは甘い香りがするんですね。まるで花みたいな」
ああ、とまた短く答える。
 蝶現症は動物へと異形化が進んでいく病気の名だ。何の動物になるのかは人それぞれだが、どの患者からも共通して花の香りがすることからそういう名前がついている。
「外に出れば実際に蝶が寄ってくることもある」
だからこそ、施設内の空気が完全に外と遮断されているこの施設に配属されたのだ。幻想病は感染が確認されていないものの、異形化した者を放置しておく訳にもいかない。それは、医者でも例外ではないのだ。しかしそんな未知の奇病の治療をすすんでしたがる医者は少なく、結果医者不足ということになり、日常生活に影響を与えない程度の進行の場合は、発症していても施設内ならば仕事が出来るようになっているのだ。
「貴方は虚呪(こず)症か」
左手と首は既に透明に透き通った硝子になっているのを見れば、医者なら直ぐにその名前を言えるだろう。それほどにこの病気は一般的で、そして治る見込みが一番ない。
「ええ」
青年が頷いた。
 ベッドの上に掛けられているネームプレートを見て、彼が古橋康次郎と言うらしいと知る。
「先生。オレは此処に入れられる前、医者にこう聞きました」
手招きしながら声を落とした古橋に一歩、近付いた。
「身体を動かせば動かす程、進行は遅いだろう、と」
「虚呪症はそうだな」
虚呪症の患者は身体が硝子化していく。それを防ぐ方法は出来るだけ動かすしかない。硝子化した場所は徐々にその機能を失っていき、結果、等身大の硝子の人形へとなってしまう。
「それでオレはたくさん喋ることにしたんですが、元々騒がしい性格ではなかったので。こうして喉が硝子化してしまいました。これでは喋れなくなるのも時間の問題です」
だから、と古橋は山崎の手を取る。自分に話し相手になれと言うのだろうか、と首を傾げた山崎は、次の瞬間、強い力でベッドに引き倒された。
 「…古橋さん?」
じっと見上げる。
「ねぇ、先生、オレを抱いてくださいよ」
のしかかってくる古橋を振り払うことが出来ない。硝子化した場所はそんなに強度がない、下手にぶつけたりしたら割れてしまう。古橋はそれを分かっているかのように、耳元に接吻けを落とした。
「理性をトバして声を出せるくらい、感じさせてください」
ゆるり、と角を撫ぜる手つきに背筋がぞくっと震える。
 「優しく、やさしく、お願いしますね?」



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ああ、愛しのシンデレラ! 

*モバマスパロ

 「古橋!」
事務所の扉をバーン! と開けて飛び込む。中にいた事務員の今吉さんが驚いた顔をした(それでも目は見開かないのだから本当は驚いてなどいないのかもしれない)。
「山崎くん、おかえり」
「ただいま戻りました、今吉さん」
そう今吉に返しながら事務所をぐるりと見回すが、お目当ての彼の姿は見えない。じゃあきっと、と自分のデスクへと向かう。
「古橋」
デスクの下を覗くと、予想通りそこには古橋が縮こまっていた。
「やっぱり此処にいた」
「…なんで見つけるんだ」
じとりとした目でこちらを見てくる古橋に、満面の笑みで企画説明書を差し出す。
「仕事とってきたぞ」
その紙の束を一応は受け取って目を通しながら、ぼそぼそと古橋はボヤいた。
「…俺なんかが仕事しても、仕方ないだろ。もっと、売れてる奴にやらせたら良いだろう、原とか。俺なんか、ファンもいないし…」
「こないだファンレターの山見せただろ」
「あんなの、事務所のヤラセに決まってる…」
どうしたもんか、と頭を掻く。何が彼をそうさせるのかまでは知らないが、古橋はひどく自分に自信がない。確かに売れっ子とは言えないがファンは確実にいるし、このまま頑張ればシンデレラの座だって夢じゃないというのに。
 ぱらぱらと書類を読む古橋を見つめていると、一つ、思いついた。
「ファンならいるだろ」
ぽん、と撫ぜる。
「お前の目の前に、一人。確実に」
瞬間、その綺麗な瞳が零れ落ちそうな程に見開かれる。死んだ魚のような目(だがそこが良い)、と一部のコアなファンに呼ばれているこの目を、山崎は宝石のようだと思っている。黒く、くろく、ただ沈み込むように静かな、夜のような宝石。
「な、だから、頑張ろう?」
そう笑いかければ、言葉を失くしたように書類に突っ伏す、その耳が赤くて。こんなに可愛い子が売れないなんてやっぱりあり得ない、とそう思うのだ。



forにとさん・えのさん

***

ねこ大好き 

 しりとりしよう、と持ちかけてきたのは古橋の方だった。
 特に二人の間でしりとりは特に珍しい遊びでもない。時には更なる制約を付けて難しい遊びにすることもあるが、基本ルールはどちらかが返せなくなるまで、返す頭文字の変更は認めない、程度だ。例えば幹事、と言われたらじで始まる言葉で返さなければならない。しで始まる言葉や、じゃで始まる言葉ではだめだ。その他敢えて上げるのならば、人名や国名もそれなりに許されているし、他方が知らない言葉でもしっかりとした説明さえ出来れば使って構わない。長音符はそれぞれの母音で返す。言うべきはこれくらいだろうか。
 いつものように俺からな、と古橋が口にする。しりとり、りす。すいか、すいか食いてぇ。かもめ、かもめは食べたくないな。めちるあるこーる、化学めんどい。るくせんぶるく、世界史も面倒だぞ。そんなふうにコメントを交えつつ単語が飛び交う。くま、くまのてって美味いのかな。さぁ、食べたことない。それでも単語の応酬は途絶えることなく続くのだから、流石は進学校の生徒、と言ったところなのだろうか。まりも、北海道行きたいな。もり、あー…修学旅行って結局何処になったんだっけ。りんご、いつも通り京都なんじゃないのか。ごくらく、なんか保護者から苦情が来て沖縄案が出てるって聞いたけど。くり、初耳だが恐らく無理だろうな。りれー、やっぱりか…何か疲れてきた。えき、まだ始まったばかりだぞ。きく、そりゃあそうだけどさ。くちなわ、頑張って俺を構ってくれ。わんぴーす、めんどくせぇんだけど。すとあがくは、ギリシア哲学の一派だ、がんばれ。はなお、…難しい言葉をお知りで。
「おしあけがた」
はぁ、と山崎はため息を吐いた。
「たんたかたん」
「んこもじ」
なんだそれ、と山崎がすかさずツッコむ。ンコ文字、マンデ語派の文字だ。何処の言葉だそりゃ。確かセネガルとかその辺、怪しむなら調べろ、出てくるから。古橋の言葉に山崎は手元の携帯で調べるが、結果は言うまでもない。人が折角負けてやろうとしたのに、と山崎が口を尖らした。そんな投げやりに終わらせてたまるか、と古橋は涼しい顔で返す。
「じんよ」
それこそ何だ、と今度は古橋の方から声が上がった。燃え残りのことだよ、燼余、現国で出て来た。そう言えばむう、と古橋は唸る。俺は予習やるイイコだからよ。たまたまだろ。
「よこうれんしゅう」
「うさぎとび」
「びごー」
おらんだ、まだ続けるのか。だんご、もう少し付き合ってくれ。ごりら、あーなんか腹減ってきた。らくだ、ケーキでも食いに行くか。だんち、お前とかよ。ちまめ、何だ、不満か。めまい、不満じゃねーけど。いか、駅前に美味しい店が出来たってクラスの女子が。かお、仕方ねーな、付き合ってやんよ。
「おりめ」
「めてのそで」
初めて聞く、と若干顔を曇らせた古橋に山崎は言う。馬手の袖は鎧の右の方の袖の名前だ、これも現国に出て来るぞ。
「でりーと」
「とうろう」
「うらん」
それ、んで始まる言葉で対抗した方が良いのか。山崎がそう問えば、古橋はやけに満足したような顔で、いや、俺の負けだ、と笑った。それに山崎も笑ってそうか、と返す。ケーキ食い行くか、と立ち上がって、鞄を持ち上げる。
 なんてことはない、夏の日のことだった。



えのさんお誕生日おめでとうございました!

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