はらわたの饐えたさかな:黄黒



*黄瀬くんが過呼吸になる話
*過呼吸になる方を批判している訳ではありません
*若干黒子くんが冷たい



ぷかり、と浮いた白い腹を見やる。知っていますか、黄瀬くん。いつものように、何でもないように、その人は要らぬ知識を口ずさむ。魚が死んだ直後はものと同じように水に沈むそうですよ。何で、と続きを促す。その小さな生命が終わった後、魚は腐敗します。まず、内臓から。そしてその腐敗によりガスが発生して内臓にたまり、こうして浮いてくるそうです。まぁ、耳知識ですから正しいかどうかは知りませんが。ちなみに人間の場合は肺に水があるので、その所為で下向きに浮かぶことが多いようですよ。黄瀬は、その横顔をずっと見ていた。彼の瞳には紛れも無い羨望が宿っていて、あまりにも危うい。魚は、良いですね。手を伸ばしかけた時、また彼はぽつり、と零した。死して尚、光を見ていられるのですから。その真っ直ぐな眼差しに、黄瀬はただ腕を下ろすしか出来なかった。
帝光中学校男子バスケットボール部、一軍のロッカールーム。 ひどく静かな其処に嗚咽は響いていた。 黒子は目の前で苦しそうに身体を折りたたむ少年を見下ろしていた。 この症状は過呼吸だ、黒子にも覚えがある。 どれだけ苦しかろうが死ぬことはないし、何より既にビニール袋は渡してある。 黒子にこれ以上することはない。 ため息を吐く。 青峰が捕まえられなかったのか、 黄瀬の居残り練習に付き合うことになったのは教育係である自分だった。 時間も時間だからとロッカールームに引っ込んだ後、突然黄瀬が過呼吸を起こしただけの話。 「ごめ、くろ、…ち、ご、めん」 ぐちゃぐちゃになった顔で黄瀬が咽ぶ。 「めいわ、かけ…ごめ、きら、な…で、」 聞き取りにくい。 迷惑掛けてごめん、嫌わないで、と言ったところだろうか。 「良いじゃないですか、迷惑を掛けることのない人間なんていないんですから」 投げ捨てるように言葉を掛ける。 慰めなどではなかった。 黒子が、そう思っているからこそ放てた言葉。 「ごめ、」 「謝るくらいならさっさとその呼吸を治めてください。 過呼吸くらい、気にしてませんから。 自分が好きな人間なんてごまんといます」 「す、き?」 喘ぐように黄瀬が首を傾げた。 「好きでしょう?」 過呼吸というのは激しい運動によって起こる場合と、 精神的なものに起因するものに大別される。 今回の黄瀬の場合は明らかに後者だった。 何がそんなに心配なのかは知らないが、 精神的なものの場合は身体が勝手に臨戦態勢に入ることが主な原因とされている。 少なくとも黒子はそう解釈していた。 臨戦態勢に入るのは、自分を守りたいから。 だからこそ些細なことにも過剰に反応してしまう。 自分を守りたいなどと願うのは、自分が好きだから―――黒子がそうだったように。 「でも、おれ、おれのこと、きらい」 思わず零れたのは嘲笑だった。 こんな、こんな人間が、自分のことを嫌っているなど! 今すぐ張り飛ばしてしまいたくなる。 よくも、そんなことが言えたものだ。 抑えて今度は、嘲笑ではない笑みを浮かべた。 「自分を好くことは出来なくても、可愛く思うことは出来るでしょう?」 その綺麗な金髪を掴んで上を向かせる。 「かわい、く?」 「黄瀬くん、君は痛いことや苦しいこと、好きですか?」 首が振られる。 「でも君は自虐的思考で自分を追い詰めているじゃないですか」 可笑しいですね?とわざとらしく小首を傾げてやれば、分かりやすく頬が青褪めた。 「君は悲劇のヒロインでいたいだけなんですよ。 苦しんで戦っている自分は格好良い、救われるべきだ。 そうやって夢みたいな救世主を待っているだけです、ただの引きこもりです」 色を失くしたその頬に確かに優越を感じながら黒子は続ける。 「それ、楽でしょう?」 嗚呼、これは紛れもない絶望だ。 揺れる瞳が黒子を捉えていた。 「だから救ってなんかもらえないんですよ」 にこり、笑えている。 「自分を救えるのはいつだって自分だけです。 他人に期待するくらいなら、自分が這い上がった方が裏切られることもありませんよ?」 しん、とまた静寂が戻ってきて、黄瀬の荒い呼吸だけが其処に響くだけになった。 添えていた手をそっと離す。 さっきよりも確実に呼吸は落ち着いていた。 この分ならもう数分で通常呼吸に戻るだろう。 「…でも、」 ふわり、と黄瀬が口を開いた。 ビニール袋が手から落ちていく。 涙と鼻水に塗れたとてもじゃないけれども綺麗とは言い難い顔を惜しげもなく晒して、 黄瀬は黒子を見上げた。 「でも、おれ、くろこっちに、すくってほしい。 くろこっちのことも、すくいたい」 戸惑うように手が伸ばされる。 壊れものでも扱うかのように引き寄せられて、その美しい腕の中に閉じ込められた。 慰めているつもりなのか。 それとも媚を売っているのか。 頬をゆるゆると撫ぜるその指のもどかしさに苛立ちさえ覚える。 「だから、君は馬鹿なんですよ」 は、と息を吐いた。 嘲笑なんて引き出すまでもなく頬を彩っている。 腐ることすらままならない僕らは、そうやって生きていく以外に道はない。 例え水面に浮いてやったとしても、肺にある水の所為で人間はうつ伏せになるしかないと言う。 それが、黒子にはたまらなく不愉快だった。 どうして、どうして、死して尚、その光の下に横たわることが赦されないのか。 「本当に、馬鹿だ」 その声に、温度があったなんて気のせいだ。
20130213