fairy:山崎と古橋
ぶわり、と吹いた一瞬の風に、山崎は思わず目の前に現れた人間の袖を掴んでいた。
なんだ、と言いたげな顔が山崎の方を向いたが、特に気分を害した訳ではなさそうだ。
悪い、と謝ってその手を離す。
赤色のリボンタイ。
山崎と同じ、色。
「…人間?」
「人間、だと思うが」
思わず問うた声には、同じ言語が返って来た。
少し、安心する。
「何でオレは突然引き止められたんだ?」
純粋に疑問に思っているような顔。
やはり怒っているようには見えなかったので、山崎はその少しの猶予で考える。
その間も真っ黒な瞳は無邪気な子供のように山崎を眺めていて、
その視線を受けていたらなんだかもう、悩んでいるのが些細なことのように思えて来た。
するり、小さく開いた唇から空気が漏れる。
言葉の前触れ。
何を取り繕うのも勿体ないような気がしていた。
「なんつーか、お前、今にも消えそうだったから」
桜の精かと思った、そう呟けば続くのは沈黙。
そりゃあそうだよな、そう思いながら次の言葉を探す山崎の目の前で、
古橋の唇がぶ、と音を立てた。
「ッ、わる、い…」
口元を抑えて、どことなく震える声で。
俯いて肩を震わせるその様は、笑っているようにしか見えない。
「そ、そんなに笑うなよ!」
「だ、だから悪いって言った…」
「そうだけどさぁ!笑いやめよ恥ずかしいだろ!」
頬が熱くなっていくような気がした。
恐らく、気のせいではない。
彼が笑いやむまでしばらく掛かった。
「ロマンチストなんだな、お前は」
笑いすぎて涙出た、と息を吐く姿を前に、山崎はすっかり拗ねてしまっていた。
そっぽを向いてふくれっ面をしてみせる。
「うるせーな、どうせ似合わないって言うんだろ」
「そんなことはない」
そう否定する彼はまだ笑いの名残が残っているのか、苦しそうに見えた。
また笑いの発作を起こさないために息を逃しているのだろうが、
口元を手で隠しているとは言え、
ぐふうとかそういう音が聞こえてくるとその努力はすべて無駄に思えてくる。
「人と待ち合わせしてたんだ。早く暇になってしまったから、時間つぶしに桜を見ていた」
笑ってはいるが、馬鹿にしている雰囲気は確かになかった。
そうか、と返す。
入学前にはまだ蕾だった桜は、ここ数日の春の陽気の中、美しく咲き誇っていた。
寮の部屋から見えた並木がすべて桃色に染まっていて、だから山崎も此処へ来たのだ。
彼が空いた時間をこれを眺めて過ごそうと思ったのも頷ける。
「お前に桜の精扱いしてもらえるなんて、此処にいた甲斐があったな」
言うなよ!という山崎の言葉を遮るように、彼はそろそろ行かないと、と呟いた。
じゃあ、と背を向けた彼に、慌てて叫ぶ。
「お、俺っ山崎弘!一年三組!」
ひらり、桜の花片が風に揺られて舞い落ちていった。
桜の精が振り返る。
「オレは古橋康次郎。一年七組だ」
その頬に乗せられた微かな笑みが、瞼の裏に焼き付くようだった。
20140204