第三夜
こんな夢を見た。
諏佐を背負っていた。
六つになるかという年頃の諏佐は自分の子供らしく、きゃっきゃといろんな話をしてくる。
「お父さんお父さん、あれはなに」
「あれはたなびく霧やで」
「お父さんお父さん、あれはなに」
「あれは柳の幹やで」
このままだと諏佐が死んでしまいそうな遣り取りだが、確かにそれは霧であり柳だ。
背中の諏佐もそう見えているらしく、無邪気に魔王はいないのかな、と言っている。
六つの子との会話としてはまるで相手が大人であるかのように対等であり、
通常ならばそのことに引っかかりを覚えるべきであろうが、
それが諏佐であるというだけで、今吉には無邪気であることの方が少し恐ろしく感じた。
これははやく打遣るのが正解だ、と遠くを見やれば其処には森がある。
あすこならば大丈夫だ、と思うと同時に、背中で諏佐が笑い声を上げた。
「何を笑っとるんや?」
その問いに対する返事はなかった。
ただ、重いか、と諏佐は問う。
「重くはないで」
そう返せば、そうか、とまた楽しそうに笑った。
この諏佐ならばちょっと急ぐ用事があるから、此処で少しの間待っていろ、と森におろせば、
うん、と一つ返事で其処に留まると分かっていた。
だが、その肝心の森にはなかなかつけないでいる。
うねうねと入りくねった道の所為で、大きく息を吸って吐いて、
とうとう二股になった道の根で休憩を取ることにした。
「石が立ってるだろ」
諏佐はまたも無邪気に言葉を発した。
辺りを見回すと腰ほどの高さの石がでん、と道の根に鎮座していた。
左伯剌西爾、右出口と書いてある。
闇の中にぽつりと浮かんでいる文字であるはずなのに、
それがひどく美味そうな琥珀色をしているのが分かった。
「左が良いだろうな」
命令されているような気分だった。
左を見遣ると先ほどの森が魔王のように聳え立っていて、
闇で出来た手をこちらの頭へとせいと伸ばしていた。
少しだけ、躊躇する。
「遠慮しなくて良いんだ」
諏佐がまた言った。
仕方ない、と言い聞かせるようにして左へと歩き出す。
無邪気さがやたらと心地悪いと思いながら、一本道をずんずんと進んでいく。
「無知というのはいけないな」
そう、背中で声がした。
「歩き方すら俺は知らない」
「やからおぶってやっとるやろ。良えやないか」
「ああ、おぶってもらって悪いな。
しかし無知は人に馬鹿にされるだろう、そう、親でさえも馬鹿にする。
だから、いけない」
腹の内を見透かされたようで、さっさと森へ置いてこようと決意する。
鉛のように重くなっている足をせかせかと動かして、森へと急ぐ。
「もう少し行くと解るよ。
ちょうど、こんな晩だったんだ」
背中の独り言のような声に思わず反応してしまう。
「何、が」
ぴん、と張り詰めた今にも裏返りそうな声だった。
「何がって、お前は知ってるだろ」
けたけたと笑うそれは歳相応なはずなのに、どうしてか嘲りの色が拭えない。
その嘲笑が耳から脳へと抜けた瞬間、何やら判然とはしないが知っているような気がした。
そう、こんな晩だったのだ。
ただ、それが何のことだかは分からないままだ。
もう少し行けば分かる、そう思うのと同じくらいに、
分かってはいけない、そうなる前にさっさと諏佐を捨ててしまうべきだ、そんな気もする。
そんなもやもやとした感情から逃げるように、ますます足を早める。
いつの間にやら雨が降り始めていた。
道はだんだん暗くなっていって、
しかしそれをも気にならない―――否、気に出来ないくらいに夢中であった。
ただ、背中にひっついている諏佐の温度だけがいやに煌めいているように感じた。
過去、現在、未来。
その全てを何一つ漏らすことなく照らしている、まるで鏡のようである。
しかもその諏佐は自分の子だと言うのだ。
そして無知だと言うのだ。
それが今吉には堪らない。
「此処だ」
そっと諏佐が呟く。
「此処だ。ちょうど、その杉の根のところだ」
雨がざあざあとうるさかったが、その声はひどくはっきりしていた。
知らないうちに足は止まっていた。
いつしか周りは森になっていて、今吉はそれに気付かない程に進むことに躍起になっていた。
少し先にあるのは、確かに諏佐の言う通りに杉の木のようであった。
「お父さん、その杉の根のところだったな」
「ああ、そうやな」
思わず、と言ったように言葉が口から飛び出していた。
「明治三十七年辰年だろ?」
なるほど、と呟く。
確かに明治三十七年辰年なのだと思った。
「アンタが俺を殺したのは、今からちょうど百年前だな」
急に声色の変わったその背中のそれに、びくり、と肩を強張らせた。
「ワシやない」
首を振る。
「ワシやないよ、花宮」
だがはっきりと、彼の胸を突く自分の姿が、己の頭には浮かび上がっていた。
それはあまりに忽然と、しかしそれでも事実なのだと思った。
自分は人殺しであったのか、そう心から震えた途端、
その背中の重みは舞い散る桜のように消え失せた。
20130731