黒猫の裏切り



花宮真はその年のクリスマス、家族で旅行に来ていた。
何もないような片田舎でも父親はそこそこの収入を得ていて、
子供が長期休暇に入ったその隙に家族サービスと言って、
旅行に出掛けるのもそう難しいことではなかった。

あたたかいな、と花宮は思う。
中学生最後の年、普通ならば受験勉強で忙しいのであろうが、
賢い花宮は高校受験に当たって特に勉強の必要性を感じていなかった。
だから親に今年の旅行はどうする、と聞かれた時に、別にどっちでも良い、と返したのだ。

花宮の故郷は冬になれた雪に埋もれるような田舎だった。
だからこそ、こんなに人の犇めく都会には、あたたかさは感じれど冷たさは感じなかった。
それでも吐いた息は白く染まっていくのだから、不思議なものだなと思う。
「オニーサン」
不意に呼びかけられたのは、三度目の息が消えていった頃だった。
「オニーサン暇? ってかオニーサン? オレよりちっちゃくね?」
「…なんだ、お前は」
「オレ中二だけど、オニーサンは?」
「………中三」
「あっ年上だった。ヨカッター、オニーサンって言っといて」
呼び方の問題ではないと思ったが、面倒なので何も言わずにまたマフラーの中へと埋まる。
寒くはなかったが、喋らない意思表示には良いと思った。

しかし、呼びかけてきた少年には通じなかったらしい。
オニーサン、オニーサン、と花宮の周りをくるくる回る少年は制服だった、そして坊主頭だった。
この真冬に坊主頭。田舎でもそうそう見ることのなくなった髪型だが、
都会ではこういうのが流行っているのだろうか。
流行りは回るというから、もしかしたらそうなのかもしれない、
なんていうどうでも良い思考をする。
携帯を取り出して目立った建物の特徴を打ち込むと、すぐ迎えに行くとの返信があった。

息を吐いて、近くの花壇の縁へと腰を下ろす。すると少年もまた、その隣に腰を下ろす。
「オニーサン、迷子?」
「だったら何だ」
「ダッセーと思って」
ぷくく、と笑ってみせる少年は、どうやら人を怒らせるのが好きらしい。
それにのってやる花宮ではなかったが。
「でも、なんか、納得」
花宮がのってこないことを悟ると、少年はすぐさま次の言葉を紡ぐ。
どうやらどうしても相手をして欲しいらしい。
「オニーサンって、迷子癖ありそう」
「初めて言われた」
「そう? なんかこう、すぐどっか行っちゃいそうな、
ヒトが躊躇うことを助走もつけずにやっちゃうような、そんな雰囲気あるよ」
ふうん、とだけ返す。
「…オニーサン、ノリ悪いね」
「いきなり知らない子供に絡まれればノリ悪くもなる」
「子供って。一個しか違わないのに」
子供だろ、と呟けばそうだけどさあ、と少年は口を尖らせた。
「まーいーや。どうせ暇でしょ。ちょっとの間、オレの話聞いてよ」

にいっと笑顔が向けられる。どうやら、逃げ場はないらしい。



少年の話はひどく退屈だった。
不幸自慢、そう取れないのは語る少年の顔がひどく輝いているからか。
虐待をする母親、それを止めようとする父親、
その真ん中で少年はただじっと観察をしてたのだと言う。
「だって、オレ、生き残りたかったんだ」
少年は興奮した様子でそう語った。
「じっとね、じーっと黙って、耳を澄ませて、全神経で観察すんの。
目だけじゃない、身体、全部で。それで、オレがどうすれば良いのか、頭フル回転で考えてた。
オレ、馬鹿だからさ。多分一生であんなに頭使うこと、もうないだろうな」

花宮は分からないな、と思った。
今までの人生で、頭をフル回転させるような出来事には出会ったことがなかった。
「それで、事件が起こったんだ」
ひっそりと、声が顰まる。
「今でも覚えてる。クリスマスの日でさ、家に帰って来てただいまって言う前に気付いたんだよね。
チキンの焼ける良ーい匂いと一緒にさ、違う肉の匂いがするんだよ。
ああまずいな、って思って。そっと家を出て、時間潰して。裏のおばーちゃんと仲良かったんだ。
おばーちゃんの家行ったらお菓子もらえてさ。
あったかい部屋でお菓子とみかん食べて、おしゃべりしてたら…眠くなるよな。眠っちゃって」
起きたら、全部終わってた。
少年の顔は、本当にきらきらしていた。まるで、目の前に宝箱でもあるかのような。
「でもさ、それって裏切りじゃん。だめなことじゃん。オレは裏切ったんだよ。
オレが本当は、助けなければいけない人を。君は、そういうの、どう思う?」
「………は、」
笑う。

鼻から嘲笑が抜けていったのを、隠そうとも思わなかった。
「オレがどう思おうと、お前の中でもう答えは出てんだろ」
どういうこと? と少年はすこしだけ目を細めてみせる。
その態度を見て、下手くそだな、と思った。
「お前がそうしたかったからそうした、それで良いじゃねえか」

見開かれる、目。
「オニーサン、人の心が分かるの」
「お前が分かりやすいいだけだろ、バァカ」

人混みの向こうに見慣れた顔を見つけた。花宮は立ち上がって手を振った。
「オレ、全く悲しくなかったんだ。だってその時にはオレ、もう結論出してたんだもん。
どっちが良いのかって、どっちのが生き残れるのか、って。
オレは正しかった、それが証明されただけだったんだから、さ」
少年はそれ以上、もう何も言わなかった。ただ嬉しそうな笑みを、頬に浮かべていた。



20150124