20131009かみさまのなまえ 私はずっと、隔離された村の中で育ってきた。 隔離された、と言っても、外に出られない訳ではない。 ただ、正しいルートがたった一つしかないだけの話だ。 その他のルートを辿ると、神様が御座す土地に足を踏み入れることになって、 その名前を知ってしまうから、と言われていた。 どうして名前を知ってはいけないのかと言うと、 その神様の名前を呼ぶと、子供を連れ去ってしまうからだと言う。 とんでもない神様もいたものだ、と幼い私は思っていた。 でもそれと同時に、そんなものを信じている大人は可哀想だとも思っていた。 先に述べたように、別に村で育ったからと言って、外の世界を知らない訳ではなかったのだ。 親の用事についてぐるっと村を囲む森を抜け、他の村へと行く。 そういうことだって一度や二度ではなかったし、 一人でもその道を辿れるくらいには外へ行っていた。 だから外の話を聞くことも出来たし、大人たちはそれを止めなかった。 唯一止めたのは、正規ルート以外で村の外へ出ることだけなのだ。 「それはただの宗教だよ」 外の村のおじさんは笑っていた。 「確かにいる人にとっちゃいるもんだが、 いない人にとっちゃいないもんなんだよ、神様ってのはさ」 幼い私はその言葉の意味を理解は出来なかったが、なるほど、と分かったように頷いていた。 村の大人たちにとってはいる存在だけれど、 私にとってはいない存在だと、それだけ言えるのなら十分だったのだから。 けれど、八歳になったある日の夜、その認識は間違いだったと知ることになる。 その日、私と幼馴染は真夜中、それぞれの家を抜け出た。 一度、やってみたいことがあるのだと、 ずっと二人の秘密にしてきたことを、今夜こそ決行するためだ。 何を隠そう、正規ルートでない道で村の外へ出ること、である。 村には出入り口を一つにまとめた門が一つしかない。 ということになっている。 実のところその門とは反対側、人気のない場所に、板で打ち付けられた洞窟があるのだ。 腐っていた板の下側をぶちぬいて覗いてみたところ、少し行ったところから光が漏れ出ていて、 どうやらその洞窟は外へ繋がっているらしいということが分かったのである。 二人で力を合わせてその穴を広げて更に向こうを見ると、 どうやらちゃんと舗装された道が存在していたようだと伺えた。 顔を見合わせた私たちの心は決まっていた。 いつか、この道を通ってみよう、と。 そう決めてから虎視眈々と機会を伺っていたのだ。 それを逃すはずもない。 私たちは大人たちが会合をしていた夜、手に手を取り合って抜けだしたのだ。 暗い夜道を二人手を繋ぎながら、 提灯で足元を照らしながらゆっくりと、しかし足早に進んでいく。 万が一大人たちが行き先に気付いた時、連れ戻されるのが嫌だからだ。 どうしても、私たちは正規ルート以外で村から出てみたかった。 ただ、それだけだった。 洞窟を抜け、背の高い草の間にあった細い道を進み、 やたらと綺麗な吊り橋を渡り、そうして辿り着いたのは。 「わあ…!」 私たちは嘆息した。 抜けた先は村だった。 祭りでもやっているのか、辺りいっぱいの提灯がぼうと輝いている。 そんな私たちに気付いたのか、近くにいた子供が話しかけてきた。 「見ない顔だね、何処の家の子?」 「此処の村じゃないよ」 「へぇ、じゃあ隣村?」 「どうだろう?」 「もうちょっと向こうの吊り橋の向こうから来たんだ」 問いに二人して答えると、その子はすぐに眉を潜めた。 「吊り橋の、向こう?」 「うん」 「そうだよ」 今度は分かりやすく顔を歪められた。 何か、可笑しいことを言っただろうか。 向き合ったまま黙っていると、その後ろから他の子供がやってくる。 「こいつら、誰?」 「よその村の子?」 「吊り橋の、向こう、だって」 無邪気な様子のその二人も、その子の一言で態度を一変させる。 「嘘、だろ?」 「ほんとだよ」 「なんで、」 「帰れ!」 「そうだ帰れ!」 「今すぐ帰れー!!」 その声にもっと向こうにいた大人も何事かと寄ってくる。 それが怖くて、二人またぎゅっと手を握り合うと、その場を後にした。 ただひたすらに走る。 吊り橋を渡って、一息。 「…何だったんだろう、ね」 ぜい、とあがった息を整えるために吐き出す。 「分かんない」 「怖かった」 「あそこの村につくから、正規ルートじゃないといけなかったのかな」 「そうかも」 「…帰ろっか」 「…うん」 一旦は離していた手をまた繋ごうと上体を起こす。 と、ふいに石碑が目に入った。 行きには気にならなかった石碑である。 「あれ、なんだろ」 近付くと、それが私たちよりも大きいと分かった。 暗くて良く分からない。 手に持っていた提灯をかざしてみる。 何やら文字が書いてあるようだった。 「なんて書いてあるんだろう」 「うーん」 もう少し提灯を近付ける。 「―――」 二人の声が、ぼわん、と反響して聞こえた。 その瞬間、ぶわっという風に提灯の火が消える。 悲鳴をあげたはずだがそれも聞こえずに、ただただ目をつぶるしかなかった。 自分の足が地面についているのかさえ分からなかった。 ごうごうという音だけが聞こえて、まるで私が耳だけになったようで。 それが過ぎ去るのを待っていたけれど、本当に私はまだそこにいるのか、それすらも不安で。 しかし、それは唐突に終わった。 何事もなかったかのように、一瞬のうちに全ての感覚が戻って来て、私は思わず蹌踉めいた。 目を開ける。 手に提灯はなかった。 「ねぇ、」 今の何だったんだろう、 そう話しかけようとして初めて、私は幼馴染の姿がなくなっていることに気付いた。 そこから先は、あまり良く憶えていない。 気付いたら私は村で父親に抱き締められながら泣いていた。 泣きながらもどうやら事情を説明したようで、周りの大人たちはざわざわとしていた。 私は泣きながら、私たちはとんでもなく馬鹿だったのだと、そう知ったのだ。 あの日、私が連れ去られなかった理由は、私のそばにもっと死に近い子供がいたからだそうだ。 無謀な冒険から帰って来た数日は母親に会えず、 その理由を当時の私は知らなかったが、大人になった今はそれも教えてもらっていた。 あの時、母の腹には命が宿っていたのだ。 生まれる前の子供の方が死に近い存在だ。 だから、名前を呼ばれた神様はそちらを連れ去っていった。 幼馴染は、あれから戻ってくることはなかった。 神様に連れ去られるとはそういうことなのだから。 私は神様の名前を憶えていない。 いや、正しく言うのならばその読み方、発音方法を憶えてないないのだ。 そう、字だけなら覚えている。 九桜霊様と書かれた石碑を、その字を、 そしてあの夜起こった出来事を、私は生涯忘れることはないのだろう。 そして金輪際、人に話すこともないのだろう。 私はずっと、隔離された村の中で育ってきた。 それが正しかったのかは、今も、分からない。