幻への愛執
花宮真の背中には羽根が一枚しかない。
「なぁ」
服の上からでも分かる、でこぼことしたもう一枚の羽根があったであろう位置を撫でながら、
諏佐は独り言のように呟いた。
「花宮の羽根は大きいよな」
ぴくり、と残っている方の羽根が少しばかり動いたのは、施術痕を触っているにも関わらず、
諏佐の言葉が今尚残っている方の羽根についてのものだったからだろう。
「これだけ大きい羽根なら、もしかして、昔は飛べたりしたのか?」
「…ほんっと、アンタって遠慮がないですよね」
「嫌なら答えなくても良い」
そこまで執拗に問い詰めるつもりはない。
ただ、好奇心の矛先をなんとなく明確にしておきたいだけの行動だ。
この世界には羽根を持った人間がいる。
だからと言って、彼らすべてが飛べるかと言ったら、そうではないのだ。
確かに理論上は飛べる、ということになっているらしいのだが、
羽根の大きさ、羽ばたく筋力、その他諸々の理由で実際に飛べるという者は少ない。
空を自在に飛び回る―――そんなのは夢のまた夢で、
そんなことが出来るのは十年に一人の逸材だ、とまで言われている。
「…嫌じゃないから困るんですよ」
振り返ることはなかったけれど、
その表情は苦々しく歪んでいるだろうことが手に取るように分かって笑う。
「あいてっ」
笑うな、と言わんばかりに片羽が諏佐の頭を叩いて、仕方なしに笑いを引っ込めた。
「嫌じゃないなら答えてくれるのか?」
「…良いですよ」
そうですね、飛べた、という分類なのでしょう、あれは。
その言葉から始まる花宮の話は、今まで聞いたどんなものよりも淡々としていた。
事故が原因で片羽を切除するに至ったのが十歳の時。
その時既に結構な大きさになっていた花宮の羽根は、
その小さな身体を少しばかり持ち上げることが可能だったらしい。
滞空時間は当時一分足らずで、高度もそんなには維持出来なかったらしいが、
今の羽根の大きさから見るに、
そのまま成長していれば五分以上の滞空が可能だっただろうと医者には言われたそうだ。
「でも、所詮それは空想です」
ないものはないんですよ、と花宮は言う。
「どれだけ残った方の羽根と筋力から計算したって、
失くなった羽根が戻ってくる訳じゃないんです」
それでも、人は諦められないんですかね。
花宮が嘲ったのが、一体誰のことだったのか、諏佐はなんとなく予想がついた。
ついたので、何も言わないことにした。
羽根の薄いところを丁寧に掻いてやれば、気持ち良いと言うように背筋が伸びる。
数ヶ月前では考えることも出来なかっただろう、こんな素直な反応が今はあることが嬉しかった。
土足のまま誰かの領域に入っていくことは一般的によしとはされていないだろうが、
そこはきっと、その領域の主が赦しさえすれば何も関係などないのだ。
20140111