海の偶像
少女たちが裸足で水を掛けあっている。 私は足袋を脱いでその横をすり抜けながら、ベランダへと出た。 和風の建物でベランダと呼ぶのも違和感があったが、今の私にそれを正しく表す言葉はない。 楽しそうに笑う少女たちのその甲高い声を横目に、私はひたひたと先端まで歩いて行った。 雨の上がった後の夜の匂い。 冷たいような生暖かいような、ゆるりと混じった不思議な空間。 ばしゃり、と音がした。 目線を移すと手すりの少し向こう、 歩道を挟んだ下には海から流れ込む水が形成する、奇妙な水たまりが出来ていることに気付いた。 湖、と言った方が良いのだろうか。 暗がりにひっそりと息づくそれの名前も、私は知らない。 音は何やらそこを泳ぐものから発せられたらしかった。 よくよく目を凝らしてみるとそれはエイのようだった。 二枚の平たい身体がその狭い空間をひらり、ばしゃりと泳いでいる。 何故、此処にエイが。 そんな堅苦しいことを考えるより前に、私の手はカメラを構えていた。 ぱしゃり、シャッターの切られる音、二回。 狭い画面の中にその姿が収まって少し、今度は別の場所からぱしゃん、と音がした。 目を向けると今度は何やら大きなものが一体、浮いていた。 ぐるぐるとその腹と背を交互に水面に出しながら、回転している。 どうやらフグのようだ。 じっと見つめていると、その口のところに足が見えた。 人間の足だ。 足袋を履いて草履を履いて、そして赤と紺の裾が見えた。 私とは違うが、この建物で働く女中の、見慣れた色だった。 だがしかし私は何も言わずにそれをカメラに収めた。 そうしただけだった。 特に何も思わなかった。 ああなる運命だったのだと、自分の着ている桃色をした裾を見てそう思った。 暫くすると今度はぷかりと浮かぶものを見つけた。 マンボウのようだった。 何をするでもなく波に任せるままに漂うそれに笑いながら、私はそれをもカメラに収めた。 風が頬を撫でていく。 夜は永遠に終わらないかのように思えた。 無気力な頭を見送って、ふと気付いたのは暗がりにぽっかりと浮かぶ赤だった。 先ほどのものとは打って変わって素早く動くそれの名前を私は知らなかった。 だが一応、とそのままカメラに収める。 夜は相変わらず其処に鎮座していた。 私はこれを誰かに見せるのが惜しくて、けれども誰かと共有していたくて、 じっとカメラを握りしめたまま、もう揺れはしない水面を眺めていた。
20140709