天の鳳凰と名乗ったその男は、とても穏やかな顔をした、とてもじゃないけれど人を殺すような集団の頭だとは思えないような人間だった。 「お前が、なぁ」 「なーんだよ、なんか言いたいことでも?」 「いくら薦めても嫁すら取らなかったお前がひととびに子供を連れて来るとは…いや…感慨深いと思っただけだ。何処で作らせた子供だ」 「別に孕ませた訳じゃねえよ!?」 会話の内容は学のないあたしには分からなかったけれど、話をする二人はとても楽しそうだ。お父さんとお母さんを思い出す。そういえばこんなふうに話をしていたような気がする。 そう思って、忘れてしまうのかな、と少し思った。お父さんとお母さんがいた頃、あたしは確かに楽しかったはずなのに、その思い出もいつの間にかざっくりと削り取られたみたいに思い出せない。でも良いや、と思った。あたしには蝙蝠がいるのだ。そんなことを思っていたらあたしはいつの間にか蝙蝠の服の裾を掴んでいた。蝙蝠が振り返ってからあ、と思う。どうしよう、話の邪魔をしてしまった。怒られてしまう、蝙蝠はあたしにコウという名前をくれたのに、もう呼んでくれないかもしれない。あたしはそれは悲しいと思った。それは嫌だと思った。さっきまで嫌だなんて思うことすら出来なかったはずなのに、身体が震え始める。 ごめんなさい、早く言わなければ、ごめんなさい、あたしが悪いのです、殴って良いから、何でもして良いから、 ―――きらわないで。 村にいた時は殺さないで、と言っていたような気がする、のに。 でもあたしが何か言う前に、蝙蝠はあたしをひょい、と抱き上げた。衝撃であたしは蝙蝠の首にしがみついてしまう。さっきも抱き上げられたので今更だけど、蝙蝠の服は汚れてしまっている。あたしが汚れているから。泥だらけだから。綺麗な蝙蝠を汚してしまった。あたしが離れようとするのを蝙蝠は抱き締めて、それからさっきと同じようにきゃはきゃはと笑った。 「ほら、可愛いだろ?」 「なるほど、お前が少女趣味だったとは…」 「そうじゃねえって!」 蝙蝠の声は弾んでいて、とてもじゃないけれど怒っているようには聞こえなかった。あたしは何も言えなくなる。 「で、どうするんだ」 「だからおれが引き取るんだってば」 「お前に子供の世話が出来るのか」 「それは…ッ、その! おれだって頑張るんだよ! 自分で決めたことだからな!」 「こ、蝙蝠…」 流石に困っているのが分かったので声を上げる。勇気を出した。とてつもなく怖いけれど、村の人たちを可笑しいと言ってくれた蝙蝠に殴られるなら、きっとそれは正しいことだろうから。 「あたし、あの、」 「あーッ! コウ、おれはな! 子供の世話とか、確かにしたことないし、今鳳凰はお前のことを心配して言ってくれてるんだけどな」 「し、心配?」 「そうだ、心配だ。おれはあんまし気が利かないし、コウを困らせるかもって鳳凰は言ってるんだよ」 「そんな、こと」 「だからな?」 蝙蝠の真っ黒な瞳があたしを見る。あたしが映っている。 「コウも、一緒に頑張ってくれるか?」 「あたし、も?」 「そうだ! 困ったことがあったらすぐに言う! 解決法が分からないなら一緒に考える! そうやって、おれはコウと一緒に頑張ってみたいんだけど」 そんなこと。 言われたこともなかった。 蝙蝠はあたしの世界をいとも簡単にに広げてしまう。きらきらきらめいていて、熱くて、どうしたら良いのか分からない。 「あたし、蝙蝠の、…じゃま、じゃない?」 「まさか!」 蝙蝠は声を上げる。 「そんなこと絶対にあり得ないぜ」 その言葉だけで、あたしにはとてつもない衝撃だった。明日世界が終わっても良いなんて思えてしまった。あたしは蝙蝠と一緒に頑張っていいのだ! あたしは蝙蝠にとって、邪魔じゃあないのだ! 蝙蝠はあたしを意味もなく、訳も分からない理由で殴らない、あたしを綺麗だと言ってくれる。信じられなかった、そんな蝙蝠があたしを抱き締めていることを、あたしは何と言ったら良いのだろう! こほん、と咳払いがした。 「鳳凰さま…」 「ホウオウサマ」 あたしは蝙蝠の言ったことを繰り返す。ホウオウサマはそうだ、鳳凰だ、と言った。あたしの言うのはちょっとだけ発音が違うような気がしたけど、上手に言えない。 「コウは、蝙蝠といたいか?」 「うん!」 あたしは間髪入れずに答える。 「あたし、蝙蝠といたい! 蝙蝠は素敵で、お揃いだから!」 「ほう。名前もお前がつけたのか」 「別に良いだろ!? 可愛いじゃんか!」 「可愛いのは認めるがな」 「だーッ! なんか文句あんのかよ鳳凰さま!」 「ない」 それでもホウオウサマは笑っている。そんなに蝙蝠が面白いのだろうか。 「とりあえず今日からコウはおれン家の子! もう決めたから! な!!」 慌てたようにあたしをまた抱き締める蝙蝠を、ホウオウサマは笑って見ていた。 * 蝙蝠と一緒に暮らすのは、あたしにとってとても平和すぎて驚きの連続だった。蝙蝠はあたしがいろんなことを手伝えば喜んでくれるが、幾つか決まりごとも作った。蝙蝠が言うには、あたしは働きすぎなんだそうだ。 「村の奴らがやれって言ったことは、普通はみんなで力を合わせてやるもんなんだ」 「みんなで?」 「そうだ、みんなで、だ」 「でもあたし、一人でやってた」 「そうだな。でも、大変だっただろ? 全部出来たか?」 「………出来なかった。でも、出来ないと殴られるから」 「そうか」 蝙蝠は難しそうな顔をする。 蝙蝠は村の人たちは可笑しいのだと言っていたし、やっぱり出来なくて殴られるのも可笑しいのだろうか。痛くて嫌だけど、可笑しいのかと聞かれるとあたしにはよく分からない。だってそれが普通だったから。蝙蝠もその辺りの説明をどうするか考えてくれるようだった。あたしにとっては考えてくれるというだけで大事件で、それ以上はもう要らないとすら思うんだけど、きっとそれを言ったら蝙蝠はまた難しい顔をするんだと思う。今のあたしに出来るのは蝙蝠が考えてくれることを聞いて、それに素直に思ったことを答えるということなのだ。そんなことをして良いのかとも思うけど、蝙蝠がそう望むのだからあたしは不安でも頑張れる。何より、痛くなんかないし。やっぱり痛いのは嫌だし。 「コウ、一人じゃ出来ないのが当たり前なんだ。それで良いんだ。本当はそうだってみんな分かってる。でも、村の奴らは可笑しかったから、そういうことが分からなくなってたんだ」 あたしは分からなくても、分からない、と言いながら頷く。蝙蝠もあたしが分からないことは分かっている。今はそれで良い、と言ってくれた。 蝙蝠は、どうしてこんなにあたしによくしてくれるんだろう。 それは、怖くて聞けないけれど。 「難しいか?」 「うん、難しい。でも、少しずつ考えたいって思う」 あたしは言う。 「蝙蝠が、あたしのこと考えて言ってくれてるの、分かるから。難しいけど、それはとても…とても、………うん、嬉しい。これって嬉しい、で良いんだよね?」 「おれはコウじゃないから絶対にそうだとは言えないけどさあ、コウが嬉しいって思ってくれるなら、おれも嬉しい」 「ほんと?」 「ほんとだ」 蝙蝠が笑うと胸の辺りがぎゅっと苦しくなる。でも、嫌じゃない。もっと、もっと、って思う。人間の身体ってよく分からない。分からないけど。 「蝙蝠」 「何だ?」 「蝙蝠、あたし、今汚れてない」 「…ったく、コウはそんなこと気にしなくていーのによ」 蝙蝠はあたしを抱き上げて抱き締める。あたしはそれが嬉しくて声を上げて笑う。声を上げて笑ったのなんていつぶりだろう。 あたしは、変われるだろうか。 あたしは蝙蝠のために、変わりたいと思っていた。 * 蝙蝠は忍者なので仕事が入ると家にいれない時もある。何の役にも立てないあたしが着いていくことは出来ないので、あたしは蝙蝠の家で留守番をしている。蝙蝠が言うには一応里の人たちにはあたしが蝙蝠の家で暮らしていることは知らされているようだったけれど。 「だから、困ったことがあったら誰かに言って良いんだからな?」 蝙蝠はそう言って出掛けて行ったけれど、実のところ困ることはあまりなくて誰かに 話し掛けるまでには至っていない。多分蝙蝠は話し掛けた方が良いと思っているから言ったと思うのに、あたしは話し掛けるための理由を見つけられずにいる。 ううん、理由がなくちゃ話し掛けちゃいけないと思っている。 蝙蝠がああ言ったのは、あたしがそう思っているって分かっているからだろう。でもあたしには、蝙蝠の言うことがまだよく分からないのだ。蝙蝠はとてもよくしてくれる。それは嬉しい。だから役に立ちたい。それには、蝙蝠の言っていることを理解出来るようになった方が良いに決まっている。そこまで分かっているのに、あたしは何も出来ないまま。 ため息が出そうだった。何も出来ない自分に対して。もっと何かがしたいのに、結局家の掃除をしたりすることしか。洗濯物だって蝙蝠とあたししか暮らしていないので、そんなに出ないし、と洗濯物を取り込んでいると、目の前に木の実が転がってきた。 「………?」 あたしはそれをじっと眺めて、それから家の前の坂の上に人影を見つけた。拾った方が良いのかどうか迷って、その人影が手を振りながらこっちに走ってくるのが分かって、だから拾って良いと判断した。此処はもう村じゃないんだから、あたしが触っても怒られることはないのだと気付いたのは拾ってからだった。 「ど、どうぞ」 何を言ったら良いのか分からず、あたしはそんなことを言いながら木の実を差し出す。同い年くらいの少年だった。真っ白い。その姿はまるで水に映った自分を見ているみたいで、少し、どきどきする。 少年はぺこりとお辞儀をして木の実を受け取って、それからあたしをまじまじと見た。 「か子のことんまさ蝠蝙、前お?」 何を言われたのか分からなかった。分からなかったけれど、あたしが固まっているのを見て白い少年は察したのか突然逆立ちをした。木の実を片手に持ったまま、片手だけで器用だ。でも突然何で逆立ち、と思っていると少年はまた喋った。 「お前、蝙蝠さまんとこの子か?」 その言葉にあたしは胸の辺りがじん、とするのが分かった。今度はちゃんと分かった。何だかよくわからないけれど、何よりもその言葉が嬉しくて嬉しくて、あたしは何も気にならなくなった。だって、だって! 蝙蝠のところの子、だって! そんな呼び方、今までされたことなかったのに、今は多分、この白い少年だけじゃない、きっとこの里の人はそう呼んでくれる。 「うん!」 思わず大きな声が出た。白い少年はちょっとだけ驚いたようだったけど、何処かに行ってしまったりはしなかったし石や泥を投げても来なかった。 白い少年はアキと名乗った。あたしはコウと名乗って、それからその擽ったさに少し笑った。 20191227 |