4 ぱしん、と小気味良い音がしてその手は払われた。 「別に礼を期待してぬしを部屋にあげた訳ではない」 下から見つめてくる瞳は怒るでもなく、かと言って恐怖に染まるでもなく、ただ黒々としたままじっと蜜蜂を見つめている。 「だから何もしてくれなくて良い」 目を(長い前髪に隠れてきっと蟷螂からは見えないだろうが)ぱちくりとさせている蜜蜂の腕の中から、蟷螂はするりと抜け出した。 「子供ははやく寝ろ」 ソファの方へ押しやられる。 「ええ、子供って…」 「子供だろう」 同じくらいの見た目の人に言われても、と思うけれどもあまりの小気味良さに反論さえ浮かばず、そのままソファへと座り込む。 蟷螂はそれを見て満足そうに頷くと、自分は寝室へと入っていった。 「ま、真面目な人…」 呆然と呟いたその言葉だけが、寝室への扉にはねて返ってきた。 仕方なく用意されていた掛け布団を引っ張って、ソファに寝転がる。柔らかい。寝るのには充分だ。狭い以外は完璧とも言える。今までそういうつもりで拾ったのではなかったであろう人も、蜜蜂から誘いをかければノッてこないことはなかった。人間は皆気持ちの良いことが好きなのだ、だから。 もぞもぞと身体の向きを変える。寝返りを打つには、やはりソファは狭かった。 * 5 おはようございます、と居間に足を踏み入れた瞬間聞こえた言葉に、どうやら昨晩のことは夢ではなかったのだと思う。ソファに腰掛けてこちらを見遣る昨晩の拾い物。手の中には本が一冊。 「本、お借りしました」 蟷螂の視線に気付いたのか、指差されたのは部屋の隅にある本棚。風呂の時に勝手に読めと言った記憶もあるので、ああ、とだけ返す。今日は休みだ。特に予定もない。顔を洗って着替えて、この少年を追い出す。そうして休日を消費する。そう考えたところで視界に少年がするりと入ってきた。 「やっぱり何もしないっていうのも気分が悪いので、何か作らせて下さいよ」 いや、そういうのは良い。 そうきっぱり言えば良かったのに、蟷螂の口は好奇心と疑問に素直だった。 「…料理出来るのか」 「勿論! 実家暮らしではありますがそれなりに料理はしますよ!」 少年はぱあ、と表情を明るくさせた。ような気がした。長い前髪が邪魔で本当にそうなのかは分からない。やる気になった少年に水を差してしまうのも何だか、と思ったが思い出す。 「だが、食材なんかないぞ」 蟷螂とて全く自炊をしないという訳でもないが、今週は忙しかったこともあり、冷蔵庫の中は空っぽなはずだ。辛うじて保存食めいたものたちが入っているくらいはするが。 「じゃあ買いにいきましょう」 ね? と首を傾げられてしまえば、ため息一つで了承するしかないような気がした。そういう不思議な魅力でも持っているのだろう。多分蟷螂はそれに当てられたのだ。だから蟷螂もよく知りもしない少年を泊めてやろうなんて思ったのかもしれない。法律上まずいような気はするが、二度目がなければ良いのだ。食事を済ませたらさっさと追い返そう。 ずるずるした思考のまま出掛ける準備をする。 「蟷螂さんは何が食べたいですか?」 「食べられればなんでも良い」 「もう、それが一番困るんですよう」 ぷくう、と頬を膨らませる姿に、以前付き合っていた女性のことを思い出しそうになって思わず首を振る。どうしたんですか? という質問を振り切るように蟷螂はその前の質問に答えることにした。 「オムライス」 「オムライス?」 「木の葉型じゃないやつが良い」 すると少年は蟷螂の一瞬前の行動など忘れたように、また表情を明るくしたのだった。 「ふわふわとろとろな方ですね! 了解しました!」 * 6 買い物に行って帰って。スーパーはそこそこ近くの小さな店だったし、知り合いに 会うこともなかった。会ったら会ったで遠い親戚と言おうと思っていたのだが、蟷螂のその心配は無用なものだったらしい。 本人が言った通り、出されたオムライスはなかなかのものだった。この年―――と言っても幾つなのかなんて聞いていないのだが―――でここまで出来ると今後生活には困らなそうだ。手元を見ていたが時短テクや主婦の知恵的なところまでしっかり出来ている。流石に見た目からは予測が出来なかった、と口にしたオムライスの味にも文句はない。 「本当に料理が出来るんだな」 「えっ、疑ってたんですか」 心外だとばかりに少年は抗議の声を上げた。 「ああ、悪い。これも美味い」 「…蟷螂さんて素直ですよね。ちょっと偉そうですけど、なんていうか、嫌味がない」 「そういうぬしは嫌味が多いな」 「えっ」 「嘘だ。元々そういう物言いなのだろう」 いつまでも少年が立ったままなので座れ、食え、と促すと作ったの僕なんですけど…と返される。それを言ったら材料費も場所提供も蟷螂だ。トントンだと思う。買い出しにも同行したことを言われると若干少年の方に傾きそうだが。 遅めの朝食のあと、少年はそろそろお暇しますね、と言って立ち上がった。荷物を手早くまとめていく。手慣れている、と思いながら玄関まで見送った。お世話になりました、と頭を下げる。突然転がり込んで来たこととお礼をしようとしたこと以外はなかなか礼節のなっている少年だった。 「…そういえば僕、名乗りましたっけ」 「………いや」 でも、と返すより先に少年がぎゅっと蟷螂の手を取った。 「僕、蜜蜂って言います! よろしくお願いしますね、蟷螂さん!」 言い捨てのように去っていく少年に、蟷螂はよろしくするつもりはないと言い損ねた。 * |