古橋くんの一週間戦争(communication) 零日目 月曜日 古橋康次郎は迷っていた。主に自身の中で燻る、このカテゴリ分けの難しそうな感情について。その感情の矛先は間違いなく、チームメイトである山崎弘に向いている。友情だとか仲間意識だとか、そういう言葉で片付けるには少々ひっかかりの残る感情だった。そもそも霧崎第一の中でそういった甘ったるいものが生まれるとは思えない。 それが、もやもやする。 何とかしてしまいたいが、人の相談するのも何となく憚られるような気がして、言い出すことも出来ない。古橋がそうしている間にもその感情は至るところで湧き上がるようになり、もやもやが増加している無限ループ。そろそろこの感情に名前を付けて、上手い対処法を知りたい。 人には聞こえない程小さなため息を吐いて、古橋は持っていた箒を用具入れに閉まった。今日は教室掃除の当番だった。口を固く縛ったゴミ袋を持ち上げる。校舎裏の集積所まで持っていかなければならない。 ずっと好きでした。付き合ってください! 辿り着いた集積所で、聞こえてきた女子特有の高い声に古橋は咄嗟に身を隠した。そっと覗くと女子生徒と、その向かいに立っていたのは原だった。 「ごめんね、今は部活に集中したいから」 驚くほどに模範的な解答に女子生徒はそっか、と返して、 「聞いてくれてありがと。忙しいのにごめんね」 それだけ残して逃げるように去って行く。ぱたぱた、とその足音が完全に聞こえなくなったの確認してから、物陰から出て行く。 「あれ、古橋じゃん。もしかして聞いてた?」 「悪いな、聞くつもりはなかったんだが」 「こんなところだしね、仕方ないよ」 原はいつものようにガムを取り出して口に放り込む。甘い香りがした。 「…何で断ったのか、聞いても良いか?」 「あれ、聞いてたんじゃないの?」 「あれで全部なのか、と思ってな」 ふーん、古橋がそんなこと気にするなんて、ちょっと意外かも。ぷう、と一度ガムを膨らませて弾けさせた後、原は少し考えながら言葉を紡ぐ。 「まぁ部活に集中したいってのは嘘じゃねーし。付き合ってみてって考える奴もいるだろうけど、オレはなー」 オンナってめんどくさいし、と言うと原はもう一度ガムを膨らませた。 「あの子のこと、好きどころか良く知りもしねーし」 良く、知る。その言葉が古橋の中に雷(いかずち)のように響き渡った。 「…そうか」 どくどく、と心臓が煩い。古橋は、閃いてしまった。 この感情に名前が付けられないのは、まず山崎のことを良く知らないからだ。良く知れば、自ずと名前は付いて、このもやもやともおさらばできる。 そうと決まれば今日から山崎と一緒に帰ろう。 「山崎、今日、一緒に帰れるか」 ロッカールームへ行って山崎の姿を見つけ、開口一番そう尋ねる。 「悪い、今日は高橋と店寄る約束してて…」 大変だ、古橋の中で警鐘が鳴る。初っ端から躓いてしまった、なんてことだ。 「あー…明日なら、帰れるけど」 それじゃあだめか? あからさまにしょんぼりした古橋を元気付けるように山崎が言う。 「明日で大丈夫だ」 チャンスを逃すまいと古橋は顔を上げた。数センチ先にある顔が、そうか、と安心したように綻んだ。 かくして、古橋の奮闘は幕を開けたのである。 *** 一日目 火曜日 古橋、と部活が終わった後のロッカールームで山崎は古橋を呼ぶ。 「今日、一緒に帰るんだろ?」 「ああ」 きゅん、と何処かで音がした気がした。はて、と立ち止まる。何の、音だったろう。振り返ってみるも特に何かそんな音の出るようなものは見当たらない。そもそも、外からした音だったろうか。いや、そうではなかった。もっと、内側から響くような。 「古橋?」 山崎の呼ぶ声がする。 「どうした? 忘れ物か?」 「いや」 首を捻ったまま山崎に追いつく。 「悪い、待たせた。行こう」 隣に立つ山崎は少し困ったような顔をしていたが、古橋が先を行けばぺたぺたとついてくる。身体の大きさに似合わわず、山崎はわりと歩幅が小さい。前に年の離れた妹がいると言っていたから、その所為なのかもしれなかった。今までの観察、考察をこうして間近で見ることが出来るのはなかなかに楽しかった。 てろてろと山崎の歩幅に合わせて歩く帰り道、古橋は唐突に声を上げた。 「山崎、たい焼き売ってる」 指差す方向へ山崎が目を向ける。きっと彼の目にも屋台の赤い暖簾が映ったことだろう。 「好きなのか?」 「それなりに」 それなり、とは言ったが足は勝手に屋台の方へと寄っていく。部活帰りなのだ、腹も空いている。そこにふわん、と漂ってくるカリカリに焼きあげられた皮の香りと、中の餡子を炊く甘い香り。よほど嫌いでなければ引き寄せられないなんてことはないだろう。 そんな古橋の様子が可笑しかったのか、後ろで山崎が小さく笑ったのが聞こえた。少しだけむっとして振り返る。 「悪ィ、悪ィ。あんまり古橋って好き嫌いなさそうなイメージだったし、買い食いのイメージも薄かったから。こういうとこ、寄ったりすんだな」 やわらかく笑みを湛えたその顔が、まるで知ることが出来て嬉しいと言っているようで。 たまらず顔を逸らす。 「古橋?」 「オレだって買い食いくらいするさ。ほら、行こう」 「何怒ってんだよ」 「怒ってはいない。ただたい焼きが食べたいだけだ」 「お前、結構たい焼き好きなんだな」 今度は、振り返ることはしなかった。振り返ったら、さっきと同じような顔をした山崎がいるに違いない。それを見るのは古橋にとってあまりに勇気のいる行動のように思えた。何故、なんて思う余裕はなかった。ただ、もう、たい焼きが好きってことで良いから、はやく。そう思っていた。 そういう訳でたい焼きを購入して二人は再び歩き出す。焼きたてあつあつのそれが少し冷めるまで待ちたいのか、山崎がふうふうと魚に息を吹きかけているのを古橋は眺めていた。 「オレはたい焼き、腹から食べるけど、山崎は尻尾からか?」 「ああ…って、腹から!?」 山崎が驚いたように顔を上げる。そうして落とされた目線は当たり前に古橋の手の中で、そこには綺麗に二つに折りたたまれたたい焼きが見事に腹から食われていた。 「可笑しいか?」 「いや別に。でも腹から食べる奴初めて見た」 「そうなのか」 もっもっとたい焼きを頬張る。餡子の甘みと皮のパリパリ感が絶妙だ、また寄ってみよう。そんなことを考えながらはぐはぐと食べ続ける古橋が珍しいのか、山崎は不思議なものを見るような目で見てきた。そういえば、と咀嚼を続けながら思う。確かに、山崎の前で食事をすることはそんなになかった。クラスが一緒になったことはないし、部活でも弁当派の山崎とコンビニ派の古橋とでは行動範囲が異なってくる。 飽きもせずこちらを見つめてくる山崎に落ち着かない気持ちになって、古橋は目で食べないのかと問うた。猫舌なのかもしれないが、そろそろ湯気も収まってきている。いい加減食べ始めないと折角あつあつを買えたというのに、もったいない。そう言いたいことに気付いたのか、自分の手元に視線を落としてから、山崎は小さくため息を吐いた。 「たい焼きは逃げねぇから、そんなリスみたいに食うな」 「知らないのか山崎、たい焼きは泳いで行ってしまうんだぞ」 「喧嘩しなきゃ大丈夫だから」 山崎の手が伸びてくる。そして、古橋の頬をふいと拭った。引かれていく指には餡子がついている。その時初めて自分の頬に餡子がついていたことに気付いて、少しだけ恥ずかしくなった。誤魔化すようにもう一口、食いつく。行き場のないあんこのついた指先を、暫く山崎は迷わせていた。そうしてからそれを自分の口へ運ぶ。 その仕草に、ずくり、と胸が疼く。 でもそれが何なのか分からなくて、古橋は首を傾げた。疼いた部分に触れてみる。特に不整脈などは感じられない。 「どうしたんだよ、急に胸に手なんかあてて。痛むのか?」 「いや、そうじゃないが…」 なんとなく、違和感があって。そう続ければ山崎は心配そうな顔をするから慌てて、別に、体調が悪いとかじゃあないんだ、と付け足す。自分でも良くは分かっていないが、そう深刻なものではないはずだ、とも。 それを聞いた山崎は、古橋がそういうんなら、とその鬼胎を引っ込めた。それが引っ込めただけであって完全に消えた訳ではないと、山崎ではない古橋にだって分かった。 「ていうか、急に一緒に帰りたいなんてどうしたんだよ」 話題を変えるつもりなのか、山崎はそう振る。 「…迷惑、だったか?」 「いや、そーいうんじゃねぇけど。突然言われたら何かあったのかと思うだろ」 何、か。どう説明すべきだろうか、そもそもこんな良く分からないものを元に行動するなんて、嫌われたりしないだろうか。そこまで思ってはた、と気付く。 山崎に、嫌われたくないのか? 黙り込んでしまった古橋を勘違いしたのか、ぽん、と頭に手が置かれた。 「まぁいいや、お前が言いたくないんなら言わなくて良いよ」 そのままわしゃわしゃと髪の毛を混ぜるように。 「もしオレでどうにかなることなら、お前の気が済むまで付き合うから」 「じゃ、あ、」 沸き上がってきた欲望に、抗う理由などなかった。 「あし、た。明日も、一緒に帰ってくれるか」 クラスは別々、部活も一緒に過ごせる時間など少ししかない。山崎ともっとコミュニケーションをとるには、帰りの時間を使うくらいしかない。 「別に良いけど。それだけで良いのか?」 「充分だ」 こうして、古橋は山崎との帰りの時間を手に入れた。 *** 二日目 水曜日 職員会議の関係で部活休止の水曜日、古橋と山崎はまだ明るい道を歩いていた。 「雲がはやいな」 見上げた空は晴れ渡っていて、上の方で雲が流れていく。 「時速どのくらいなんだろうな」 「んー…目測で距離分からねぇし、ちょっと出すのは難しいんじゃね」 山崎も同じように空を見上げて、頬を掻いた。 「ちょっとあの山のてっぺん指差してみろ」 「まさか角度から出すつもりかよ」 「もう片方の手は真上を指せ」 「やんのかよ」 「あれは積雲だろうから大体の高さは分かる」 「お前のその情熱の湧きどころが分かんねぇわ」 なんで雲の種類も高さも知ってるんだよ、との言葉には、授業でちらっと先生が喋った、と返しておいた。古橋のクラスを担当する地理の教師は、少しでも関連した雑学があれば授業の進行の妨げにならない程度にぺらぺらっと喋る人だ。そのため古橋のノートの欄外はそういった雑学で埋め尽くされている。 「あれこれ半正三角形ぽくね?」 「そうだな、計算しやすい」 そんなふうに言葉を交わしながら、山崎の指す山の頂から自分たちの真上まで雲がやってくるのに掛かる時間を数える。そして、出た数値を携帯の計算機に打ち込んでいった。 「これくらいか」 高さの幅を考慮して平均を出したものを山崎にも見せると、ほあ、という微妙な返事がある。間の抜けたようなそんな声に怪訝そうな顔をしてみせると、だって、と弁解のように声が上がった。 「なんか雲って遠いからか? 見えてるよりもっと速いんだってイメージあったから」 それこそ百キロとかさ、と笑う山崎に、古橋はきゅんという音を聞く。 昨日も聞いた音。甘酸っぱい痺れのような、そんな感覚。 「古橋はどれくらいだと思ってたんだよ?」 「ん、ああ…オレももうちょっと速いと思っていたな」 誤魔化すようにそう返す。 子供のような顔でやっぱそうかー、なんて笑う山崎を、ずっと見ていたい、なんて。 *** 三日目 木曜日 帰り道、妙にぴょこぴょこする古橋を山崎は不思議なものを見る目で見ていた。 「…何してんだ?」 怪訝そうな瞳を受けながらも、古橋は跳ぶのをやめない。 「影っ踏まなっいでっ帰ろうっかとっ」 「そんな弾んでるお前の声初めて聞いたわ」 こんなことをしているのに正直、大層な意味などなかった。ただ、何が発端だったのかは知らないが、今日の部活で子供のことについて話しているのを聞いたから。山崎は子供がそこそこ好きらしい。そういう、話。 嫌われたくない、そう思っていることは昨日一日考えて良く分かっていた。そうとなれば、逆に考えるのが普通だろう。嫌われないためには好かれることをすれば良い、それには好きなものを与えてみれば良い。単純で浅はかな考えではあるが、人間というのは欲に忠実なのだ。 しかし、古橋には幼い弟や妹がいる訳でもなく、物理的に子供を作ることが出来る訳もなく。耳をそばだて続けると、原が聞きたかったことを聞いてくれた。 「じゃあザキは将来子供たくさんつくるの〜?」 や〜お盛んね〜と科を作る原に、山崎はそうじゃねぇよ、と否定してみせる。そこそこ好きだけど、欲しいかって聞かれると分かんねぇし、そう濁された回答に、何故だか救われたような気がした。 そういう訳で、古橋は古橋の思うところの子供らしい行動をしてみることにしたのだ。勿論、それが古橋という枠から飛び出てはいけない。それでは意味がないのだ、あくまでも古橋という枠の中に収まった状態で、山崎の知らなかった一面としてそういうものを見て欲しい。 「古橋にもそういうとこ、あんだな」 どうやら作戦は成功したらしかった。 「オレだって時々好奇心のままに行動したくなることだってあるさ」 いつもやる訳ではない、と肩を竦めて見せる。別に嘘を吐いている訳ではない。この発想は紛れもなく古橋から出てきたものだし、そういう一面が古橋の中にあるのは本当なのだから。 そういえば、と先ほどの会話のついでに思い出したことがあった。 「今日の木曜ロードショーは天上の城らしいな」 「あー…瀬戸が言ってたな」 「山崎は見るのか?」 天上の城と言えば某有名スタジオの代表作と言っても過言ではないだろう。古橋自身もそこそこ好きな作品だ。もしも山崎が見ると言うのなら、それは会話の取っ掛かりに最適だ。コミュニケーションをとるには共通点を探り、そこから会話を広げていくことは必須だろう。 「そうだな、うちのチビたちは見るだろうから、一緒に見るんじゃね?」 そうか、と相槌を打とうとしたところで、あれ、と引っかかって顔を上げた。 「山崎は下の兄弟は何人かいるのか?」 妹がいるというのは知っていたが、と言えば、ああ、双子なんだよ、と返って来る。下に双子の姉妹がいんの、母さんと揃ってかしましいわ、と笑う。その笑みで彼の家族関係が良好であるのが見て取れて、なんだか古橋は嬉しくなった。 うん、と小さく頷いてから、古橋は木曜ロードショーを見ようと心に決めた。こうして前もって見ようと決めてテレビを見るなんて、久々な気がした。 *** 四日目 金曜日 天上の城は以前にも見たことがあったが、やはり面白いものだった。王道のストーリーでありながら、その迫力は既に発表から二十年以上経っているとは思えないほどだ。王道の良いところは何度見ても飽きないところだと思う、話が逸れた。話が逸れたついでに全然関係ない話をするが、古橋は昔のあのおじさんの方が好きである。 「でも空から女の子が降って来るって、夢だよね〜」 案の定部活前のロッカールームは映画の話で溢れていた。発端は言うまでもなく瀬戸と原である。原はともかくとして瀬戸がこういった作品を好むとは知らなかった。 「あ〜俺ンとこにも降ってこないかな〜女の子!」 そんなことを言う原に、ぱちり、と瞬く。 空から、人が。 瞬間的に脳裏を過ったのは山崎の姿だった、もしも山崎だったらどうするだろう。進んだらそのまま山崎の方を見ていたであろうその思考は、瀬戸の眠たげな声によって遮られた。 「そろそろ時間だよ…花宮遅くなるからって、サボってたらだめだかんね」 「わかってるっつーの」 ンなことしないよ、あとが怖いじゃん! と原を先頭に、部員たちがロッカールームを出て行く。 花宮によって組まれた厳しい練習メニューに、そのうち古橋の頭の中からそのことは消えてしまっていた。 と、思っていた。 ふっとそれが蘇ってきたのは帰りの道でのことである。 「どうしたんだよ、古橋」 急に黙った古橋に山崎の声が掛かる。これが訝しむような色をしておらず、心配さえも滲ませているところが山崎の良いところなのだろう。 「…山崎は、」 悩んだ末に口にする。 「空から突然好きな人が降って来たら、どうする?」 言ってから、そんなこと聞いてどうする、と思った。古橋の中では前後のはっきりした興味ではあったが、山崎にしてみれば唐突に友人が電波なことを言い出した、になるだろう。 しかし、山崎は数秒考え込んだだけで、脈絡を発掘したらしかった。 「お前も木ローみたのか?」 慌てて頷く。嘘は吐いていないはずなのに、どうしてか後ろめたさが残った。 「そうだな…でも人間ってそうそう受け止められるもんじゃないからなぁ。受け止めてやりたいとは思うけど」 不思議な力でも働かない限り無理だろ、山崎は笑う。それこそ、あの映画のように。 「じゃあ、オレは?」 「え?」 「え」 考えなしに言葉が飛び出していた。オレは、ってどういうことだ。古橋はぽかん、としたままの山崎の顔を見ながら考えていた。オレというのは一人称である、この場合は発言者の古橋を指すのだろう。ならば、オレ≠ェどうだと言うんだ? 「古橋が降って来たら、ってことか?」 「あ、ああ」 そういうことになるのだろうか。ぎこちなく頷く。 「うーん…古橋はどうすんの」 「オレ?」 「うん、逆に、古橋はオレが降って来たらどうすんの」 山崎が、降ってきたら。 落ちてくる山崎、それを見ている自分。走るだろうか、手を伸ばすだろうか。その身体が地面に激突してしまう前に――― 「…まぁ、どう足掻いてもキャッチは出来ないだろうな。骨が折れる、きっとばっきばきに」 「それもそうだな」 納得したように頷く山崎の横顔に、何故か胸の辺りが重たくなるような気がした。 本当は、落ちてきたのが山崎なら、何がなんでもキャッチしに行くような気がしていた。 *** 五日目 土曜日 古橋、と呼びかけられる。 「午後暇か?」 午前練習を終え、部室で着替えていると山崎が話しかけてきた。 「特に用はないが」 「なら飯食い行かね?」 ぱち、り。決して大きくはない目を一度だけ、ゆっくりと打つ。次の瞬間には、笑みと肯定の返事が喉を伝っていった。 あそこのファミレスならクーポンあるけど、と山崎が示した携帯画面に従って黄色い看板が目印のファミレスへと足を踏み入れる。土曜日の昼、店内はそこそこに混んでいる。店員の二名様ですか、との言葉に頷くと、古橋と山崎は隅の席へと案内された。 「俺、水取ってくるわ」 「ああ、ありがとう」 「その間に何がいいとか考えといて」 指し示されたメニューを開くと、色とりどりのプレートが部活後の胃を刺激する。オムライスなんかいいかもしれないな、けれどもがっつり肉も食べたいような。今のおすすめはなんだろう、と思う。店側としては海鮮を推しているようだけれども、と顔を上げた。他の人は、何を食べているのだろう。 くるり、見回した店内ではパスタ系統を食べている客が多いような気がした。パスタか、とメニューに視線を戻そうとする過程で、ふと、初老の男性二人が目に入った。二人の間に流れる空気はひどく穏やかで、またきゅん、と何処かが鳴る音が聞く。 なんなんだろう、この音は。首を傾げたところで、とん、と目の前に水が置かれた。 「決まったか?」 「いや、まだだ。でもパスタが良いなと思ったところだった」 「パスタか。俺ちょっと今クリーム系が食べたい気がしてる」 「じゃあオレは和風にしようか…」 それから二人で一つのメニューを覗き込む。山崎は明太子クリームスープパスタ、古橋は和風しめじと梅しそのパスタに決めて、ドリンクバーとデザートのセットも頼んだ。部活後の男子高校生だ、たくさん食べてしまうのも仕方ない。山崎のクーポンがあってよかったな、と脳内でざっと計算しながら古橋は思った。 パスタをフォークでくるくるとしながら、今日の練習のことだとか、来週の小テストのことだとか、パスタの味だとか、他愛もない話が続いていく。 「古橋は明日何か予定あんのか?」 その流れで、山崎が問うた。 「特に、ないが」 山崎は?と問い返す。 「オレはバッシュ見に行くつもり」 じっと伺うような目線が、古橋に向けられた。 「もし良かったら一緒にどうかと思って」 それを断るなんて選択肢は、古橋の中にはもとよりないのだ。 *** 六日目 日曜日 十一時、待ち合わせの場所に行くと其処には既に山崎が立っていた。 「悪い、待たせたか」 「いや別に。早くに目が覚めちまっただけ」 にかり、と笑ってみせる山崎に眩暈のようなものを覚える。きらきら輝いて見える、何故だろう。私服、だからだろうか。どくどく、と心臓が煩い。学校の外で会うだけなのに、そもそも山崎がバッシュを見に行くというからついてきただけなのに、一体どうしてこんな気持ちになっているのだろうか。古橋は心の中でだけ首を傾げた。 「大丈夫か? 眠いか?」 「いや、そうじゃない」 「じゃあ考え事か?」 何と答えて良いか分からない。 山崎は口をつぐんでしまった古橋に少し笑っただけで、別に無理して言わなくても良いけど、と言った。 「無理を、している訳じゃ…」 「ま、その辺はどっちでもいーよ。お前、なんとなく自分が何考えてるかも分かってない感じするし。俺の買い物に付き合ってくれることが気晴らしになるんなら、良いかなっては思うけどさ」 行こうぜ、と歩き出した山崎に遅れないように慌ててついていく。 なんだか、山崎の隣にいることを許されたようで、嬉しかった。 山崎がバッシュで悩んでいる間、古橋はあれこれアドバイスをしたりしながら店内を眺めていた。とは言え、今日は別に欲しいものがあって来た訳ではない。その証拠に目は店内の商品を滑るだけだ。これでは外を眺めていた方がマシだな、と思う。そうして視線を向けた先には、 「………」 一組のカップルがいた。 手を繋いで、腕を組んで、寄り添って。まるでお手本のようにそのカップルは行動をする。彼らは彼らで互いが好きだからそうしているのであろうが、古橋にはただ見せつけられているようにしか思えなかった。自分たちはこういったことが許されるのだと、そんなふうに。そんなことを思うのは、やはり山崎への感情が恋情であるからだろうか。友情だとか仲間意識だとか、そんなものでは片付けられないからそんなことを思うのだろうか。 あの日。 原に告白した女子生徒のように。山崎とああなりたいのだろうか。 古橋は考える。手を繋いで、腕を組んで、寄り添って。抱き合って、キスをして、その先も。頭を振る。視界からそのカップルを追い出す。 「古橋? どうした?」 調子でも悪いのか、と心配そうにこちらを見やる山崎に何でもない、としか返せなかった。 もやもやは大きくなるばかりだ。 *** 七日目 月曜日 朝、目覚ましの音で起き上がった古橋は、ふと思い出した。この一週間行ってきた山崎とのコミュニケーション強化の、その目的。山崎弘に向けられた、カテゴリ分けの難しそうな執着について。 結論から言えば、この感情に名前は付けられなかった。 それだけ言えばこの一週間は無駄だったと、そういうことになってしまうのかもしれなかったが、古橋とて何も得ていない訳ではなかった。自身の抱く感情について、名は付けられなかった。しかしそれとは別に、その感情に付随するように沸き上がってきた別の感情。これは、 「まるで、独占欲、だ」 まったく、一週間友達ごっこのようなことをして、辿り着いた答えがそれ、とは。 いつも通りに朝練に出る。目は山崎を探す。昨日買ったバッシュをおろしたらしい。原に踏まれているのを見つけた。 「………古橋」 暫く眺めていると、山崎が気付いて寄ってくる。 「あのさ、俺の思い違いだったら気にしなくて良いんだけど………。何か、悩んでたりすんの」 ああ、目ざとい。そう思う。 「俺の、所為で」 けれどもそれは嫌な感情じゃあない。 「お前ともっと、一緒にいたいと思ってた」 その答えに山崎は少し驚いたようだった。まさか古橋からそんな言葉が飛び出てくるとは思わなかったのだろう。 けれどもすぐに山崎は笑って、そうか、と言った。嬉しそうに笑う、と思う。それが古橋には嬉しい。 山崎に一緒にいたいと伝えて、それを喜ばれていることが嬉しい。 「お前、今日練習終わったら暇?」 山崎は問う。 「マジバ行こーぜ」 この一週間、それがこれからも続く証明のように。 * image song「コミュニケーション」Perfume *** |