大人になれないぼくらには、この狭い世界がちょうど良い。:山原



この教室には王子がいる。
山崎弘は前の席の奇妙な色をした頭を見ながらそう思っていた。
授業中にも関わらず、彼からはあまったるい香りがしてくる。
よくもまあ、とは思うが、以前彼を注意してそのまま手も出してしまった教師が、
何処かへ飛ばされたのを目の当たりにしてしまって以来、
教師陣は彼に注意することすら躊躇っている。

何が怖いって、その飛ばされてしまった可哀想な教師は比較的大人しい部類の人間だったのだ。
それこそ、生徒に手をあげるなんて何かの間違いだ、と噂になるような。
けれどもそれが授業中の出来事だったために証人は一クラス分存在したことだし、
言い逃れなど出来ない状況だった。

それを、すべてつくりだしたのはこの男なのだ。
この男の口、と言うべきだろうか。
あれこれ喋っているうちに彼は相手の逆鱗を探し出し、
それに敢えて触れに行くことで自分を被害者の立ち位置に持っていく。
勿論、加減というものを知っているので、
彼がとんでもない事件に巻き込まれた、なんていう話は今まで聞かない。
聞かないだけなのかもしれなかったが、まぁそんなに深く考えてやることもないだろう。

そんなふうに考え事をしながら数式を解いていた山崎の視界に、ふらり、と揺れる手が映った。

顔を上げる。
それは前の席から伸ばされていた。
はぁ、とため息を吐いてポケットを探る。
いつものように其処に入っているガムが指に当たる―――はずだった。

いくら探しても指先に求めるものが触れることもなく、訝しんだ頭がくるり、と振り返る。
どくどくと心臓が鳴っていた。

別に、こういうことが前にもなかったという訳ではない。
山崎とていつもお菓子を持ち歩いている訳でもなく、
ないからと言って彼が言う文句も軽いもので、聞き流せるのに。
どくどくと嫌な音。
冷や汗でも出ているのか、妙に、さむい。
「もってない?」
囁くような声にこくりと頷く。
悲しげな音に息が止まりそうになる。
「そっか。なら仕方ないよね」
がまんする、とまた前を向いた頭は、今度はちゃんと教科書に向かったらしかった。

どくどくと、まだ脈は耳についた。

どうしてだろう、彼は確かにひどい男で、
けれどもそのひどさを山崎に対しては決して発揮することはないのに。
こわいとでも言うのだろうか、ただの同級生が?
それは違うような気がした。
根本から違う感情が、腹の底から胃の裏を通って心臓を掴んでいるような。

傷みきった髪が窓から入る風に揺られていった。
真面目にしおらしく、それでいて世界中の悲しみを背負ったみたいな背中に、
どうしてだか抱き着いて、声が枯れるまで謝りたいだなんて思った。



(おれの世界にはおまえだけでいいし、おまえの世界にはおれしかいない) ask 「共依存の山原」
20140630