琥珀の林檎
*クロスオーバー注意
ばつん、と記憶が途切れている。
花宮にはそういう経験があった。
それはいつも夏のこと。
実家の方の墓へと入った、母の墓参りで起こる現象だった。
今年もあるのだろうか、そんなことを思いながらがたんごとん、電車に揺られる。
数年前からだろうか、そこまで昔からの出来事でもないような気がした。
とは言え途切れている、という自覚があるだけでそれ以上は何も分からないのだ。
そもそも、本当に途切れているのかさえ怪しい。
そんな中でいつから、なんていうはっきりしたことが言える訳もない。
共同墓地の入り口で手桶と柄杓を借りる。
山の水を引いているらしい、半分に割ったパイプを伝って、
プラスチックの容器にだぶだぶと水が注ぎ込まれていた。
その中には葉や虫の死骸が浮いている。
気にすることなく水を汲んで墓石の方へと歩いて行くと、目的の場所のそのとなりに人影を見た。
ざっと音を立てた花宮の靴底に反応したかのように、その人影は顔を上げる。
髪は少し長めではあるが、薄っぺらいその身体は少年だろう。
自分より一つか二つ、下なのかもしれない。
そんなふうに思いながら会釈をした。
「今年も来たんだ」
少年は花宮を認めると、そう、呟いた。
「お母さん、なんだったっけ」
「…何処かでお会い、しましたか?」
なんだこの糞餓鬼馴れ馴れしいと思いながら、外用の笑顔を浮かべる。
すると相手はああそっか、と一人頷いて、それからこう言った。
「アンタ、忘れちゃうんだもんね」
からん、と柄杓の落ちる音がした。
記憶は、本当に途切れていた。
地面に置いていた手桶からも手を離してつかつかと歩み寄る。
ぐっと襟首を掴み上げても、少年の表情は微動だにしなかった。
「アンタ、きもちわるいね」
それが、初対面(少年にとってはそうではないのだろうが)人間に言う言葉だろうか。
ましてや、掴み上げられているこの状態で。
「此処にいるのは死んでるひとたちばかりなのに」
さわさわと、風が木の葉を揺らしていく音がする。
「アンタも、そのうちの一人、みたい」
その言葉に、何を返すことも出来なかった。
本当に、死んだのは母だったか。
首から下がすべてにせものになったような気分で、花宮は目の前の少年を見つめていた。
濁ったような眸が花宮を貫いている。
「音がね、」
少年の薄い唇がその合わせ目を擦らせる。
僅かな隙間からその舌が見えた。
赤い、赤い舌だった。
まるで、そうだ、蛇のような。
「音がね、しないの。アンタ」
「お、と」
繰り返す花宮に、少年は薄暗い表情でそう、と呟く。
「生きてる、ひとの、音が」
だから、ああいうものを呼ぶんだ。
後ろで、音がした。
ばちばち、という不穏な音。
振り返れば空中に黒い丸がぽっかりと、ブラックホールのように開いていて、
そこから何やら白いものがぬるり、と這い出てきた。
はぁあ、と少年は盛大なため息を吐いて、それから右手を翳すと呟く。
「トリガーオン」
瞬間、少年の身体はジジジッと作り替えられ、それを待ってからその身体が跳ねた。
時間にして、僅か三秒程度の出来事。
ぽかん、といつもなら絶対しないであろう間抜けな表情を晒していることは請け合いだった。
少年が、振り返る。
その手にはまた別の何かが握られている。
「決まり、だから」
そう言ってそれが花宮に向けられた途端、ばつん、と音がした。
切り取られる、音。
その音と共に沈んでいく思考に、花宮はああ、と思う。
何度も、何度も体験した。
これは、初めてじゃあない。
けれどもそれが現実のことかなんて、それについては言えないのだから。
唇が歪む。
「笑うんだ」
少年の声が落とされた。
「そんな仮初でも、アンタは笑えるんだ」
当たり前だ、とそれは言葉になったか知らなかった。
次に目を開ければきっと、あの透明な液体の中、
硝子越しに名残を追うだけの日常に戻るのだろう。
そのことはもう分かっていたけれど。
きっと、来年もこいつに会う。
未来が見える訳でもないが、それだけは断言出来た。
えのさんお誕生日おめでとうございます!
20140802