だから出かけられない:黛葉



「なんか黛サンと暮らしてる夢見た」 「そうか」 「しあわせな夢だった」 「…そうか」
*付き合ってない *葉山くんが寮生設定 *洛山が共学設定 葉山が熱を出した。 そのことを赤司が部活前に連絡事項として黛たち部員に伝えた時、 黛の頭に浮かんだのは馬鹿でも風邪を引くんだな、ということだった。 黛千尋にとっての葉山小太郎というのは良くも悪くも天真爛漫で、 勿論その知力レベルというのは一般の高校生と大差ないものであるとは思っていたが、 精神年齢と言った観点から見てみればやはり幼く、 風のようだという自覚のある黛からしても、自由に生きている人間だった。 そんな葉山が風邪を引いたと言われば、意外に感じるのも無理はない。 しかし葉山が風邪を引いたからと言ってその日の練習がなくなる訳もなく。 いつも通りに厳しいそれに、いつの間にか葉山のことは頭から消え去っていた。 それを思い出した、否、思い出させられたのは練習が終わってからのことである。 いち早く着替えてさっさと帰ろうとした黛を呼び止めたのは、赤司の声だった。 「何だよ」 「小太郎が風邪を引いたという話をしただろう」 「ああ、したな」 「様子を見に行ってはくれないか」 いち、に、さん。 「はァ?」 普段これと言って感情を露わにしない方だろうと自覚している自分の面が、 ぐにゃりと歪んだのが自分でも分かった。 「場所は知っているだろう」 「知ってるけど」 そういう問題じゃなくね、そう言おうとするも、言葉はもごもごと口の中で消えていった。 にこり、と細められる瞳にすべてを見透かされているようで気に入らない。 やはり赤司は笑みを湛えたままで黛の肩をぽん、と叩くと、 じゃあ頼んだよ、と言い残して行ってしまった。 差し入れだろう、いくつかのものを押し付けて。 主将殿は今日も忙しいらしい。 残された黛は盛大にため息を吐いた。 もう行く以外に選択肢がないことは、流石の黛でも分かっていた。 学校の敷地内、西側。 其処に学生寮はひっそりと立っている。 古いその建物は決して綺麗とは言えないが、 その代わりに確かな威厳をかもしているようにも見えた。 寮母室に寄って名前と用件を告げると、ああ、と頷かれる。 赤司から連絡はもらっている、と続けられた言葉に、 我らが主将は一体何処まで交友関係を広げるつもりなのか、恐怖にも似た呆れを感じた。 葉山くんの部屋は三○八号室ね、と既に知っている情報を貰い、 寝てるかもしれないから、と予備の合鍵を借りる。 そうして、黛は葉山の部屋の前までやって来た。 一応手を掛けたドアノブは特有の反発を示す。 ノックの音にも反応はない。 仕方ない、と差し込んだ鍵はかちゃり、と回って、その扉は開かれた。 体調の悪い時特有の篭った空気が黛を襲う。 部屋の中は明るかった。 電気つけっぱなしで眠ってしまったのだろうか。 一歩。 踏み入れた部屋の中、ベッドの上で心もとなそうに丸まっている身体が、もぞり、と動いた。 寝返り。半分だけ開いた目が、怠そうに視線を彷徨わせる。 「む、つみさん…?」 「ちげぇよ」 誰だむつみさんて。 知らない人間の名前を呼ばれたことに少々苛立ちながらも、 熱で朦朧としているにも関わらず、 影の薄い黛が部屋に立ち入った瞬間にその気配を気取るとは、と感心する。 流石雷獣と言ったところだろうか。 鞄と差し入れをてきとうな場所へと置いて、ベッドの方へと視線を投げる。 「悪かったな、彼女じゃなくて」 「カノジョ?」 「そのむつみさんとやら。その子を待ってたんだろ?」 さん付けであるところを見ると年上だろうか。 日中男子寮に忍び込めるなんて、合鍵でも渡してあるのかもしれない。 この学校の生徒だろうか、もしそうなら黛と同じ学年になるのだろうか、 もっと同学年の生徒のことを知っておくべきだった。 黛の記憶の中にむつみという生徒はいない。 知っていれば、何かしら言われた時に黙らせる手段として使えたかもしれないのに。 いや、今からでも遅くはない。 帰ったら名簿をさらってみよう。 言われた葉山はと言えば暫くの間きょとん、としていて、 そうしてゆるゆるとその頬を赤く染めた。 飛び起きる。 「なっ、バッ…むつみさんは寮母さんだってーの! 武田睦さん!オレらと同じくらいのお子さんもいるよ!!」 「そうか、葉山は熟女好きだったか」 「なんでそうなるの!」 げほ、と重そうな咳が出た。 そりゃあ突然叫べばそうもなるわな、と近付いてその肩をつい、と押してやる。 風邪で痛めているのなら尚更だ。 「ほら、布団に戻れよ」 「誰の、所為だよ…」 「俺の所為だとでも?」 「そうじゃなきゃ、何なの」 額の冷却ジェルシートはかぴかぴになっていた。 それいつ頃変えたんだ、と問う。 「えー…、………ひる?」 ひどく曖昧なその返答に、仕方ない、と備え付けの冷蔵庫に向かった。 ドリンクの類とプロテインくらいしか入っていない冷蔵庫に、やはりそれはあった。 ついでに新しい薬の袋も見つける。 覗いた感じの減り方では、ちゃんと薬は飲んだようだ。 ジェルシートを一枚取り出して、まだ朦朧としている葉山の元へと戻る。 既に効果を失っているように見えるそれを剥がして、 新しいものを貼ってやると、葉山は気持ちよさそうに目を細めた。 「寝ろよ、ほら、目、閉じて」 「そーやって、コドモ扱い…オレ、もう、高二なのに」 「子供だろ」 「黛サンもね」 言われた通りに目を閉じる葉山の髪を撫ぜてやる。 たくさん汗をかいたのだろう、指通りは悪かった。 「…はやく、よくなれよ」 そう呟くと、微かに笑みが返って来たように思えた。 暫くして規則的な呼吸が聞こえてくると、自然と息が出て行く。 病院にかかったとは言え、薬を飲んだとは言え、 熱が出ているのだから否応なしに体力は奪われるだろう。 そういう時は、勿論栄養補給も大事ではあるが、やはり眠るのが一番だと黛は思う。 さて、と立ち上がった。 赤司には様子を見に行けと頼まれただけで、それからどうしろとは言われていない。 もう様子は見た、思っていたよりも辛そうだが、その辺は薬が効くのを待つしかないだろう。 シートも変えたことだし、黛に出来ることはもうない。 鞄を拾い上げる。 「まゆず、み、サン」 細い声がした。いつもの張りの強さは何処へやら、今にも消えそうな。 起きてしまったか、と振り返ると、その瞼は降ろされたままだった。 寝言、だろうか。 そんなことを思っていると、うっすらとその目が開かれた。 「はやく、かえって…きて、ね」 つう、と頬の際を汗が滑り落ちていく。 帰って来て、なんていうのは同じ家に住む者に言うことだ。 家族、とか。 兎にも角にも帰って来る予定のある者に言う言葉で、 黛のように此処へと立ち寄っただけの人間に言う言葉ではない。 なのに。 そうだと、頭では分かっているのに。 何を思うより先に素直に、それに頷いた、なんて。 肩に掛けていた鞄を下ろす。 赤司に押し付けられた差し入れの中から、外部のものが寮に泊まる時の申請書を取り出した。 まだ何も記入されていないその安っぽい紙には、どうせすぐに自分の名前が記入されるのだろう。 家にも電話しなければならない。 此処へ入る時に借りた鍵も返さなければ。 着替えは残念なことに鞄に予備が入っている。 トレードマークになりつつあるラノベも今日の朝読み始めたばかりで、まだまだ余裕がある。 困ることは何もない、 危惧すべきことがあるとしたら、風邪がうつらないように、くらいだろうか。 考えながらベッドの葉山を見下ろす。 もう目は閉じられていた。 すうすうとまた規則的な呼吸が続いている。 頷いた効果かは知らないが、その表情は先ほどよりも穏やかになっているように見えた。 ああ、もう。
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20140449