ケブンハウンの呪い 山古(人魚パロ)



声をあげて泣くことも出来ない
深夜じくじく痛む胸 喘いで
君の名前も呼べないこの存在ごと
気泡をあげながら ひとり 海の底に沈むように
満ちては綴じる物語の狭間

この涙が廻り廻って君を潤すのなら
それで充分


真夜中にとける泡 

 もう戻れはしない海辺に古橋はちょこん、と座っていた。この信じられない程かたい表情筋と引き換えにした脚がある限り、青く何処までも続いていく海にはかえれないことは分かっていたし、それを特に今は望んでもいなかった。
 此処へ来たのは山崎の隣にいるためだ。例えそれが有名なお伽話のように、元から持っているものを犠牲にするものでも、幸せになれずに泡になってしまったとしても。短い時間の中でも山崎と共にいたい。それが刺すような脚の痛みにも、水の少ない陸地での辛い生活も、古橋に耐えさせる。この馬鹿みたいな不便さえも、幸せの一つだと思わせてくれる。
 声を、犠牲にするのは怖いと思った。文字も知らない自分だから、言葉を知らない自分だから。伝える手段を失ったら何も残らない、と。だからじゃあ、と示された示された笑顔を渡してきた。
 納得した、はずだった。
 なのに。じくじくと痛むのは胸か、脚か。夜な夜な海辺に出る古橋に、山崎が気付いていないとは思っていない。この馬鹿みたいに拙いうたも、きっと聞かれている。それで良い、それでも良い。
 この思いが、伝わるのなら。どうせ終わっていく物語だとしても、其処に何かしら残らなくても、それでもこれを嘘にしないのなら。
 そう思っていたはずなのに。
 「やま、ざき」
真っ先に覚えた名前を呼べば呼ぶ程、何故犠牲にせねば隣にすら立てないのか、苦しくなってくる。棄てて来た全てのものが、欲しくなってしまう。



これが愛だと云うのならば
一生さかなのままで良かったよ



***

そう遠くない終焉の約束 

 「終わるんだ」
そう、古橋は呟いた。痛みが脚の先からずっとのぼってくるだろうに、何もないかのような、静かな声だった。
「何、が」
同じように静かに返す。慰め程度に添えた手を撫ぜてやる。
「物語が、だ」
 出会わなければ良かったと、思わなかったと言えば嘘になる。愛を知ったことで滅びていくなんて、そんなまとめ方をされたら尚更。
「…古橋」
海で自由気ままに暮らしていた古橋はある時溺れて、それを助けたのが山崎だった。物語が終わってしまうと言うのならば、この出会いさえなければ。始まりさえなければ終わることもなかったのに。
「山崎、世界は残酷だな」
最初は満足に喋れなかった人間の言葉も、今やその唇をいとも簡単に揺らせていく。
「人魚は陸に上ってもからっぽだった」
 愛を得れば人間として生きられる。
 古橋に脚をくれた魔女はそう言ったらしい。きっとそれは正しくて、古橋はちゃんとそれを手に入れて。だからこそ、今こんなに苦しんでいる。元々人魚に脚はない。慣れだとかそういう問題ではなく、生き物の身体に違うものを繋いだら上手くいかないという、そういう話で。人間として生きられる、というのは存在が消滅しないという保証というだけ。ちぐはぐな身体の訴える痛みなど、計算外だったのかもしれない。
 「からっぽなんだ。でも、どうしてだろうな、山崎のくれる愛は、ずっとずっと失くならないでいるような気がするんだ」
でも、と古橋は言う。脚の痛みだけで済めば良い。この軋む身体に、これ以上歪みが広がらないように。けれど二人とも、それが叶わぬ望みだと知っている。泡になって融けることはないけれど、きっとこのまま、人間として。
 愛することを止めないでくれ、と古橋は言った。
「からっぽでからっぽなのに、愛だけ宿して融けていくってあんまりだと思うんだよ」
なぁ、山崎、そう思わないか。やけに瞬きをする古橋は、山崎の主観で言えば確かに幸せそうだった。脚のために差し出した笑みはさいごまで見ることは出来ないだろうけれど、それでも此処に来たことが間違いじゃないと、折れそうな心を叱咤しているようだった。
「俺は、この身体を隅々までお前から貰った愛で満たしていたい。そうやって終わりたいんだ」
思わず触れた手はやはり冷たくて、触れたところから赤くなっていく。
「行き場のない愛だけを宿して、融けていくのは…」
涙を知らない古橋はその目を潤ませることをしない。
「あまりに、さみしすぎるから」
答える代わりに抱き締めた。痛みがあるだろうに、それでも古橋は同じように腕を回して来た。
 終わらない物語などないと、そう開き直れたら。出会えたことさえ奇跡だと、そう嘯いてしまえたら。
 こんな痛々しいものを幸せだなんて、言わなくて済むのだろうか。
 「…ふるはし」
「…何だ」
「あいしてる」
「うん」
「お前は?」
「俺もだ」
「うん」
「…あいしてる」

 さよなら、愛した人。



20131004

***

泡となり消える愛言葉 

 その肌に触れることがどれほど残酷なことか分かっていた。脚だってきっと痛いのに、それ以上に痛いことを強いているなんて、そんなことは分かっていた。
 人間同士、でだって。
 それは真面じゃない行為だ。それを、分かっているのに。
「古橋、」
掠れた己の声が、どれほどに。
 身勝手だ、身勝手だ、どうしようもない話だ。山崎の所為で古橋はきっともう二度と故郷へは戻れないだろう。すべてを棄てさせてしまったのだ、山崎なんかのために。山崎はそれが苦しい、とても苦しい。でもきっと、古橋の方がもっともっと苦しい。
「ふるはし、」
その先の言葉は言えない。
 誤魔化すように接吻けた。冷たい古橋の唇は、すぐに焼けただれてしまった。



ふらふら @odai_hurahura



20150518

***

もう貴方をふりかえることもない 

 どうして拾ってくれたんだ、なんて聞いたら山崎は怒るだろうか、と思う。海に残してきた仲間たちも、きっと。古橋にはそれが分かるのに、結局言葉にしてしまう。声を失わなかったから、調子に乗っているのかと問われたら多分、そうだろうと頷いてしまうけれど。
「拾った、って」
「拾っただろう」
「…まあ、そうなるのか」
山崎はガシガシと頭を掻いて、それから困ったようにあー…と言った。
「………きれい、だったから」
「きれい?」
「お前は、なんていうか…きれい、だよ」
よく分からんけど、そう思ったんだよ、と山崎は重ねる。
「どう見たって男だし、ていうか俺よりデケーし、何言ってんだって感じだけど、なんていうか、お前と目が合った瞬間に、ビビッと。こう…」
「ビビッと…」
「ンだよ、悪いか」
 その言葉に、ああやはり、山崎は最初の邂逅を覚えてはいないのだと知った。怖くて聞いていなかった訳じゃないことも、この時に知った。
―――ビビッと、なんて。
まるで運命みたいだ。きっと前の古橋なら此処で笑っていただろうが、既に差し出してしまった笑みは微塵も浮かばない。
「山崎」
 海の匂いがする。
 古橋がずっと生きてきた海の匂いが。
「ありがとう」
古橋は、自分のことも結局分からずじまいだ。
「………礼、なんて。改まって言うなよ」
未だ山崎は照れたように顔を背けている。
「最初、お前を見つけた時、天使かと思ったんだから」
 そういうこと、言うなよ、という言葉は夜の闇に消えた。



ももいろに色付く
朝露も海も何もかも
愛の色をしたそれを啜って
昼間が来て 夜に怯えて

僕は色褪せることも出来ないで
ただただポラロイドの写真を焼き捨てる



***

魔女の祝福 

 人間になる方法を知っているか、と問うたら魔女、と呼ばれている男はまたどうして、と言った。
「なんか時々そういうこと言ってくるやついるけどさ」
物語、知らないワケじゃないんでしょ、と。
 知らない訳ではなかった。でも古橋は姫でも王子でもなかった。魚と人間の間の存在であり、からっぽな人魚であるだけで。
「恋でもしたの」
「そうなのかもしれないな」
「古橋がそんなことを言うの」
「おかしいか?」
「うん、まあ、ショージキ」
でも俺は魔女だからね、と原は言った。顔見知りの魔女は、古橋を人間になんてさせたくないようだった。古橋には分からない。あの人間に会いに行くのに、どうしてこんな止められないといけないのか。
「人魚、ばかりか?」
「ん?」
「人間に、恋をするのは」
「逆もあるよ」
それに、と原は続ける。
「魚とかにもいるけど、元が人間に近くないだけ欠損も多いよ」
正直、美しいとは言えない感じになるよね、と。
「そうなのか」
「これ聞いても引き下がんない感じ?」
 何百年も生きている原は、魔女の仕事の中で一体何を見てきたのだろう。
「何で、人間になりたいの?」
「恋をしたから」
「本当に、それって恋なの」
「それを確かめに行くんだ」
今しかないから、と古橋は呟いた。そう、今しかない。この胸にナイフがない、今しか。
 原が眉尻を下げたのが前髪越しでも分かった。
「それ、生命賭けてまでもやらなきゃいけないこと?」
それでも、はっきり言葉にして引き止めないのはきっと、古橋と原がともだちだからだった。



からっぽの世界は
陸でこわれるんだよ



***

貴方の傷も貴方の過去も 

 触れる。
 多分本当は良くないのだろうけれど、古橋が望むのだから仕方ない。山崎が寝ている間に勝手に触れられているよりも、山崎がちゃんと起きている時に触れ合った方が、まずそうな時にすトップを掛けやすいだろう、と思っての行動だった。それに、山崎だって古橋に触れたくない訳ではないのだし。
 ひたり、とした感覚。水っぽい、と思ったのは古橋の正体を知っているからか。魚に触れた感覚とは違う、人間のそれであるのに、どうにもそのイメージが払拭出来ないのか。
「山崎、あつい」
古橋が嬉しそうに言う。その瞳の下の部分を、確かな喜色に弛ませて。
「火傷、しそうだ」
「する前に手、離せよ」
「分かっている」
本当は熱いならもうやめろと言うべきなのだろう。傷がつくかもしれない、と素直に言うべきなのだろう。その可能性はいつだって古橋につきまとう。それは古橋がもとから人間だったとしても同じだったかもしれないが、山崎の目の前にいる古橋は元・人魚の古橋だった。魚の性質を未だ受け継ぐ、ひとがたをした生き物。
「でも触れていたいんだ」
 古橋は、綺麗だ。
「俺も、それはそうだけど」
「嬉しい」
その一見分からないであろう笑みに山崎が沈黙すると、古橋は最近は言わなくなったな、と呟いた。
「何を」
「嬉しいならもっと嬉しそうな顔をしたら良いと」
その疑問に、少しだけ言葉に詰まる。
「どうしてだ?」
「…察せよ」
「聞きたい」
「お前、そういうところあるよな」
んで、頑固。そう付け足しても古橋は引かないようだった。こうなったら大体山崎が負けることは経験則で分かっている。
 だから、という訳ではないけれど。
「分かるようになったからだよ」
「嬉しいのが?」
「嬉しいのが」
「そうか」
素直に告げる。前はもっと照れていたと思うのだけれど、今ではもう、すんなり口から出るようにはなっていた。頬が熱いのは変わらないけれど。古橋が手を伸ばしてきて、頬に触れる。あつい、とほっとしたような声がする。
「…火傷したら、お前に少しでも俺を残せるか、なんて言ったら…怒る、か?」
綺麗だから。
 山崎は出来るだけその肌に傷を残したくないのに。
「…いや」
 ゆるく、口元が歪んでいくのが分かる。
「怒らねえよ」
―――その気持ち、分かるような気がするから。
 そんなことは、流石に言葉には出来なかった。

***

YOU'RE NOT MY DESTINY 

 ぱしゃん、と音がした。
 人間が小舟で沖に出てくるなんて珍しいことじゃあない。この海は比較的穏やかで、それこそ天候の悪い時以外であれば水難事故もそうそうない。それを人間は神様のおかげ、と言っているらしいけれども実はそうではないことを古橋は知っている。
 と、少しばかり逃避したのは今ちょうど古橋が溺れているからだった。波のあまり立たない場所での泳ぎは苦手だった。舟の音が近付いてくる。何か声が聞こえる。古橋には人間の言葉を聞き取ることは出来たけれども、声は出せなかった。元々違う言語なのだ。人間の耳にこれは言葉として伝わらない。それでも舟の人間は古橋が溺れていると分かったらしく、今助けるからな! と海に飛び込んだ。
「大丈夫か!?」
今助けてやるからな、と舟に押し上げられる。よく転覆しないな、と思ったら近くの岩に上手に引っ掛けてあるらしかった。なるほど、頭が良い。成長前の少し高い声が、妙に耳に残る。わんわんと、何かとても美しいものを聞いたような心地になる。
「って、ああッ!? 人魚!?」
よいしょ、と自分も舟に登ってきた少年は、そんな声を上げた。此処で突き落とされるとまた溺れてしまうから勘弁して欲しいな、とだけ思う。別に溺れたからと言って人魚である古橋が死ぬことはないのだけれど、やっぱり苦しいのは嫌だった。人間のような上半身に、人間のようではない下半身。それが、少年の目にどう映っているか。
「な、なんで人魚が溺れて…?」
それは聞かない約束だろう、と思う。人魚だって溺れるくらいする。この身体は意外と泳ぐのが下手なのだ。海面近くまでくれば波もなく、上手く回ることすら出来ない。
 少年は何も答えない古橋を暫く見つめていたけれど、はあ、とため息を吐いた。
「なんかお前、どんくさそうだしな」
溺れることくらいあるか、と少年は腰に手を当て、何処か痛いとこはないか? と聞いてきた。特になかったので首を振る。
「家、帰れるか?」
その言葉には、少し悩む。此処で下ろされるとまた溺れるだろうが、いつまでも舟の上にいれば尾鰭が乾いてしまう。だからと言って古橋が自由に舞えるような波の強い場所まで人間に来てもらう訳にはいかない。
 そんなことを考えて、中間を取ることにした。此処から少し離れたところに一つ、大きな岩がある。其処はちょうど波を堰き止める形になっている場所だ。その岩を挟んでなら古橋は波に乗れるし、少年は岩のこちら側にいれば流されることもないだろう。指差すと、少年は少しだけ考えて、彼処なら大丈夫、と言った。子供なのに舟の扱いが上手い。まるで舟は少年の身体の一部のようにすいすいと海を進み、すぐに岩のところまで来た。
「ほら、もう溺れるなよ」
 少年は人魚が怖くないのだろうか。
 そう思って少年を見つめる。と、少年は勘違いをしたのか、もうちょっと先が良いのか? と言ってきた。更に舟を進めようとするので慌てて止める。流石にこれ以上は人間である少年には厳しいものがあるだろう。
―――人魚は、人間を喰べる。
そんなのはただの御伽噺であるのだが、人間はそう思っているのだと言う。だから古橋も、突き落とされてしまうのだと思ったのに。少年はそのことを知らないのだろうか。
 じっと見つめる古橋に少年は少し居心地悪そうにしてから、呟いた。
「…やっぱり人魚って、人間喰うのか」
思わず首を振る。そんなことはない。
「じゃあ何だよ。何か問題でもあるのか」
知らない訳ではないらしかった。それでも、少年は古橋を助けてくれた。それはどうしてなのだろう。聞きたい、と思った。でも、古橋には共通言語がない。今はそれがひどく、歯がゆい。
 だから、言葉の代わりに、と思った。少年の頬を包む。熱い。熱くて、痛い。でも気にならなかった。少年は驚いたような顔をしたけれど、そのままでいる。
「―――」
唇が重なる。唾液が少しだけ、流れ込む。
「な、に…」
 少年に対して、にこり、と笑えたかは分からなかった。人魚の涙には人間を長寿にする効果がある。でも、涙はすぐには出ないものだから。代わりに唾液を贈った。そのことに少年は気付いていないだろうけれど。
 ぱしゃん、と音がする。古橋が海に飛び込んだ音。今度は溺れる前に波に乗れる。もう振り返ることはしなかったけれど、胸からすう、とナイフの抜けていくような心地がした。
―――嗚呼、
 きっと、これが恋であれば良いのに。
 そんなことを思いながら、古橋は海の底に戻ったらまず真っ先に魔女のもとへ向かおうと決めたのだった。

***


20191227