ライン 

 テレビは連日同じニュースばかりだ。今吉翔一はどちらかと言えば退屈を嫌う類の人間であり、情報源が同じことばかり喋るというこの状況は退屈極まりないものではあったが。
『瀬戸教授の発見したレッドスター細胞は、形状記憶と共にその細胞の増加を助け…』
「すごいなぁ、瀬戸教授」
流石の今吉でも、感嘆を漏らすしかなかった。
 レッドスター細胞。形状記憶能力の付加されたその新しい細胞は癌などで死滅してしまった部分を再生させるのに役立つ―――なんて、どこの局でも決まりきったように同じことしか言わないが。今後の医療にとてつもない発展を齎すでしょう―――そりゃあ当たり前だ。人間というのはラインの内側で生きているのだ。それが誰の引いたものなのか分からなくとも、もしかしたら自分たちが生きるために引いたものかもしれないから。その向こうがどんな世界になっているのか空想しながら恐れることで、ラインの内側にこもることを選択している。
 それでもボロアパートの一室、聞く者の限られるその場所で、今吉はそれを恐れることなく口にする。
「そのうちヒト一人くらい生き返らしてしまうんやない?」
諏佐はよいしょ、とオムライスをひっくり返したところだった。
「それは常々お前が人間としてやってはいけないこと、と言っていることじゃあなかったか?」
「お、諏佐、ちゃんと覚えててくれたん」
今吉が笑うのを諏佐は表情を変えずに見遣る。オムライスの盛り付けは済んでいた。あとは食卓に運ぶだけだ。
「今吉」
「なん」
「ブロッコリーが多い方とミニトマトの多い方、どっちが良い」
「諏佐が先に選んで良えよ」
「そうか」
付け合せの野菜の数が若干異なるのはいつものことだった。
 諏佐はブロッコリーが多い方を選んだ。
 それを知っていたかのように今吉は笑うと、いただきます、と手を合わせた。

 「ええ、霧崎大学行くなんて聞いとらんわ」
「朝笠松学長から連絡があったからな」
「そういうのってワシ通すモンやないの」
「寝坊していなかったのはお前だろう」
「そうやけど!」
研究室で紙切れ一枚の内容を読みながら今吉はぐずるように足を踏み鳴らした。それは今吉が諏佐の傍にいるための表向きの理由であって、別段諏佐自身がその一旦を自分が担うことになろうとも気にすることはなかったのだけれどしかし、今吉にとってはそうではないらしい。
「ワシの仕事なくなってまう!」
一大事だと言うように目をカッと見開く今吉に、諏佐はそうか、とだけ返した。諏佐の隣に今吉がいることなど今更、という感覚しか覚えないが今吉に言わせればそれは長年を費やした刷り込みの成果であり、それがなくなってしまえば諏佐は今吉が隣にいることをよしとしなくなる、というのだった。諏佐にはそれは理解出来なかったが、諏佐よりもずっと人間≠ニいうものを理解している今吉である。彼がそう言うのならばそういうものなのだろう。
 落ち着いたらしい今吉がなあ、と猫なで声を出す。
「ワシもついてって良え?」
「好きにしろ」
「…諏佐が素直にそう言うてことは、別に何か起こる訳やあらへんのな」
「別に、俺に予知能力はないぞ」
「なくてもあるようなモンやろ」
今吉の言葉に諏佐は答えなかった。答える必要がなかったからだ。
「ちなみに、瀬戸教授には会えない」
「ええ。なんで」
「先に学長が教えてくれた。瀬戸教授は出張でいないから迷惑を掛けるなと」
「なんやの笠松クン、ワシのことなんやと思っとるん」
「さあ」
自分の胸に聞いてみろ―――と言ってやるほど諏佐は対人関係に長けている訳ではなかったし、そのような今吉の行動など、それこそ今更だった。



 ほんまに出張やったんや…と半ば個人的なおつかいのような仕事をこなして帰る途中、今吉は残念そうに、本当に残念そうに、言った。
「そんなに会いたかったのか」
「そりゃあ気になるやん、あんなすっごいニュースになってもーて。何でそんな細胞作ろうと思うたんです? って聞きたい気持ちくらいあるわー」
「そうなのか」
今日はいつものトランクは置いてきていた。今吉が朝寝坊したから、なんとなく置いてきた方が良い気がしたのだ。今頃花宮は拗ねているかもしれないが、ガラガラとした車輪の音がしない道というのもたまには悪くない。
 こんなにも人がいるのに。隣には今吉もいるのに。
 この世界にたった、ひとりきりになったようで。
「あ、なんか看板見たら食べたくなってもーた」
夕飯あすこにしよ、と今吉が指を指す。赤い看板には、マジバーガーと店名が点滅していた。

 店内には人が溢れていた。その中でどうやったのか二人分の席を華麗に確保してきた今吉が、注文を済ませてきた諏佐を呼んでいる。渡された札は七番だった。さっき五番が呼ばれていたからすぐに順番は回ってくるだろう、番号札が順番通りに機能しているのなら、の話だったが。
「しっかし、」
今吉がそっと口を開く。
「なんや、どっか野次馬みたいな人だかりやなあ」
 店内には商品を口にするものの、異様に目をきょろきょろとさせているものが多かった。確かに野次馬のようだ、と思う。
「それ、多分正解ですよ」
隣に座っていた青年が言う。前髪を長く下ろした青年だった。表情が読みにくいかと思いきや、よく動く頬や口元が彼の感情の豊かさを逐一伝えて来る。フリーのライターをやっているのだと言う青年は、記事が書きたくて此処まで来た、とのことだった。
「先週この店でアルバイトの女子高生が一人、行方不明になりましてね」
「ほん、それは心配やなあ」
「でしょう」
「でもそれが何に繋がるん?」
「この辺りはね、昔、野良犬や野良猫がすごく多かったんですよ。でも最近になってそれがとても減りましてね。勿論地区の人たちはそれは規制のおかげだ、って言うんですけど、その減少って此処にこの店が経った頃から始まっているんですよね」
よく聞く話じゃないですか、前髪の下がどうなっているかは分からないが確かに青年は笑った。それも、とてつもない笑顔で。
「なるほどなあ」
今吉が楽しげに相槌を打った瞬間、七番のお客様ー! と呼ばれる。
 青年は既に立ち上がっていた。彼の手には食べ終えた殻の置かれたトレイがある。
「オレ、あとでこの店の裏に行ってみようと思うんですけど、お二人もどうです?」
「行く!」
「…行こう」
「じゃあ、表で待ってますね」
此処、占拠するのも何ですから、と青年が立ち上がった場所に群がるようにして待っていた人間が飛びついた。
 青年が席を離れる前に諏佐は持っていたMDプレイヤーを投げる。
「暇だろう」
恐らく目をぱちくりとさせた青年と、確かに目をぱちくりとさせた今吉の両方に向かって諏佐は言った。
「それでも聞いて待ってろ」



 二人が食べ終わって外へ出ると、青年はただ只管にMDプレイヤーに耳を傾けているようだった。
「この曲、良いですね」
二人が出て来たことに最初は気付かないほど集中していた青年は、照れたように頬を掻く。
「『融け落ちる赤い糸』という曲だ」
「へえ、誰のですかあ?」
「牧名勇智だ。知ってるか?」
「知ってます。あの呪いのピアノ曲の子ですよね」
オレも記事にしました、と青年は言った。でも知らなかったなあ、と言葉は続く。
「こんな、曲も作るんだ」
 それはまるで、牧名勇智を前からよく知っているような言い方だった。
「なんか、すっげー気に入りました」
まるで、俺のために作ってもらったのかもって思うくらい。そう言った青年に、諏佐はそのプレイヤーごと押し付けた。
「え、でも、」
「良い」
「諏佐が良え言うてるんやから、有り難く受け取っとき?」
今吉がにっこりと笑顔で言うと、青年は何も言えないのか押されるがままにプレイヤーを受け取った。
 何故店の裏なのか、というのは青年が歩きながら説明してくれた。
「この店の裏って防犯カメラも何もないんですよ。すぐそこが川っていうのもあるんですけど、見えるのは対岸の工場だけ。対岸からこっちを見ることは出来ない距離だし、工場からもしかしたら双眼鏡とか持っていれば見えるかもしれませんけど、工場に勤めてる人が普通そういうことしないでしょうし。で、その工場のある対岸を占めてるのがこの店なんですよね。店長の住宅とか、そういうのも並んでますけど、それにしたって広くとりすぎ、っていうか、敷地が長すぎ、っていうか」
「つまり、何か裏に隠すにはもってこいの立地、って話やな?」
「はい、そういうことです」
にこにこと会話を続ける今吉と青年を、諏佐はぼんやりと眺めていた。これは犯罪行為になるのではないだろうか、というのが諏佐の頭の中に浮かんできたことだった。けれども今吉が率先してついていっているのだからいいのだろう。
 そうして、店の裏を静かに通って居住スペースに到達した時。
「え………」
言葉を発せたのは、勿論今吉の方だった。
 三人が見たのは積まれた檻だった。コケコッコー! と元気に鳴くそれが鶏だとひと目で分かる。分かるがしかし、
「………足、多すぎやろ」
今吉がやっとのことで、ツッコんだ。
 鶏の足は通常二本だ。
 それはどう考えても十本以上ある。
「ああ、そういうこと…」
言葉を発した青年が見ていたのは鶏ではなかった。諏佐がそちらへと顔を向けると、制服を来たものがそこに立っている。スカートを履いているので性別は女性なのだろう、と思った。
 一斉に目がこちらを向く。
 そして、幾つもの声がスピーカーのようになって反響する。
「此処は、入ってはいけないんですよ」
「走れ」
諏佐がそう言うのと、今吉が青年の手を取って走り出すのは同時だった。
 少女だったものは追っては来なかった。



 店の裏から脱出して最初に今吉が言ったのは、記事にはせん方が良えで、という至極まっとうな言葉だった。それに青年も頷く。便利な世の中になった分、世の中が人間のものになった分―――そういった異形と呼ばれるものは減っていったのだろう。しかし、今度は人の手によって故意に異形が創り出される機会が増えたのだ。それも、ただ、利益のためだけに。
 それが今まで必死で封じてきたものであるのだと、それすら忘れて。
「オレらは踏み込めるラインを見極めないと、同じものにされるんでしょうね」
にへら、と笑うその瞳は見えなかったが、ひどくきらきらしているように感じた。あの女子高生も、ラインが見極められなかったんでしょう。それは同族を見つけて喜ぶ迷子のような笑みにも見えた。
「オレの友達は、常人が戸惑うラインが見えてないかのような奴だったんです」
「君、友達いたん」
「ええ、ひっどいこと言いますね!?」
青年は大仰に傷付いてみせて、それから俯いた。
「そいつは、ラインの向こう側へ行ってしまいました」
でもきっと、彼は幸せなんでしょう、オレには理解出来ないけれど。そう声を落とした青年に今吉は興味は尽きたらしく、ほうか、と言って自分がさっきまでいた店の裏路地をじっと見つめる作業に移った。
「ねえ、あの人を普通に戻してやるつもりはないんですか」
無視される形になった青年は、今度は諏佐に話し掛けてきた。
「アンタなら出来るでしょう」
 何が、と問うことはしない。
「あの人、ライン、超えちゃいますよ」
ライン。ライン。それが人間との境目のことを表すのだったら。もう二度と戻れない選択地点を指すのだったら。
「…死ぬまで無理だろうな」
「来世に期待ってやつですか」
「いや」
 諏佐にとっては今日食べたハンバーガーはそれなりに美味しかった。時々ならば食べても良いと思った。それだけが真実だ。
「地獄に期待、だな」
地獄、と青年が繰り返すのを諏佐はそのままにする。今吉はただ、路地裏を見つめている。それ以上のことは何もしないのは、彼が本当は見極められているからなのだろう。
「…よく喋りますね」
青年は意外そうに呟いた。
「あの人のことだからですか?」
 諏佐は何も返さなかった。それでも青年には伝わったらしくくしゃり、と多分泣きそうに微笑まれる。
「オレの友達が聞いたら嫉妬しそうだ」



20160922