一つだけ:黛葉
約束をしてよ、とこどものように笑った唇のかたちを忘れたことなんて一度もない。
そんなふうにくだらない思考をしながら、黛千尋はため息を吐いてみせた。
忘れたくても、忘れられなかった、
そんなふうにきっと主人公なら言うのかもしれなかったけれど、
どうにもやはり、黛というのは主人公には向いていないらしい。
一年だ。そう思う。あれから実に一年が経っていた。
進学先の大学でも今までと同じように影の薄い生活を続けて、それで良かったのに。
日常のふとした瞬間、思い出す声がある。
一人で本を読んでいる時、ふっと差す影に顔を上げてしまうことがある。
きらきらと、まるで太陽みたいに、黛の世界に飛び込んできたものを。
目を閉じていても、瞼の裏に縫いとめられているみたいに。
―――約束をしてよ。
きらきらひかるこどもみたいな笑みを乗せる、その唇に。
妙に大人びた言葉が乗せられて初めて、彼が自分の一つ下であることを思い出させられた。
―――もしさ、黛サンが俺のこと、忘れなかったらで良いから。
もしかして、それは誰かの入れ知恵だったのではないか。
すぐに気付けば良かったことに気付いたのはもう期限が差し迫った日のことで、
その頃には誰が入れ知恵していようが関係なくなっていた。
一年ぶりの、校舎に足を踏み入れる。
何も、変わっていない。今年も優勝を逃したらしい、それは風の噂で聞いていたけれども、
こうして準優勝の文字を掲げる幕を見てしまうと、また違った感傷が押し寄せてくる。
此処は、もう。黛の場所ではないのに。
向こうの集団に、見知った頭を見つけた。
「葉山」
一歩、踏み出す。その声に、特徴的な集団が揃いも揃って足を止めた。
その中で葉山という名前は一人だろうに。
「約束を、果たしに来た」
瞬間、破顔して飛びついてきた葉山に、
主人公じゃなくても良かったな、と思ったことは黛だけの秘密だ。
(賭けには負けたけれど)(これはこれで)
20150218