擁る掌:左人



*死後ネタ



どうやら、死後の世界はあったらしい。
そんなことを思いながら、その白く靄のかかるような世界を彷徨い歩いていた。
覚悟していたことではあるが、左右田右衛門左衛門という人間は死んでしまったのだ。
意識が途切れるまでに身体中を隅々まで走り抜けていった、
抗いようのない死の感覚というものを、余すことなく右衛門左衛門は覚えている。
が、しかしこうして脚もしっかりある状態で歩いているのだ。
残念ながら一命を取り留める傷であったとは思えない。
そう考えると、此処は死後の世界と考える方が何かとしっくり来るのであった。

宛もなくただ真っ直ぐに進んでいると、前方から足音が聞こえて来た。
立ち止まる。
音を消してはいるようだが、それでも耳の良い右衛門左衛門にはそれが聞こえた。
何がやってくるのだろう、鬼か閻魔か、それとも別の存在か。
気配を消してそれを待ち受けていた右衛門左衛門の前に現れたのは、
あちらこちらをきょろきょろと見回しながら歩いてく来る、正直予期せぬ存在だった。

切り落とした袖に、全身にまかれた鎖、忍ぶどころか逆に目立ってしまうような忍装束。
そんな格好をした、年端もいかない幼い子供。
今となってはもう元、と付けるべきであろうか―――真庭忍軍十二頭領が一人、真庭人鳥である。

仮面を付けた男と奇妙な忍装束の子供は暫しの間互いを見つめ合い、
「…ひッ」
先に声を上げたのは人鳥の方だった。
「う、う、うう、う」
言葉とは言えない呻きを漏らす人鳥に対して、右衛門左衛門はひどく冷静な様子で問う。
「『不久(ひさしからず)』。
しかし―――お前がどうして此処にいる?」
「そ、そ、それを、お前が、聞くのかっ」
その答えに、それもそうか、と頷いてしまった。
確かに、右衛門左衛門が聞くようなことではない。
「では質問を変えよう。此処は地獄か」
「さ、さあね」
暗にお前なんかが、そして右衛門左衛門自身も、極楽になど行けるはずがないと、
そう嘲ったつもりであったが、それは人鳥にとってはどうでも良いことだったらしい。
ぴりぴりと警戒するその強気な様を崩さないまま、じっとこちらを伺っている。
死に際は死にたくないと涙さえ流したというのに、死んでしまえばこうも開き直れるものなのか。

一歩。
間合いを詰めると、人鳥もまた一歩下がる。
忍と言えど人間、そして子供。
一度死を与えた相手に対して警戒以上に、恐怖を覚えるのは当たり前なのかもしれない。
しかし、こうも拒絶をされると、逆に近付きたくなるのが人間の性というもので。
同じ一歩と言っても大人と子供では差がある。
六尺六寸はあったであろう距離は直ぐに縮まり、右衛門左衛門は人鳥に手を伸ばした。

腕の下へと手を差し入れて、そのまま抱え上げる。
落ちないようにと手を添える場所を変えてやれば、我に返ったように暴れ出した。
「な、なな、な、何のつもりっ、だっ!?」
じたばたとするその小さな手足に、
好都合、とばかりにその腕に力を込めて自身へと引き寄せる。
「暴れるな、落ちるぞ」
密着した腹も、肩を掴んでいる手も、手を添えている背中も、子供らしく温度が高い。
まるで―――まるで、生きている、みたいだ。
「な、何の、つもりっだっ」
「さぁな」
落ち着いたのか先ほどより静かな声で繰り返された質問には間髪入れずに答える。
奇しくも、それは先程の人鳥の受け答えの仕方に良く似ていた。
「特に理由はない。ただ、何となくこうしたくなっただけだ」
生きている、なんて。
そんなことある訳がないのだ。
この子供は他でもない、右衛門左衛門自身が殺したのだから。
それを思うと、ぎゅう、と腕に力がこもった。
後悔でもしていると言うのか―――まさか。

腕の中でされるがままになっているその小さな身体は、
少し身を捩っただけで声を上げることはなかった。
幼くても忍、ということか。
これしきの痛みで声をあげるような粗末な忍耐力はないとでも。
そんなふうにぐるぐると回るあてどもない思考をそのままにしていると、
ふと一つ気になることが出て来た。
「どうしてお前はこんなところを歩いていた?」
此処が死後の世界だとするのならば、右衛門左衛門よりも先に真庭鳳凰や、
その他真庭忍軍の頭領たちも此処にいると仮定しても可笑しくない。
それなのに、たった一人でこんな何もないような場所を、
何かを探すように歩いていたのは何故なのか。

腕の力を少し緩めて強引に目を合わせてやれば
(と言っても恐らく人鳥からは右衛門左衛門の目など見えないのだろうが)
(だって死して尚右衛門左衛門の顔面には彼の主から貰い受けた仮面が張り付いている)
(しかしそれでも、視線の先が分からない程この子供は鈍くはないだろう)、
嫌そうに顔を歪めて、こちらを睨みながらも息を吸った。
「…た、ただ…ぼくは、だ、だ、誰かに呼ばれたような、そんな気がしただけだ」

呼ばれた。
その先で鉢合わせたのが、右衛門左衛門であるなど。

ぎりぎりと嫌悪感を隠そうともしない瞳に、危うくぽかん、と呆けそうになる。
それは、まるで。
「私が呼んだとでも?」
「そ、そんなことは言ってない!」
何を言っているんだ悍ましいと言わんばかりの表情でこちらを見る子供に、
思わず零れたのは笑みだった。
そうか、と小さく呟くと再びその身体を力任せに抱き締める。
細い喉の奥から腹が圧迫される小さな音が聞こえたが、構わず続けた。
「お、お前が何を、したいのか…ぼくには、分からない」
「『不可能(あたはず)』。
私にも分からないことがお前に分かってたまるか」
けれども不思議と、それを不快には感じない。
正体の分からないものが自らの内に巣食っているのにも関わらず、
それでも何かこうしていれば良いような気さえしてしまって。

はぁ、と小さく吐かれたため息を聞いた。
行き場がなかったからだろうかずっと肩口を掴んでいた手がそろそろと背中に回る。
そうして、肩甲骨の辺りをとん、とんと優しく撫ぜた。
迷子の子供を慰めるような手だと、右衛門左衛門はぼんやりと思う。
「全然分からない、けれど…も、もう、好きに、したら良い」
諦めたような口調で、それでも何処かあたたかみのあるようなそれで、
人鳥は吐き捨てるように言った。
それに応えるように右衛門左衛門は更にぎにゅ、と力を入れ、
今度こそ人鳥の喉からは、ぐえ、という潰れた蛙のような声が上がったのである。



20130803