星の火の憂鬱
*シングルファザー今吉さん×家政夫桜井くん
*多分今吉さん三十代
*桜井くんは一日三時間×週三回今吉家に来ている
*今吉さんの息子は大輝くん(小学校一年生)
*今吉さんの同僚・諏佐さん
*その娘のさつきちゃん(小学校三年生)は若干ファザコン
*というめとろさんのアイディアに全力で乗っかって剰え捏造した結果
「大ちゃんには分からないよ!!」
放課後児童クラブ―――一般には学童、という通称で呼ばれるその施設内で、
少女の痛々しい叫びは響いた。
「大輝と喧嘩したんだって?」
「私、謝らないよ。大ちゃんが悪いんだもん」
その大きな目に涙をいっぱいに溜めて、それでもさつきはむくれた表情を隠さない。
いつものように仕事を終えて学童に迎えに行って、そこで目にした愛娘の表情に諏佐は驚いた。
大輝くんと喧嘩したんですよ。
学童の先生の言葉にまた驚く。
家もそう遠くなく学校も同じで、その上父親同士が同僚ということもあり、
さつきと大輝は幼い頃から良く遊んでいる。
それ故小さな喧嘩は何度もあったが、大体実際にも精神的にもお姉さんなさつきが、
「もう、大ちゃんはしょうがないんだから」
と言って収まっていた。
だからここまで拗れたのは、諏佐が見ている限りでは初めてのことである。
「どうして喧嘩したのか聞いても良いか?」
手を繋いで家路を辿る。
さつきは少し言葉を探すように黙って、やがてぽつりぽつりと話始めた。
「大ちゃんが、桜井くんだけいれば良いって言ったの」
桜井、それは同僚である今吉家に来ている家政夫さんの名前だ。
昼休みの度に相談もといノロケを聞かされている諏佐としては、
大して会ったこともないのに良く知っている人物である。
「桜井くんがお母さんになれば、今吉のおじさんは要らないって、そう言ったの。
私がそんなのおかしいって言ったら、
さつきだって桜井がかーちゃんになればとーちゃんなんか要らないだろ、って」
桜井はれっきとした成人男性なのだが、
まぁ母親という表現は分からなくもないので置いておく。
「そんなことない、って言ったら、おかしい、変だ、って…」
徐々に小さくなっていく声に、さつきが必死で泣くのを我慢しているのが分かって、
諏佐は困ったように眉を寄せた。
さつきが同年代の子供よりも少々父親離れが出来ていないようであると言うことは、
諏佐自身も良く分かっていた。
父親としては慕って貰えるのは嬉しいが、このままではいけないであろうことも分かっている。
ましてやその原因が、
父親である自分と彼女の母親の離婚騒動にあると思われるのだから、余計に。
母親のことは正直大してさつきの記憶に残っていない。
物心ついた時には幼稚園で一番最後まで残っていたし、
それを迎えに来てくれるのはいつも仕事帰りから走って来る父親だった。
家にもあまりいなかったし、思い出という思い出もない。
そんな母親が頻繁に現れるようになったのはさつきが幼稚園年長になった年のことだった。
幼いさつきにはどうやらあまり良くないことが起こっている、
くらいのことしか分からなかったが。
事実あまり良くないこと―――離婚とそれに付随する権利などの話がされていて、
諏佐家は今までになく不穏な空気が漂っていた。
良くある話、子供の親権や監護権などの争いだ。
実際には弁護士を介して既に話し合いをし、
ほぼ確定で父親である諏佐の方へどちらも渡ることにはなっていたのだが、
母親の方ははい、そうですか、と引き下がれるものではなかったようだ。
諏佐さえ譲ると言えば、さつきを連れて行けると信じているかのように、
母親は毎晩のようにやって来て諏佐に懇願した。
諏佐が頑なに首を振り続ければ夜だと言うのに声を上げ、
寝ているさつきが起きてしまうこともままあった。
その夜も、布団でうとうとしていたさつきは、金切り声に起こされた。
「やめろ、さつきが起きる」
そうっと覗いた居間では、父親と女の人が向き合っていた。
女の人が自分の母親だと言うことはさつきも聞いてはいたが、
全く実感が沸かない、というのが現実だった。
後ろ姿しか見えない父親だったが困った顔をしているのがすぐに分かって、
さつきは自分が此処にいたらいけないのを感じた。
さっさと布団に戻って寝よう。
そう思って回れ右、をしようとした時。
細いドアの隙間からその人と目があって、
「ひッ」
逃げる間もなく、ばたばたと近付いて来た腕に捕まった。
「さつきは私と来てくれるわよね!?」
肩を掴まれて揺さぶられる。
この怖い顔をした人は誰なのか、とさつきは幼いながらにも思っていた。
実感がなかったのもあるが、
何よりも母親というものがこんなに怖い表情をするものだとは信じられなかった。
「やめろ、さつきを巻き込むな」
静かに制止する声に一瞬肩を掴む力が緩む。
それを逃すさつきではなかった。
「パパっ!」
「大丈夫か、さつき」
そのまま抱き上げてもらう。
ぽんぽん、と落ち着かせるように背中を撫ぜる手が心地好かった。
「ごめんな、寝てたのに」
「ううん、大丈夫」
本当に申し訳なさそうな父親に微笑みを返す。
確かにとても眠かったけれど、さつきが起きてしまったのは別に父親の所為ではない。
その意味を込めて。
仲睦まじい様子の二人が気に入らなかったらしく、その人はわなわなと唇を震わせていた。
「…ッどうして!?
さつきの意見だって要るでしょ!?さつきのことなんだから!!」
「さつきはまだ小さいからこういったことには関われない。
お前だって分かっているだろう」
父親の言葉は彼と同じ大人に向けられているというのに、
さつきにはそれがさつきと同じくらいの子供に言い聞かせているように聞こえた。
納得がいかない、と言うようにその人は頭を振っていたが、突然はた、と止まって顔を上げる。
さつきの目に入ったその瞳はらんらんと輝いていて、
まるで、とても悪いことを思い付いたいじめっこみたいだ、と思った。
「さつき、パパとママ、どっちと一緒に暮らしたい?」
ねっとりとした声が恐ろしくて、父親に縋り付く。
そんなさつきに苛立ちを感じたのか、彼女はまたも叫んだ。
「ねぇ、どっちなの!!」
びくり、と肩が震える。
「さつき、答えなくて良い」
「何、貴方、怖いの」
小さく止めた父親に、その人は勝ち誇ったような笑みを漏らした。
「さつきが私を選ぶのが怖いんでしょう」
「お前な」
呆れたような表情をする父親。
さつきには彼女が何をしたいのか分からなかったけれど、
それでも今、大好きな父親が馬鹿にされたのだけは分かった。
この人は怖いけれど、ちゃんと自分の意見を言わなくてはいけない。
年の割にしっかりした子だったさつきは、小さく頷いた。
大丈夫、言える。
震える唇が動くのを、その人は期待の眼差しで見ていた。
「…パパ」
言葉が漏れる。
そうしたらもう、止まらなかった。
「さつきはパパとくらすっ!パパがいい!!」
信じられない、というように彼女は絶叫した。
「何でよ、どうしてよおおおお!」
言葉にもならないのか一通りわけの分からない言葉を叫んだ後、
「さつきだって佳典の子供じゃないのよ!?」
ヒステリックなその悲鳴は、まだ幼いさつきを貫いた。
「…知ってる」
さつきを抱き上げたままの父親その人から発された言葉もまた、じり、と胸を焼いていく。
「…ぱぱ?」
「さつき、ちょっと嫌な話になるから、お耳を塞いでいなさい」
言われるままに耳を塞いだ。
耳を塞いだからと言って全てが聞こえなくなる訳ではない。
結婚前、浮気、血液型、DNA。
断片的に拾える単語を、さつきは全て聞こえないふりをした。
さつきを守るように抱き締めてくれているその腕に、全ての意識を集中させた。
それが世界で唯一、さつきを守ってくれるものだと幼いながらに分かっていたから。
「それでも、さつきはオレの子供だ。お前には任せられない」
瞬間、その空間を満たしたのは母親の悲鳴だったと思う。
たださつきはその目の前の女の人が怖くて、ぎゅう、と父親に抱き付くしかなかった。
くるり、と回った父親の背中をその人は何度も殴り付ける。
「ぱぱぁ!!」
優しい体温越しに伝わるその振動にさつきが悲鳴を上げる。
「さつき、掴まっていなさい」
言うやいなや、父親は走り出した。
そしてそのまま玄関まで裸足で駆けて、ばたん、と扉を閉める。
「さつき、お隣りの川上のおじさん、まだ起きてると思うから」
激しく扉を叩く音、開けろ、と繰り返す女の人の声。
それが自分の母親であるとはにわかには信じがたかった。
「警察、呼んでもらって」
「パパはッ!?」
「パパはママとお話してみるから」
さぁ、早く行きなさい。
そう言ってまた家の中へと消えていった父親を止めることは出来なくて。
「パパがぁ、パパが、しんじゃう!!」
さつきは涙を零しながら隣の家に駆け込んだのだった。
あの日、扉の向こうにいた妻は刃物を持っていて、
諏佐が少なからず怪我を負ったこともまた、さつきのトラウマとなっているように思う。
知り合いの臨床心理士とも相談して、
そこまで非道くないのならば見守って行く方向で行こうとは決めているものの、
やはり不安は拭えない。
父親として、さつきに出来る限りのことをしてやりたい、それが諏佐の願いだ。
「だから、大ちゃんが悪いの」
ぽた、ぽたと耐え切れなくなったかのように涙を流すさつきを、諏佐は優しく抱き締めてやる。
「私、お父さんと離れたくない。
どれだけ優しい人がいても、お父さんと交換なんて嫌。
私、おかしくないもん。大ちゃんが悪いんだもん」
大輝とて、本当に父親である今吉が要らないなどとは思っていないのだろう。
ちょっとした冗談だったのだ、男の子というものは悪ぶりたがるものだ。
けれど、それはさつきにとって受け入れられるものはなかった。
それだけの話だ。
「確かに、それは大輝が悪いな」
「うん」
「でも大輝にはそれが悪いことだって分かってないんだ」
「うん」
「反抗期ってやつかな、ちょっと親が嫌になる時期っていうのは来るんだ。
だから、あんまり責めてやるな。
きっと大きくなれば大輝にもちゃんと分かるから」
「…うん」
さらさらの髪を撫ぜてやる。
「大輝のこと、許してやれそうか?」
無言でこくり、と頷いた娘に笑う。
「じゃあ、早く帰ってご飯を食べような」
「うん!」
手を繋いでまた歩き出す。
我が家はもう、すぐそこだ。
20130201