黄灰
空回って 遠回りして
それでもその先で必ず巡り逢えるよね
捻くれ者同士の五日間
いつものことですから
「…はァ?」
大学四年冬。
実家住まいの黄瀬が家に戻ると、
そのリビングに少々大きめの荷物と共に鎮座していたのは何を隠そう灰崎祥吾その人だった。
高校一年の冬以来その荒々しさは火が消えたように身を潜め、
確かにその後の大会では好敵手として対面することが出来てはいたが。
それでもやられた側はずっと覚えているということなのか、
彼のラフプレーや中学時代の素行などを完全に忘れてやることは出来なかった。
だから、こうして大学に上がりバスケから手を引いたことで、
もう二度と会うことなどないだろうと思っていたというのに。
ショーゴくんね、
静岡にいるじいちゃんの末の娘の孫でつまりね、アタシたちとハトコなんだってー。
ちょっとあっちの家がごたごたしてるのとか、ショーゴくんの学会とかで、
四日くらいうちに泊まってくのが良いかなーってなってうちに来たのー。
もーこんなイケメンが親戚にいたなんてねー。
リョータぁ、アンタ知り合いなら紹介しなさいよ、馬鹿ね!
というのが姉の談である。
ちょっと待て、泊まるとか言わなかったか、しかも四日とか。
キャパオーバーを起こした黄瀬はモデルにあるまじき表情をしていたらしく、
何、いやなの!?と金切り声を上げる姉に叩かれる。
「あ、アタシ明日から一週間旅行でいないから」
「はァ!?」
「彼氏と旅行〜」
待て、ちょっと待て。
言葉が続かない黄瀬に更なる言葉が降りかかる。
「私も一週間いないわ、出張」
「私もお父さんと旅行なのよ」
ひょっこりと顔を覗かせたその上の姉と母である。
声が似通っている所為でいっぺんに喋られると混乱しそうな黄瀬家ではあるが、
言うまでもなく前者が一番上の姉で後者が母だ。
どうして誰も家を出て行かないのだ、というツッコミは勿論実家暮らしの黄瀬には出来ない。
「じゃ、じゃあショーゴくんはどうするんスか」
「どうって…」
ほんやり、と母が首を傾げる。
「貴方がいるでしょう?」
やっぱりかー!りかー!と心の中でエコーする叫びは置いといて。
ちらり、と灰崎を見やる。
灰崎はその視線に答えるかのように一度、ぱちり、と瞬きをすると、
「俺は寝かせてもらうだけで良いし、お前の邪魔はしねーよ」
あまりに簡素でさっぱりしたその口調に黄瀬は思わず言葉を失った。
「そういうの、慣れてっし」
今更気にしねー、と出されたお茶を啜る灰崎に、
黄瀬はなんだかため息を吐きたい気分になったのだった。
俺は俺、あなたはあなたです
「リョータ」
ゆさり、と身体を揺すぶられ、微睡みの淵から浮上する。
「リョータ、もう二時過ぎてんぞ」
二時過ぎ。
その不吉なワードに慌てて飛び起きた。
「なーんちゃって。うっそー」
何処となく棒読みでそうのたまった灰髪の男が一瞬誰か分からなくて目を瞬く。
高校時代の特徴的なコーンロウをやめ、中学時代のような髪型に戻ったその男は、灰崎祥吾。
つい昨日発覚したことだが黄瀬のハトコらしい。
あれやこれやの諸事情でしばらく黄瀬家に泊まることになった客人だ。
「う、そ…?」
寝ぼけた声でそう返せば、
「まだ十一時半」
ほら、と見せられた時計は確かに十一時半だ。
「…もー…なんなんスか、嫌がらせッスか…」
布団を引き体育座りでぬくまる黄瀬。
背中が寒い。
それを呆れたように見下ろして、灰崎は言う。
「おばさんにお前に昼食食わせてやれって頼まれたからよ」
食卓に並ぶその食事はどれも美味しそうだった。
「ショーゴくん料理出来たんスね」
「まぁな」
いただきます、と手を合わせてありつく。
「これでオニオングラタンスープがあれば完璧なんスけどね〜」
素直に舌鼓を打ちながら零した好物の名に、
「悪ぃな、俺、たまねぎ嫌いなんだよ」
「あれ、いっがい〜…」
黄瀬は顔を上げた。
「バスケの技も女の趣味も似てるってのに、食べ物の好みは分かれるんスねー」
別段傷を抉るつもりはなかったし、嫌味のつもりもなくその言葉を放つ。
ちらっと一度こちらを見やった灰崎もそのことが分かったのか、
一つため息を吐くと返事をした。
「たりめーだろ」
しゃく、り。
食んだレタスの音がやけに大きく聞こえるような気がする。
「似てるっても違う人間なんだからよ」
そんな言葉が灰崎から出て来るのは何か不思議で、
咀嚼されきったレタスを飲み込むのに、少々の時間を要した。
俺はそんなふうには笑えません
慣れない、と思った。
ふう、と緩めたネクタイの隙間から冷たい風が入ってくる。
ぶるりと震えた肩を竦ませて、今日も宿への道を急ぐ。
出て来る時にマフラーを忘れてしまったからか、いつもよりも寒さが身にしみた。
先ほどの言葉は別にマフラーのないこの寒さや、
まだ何処か着られている感の漂うこのスーツ姿をに対してのものではない。
家主に対してのものだ。
主に、彼のきらめくような、しかし何処か温かみのあるような笑顔について。
彼と会うのは初めてではないし、短期間と言えど中学時代に面識もある。
高校時代では敵としてコート上で相対もした。
その頃にもファンが聞いたら羨ましがるくらいには様々な表情を見てはいたが、
こんなほんわりと何処か冷たいものが抜けたような顔は、知らなかった。
それを直視する羽目になって三日目だが、それでもまだ慣れは訪れない。
きれいなものを見たときのように。
小鳥のように、心臓が跳ねる、なんて。
「ショーゴくんっ」
聞きなれた声に顔を上げる。
「…リョータ」
「今日マフラー忘れてったっしょ?
暇だから寒いだろうと思って迎えに来たんスよ」
とろける夢のような顔。
そう思う。
「…さんきゅ」
受け取った赤いマフラーは冷たくて、
頬が火照っているように感じたのはきっと、その所為だ。
それであなたが満足するならいいんじゃないですか
「あっちゃー」
べっちゃりと汚れた布団を前に、黄瀬は心底真面目くさった顔でそう呟いた。
「と言う訳で、今日はオレのベッドで寝て良いッスよ」
「人の布団の上でジュース零すってお前…」
どうやったら、というツッコミは心にしまっておくことにする。
「…まぁ、いっか。でもお前は何処で寝るんだよ」
「え、ベッドだけど」
「俺に貸してくれんじゃねぇのかよ」
「え?」
こてん、と首を傾げて(それはそれは大変似合う仕草だった)(腹が立つ)、
「一緒に寝れば良いじゃないッスか」
かくして。
身長のことを考えたのか縦にも横にも一人用としては充分に広いベッドに、
190cm近い巨体が二つ、犇くようにして転がったのである。
黄瀬の言い分はモデルがソファで寝るなんて!らしいので、
じゃあ俺がソファで寝ると提案してみれば、客人にそんなことさせられないと言うし、
すったもんだの言い合いになり、結局灰崎の方が折れただけのことだ。
電気を消した布団の上、寝返りも打てないほどの背中に人の体温を感じた。
壁に向いた灰崎の横には、同じ方向を向いた黄瀬が丸まっている。
「ショーゴくんてドーテーじゃあないッスよね」
「…それがどうした」
いやちょっと気になっただけッス、と呟く背中の声。
ちょっと気になっただけで経験の有無を問うのは、
些かデリカシーやモラルに欠ける行為な気はするが、
同じようなことをやっていた灰崎が言えることではないだろう。
何せ高校一年生の冬、ほかでもないコート上で発した言葉のことは忘れていない。
出来れば早く忘れたい。
修学旅行の気分にでもなっているのか、黄瀬の小さな声は止まない。
別段次の日も早いわけではないし、ともかく眠いわけでもないので、仕方なしに付き合ってやる。
無難な相槌を打っていると、なにやら後ろから拗ねたような雰囲気が漂ってきた。
「抱き締めて良いッスか」
「…は?」
思ったよりも低い声が出てしまった。
振り返ることもしないし部屋も暗いしてでどんな表情をしているのかは分からない。
「何なんだよいきなり」
「別にいきなりじゃないッスけど」
「いやいきなりじゃなきゃ良いって訳でもねーよ」
「そッスか」
ひたりと当てられた掌があつい。
でも抱き締めたいッス。
そう重ねられればため息しか出ない。
「もー好きにしろよ」
「やったぁ」
するりと回された腕。
縋りつくようなそれを、擦り付けられた額を、懇願するような呟きを、
きっと無視することなんて出来なかった。
ええ好きですよ、悪いですか
昨日の返事、欲しいッス。
朝起きて食卓で顔を合わせて開口一番に突きつけられた言葉に、
しばし絶句したのも無理はないだろう。
気の迷いとして処理する猶予として、
灰崎は黄瀬を起こさないようにその腕の中から抜けて朝食を作っていたというのに。
とりあえず座れ、と示し、食卓で向き合う。
今日も美味しく出来たに違いない朝食だが、少しばかり冷めるかもしれない。
「昨日のことって」
「オレがショーゴくんを好きだって話ッス」
「…人の話遮んな」
別に聞いたんじゃねぇ、と続ければ真っ直ぐな視線が逃げ道を塞いでいく。
「…俺は男だぞ」
「知ってるッス」
「バスケももうやってねぇ」
「それはオレも同じッス」
「良い人間とも言えねぇ」
「それも同じッス」
「正直、何でお前がそんなこと言うのかわかんねぇ」
「…オレだって」
射抜きは、しなかった。
以前見たような荒々しい光は微塵もなくて、だけれどそれと同質の熱さを秘めたもので。
この何年かで丸くなったのだと思う。
角が削れて、きっと宝石になったのだと。
「オレだって分かんないッス。
ショーゴくんが高一ン時にオレにしたことも忘れてないし、中学の時だってマジむかついたし。
でも何か、こないだっから、ショーゴくんにドキドキするし、目で追うし、むらむらするし、
昨日抱き締めたらぐっちゃぐちゃにしてやりたいって」
「頼むから黙れ」
朝からそんな話は聞きたくない。
もしかして昨日のデリカシーのない質問は、なんて血迷っても聞けない。
「…気の迷い、とかじゃ」
「ないッス」
間髪入れない答えだった。
息を吐く。
ああ、もう。
「…ヨロシク、オネガイシマス」
ぱあ、と。
効果音のつきそうな。
「こちらこそ!」
きっと本物の恋じゃない、きっと本物の愛じゃない。
それでもああ、自分さえ映し込むこの瞳の輝きの雄弁なことよ。
花の咲くような笑顔を見たときから、この未来は確定していたのだろう。
(どうしてこいつだったんだろう?)
(これが運命だなんて、笑えもしない!)
20130820